第三章:6 『縛られの家族』
身動きが取れない。
身体を縛る縄が肉に食い込んでとても痛い。ただでさえ痛いのに、その上に自重までかかってしまえば、痛さが倍増する。くぅ……この状況、どうするか。
部屋に灯る蝋燭だけでは、薄暗い部屋は見通せない。これをした犯人……その姿は見えないが、多分あいつだろう。ただ、その意図が分からない。何のためにこんなことをするのか分からない。……いや、今はそんなことを考えている場合ではない。早くここから抜け出さなければ、紅茶が飲めない。
縛られたあたしに何もしてこないということは、傷つけるつもりがないということだ。
あたしはため息をついて正面を見た。といっても、今は空中に吊り下げられている状況なので、少し高い位置からの部屋が見えるだけなのだが。
それでも正面で同じように吊り下げられている人物の姿は見えた。
「あはは~。捕まっちゃったね。で、これでどうするつもりだろ?」
「う~……ん……別になにか目的があるってわけでもないんじゃない? 現に、何も起きなさそうだし。っていうか、アスタ……あんた……」
あたしはアスタの縛られ方を見て、絶句した。
―――首に縄が……
「アスタが死んじゃうっ!?」
「あはは。大丈夫だよ、このくら……ぃ……(がくっ)」
「アスタぁぁぁぁああ!!?」
アスタの顔が青ざめていく。一刻も早くここから脱出しなければ。
脱出する方法はある。
アスタは使い物にもならないし、あたし自身、この縄をほどけるほどの腕力もない。そんな腕力があるのはニボシぐらいのものだろう。ただ、これで殺すつもりも危害を加えるつもりもないのなら(アスタ昏倒中だけど)、方法はある。
すなわち、魔法を作る。
魔法技術士としての特権を使った魔法づくり……触媒いらず巻物いらずの半チート
紛いの能力だが、それはここで使うためのものだったのか。いや、違うと思うけど。
それならやることは単純。
あたしは少しだけ動く指先で、魔法陣を描いていく。そこに単純な魔法式を書き込み、発動する。
「っと」
あたしの身体に沿うようにして、空気の刃が縄を斬った。床に着地すると、すぐに同じ魔法をアスタめがけて放った。
「ぐへっ」
アスタにしては珍しく、着地に失敗して背中から落ちてしまった。怪我をしていないか確認すると、どうやら無事なようだ。意識もある。無事ならよかった。それでいい。
ぜー、はーと、アスタは呼吸を整えて、「ありがと、助かった」と言った。
「ま、あたしもアスタがいなくなっちゃうと困るし、当然よ」
「あはは。これで俺もナルちゃんの家族かな?」
「調子に乗るな」
アスタは笑いながらも、息を切らしている。本気でまずかったらしい。
――家族といえばエルミニだ。
………ま、その話は後でいいか。
それよりも、あたし自身も縄で縛られたので身体が痛い。強く縛りすぎたのか、それとも偶然か。だとしたら、アスタの首にかかったのも、多分偶然だ。だって、危害を及ぼすつもりなんてないのだから。
それを信用するだけのことはある。ただ、一つだけ。何のためのこんなことをしたのか、それだけが分からなかった。
「……吊るされた、男」
アスタを思い浮かべて思う言葉だ。もしあんな風に吊るされたのならば、そんな奴すぐに死んでしまう。それを実演した、とかそういうわけでもなさそうだし……うーん、頭痛い。
それにしても、神話やら【世界樹】について話した直後にこれだと、何かの因果を感じさせられるものだが、本当に関係あるのだろうか。
何がまずかったのか。
どこで見誤ったのか。
「……問題は山積み……山をこしらえてる途中ってこともあるかな」
これから【世界樹】を倒すまでの間、何が起きるか分からない。誰かが死ぬかもしれないし、誰かが消えるかもしれない。問題は解決され、何もかも解放された時、あたしは何を思うのだろうか。
それにしても、だ。
「アスタ、大丈夫?」
「うん。けど、もうちょっと待って」
「まあいいけど」あたしは呟いて部屋を見渡した。
