第三章:1 『今日は曇り』
目が覚めた。
そこは部屋。全面、白い大理石で囲まれた高級そうな部屋。一人が使うには十分以上ある部屋。
あたしはすぐに起き上がって、部屋を見渡した。
数日前からこの部屋で寝起きしているが、この広さはどうも居心地が悪い。というのも、あたしが【鳥籠】に閉じ込められていたからだ。あの【鳥籠】も相当の広さを誇っていたが、ここはそれ以上である。そして、こんな広い場所にいると、あの辛くて悲しい日々を思い出してしまうのだ。
けれど、今は違う。
あの苦しくも悲しくもあった出来事は、もはや過去の産物。必然的に、あたしはあそこに閉じ込められないといけなかった運命があったのだ。さすがにあたしも、運命に逆らおうなんざ、思っていない。無茶はしないし、ただ楽して暮らしたい。そこに紅茶があれば100点満点以上だ。最近は忙しいけれど、そんな日々が速く終わって平静を迎えてほしいな。
そう言えば、今朝はあの変態猫がいない。変態王子もだ。いつも小うるさかった面子がいざいなくなると寂しくなるのと同じように、あたしも胸の中にどこか寂寥感が漂っていた。
でも久しぶりの静かな時間だ。もう少しくらいは寝たいなぁ……。
「って、そんなことも言ってられない事態なんだよね」
そこで思い出すは昨日のことだ。
しかし、ここでは省くことにする。だって、今日もあそこに行くのだから。
あたしはあくびをしながらベットから降りた。ふと、机の上を見ると、作りかけの魔法が広げてあった。あたしはそれをしまってから巨大な扉の前に立つ。何気にここを自分一人で開けるのは初めてだった。
小柄なあたしとしては、こんな扉、どうしようとも開かないと思っていた。しかし、それは杞憂だったようで、いや、思いのほか扉が軽かっただけだ。雷のような音と同時に、扉は簡単に開かれた。
廊下に出ると、やはり暗かった。壁に掛けられた蝋燭の炎のみが、この廊下を赤く、赤く照らしていた。
部屋の扉を閉めると、これまでの記憶を頼りに食堂へ向かう。きっとそこには誰かいるだろう。
そしてこの予想は裏切られた。
食堂にいるのは、この国の王……ガス……ガス……カルテット王のそばに付いていた、あの笑うメイドだけだった。いまはその表情は氷のように冷たい。
あたしはもはや定位置になった席に座る。その時、横から朝食……またもパンが運ばれてきた。何日パンなのさ!! もう飽きたよ!!
この国に連れてこられてからというもの、毎日パンである。毎食、パン。かなりバランス悪いよね。ちゃんと考えよう、栄養バランス。
文句を言っても仕方ないので、ため息にとどめておいて、さっさとパンを食べ始め――終わった。
さあ、今日やることはもう決まってるぞ! 働くあたし超偉い! もっと褒めて! あと紅茶ちょうだい……。
まあ、朝から覚醒するわけにはいかないし、仕方ないっかぁ。それよりも、アスタも歌音もニボシも……みんなどこに行ったんだろう? あたしが寝ている間に、みんな先に行動したのか? でも、そこにアスタも含まれていることがおかしい。あいつなら、きっとあたしを待ってくれるか、もしくは起こしてくれるかするはずなんだ。この国で信頼しているのは、アスタと歌音の二人だけだし……まあ、ニボシとかエルミニとかも信頼しないってわけじゃないけどね。ただね。ニボシの視線が怖いの……。
思い出される恐怖に、ちびりそうになりながら、ポーカーフェイス決め込んでいるメイドさんに、みんなの居場所を聞いてみる。
「あの……」
「知りませんし、興味もございません」
まだ何も言ってませんが?
「いや……話を聞いてくださ――」
「あ、これは失言でしたね。反省します……ブフッ」
「何でそこで笑うの!? 絶対おかしいよね!?」
大爆笑のメイドさん。いや、笑うことが悪いことだとは言わないけどね。でも人の話は最後までちゃんと聞こうよ。悲しくなっちゃうじゃん。
「いえ。話を聞かなくても、顔にそう書いてありましたから」
「そう、へえ……って、エスパーか、あんたは」
か、勘違いしないでよ? 私は人の心を読む化け物なんだからね☆ とかじゃないよ。もはや恐怖の範疇。化け物も恐怖の範疇だけど。
まあ、本当に知らないようなので、おそらくみんな朝食食べずにどこかへ行ってしまったのだろう(内、2人は見当がつくけど……)。アスタはきっとあたしと同じ目的だし、歌音はきっと、天井裏からあたしを襲うタイミングを窺っていることだろうし(怖いよ)、ニボシは……行水?
