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第三章:7 『エルミニとガスタウィル』

 【世界樹】には色々な名前がある。


 『生命の木』としての『セフィロト』。

 『黄金の果実』を実らせる木。

 『世界樹』という意味の『ユグドラシル』。



 そして、『悪魔の木』――【世界樹】。


 これらの異名はどれも一つの恐れられる木を指しており、それの呼び方で、【世界樹】に対しての認識の違いを感じ取ることが出来る。『悪魔の木』と呼ぶあたしたちは、きっとその木に恐れを抱いている。


 実際に見てもそうだった。


 目の前に生えた超級の巨大な樹に恐れを抱いている。枝は天蓋のように空を覆い、その向こうの日差しを遮る。地表に届かない光は枝葉に当たって【世界樹】の成長を促し、地中の水分をありったけ吸い上げる。すると地表が枯れて割れる。そんな土地で植物なんてなるわけもなく、しかしそれは【世界樹】も同じなので、こいつはその根を遠くへのばす。【世界樹】による影響がどんどん広がっていき、やがて世界は滅びる――それが世界中の科学者の見解だ。


 その一端を垣間見ることが出来るのがこの地だろう。事実、【世界樹】の周りには何もない。この光景が世界を包み込むのだ。宇宙から見れば、飛ばない天空の城、といったところだろうか。バ〇スした瞬間に地に根付くのだろう。飛んでくれよ、古代科学要塞……。


 【世界樹】といえば、その大きさもだろうが、恐ろしさも半端ではない。


「……くぅ」


 あたしは今すぐにここから立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。恐怖が重すぎて、足がおぼつかずにがくがくと震えている。気を抜けばすぐに落ちてしまうだろう。


 あまりの恐怖に、意識が朦朧(もうろう)とする。

 息が荒い。

 息の仕方が分からない。


 【世界樹】の壮麗さ、荘厳さ、鈍重さは生物を恐怖のどん底の底辺にまで陥れるようでもあった。枝葉が美しいだけではない。そのものが厳かなだけではない。自分よりも大きいものを見て恐怖するような、そんな動物の本能が警鐘を鳴らしている。それでもここにいなければならないという理由が分からない。なんであたしはこんなところにいるのだろうか……。そして――


 ――本当に、こんな【世界樹】( ば け も の)を倒せというのか……。 


「大丈夫ですか?」

「……無理……全然、大丈、夫じゃ……ない……」


 むしろこんな状況で大丈夫なわけがない。

 これで無事な生物は生物ではない。


 その証拠に、アスタの冷や汗を垂らして、笑った顔でも辛そうにしているのが窺えた。そうか、アスタはこの悪魔を見るのが初めてだったか。

 

 【世界樹】と同じ空気を吸うだけでも、普通とは全く違う。

 まるで、この悪魔に生気を吸われているかのような……そんな気がするのだ。だから容易に呼吸することもできない。否、呼吸することは容易ではない、だ。


 あたしよりもアスタのほうが肉体的にも精神的にも強いと思う。そんなアスタでさえ、この樹に恐れを抱き、足を震わせている。ここに立っていることすら常人ではおかしいのだと思う。


 しかし、例外があった。


 それが、ガスタウィルだった。


「?」


 ガスタウィルは【世界樹】なんてない、と言っているかのように平然としていた。平然すぎて恐ろしいくらいだ。


 こんなものに恐怖を抱かないものは生物ではない……ガスタウィルはまさにそんな奴だった。


 生物じゃなく、

 王なのだ、と。

 この違いは――ないのに。


「……落ちつきましたら話をいたしましょうか」

「いや……いい。聞くだけなら……でき、るか……ら……あぐっ」


 ついに堪え切れず、地面に膝をついてしまう。肺に入った空気が妙に気持ち悪い。


「あ、あたしのことは……気にしなくて、いい……から……話を……」


 それよりも、何でこんなところで話さなければいけないのか分からなかったが、それすらもどうでもよくなる。そんなことを考えていると、すぐに【世界樹】に()てられてしまいそうだったから。


 ガスタウィルは、心配そうな顔をしながらも「分かりました」と言って話し始めた。本当、何でこいつは大丈夫なんだ?


