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第三章:8 『湯気to哀れ乳』

 お風呂とは、古くから親しまれている文化だろう。昔から裸の付き合いとはよく言ったもので、一緒にお風呂に入ることで親睦を深め、関わりを広げることができる。お風呂の中ではみんなが平等で、お互いに尊重しあい、周りに気遣うものである。漫画や小説の中でも、よくその描写はあるだろう。

 しかし、ここで言いたいことがある。


 男女が乳繰り合うような、そんないかがわしいことのためにお風呂があるわけじゃない!


 と。


「……人のこと言えないよね」


 むしろこっちは女×女。いかがわしさ倍増だね!

 いや、別にあたしが悪いわけじゃないんだ。あたしは無理やりここに連れてこられたわけだし、その行き先をあたしは知らなかったのだし……言い訳だけど。


 あたしは湯気の立ち込める空間に放り出された。その空間には窪みがあって、そこに湯が溜まっている。広さはかなりあって、深さはあたしの腰ぐらいだろうか。タイルで敷き詰められた床には幾つもの水滴が落ちており、目には見えないほどに傾いた先にある水路に落ちていった。白い湯気は熱い。天井の高さも空間の広さもかなりあるはずなのに、湯気は充満していた。もはや濃霧。視界は決して良好とはいえない。その証拠に、あたしは床にあった石鹸に足を取られて転んでしまった。


「ぐべっ」


 顔面を思いっきり強打した。誰だよこんなとこに石鹸なんて置いたやつ……。

 湯気で視界は悪くなっていたが、人がいないことは分かった。ここの空間にいるのは、どうやらあたしと歌音だけのようだった。それを狙ったのだろう。


 二人きりを狙った――そこにどんな意図があるのか、あたしには分からない。


 そう言えば。


 あたしはずっと【鳥籠】にいたので、お風呂なんて初めてだ。そもそもこんなものが本当にあるなんて思っていなかった。だって、湯に入れるのは紅茶ぐらいなものでしょ? って思っていたから。それなのに人間がそこに入るなんて信じられなかった。人間が入ってしまえばゆでダコになってしまうのではないか? とか考えたり……タコも湯に入るのか。


 とにかく、初体験である。


 というか、何日もこの城にいて、今頃お風呂が出てくるか……。


「むぅ……もう出たい」

「……可愛い子……入ったばっか……」


 歌音は隣を歩いていた。

 相変わらずの抑揚のない声だが、絶対に興奮状態にあることだろう。おっさんか。


 にしても、やっぱり歌音のスタイルは良い。あたしみたいな超スレンダーなんかじゃない。

 何というか……胸のサイズも段違いだし、肌から髪まで、彼女の全身が柔らかそう。特に胸が。清潔感のある白い肌なのがミソ。腕は細く、むっちりとした太ももはきっと触り心地抜群だ。

 そんな抜群のスタイルで、さらに美少女とくれば喜ばない男なんていないだろう。そうか、桃源郷はここにあったのか。

……あたしも変態なのだろうか。


 歌音の容姿を観察しながら少し歩いて、木製の腰掛けに座った。歌音は隣同士で座ったはずなのに、こちらに近づいてきてあたしの後ろを取った。あたしの後ろに立つな! とか言ってやろうか、と思ったが、突然冷たい液体をかけられたのでひゃっと悲鳴を上げたので何も言えなかった。


「っにゃ……なにさ……」

「……頭……洗って……あ・げ・る……(はぁはぁ)」

「その荒い息、どうにかならないものかなぁ……」


 あたしの 言うことなどお構いなしに、歌音の細い指があたしの髪を捕らえた。産まれてこのかた、一度も洗ったことのない髪に歌音は苦戦していた。ふはは、このぼさ毛を舐めるなよ! あぁ、なんか自分で言ってて哀しくなってきた。哀れ髪、哀れ乳。いま胸関係ないでしょ!?


 自分で言って自分で突っ込むほど悲しいことはない。だからと言って哀れ乳だとか他人に言われたら立ちあがれないこと必至だ。


 歌音は無言であたしの髪を洗っていた。歌音の細い指が頭のツボを刺激しているらしく、とても気持ちいい。このまま寝てしまおうか。


「むぅわぁぁぁ……」

「………(はぁはぁ)」

「この息さえなければすっごくいいのに、何でこんなに残念なんだろ?」

「……可愛い子の……髪……青い……青い髪……(はぁはぁ)」

「なんか、それ言われるとスゴ~く触らせたくなくなるんだけど」


 しかし歌音はお構いなし。変態のレベルが上がるのみ。こんな経験値要らないよ。少なくとも現代社会において役に立たないスキル。


「……可愛い子……可愛い子……」

「何?」

 

 と、その時。

 歌音は無言で、あたしに熱湯をぶっかけた。


「熱っ!?」


 一気に熱湯地獄へと変わっちゃったよ。こんなの喜ぶのはリアクション芸人だけだよ。日本のお笑いとカップラーメンにお湯は欠かせないらしい。そのあとも歌音はお湯をかけ続け、石鹸を落とした。すると今度はスポンジと別の石鹸を取り出した。はて。歌音はまさか。


「……身体……身体……可愛い子の……可愛い……幼児体型……」

「なっ! し、失礼な!」

「……可愛い子の……むちむちスレンダーぼでぃ……むへへ……❤」


 だ、駄目だ!