やはり薄暗い部屋には誰もいない。白いベッドと白い机と、魔導書を置いた本棚のみの質素で簡素な部屋。天上からは半透明のレース、壁の高い位置に燭台と蝋燭。白い壁は蝋燭の光を反射してほんのりオレンジ色に輝いている。それだけだ。
そして視線は扉へと向かう。
高い天井と同じくらいの高さで、縦にも横にもかなり大きい。一人で動かすのには苦労するだろうと思っていたが、思ったよりもそれは軽い。どうやら、重力を加減する魔法が掛かっているらしい。そんなことをするぐらいなら小さいほうが勝手がいいと思うのだが、それは個人の趣味として心の片隅の隅っこにおいてこう。そして月曜の燃えるごみの日に出してやろう。よく燃えたらいいけど。
あの扉が開いたらすぐにでも分かりそうなものだが、さて、犯人はどうやってこの部屋に入ってきたのだろうか。
吹き抜けのベランダから? この高さをどうやって克服したというのだ。
じゃあ無難に扉から? それだと気づかれる可能性が高くなる。
いや、必ずしもそうとは限らないか。
もしも、この部屋にあたしたちの知らない隠し扉でもあるとしたら……いや、そんなものがあればとっくに気づいている。
あたしはここに来た時に、真っ先に『探知魔法』を使ったのだ。隠し扉でもあるものなら、その時点で気づいている。
だとしたら、可能性は一つ。
すなわち、『罠』だ、と。しかしそれにも問題が発生する。
あたしみたいな鈍感は、罠の存在に気づくことなくまんまとかかるだろう。でも、アスタは違う。彼の身体能力を侮ってはならない。こんなひ弱そうな身体でも、あの巨人、ニボシと剣を交らせ、互角だったのだ。罠があれば気づくだろし、それにかかることもない。
だけど、アスタやニボシのスピードに追いつける人物は一人だけいる。
その姿を、あたしは見て知っている。
そいつが犯人だ。
それは――。
と、そこで。
「ん?」
上からひらひらと、一枚の手紙が降ってきた。あたしはそれを取り、眺めてみる。
差出人も何も書いていない、真っ白な封筒。封があいているということは、閉じていないか中身を誰かが読んだか。もちろん、可能性は前者のほうが高い。
あたしはその中に入っていた3つに折られた手紙を取り出し開いて読んでみる。
『これいじょう、【せかいじゅ】にかかわるな』
「……」
ひらがなで書かれた手紙は、読み終わると風のように溶けて無くなった。脅迫文めいていたが、あれでは脅迫とは言えない。しかし、これで犯人の目的が分かった。
「分かったところで、どうにもいないけどね」
いちいち取りいっている暇はない。あたしたちは目的を完遂するだけなのだ。たとえそこにどんなものがあっても。まあ面倒この上ないのは確かだけどね。
「今の手紙、何?」
床に座った状態でアスタが問うてくる。あたしが内容を話そうとするとタイミング悪く扉が開いた。
「夕食の時間です。こんな薄暗い部屋でいちゃこらしないで食事をなさったらいかがでしょか?」
「……あんた、仮にもメイドだよね? 失礼だとか思わないの?」
「ああ、失礼しました。今のは笑っておくべきでしたか? ぷーくすくす」
「殴りたい!!」
この抑えきれぬ衝動、どうすればいいのだろうか!?
ガスタ君のそばにいたメイドは、扉の前に立ち、その口元に手をやっている。その態度、イライラするけれども、きっとあたしには何もできない。特に暴力は。
あたしたちは、嗤うメイドさんと一緒に食堂を目指して歩き始めた。
食堂では、久しぶりにあの王様の姿もあった。客人がいるというのに、なんて自分勝手な奴なのだろう。
もしくは、この国のことを嗅ぎまわる鼠、だとか思われているのだろうか。それならそれでもいいけど、さすがに客人に対してあんまりではないか? 食事と部屋を提供してもらっているからなんとも言えないけど。というか文句を言う資格なし。我ながら自分を追い詰める才能に驚くね!
食堂には、ガスタウィルのほかには誰もいなかった。ニボシも歌音も、どうやら用事があるらしい。
「お久しぶりです、ナルティス様、アスタ様」
「うん。会いたくなかったけどね」
「出来るなら一生、ね」
「ははは、この城を誰のものだと思っておられるのですか?」
あ、ガスタ……ガス……カスタネット君が怒ったぞ?