「えー……では、エルミニを守れなかった理由から話しましょう。この国――ガスタウィル皇国は、今から七年前に建国したばかりの新国です。その建国したばかりのころは、すでにエルミニはいました。もちろん、当時から五体満足ではありませんでしたね」

「……って、それじゃあエルミニは何歳なの?」


 アスタが恐怖に耐えながら質問をする。相変わらずのガスタウィルは「18歳です」と答えた。つまり、建国したときのエルミニは11歳、か。


「……エルミニの足が動かないことはご存知ですね。あれは先天的なもので、生まれつきの病気なのです。だから治す手段はなかった」


 外傷での傷なら、魔法でも治せる。しかし、それが先天的な障害ならば、無理だ。

 魔法で治癒能力を向上させることができても、そもそも機能しないものを回復することなんて無理なのだ。0のものに0を引いても同じ、そういうわけで、エルミニの足は治せないことは分かる。


「それは……分か、る……よ……」

「さっすがナルちゃん。伊達に魔法作ってないね……がふっ」

「ちょっと、無理し……ないでよ……これ以上……動け、ないの……増やしてど……どう、すんの……さ……」


 呼吸に失敗したらしいアスタはむせながらも笑っていた。その頑張りには賛辞を贈りたいところだが、今無茶しても仕方ないのである。今はひたすらこの苦痛に耐えるのみ。

 ガスタウィルは続ける。


「なので建国するときも、エルミニには障害を背負ってもらうしかなかった。その重荷を少しでも肩代わりしたかったのですが……それは叶わず、ガスタウィル皇国は建国されました」


 そしてあれが見つかったのです、ガスタウィルの言葉に、息をのむ。


「あれ……?」

「と、いうかこれです」

「なるほど……だからこの場所に俺たちを呼んだわけか……」


 ガスタウィルは頷いた。


「……【世界樹】が見つかりました」


「…………」


 この絶望の樹が、建国間のなく見つかった。しかし、この樹とエルミニ、どう関係するのだろうか。


「……つまりはこういうことです。建国して間もないころは、周りの国との関係を深めるために、各地へ赴きます。あ、もちろんこの国の状況があるていど安定してからですけどね。そして、ある国へ向かう途中でこの樹を見つけました。と、こう言えば、どういうことか分かりますか?」

「……うん、なんとなく」


 ガスタウィルは満足そうに一つ頷いて、


「エルミニと【世界樹】のせいで、外交できなくなった」


 と、言った。


 冷たく聞こえるが、それは至極当然のようだった。

 王族にそんな人物がいるだけでも汚点になる、そう考えると、外交なんて出来たもんじゃない。その上、【世界樹】までも現れたわけだ。外交なんてしている場合じゃない。国の安定を図るほうが先。


 だから【世界樹】を倒す人物が必要だった。 

 そういうわけであたしが誘拐された。


「決して、エルミニが悪かったとか、そう言うわけではないのです。しかし、それでも……」

「違う……やっぱ、り……あなたは、逃……げたに……すぎない……」

「違います。私は国のために――」

「……そんなもののために……エルミニを……売ったんでしょ……っ!?」


 一つの国と一つの人間……どちらが重いかなんて、比べるまでもなく分かる。しかし、その価値観は人によって変わる。無情な世界に、弱い人間は最弱だ。それでも強く生きようとする人間を、なんで誰も評価できない!?


「なんで……エルミニ、を……犠牲にし……なきゃ……いけない……のか、分…からない……のだけど」

「私はエルミニを犠牲にしたつもりはないです」


 イラッ。


「先刻も言った通り、彼女は城にいるよりもずっと安全に守られている」


 こいつは何を言っているのだろうか?

 このクズヤローは、何が言いたいんだ?


「ナルちゃん……怖い顔しな「五月蠅い、黙って」


「人の話は最後まで聞くべきですよ、ナルティス様。エルミニが守られている……これにはちゃんと理由がありますから」

「……」


 理由?

 人を隔離するのに、

 人を独りにするのに、

 理由があるっていうの?


 そんなんじゃあ、

 独りで泣くことは

 仕方ないってことじゃないか?


 ――ふざけんな。


 ――孤独を肯定することなんてできるか。


「……エルミニがいま住んでいるところは見ましたね? あの場所こそ、守られている証拠なのです」

「は?」


 意味が分からず、間抜けな声を出してしまう。

 エルミニが住んでいたところは、ほとんど廃墟の状態だった。辺りは化け物に囲まれ、とても危険だ。そんな場所だからこそ、人間は立ち入らな――


「あ……」


「そうです。あそこに普通の人は近づかないのです。つまり、事故でない限り、エルミニが死ぬことはない。あのボロボロの家に住んでいるのも、その周辺に住む化け物どもとの共存を謀ってのことです。とはいっても、増えすぎてもいけないので、ニボシの『バリスタ兵団』に殲滅させますが――」

「ナルちゃん!」


 気がつくと、あたしの腕はアスタに握られていた。

 思いっきり握った拳からは血が流れていた。本気で、この王を殴らなければ、腹の虫がおさまらない。


「離して……やっぱり、元凶はこいつだったんだ!!」


 初めてエルミニのところへ行った時、ニボシと歌音が示した行動――それは、目の前のクズ王の差し金だったのだ。

 生きている彼らを利用して、揚句に使い捨てるように殺す――そんなことが許せるわけがない!!