 変態強度が高すぎる!!


「か、身体は自分で――」

「や」

「一語で断んないでよ! あと、なんで歌音に拒否権があるのよ!」


 貸して、と手を差し伸べると、しぶしぶといった様子でスポンジを渡してきた。その姿があまりにも悲愴めいていたので、「背中はよろしく」と言った。歌音はうれしそうに鼻息を荒くするのだった。この……歌音の変態性がなければ、任せられたのに!!


 あたしはさっと身体を洗うと、歌音にスポンジを渡して、歌音の作業が終わるのを待った。そして、やはり突然熱湯をかけられ。


「きゃぁっ! だ……だから熱いって!」


 と叫ぶのだった。



 やがて。


「……」

「……」


 あたしと歌音は湯船に向かい合うように座っていた。あの後、今度はあたしが歌音の髪や体を洗う羽目になってしまった。ぐッ……あの弾力は忘れはせぬぞ。


 あたしは歌音のある部分の感触を思い出すように、手を握ったり開いたりしていた。むぅ。いつかあたしもああなれるのだろうか。しかし、歌音談では「……今の……まま、の……可愛い子が……一、番……可愛い……」だそうだ。さらに言うなら「……胸大きい……肩凝る……あと……戦いに邪魔……」と言って胸を叩いていた。よく言うよね。そう……


 ――巨乳はみんなそう言うんだ!(ぐすん)


「にしても、歌音、何であたしをこんなとこに連れてきたの?」


 まさか『裸が見たかったから』とか、そんな変態的な理由なのだろうか。ふむ……否定できないところが怖い。

 歌音を見ると、言いにくそうに口をまごまごさせていた。


「……可愛い子……が…………」

「?」


 しかし、そこで言葉が止まってしまった。そんなに言いにくいことなら、あたしもそんな無理に聞こうとは思わない。きっと彼女は彼女なりに考えての行動だったのだ。


「いや、そんなに言いにくいことならいいよ。あたし、お風呂初めてだったからちょっと嬉しいかも」


 あたしが笑うと、歌音は無表情のままどこか笑ったように見えた。

 うん。やっぱり歌音の笑顔はいい。それは歌音に限ることじゃないけれど、それでもいつも無表情の仏頂面だと、こちらの気が滅入ってしまう。だからこそ、普段見せない笑顔が一番いいのだ。


「……可愛い子の……身体目当て……知ったら……可愛い子……怒ったから……よかった……」

「聞こえてるよ」


 やっぱり歌音は歌音だ。

 今朝から様子はおかしかったけれど。

 それでもこの子は歌音だった。

 いつも無表情の歌音だ。


===============================

 お風呂から上がり、脱衣所で服を着ると、あたしと歌音は廊下で別れた。あたしと歌音の行く方向は逆だった。


 あたしはすぐに自室 (といってもいいだろう)に戻る道を。

 歌音はガスタウィルの王室に行くようだった。


 廊下をまっすぐ歩き、やがて部屋に着くと扉を開けた。

 中は薄暗い。明りが蝋燭だけで、日も完全に落ちきっている。その上、空にはうっすらと雲がかかって二つの月を隠していた。いつもなら明るい月が、今は部屋を照らしていない。そのため、実質、この部屋を照らしているのは蝋燭だけだった。


 部屋の中にはアスタが一人、イスに座って魔導書を読んでいた。勉強熱心なのは感心だが、アスタが読んでも分かるわけがない。あれは魔法技術士(ウィザードリィ)や魔法に特別詳しい者にしか分からないだろう。ん? もしかしてアスタは魔法に詳しいのか?


 ……いや、それはないな。

 アスタなら何でも出来そうだけど、

 やっぱり魔法だけはあたしのものだ。


 絶対に譲らないからね!


