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第三章:9 『殺したいほどに憎い』

 少女は一人だった。


 荒野に置き去り。


 誰もいない。


 木も生物も人間も何もいなかった。


 だけど彼女は寂しいとは思わなかった。


 だから誰にも助けを求めない。


 やがて言葉を失った。


 誰かと話すことを忘れてしまった。


 彼女は歩いた。


 彼女がこの世に生を受けたその時から、彼女は歩き続けた。


 どこに何があるのか分からないが、歩いた。


 腹は減らなかった。


 不思議なことに。


 誠に、不自然なことに。


 しかし彼女は気付かない。


 人というものを見たことがなかった。


 少なくとも、彼女が覚えている限りでは。


 親のことも知らない。

 

 親なんていたのかさえも怪しい。


 分からない。

 分からない。


 こうして彼女は。


 名前のない彼女は――


===========================


「……と、まあこんなところでしょうか。あとは彼女……歌音に聞いてください」


 多分話さないでしょうけれど、とメイドさんは付け加えて立ち去って行った。最後に「さすがに哀れ乳はないでしょ」と付け加えて。


 メイドさんの最後の言葉は、とりあえず気にしないことにして、あたしは壁を殴った。え? 怒ってないよ? 本当にホント、おこってなーい❤ あはは、あは、ははは……


「メイドのくせにッ!!」


 渾身の一撃で壁を殴った。殴った部分を中心にして放射状のヒビが入った! ……わけもなく、逆にあたしの拳にヒビが入ったんじゃないかな? すっごく痛い。


 しかしまあ、歌音の過去、かぁ……。


「……いつもあんな無表情なのは、歌音ってもしかして……」


 他人を信用できない……? 

 つまり人間嫌い。

 いやいや、それじゃああたしにくっつく意味が分からない。


「……ま、そんなことに意味なんてないか。変態に『あなたは何で変態なのですか?』って聞くのと同じだよね」


 意味なんてない。でも、歌音は心のどこかで寂しがっているのではないか?

 生きてきた世界。それは人それぞれで、誰にも干渉なんて出来ない。人間にかかわったぐらいで、その人の過去が変わるわけじゃない。未来は変わる、とか言っても、所詮、未来なんてものは決まったものなのだ。それが分からないのが人生というもの。


 でも……。


 その理論からすると、誰も救われないのだ。救われる『未来』があって、初めてその人は『救われる』。いや、未来が分からない以上、結局誰も救われない。


 歌音の過去は終わった。


 じゃあ、歌音の未来はどうなのだろうか。


 歌音は今も独りで。

 いつかの未来も独りで。

 孤独に飢えて。

 誰かの優しさを知らないままに。


 孤独に死んでいくのだろうか。


 愛されることも知らないままに。

 彼女は死んでしまうのだろうか。


 家族を知らないままに。

 家族の温もりを知らないままに。

 彼女は捨てられて。

 捨てられたことすら忘れて。

 いつか死んでしまうのだろう。


「……そんなの、認められないよ」


 孤独は寂しい。

 愛されることも知らないなんて怖い。

 家族は……確かにあたしもいないけれど、その代わりはいるんだ。その温もりを、知っている。歌音にも、家族の代わりとなる人物がいるのだろうか。その人に、愛されているのだろうか……。


 家族を知らないのは――存在しないのと同じだ。

 故に、寂しい。


 その感情を歌音は知らないのかもしれないけれど、孤独が寂しいなんて思うことがきっと間違いなのだろうけれど……それでもあたしは――


「あたしは……」


 と、その時。


 ギィと、扉が開いた。その向こうには、アスタの姿があった。いつの間にか時間が経っていたらしい。

 しかしその表情は浮かばれない。お風呂に入る前のほうが疲れていないような笑顔だったのに対し、今は疲れ切った笑顔をしていた。どちらにしろ、笑顔であり続ける分、アスタに対する不快指数が増えていくのである。


「あぁ……疲れた」

「何があったの!?」


 しかしアスタは答えてくれないままに、ベッドに突っ伏した。ちなみに、ベッドは一つだけなので、いつもはあたしがベッドで寝て、アスタは床で寝ている。要するに、今アスタがしていることは……。