……さて、あの王様がいるならいるで、決してどうにかなるとかそんなわけじゃないけれども、特に話す内容がないわけでもない。
むしろ、これは話さないといけないことだ。そしてその怒りをぶつけるべきだ。
もはや自分の席となった位置について、テーブルの上のクロワッサンを取り、口に運んだ。またパンかぁ……。でも、嘆くのはあとにしよう。
「……あの」
「ナルティス様。この国についてどれくらいの見識を深めましたか?」
先手をとるつもりだったが、先に言われてしまえば答えるしかない。あたしはここ数日のことを思い出して、話してもいい内容を話した。もちろん、子どもたちのことは省くことにしておく。
すると、ガスタウィルは難しそうな顔になって、顎に手をやった。
「そう、ですか……」
「何? なんか問題でもあった? それとも――」
「――エルミニのこと、知られたくなかった?」
「……」
ガスタウィルは黙り込んだ。ビンゴだ。
この国の暗闇の部分に、エルミニが関わっている。もしくは、彼女が基盤としてそこにあるのかもしれない。目の前の王様が何を考えているのか分からないが、それでもエルミニがキーであることには変わりない。
「そんなに自分の娘が大切だったわけ? 箱入りにするなら、この城に捕えるほうがよかったように思えるのだけど? それをしなかったのは、ただエルミニのそばに居たくなかったから?」
「……いえ、違いますよ。ただ……彼女には申し訳ないことをしたと思っていまして――」
ガスタウィルの歯切れの悪さに腹が立ち、歯ぎしりをする。
「申し訳ない? あはは、どの口がそれを言うの?」
「本当は、あんなところに置くつもりはなかったのですよ。これは本当で――」
「ならどうして隔離したのよ!?」
慟哭。
「あなたにエルミニの運命を決める権利なんてないのに、なんであんなところに置いたのよ!!」
「……違いますよ」
ふるふると、首を振ってガスタウィルはあたしを見た。
「これは仕方のないことだったのです。この国のためには、彼女は人目にさらされるわけにはいかなかった」
「それって、ただ単に身体障害者だからでしょ? それじゃあ、差別だ!! あなたは国王でありながら差別支持者なんだ!!」
「差別も侮蔑もあるんですよ、この世の中には」
「それを抑えるのがあなたの仕事のはずでしょ? なのに隔離した……あなたは逃げている! エルミニから、エルミニに課せられた因果から、あなたは家族を見捨てて逃げたんだ!」
「……返す言葉もありません。私は逃げた。それは確かなことです。けれど、やはりこれは仕方なかった」
「負け犬が何を言っても仕方ないの!!」
あたしは机を思いっきり叩いて立ちあがった。
「家族なら、守るのが当り前でしょ!? それを放棄したあなたに、王である必要はない!!」
「知った口聞かないでください!!」
ガスタウィルが珍しく、声を荒げる。初めてだったので、あたしはたじろいだ。
「……すみません。でも、どうしてもどうやっても、彼女は守れなかった。いや、あんなところに置いている今だからこそ、彼女は守られているのですよ」
「………どういうこと?」
「それは……」
「言い淀むくらいなら、全部吐き出せよ、王様」
アスタ、参戦。
「俺のナルちゃんを怒らせないで。ナルちゃん、怒ると怖いから」
「空気を乱さないで。頼むから奇人は黙ってて」
「嫌だ。俺はナルちゃんの家族だから、言いたいことは言わせてもらうよ」
アスタはスッと立ちあがり、笑顔を向けてきた。その笑顔はとても温かい。いつもその笑顔を見て安心するのだ。
にしても家族……家族、か。
アスタはガスタウィルのほうを見ながら言った。
「エルミニを守れなかったのはあなたのせいだ。あなたの力不足。家族一人救えないようなクズだ。そんなやつがこの国でどうにか出来るわけないんだから、全部吐き出して楽になれ」
まるで、悩みを持ったサラリーマンだな、と思ったがつっこまなかった。
すると、ガスタウィルのほうも諦めがついたのか、ふぅと小さく息を吐くと、後ろに控えていたメイドに何事かを言った。メイドは頷くとさっさと部屋を出て行った。
「……分かりました。それでは、話しましょう」
そして、世界は暗転する。
そして、世界に光が宿る。
一瞬目を瞑り、光に耐えると、ゆっくりと瞼を開いた。
そこは荒野だった。延々と続く、赤い大地に水分も木も何もない。虚無の空間が、そこに深く腰掛けているようでもあった。きっと、その空間は動くつもりはない。ずっとそこで何かを待っているに違いない。
そして、この光景は見たことがある。
それは、この国……ガスタウィル皇国で目を覚ました日に見た光景。
「……ナルちゃん、大丈夫?」
「あ、アスタ……」
この後ろ……今、背を向けているものが何か理解しているからこそ、あたしはそれに恐怖する。
「顔青いよ? 大丈夫?」
「……うん。まだ何とか」
「さぁ、話しましょう」
ガスタウィルの声が背中で聞こえ、あたしはゆっくりと後ろを振り返った。
当然のように、【世界樹】があった。
それは悪魔の木だ。何者も寄せつけない、恐怖の対象。
当然のように、前に立った王様は――
「――私の娘が守られている理由を、そして、守れなかった理由を」
哀しそうに、立っていた。
その時、【世界樹】が戦慄いた。