「ん? あ、ナルちゃん上がったんだ」

「うん……っていうか、知ってたの?」

「いや、後でメイドさんが教えてくれただけだよ」


 腹抱えて嗤いながら、とアスタは言った。うぬぅ……その光景が目に浮かぶよ。


「んじゃ、俺も風呂でも入ってこようかな」

「アスタも行くんだ」

「うん。ニボシとガスなんとか王とね」


 なんて奇抜な組み合わせだろうか。


 まさか。

 奇人と巨人とクズの三つ巴。


 うぇぇぇ……まだ蛙と蛇と蛞蝓(なめくじ)のほうが可愛げがあるよ……。

 あと、その組み合わせだと状況は拮抗していない。すぐにアスタが喰われる立場にある。ざまぁ。


 しかしまあ、この城でほかに男なんて見たことないから仕方ないのだろう。だからアスタが負ける立場にあっても知らない。普段の行いが悪かったのだ。ああ、そうそう。


「石鹸に足を取られないように気をつけてね」

「あはは。そんなのに引っかかるのはバカと子どもだけ――」

「悪かったわね!」

「…………………………え?」


 その反応が一番つらかった。

 アスタはあははと笑いながら背中越しに手を振って扉へと歩いた。


「あ、なるちゃん、気にしないでね?」

「え? 何を?」


 まさか石鹸のことだろうか。まあ確かにあのときは湯気があって視界が悪かったから仕方ないし……うん。確かにきにすることでもな――


「ナルちゃんはスレンダーが一番だよ」

「余計なお世話じゃぁぁぁあい!!」


 叫んで枕を投げた。しかしアスタの目の前で落ちてしまった。くっ、このやろー……あたしから距離とって被害のないとこに逃げてやがったか……。


「あはは。歌音と一緒に入ってたから気にしてたのかと思ってたけど、そうでもなかった?」

「ぐっ……う、五月蠅いわボケェ!」


 さっさと行け! と、追い出すとあたしはベッドに突っ伏した。頭の中に回るのは。


「哀れ乳哀れ乳哀れ乳哀れ乳哀れ乳……」


 そんな言葉だった。




――幾分か時が進んだ後。




「哀れ乳哀れ乳哀れ乳哀れ乳哀れち……ん?」


 扉が開いた。はて、そんな時間が経ってアスタが返ってきたのだろうか。そんな風には思えないけど……。

 しかし扉を開けたのは違う人物だった。


「紅茶をお持ちいたしました」


 そう。笑うメイドさん。本名は知らない。

 メイドさんは営業スマイルであたしの近くまで来て机に紅茶を置いた。そのまま立ち去るかと思いきや、ベッドに突っ伏したあたしを見下ろしていた。


「……哀れ乳(笑)」

「むぎゃああ!?」


 き、聞かれていたのか!? 

 それとも本心か……。


 どちらもありそうなのがこのメイドさんの怖いところ。いや、両方か。


 メイドさんはひとしきり笑うと「それはさておき」と言って瞑目した。この人、何しにここに来たんだ? 


「ナルティス様。お話があります」


 メイドさんに名前を呼ばれて、緊張する。何をするためにここに来たのか分からないけれど、この話は多分重要なのだろうな、とは思った。じゃなければ、この人はここにいないだろう。


「……何?」

「その前に、一つお伺いしたいことがあります」

「?」


 さっきまでの笑顔とは一転して、真面目な表情になった。

 メイドさんの口が開く。


「……あなたは先ほどまで、歌音とともにお風呂に入っていました。その時、歌音は何か言っていませんでいたか?」

「え……?」


 うむ……。

 確か、歌音は何も言っていなかった。なぜあたしと一緒にお風呂に入ろうとしたのか。真っ当な理由なんてないのだろうと思ったのだが……そこにちゃんと理由があったのか?


  まあ、『可愛い子の身体が見たかったから』とかは多分嘘だ。そんなことだったらきっとあんなに言いにくそうにしない。だからもっと言いにくい理由があったのだろう。


 理由があったからこそ、歌音はあたしと一緒にお風呂に入ろうとしたし、何か話そうとして口をまごまごさせていたのかもしれない。


 ……いや。


 歌音には確実に目的があったのだ。

 そう考えられる理由はある。


 でもあの時歌音は……。


「……何も話していなかった、よ」

「そう、ですか……」


 メイドさんが残念そうに呟いた。この反応からすると、この人は歌音がなんであんな行動をとったのか、それを知っているのだろうか。


「あなたは……歌音の行動について、説明できるの?」

「……はい。出来ます。しかし、それは私が言うべきではないです」


 歌音が決めて自分で言うべきなんです、とメイドさんは言った。


「なので、私がここに来たのは歌音の手助け、と言ったところでしょうか」

「手助け?」


 メイドさんは頷き、


「はい。きっと……歌音はこのことをナルティス様には話せないでしょうから、だから、あなたから話しかけてほしいのです」

「……どういうことか、全然分かんないんだけど」


 聞くと、メイドさんは深呼吸した。そんなに言いにくいことなのか?


 意を決したように、メイドさんは話し始めた。



「――では、話しましょう。歌音の……その過去について」


「過去?」

「はい。彼女――


  独りの少女の物語を


   あなたに知ってほしい」


 あたしは身構えて、歌音の過去について聞くことにした。


 紅茶が冷めるほどに冷たい話を、あたしは聞くことになった。



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