「くんかくんか……すー、はー」

「やめてよッ!?」


 あたしの残り香を嗅いでいた。本当に気持ち悪い……。


「あはは、必死そうだね」

「五月蠅い! いいからそこ退いて! 本当に気持ち悪いからっ!!」

「それはフリかな?」

「違うわッ!」


 いいから退きなさい、とあたしはアスタの腕を引いた。しかし、あたしの力でアスタが動くわけもない。それでも引っ張っていく。


「あはは。必死なナルちゃんも可愛いね! そんなナルちゃんも好きだよ」

「もうその言葉も聞き飽きたわッ!」


 むしろ聞き慣れた。割とすぐに慣れるものである。


「くぅぅ……」

「顔真っ赤にしちゃって、本当に可愛いよ。……ねぇ、ナルちゃん」

「ん? ……ひゃっ!」


 アスタがあたしの腕を引いた。前につんのめりながら、アスタの隣に突っ伏した。顔をアスタのほうに顔を向けると、眼前に彼の顔があった。スゴく近い。


「……なんのつもりよ?」

「いや……なんか疲れたから、ナルちゃんの顔を近くで見ていたくなっちゃった」

「何それ、バッカみたい」

「だって、ナルちゃんは俺の家族……みたいなものだからね」

「……もしかして、さっきの話も聞いてた?」


 アスタは静かに頷いた。

 彼の髪が濡れているところを見ると、早々にお風呂から上がってきたのだと見える。その証拠に、アスタの手は温かくなかった。冷たいままだった。


 あたしは「そっか……」と呟いて、アスタの瞳を見た。彼の黄金色の瞳が揺れる。「……もう、このまま寝ちゃおっか。アスタも疲れているしね。……それに、あたしも疲れちゃったよ。みんな、過去があって、でもみんな浮かばれなくて……その重さを背負うには、あたしじゃあダメなんだって。だから、疲れちゃった」


 あたしの小さな背中じゃ、そんなに多くのものは背負えない。未来も過去も決まったことなら、あたしたちはそのシナリオに逆らっちゃダメだったんだ。逆らうこともすらも決まったことなら、生きた心地がしない。


 あたしが半身を起して、ベッドの上に座ると、アスタもその正面に座った。


「もう、疲れたよ。みんな救いたいけれど、その大きさにあたしが潰れちゃいそう。歌音のことも、子どもたちのことも、エルミニのことも……みんな救いたいんだ」

「うん」

「でもその方法が分かんないよ。だって、みんな大好きだから。大好きだから……大好きなの」

「うん。俺も大好きだよ」

「……救いたいよ。みんなで笑っていたいよ。仲良くしていたいよ。でも現実はそうじゃない。大人達はいつも傲慢だから。自分勝手だから……」


 だから彼女は見切られた。

 だから彼らには何もない。

 だから彼女は捨てられた。


 だからあたしは……。


「正直に言うと、あたしは大人を殺したい。殺したいほどに憎い。あたしたちのことなんてお構いなしに自分勝手を貫こうとするあいつらなんて……大っ嫌い」


 それが正しいとしても、間違っていたとしても。

 大人の事情で何もかもが滅茶苦茶になる。

 あたしたちの運命は、そいつらによって決まる。


 あたしは七年間【鳥籠】という牢獄でただ働きさせられてきた。あいつらの私腹を肥やすためにあたしは存在したんだ、と思ったらどうにも許せない。殺したい。

 

 あいつらがいたからこそ、今のあたしがあるといってもいいが、それでもこの世界は子どもに優しくない。あんな大人共にはなりたくない。大人になりたくない。

 それが子どもだっていうなら、あたしはいつまでも子どものままでいい。

 生きている限り、いつか人は大人になるのだけれど、そうなりたくない。少なくとも、あんな大人にはなりたくない。自分勝手には生きたくない。


 みんなと手を取り合って、仲良く生きていく……そんな世界に生きたかったなぁ……。


「アスタは……アスタはこの気持ち、分かってくれるよね?」

「……俺は、分からないな」

「え……?」

「幸せになるなら、みんなで幸せになったほうがいいよ。そっちのほうがきっと楽しいし。だから、大人だってこの世界に必要なんだ。大人を殺す人間がいないと、大人に反抗する子どもがいないと、世界は本当に大人だけのものになっちゃう。この世界で生きていく者同士、互いに平成に生きないと……」

「……違うよ。この世界は、もうすでに大人のものなの」


 だから……増えすぎた大人共を殺す存在がいてもいいじゃないか。本当の意味で殺す人間がいたほうがいいじゃないか……。


 だって、子どもを壊すのは――

 子どもを殺すのは――


「いつだって大人じゃんっ!」


 逆襲復讐殺戮……大人同士の争いが、いつか子どもを殺す。壊す。破壊崩壊解体分解して、最後に残った残骸が子どもという名の人形。


 いい人形が作れましたね?