「あんたがやってることは、侵略者も同然よ!! 人間失格よ!! そんなの、エルミニを守ることになんてなってない! あなたは逃げた先で、その責任を全て押し付けたんだ!」

「ナルちゃん、落ち着きなよ。いまこいつを殴っても仕方ないよ。だって……」


 と、その時。


 視界が暗転した。


 次の瞬間には景色が食堂に戻った。これで【世界樹】の恐怖に怯えなくて済む。


 しかし視線の先にガスタウィルはいなかった。

 代わりに白髪の猫耳少女がいた。


「……可愛い子……?」

「あ……あれ……?」

「今話したことは全て本当ですよ。なので、またいずれ、落ち着いたころに話しましょう。では、私は別の仕事がありますので」


 その声の方向に、クズ王がいた。しかし、それを視認したときにはすでに部屋の扉をくぐるところだった。


「くっそ……ホントに逃げた……」

「あはは。まんまと引っ掛かってたね」

「って、アスタは気づいてたの!?」

「うん」


 あすたはあっけらかんと頷いた。何こいつ……。


「あの魔法は幻覚系統のものかな。たしかに【世界樹】には驚いたけど、まあ、俺は動揺もしなかったね!」

「びくびく足震わせてたやつが何言ってんのだか。それよりも……」


 あたしはアスタに掴まれた手を見て、


「痛い」

「あぁ、ごめんごめん」

「あと、ありがと」


 手をさすりながら言うと、アスタは笑いながら「どういたしまして」と言った。

 

「いやぁ、ほんとにナルちゃん怒るからさ、びっくりしたよ。あれぐらいの戯言で怒ったらだめだよ。あんな奴、何考えてるかも分からないのだから……」


 ………………。

 お前が言うか。


「はぁ、なんか……時間の無駄だった気分ね」

「そうでもないですよ」


 突然会話に割り込んできたのはメイドさんだった。何、この人……脇役じゃなかったの?

 メイドさんは瞑目すると、カッと目を見開きながら言った。


「ガスタウィル様は言われました。そう、『紅茶を持ってこい』と!!」


「あぁはい、そうですか……って、紅茶っ!!」


 やった! 

 ポーションが来た!!

 命の水…………紅茶!!


「いやっほぉぉぉぉい!!」

「……その……前……にッ!!」

「ぐえっ」


 メイドさんに飛びかかって喜びを表そうとしたあたしの首元を、歌音が思いっきり引っ張った。く……ぐるじい……。

 でも、歌音がこんなことをするなんて意外だ。きっと何か重要な……紅茶(いのち)よりも大事なことがあるのだろう。命は大事。超大事にしよう。


「何なの? 紅茶飲んでからじゃ……」

「……ダメ……❤」


 そうですか……。

 ついでに拒否権もないようですね。

 あと、なんだか可愛い❤


「何かようなら、早く済ませて欲しいんだけど……」

「……うん……可愛い子……次第……」


 何その、怖い表現。

 さらに歌音が無表情なので、その奥に隠された本当の意図が分からない。歌音は一体、あたしに何をさせようとしているのだろうか。


 うん。


 猥褻わいせつ、かな。


 おぉ、漢字にしたらいかがわしさが増したね☆


「……可愛い子、ついてきて……」

「え……何!?」


 どうやら歌音は聞く気がないようで、一目散に扉へ向かって。


 ゴズッ


 扉をはっ倒してそのまま廊下へと走り出た。あの扉は誰が直すのだろうかと考えたが、アスタがハンカチを振って別れを表現していたのにイラついて考えるのをやめた。その嘘泣きやめろ!!


 とりあえず、今だけは歌音のおもちゃになってあげよう。

========================


「……え?」

「? 可愛い子……早く……脱いで……」


 あたしはお風呂に連れてこられた。


 歌音のおもちゃにはなれないようです。さっきの言葉、撤回させていただけませんか、歌音さん……。



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