 ええ。とてもよく働く人形なんですよ。

 

 あぁ、人形が壊れちゃった。

 あぁ、なら取り換えればいい。

 そんなボロボロの人形なんて、捨てればいいよ。


 こんな人形なんていらないわ。

 こんなもの、ズタズタにして捨ててしまえばいいのよ。


 ボロボロに解体して。

 ズタズタに壊して。

 そして――。


「壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れて……消えて無くなってしまえッ!!」


「こんな人形なんていらないの!? あたしたちは働くだけに生きた人形なの!? そんなに替えの利くような人形なの!? ボロボロにしたのは大人共だ! ズタズタにしたのは大人なんだ! それを作ったのは大人なんだ! それなのに、何であたしたちは報われない!? なんであんな奴らの言うことばかり聞いて生きなきゃいけないの!? 人形なら……人形ならほかで作ってよ!」


「あたしは、大人を殺したい!!」


「大人を壊したい!」


 いつも不幸になるのはあたしたちで、そんなことを知らないのは大人共。自分たちの過去なんて見ないで、否、自分たちの過去を見て、それをひたすら繰り返す……その先にある快楽にも似た安楽のために!!


「だから……だから……」


 目から涙が溢れる。こんなところ、こんな近くでアスタに見られたくなかったのに。みっともない醜態晒した挙句にこれでは示しがつかないじゃん……。


 アスタの冷たい手が、あたしの背後へ回る。華奢な身体を包むアスタは、どこか温かい。


「背負うなら、一緒に」


 冷たい手が、あたしのぼさぼさの頭を撫でた。お風呂に入っても直らない髪は、歌音に洗ってもらったものだ。


「ナルちゃんが、大人を殺せないことなんて分かってるから。ナルちゃんは優しいから、どんな台詞を言っても、きっとナルちゃんは大人を殺せない」

「違うよ……あたしは優しくなんてない。こんなことを思ってること自体、もう壊れてるんだって分かってるの……だから、あたしが優しいのはきっと大人のせい――」

「違う! それだけは……そこだけは、否定しちゃダメなんだ!」


 アスタに強く抱きしめられる。


「ナルちゃんは優しいんだ! 大人共がどうであれ、ナルちゃんのそれだけは変わらないんだ! 誰がなんて言おうとも、大人なんて関係なしに、ナルちゃんは優しいよ……だって、こんな俺のそばにいるじゃんか……弱い人を救おうとするのは……きっと優しいんだ」

「でも……でも……」

「大人に強く当たったっていいよ。それがナルちゃんだ。誰よりも優しいから、そんなことを考えられるんだ……だから、自分を否定しちゃダメだ」

「うぅ……」

「強く生きなくていい。誰よりも人間らしくなくたっていい。誰かもに見切られて、いつかナルちゃんが独りになったとしても、俺はそばにいる。


 ナルちゃんと生きていく。


 俺に恥をかかせないでよ。これでも、俺はナルちゃんのこと、好きなんだからさ」


「うぅぅ……」


 あたしは……このままでいいんだろうか。

 大人嫌いのあたしは、人間らしくない。人間全てが人間好きだなんて思えないけれど、ね。

 それでも許されるのだとしたら、あたしはきっと。


「あたしは……子どもたちを救いたい。大人なんて救いたくない! アスタが大人と一緒に平和に生きたいって言っても、あたしは大人なんて救わない……でも、嫌いにならないでね?」

「うん。もちろん」

「……あはは……これだから……家族は……」


 アスタの体を抱いた。とても大きな彼は、いつも笑っていて、そして温かい。

 彼の温もりを、自分の涙で冷やしてしまうんじゃないかって思ったけれど。


 彼はそれでも、温かく笑っていた。


 だからあたしも笑った。


 その日はアスタの温もりに包まれながら眠った。


 きっと明日になれば恥ずかしさで悶えるけれど。


 今だけは、こうしていたいから。



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