ま、なんでもいいや。とにかく、今日の目的を果たすまで。
あたしは天井に向かって歌音の名前を呼んだ。返事はないけれど、気配はする。何? 忍者にでもなるの? 火影とか目指しちゃうわけなの? はあ、あの変態が襲ってくる前に外に出よっと。
外はあいにくの曇天だった。今にも泣きそうなほどに涙を溜めた雲が、真黒に天上を埋め尽くしていた。雷鳴は聞こえないので、降るとしたら雨と変態猫だけだ。やだ、猫怖い……。
こうなったら、早めに用事を済ませる必要がある。アスタが先に行っているのなら、それはそれでいい。
(どうせ、あたしにもアスタにも監視は付いてるし、その状況が一番安全だしね)
今は安心安全な状況なんだ。
城から外へでる許可は昨日のうちにもらっているので、堂々と街へ向かうことが出来る。もちろん、監視つき。
監視が歌音なら、なおいいのだ。
昨日見たことを、歌音ともしっかり話しておきたいからね。アスタも含めて。
あたしは歩きだす。
昨日は一時間ほどかかった道のり。しかし、頭の中でいろいろと考えることがあったせいか、感覚的には10分ほどで着いた。街中は相変わらずの喧騒で満ちていた。
少し大通りを歩いて、狭い路地裏へ曲がる。細かい道筋は覚えていないけれど、大体の感覚で進む。巨大迷路で右手を当てながら進んだらいつかゴールにたどり着くのと同じように、建物の壁に一応手を添えておく。
そして見えてきた。
六畳ほどの空間に、ゴミが積まれていた。ゴミ特有の腐乱臭が辺りに立ち込めて逃げない。虫がそこらじゅうで飛び、石壁にはヒビ。地面に緑や紫の粘っこい液体が漏れ出し、太陽に当てられ蒸発する。その蒸発したものを吸っているのだから気分が悪い。
それでも鼻を押さえることもせず、ただ目的のもの……子どもたちを探していた。
本当なら、こんなところに子どもたちがいることすらもおかしい。ここはいわゆるスラム街というものだろう。大人のもあるが、危ない薬物でもつかったかのように生気を抜き取られた人間ばかりだ。あるものは酒をかっくらい、あるものは狂ったように笑っている。そんなところに子どもがいてもいいのか? あたしは違うと思う。ま、これはあたしが考えたことで、誰しもに通じる常識かどうかは分からない……それでもだよ。
あたしが守りたいもの、変えたいものが目の前に現れたんだ。あたしが……世界を変える!
一度目を瞑り、心を落ち着かせると前を向いた。
ゴミの山を……
狂ってしまった大人を……
汚れた世界を……
ほどなくして。
「あ! ぼさりんだ!!」
「ほんとだ! ばさりーだ!!」
そんな元気な声が聞こえた。あたしは後ろを振り向くと同時に、身構えた。
何で身構えたかって? うふふ。
飛びかかってくるからだよ。
「ぼっさりぃぃぃぃいいん!!??」「ぼさりぃぃぃぃぃぃぃいいい!!」
「にぎゃぁぁぁぁぁぁ!!」
あたしはボロボロの衣服をまとった子どもたちをもろに受けて、地面に押し倒された。
さて、それではここから昨日の話――
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「………………………」
エルミニ宅からの帰宅、いや帰城途中、国の裏側を知った。
暗い、昏い、暗い路地裏の奥に、子どもたちが生活をしていた。月が照らす路地裏の空間。そこにゴミがたまり、クズどもが溜まり、空気が蟠っていた。こんなところに長くいては身体に害をなす。
あたしは口元を押さえながら隣に立つアスタの服の袖を握った。アスタは笑っている。
「……なんだろね、これ」
そんなことは分かり切っている。その質問に特別な意味はないし、ただ頭の中を整理したかった。エルミニの下へ行く途中で遭遇した化け物たち……あいつらを殺すことは国を守るためだった。けれど……
「子どもたちに、一体何を守れって言うのかな……」
バカな大人の考え方だ。分かるわけもないし、分かりたくもない。
そして、この街に来た時に感じた違和感――つまり、街に子どもがいなかったことを思い出した。
それを感じた時に、いくつかの予想は立てていた。表向きには明るい元気のあるような街でも、子どもたちは外に出られない……ようは家にいる、そう信じていたのに。
「現実はこうだね。いつも非情無情……」
「それをナルちゃんが救えばいい。そのために【世界樹】を倒すんだから」
あたしは無言のまま、ただ振り返った子どもたちを見た。
子どもたちから昏い表情は窺えない。きっと彼らにとってはこれが当たり前なんだ。あたしがそうであったように。
「あちゃあ……ここ見つかっちゃったら怒られるよね……?」
心配するように、一人の少年が言った。みんな同意するように頷く。
「うんうん。何やってんのよバカ」「ええ!? 俺だけの責任かよ!」「責任って辞職しろよ!」「辞職って、おれ無職だよぉ」「ただのニートじゃん!!」
こんな現代社会を映したような会話は聞きたくなかった……。
子どもたちは楽しそうに笑う。しかし、声が緊張していた。
知られたくなかったのだ。
怒られるからか、それとも自身の体裁を守るためか……それは分からないけれど、今の状況がかなり悪いことだけは分かる。それも、あたしのせいで。
あたしは唇をかみしめた。拳を握った。
「おい! お前ら帰ったなら静かにしろ! ……って、お前、たしか……」
「え……?」
突然の声に、あたしは反応が遅れた。声のするほう……と言っても正面だが……あたしはそちらを見やった。そこに一人の少年が立っている。年はだいたい10歳前後だろう。
少年は怒声を上げていたが、あたしを見ると口に手をやって――
「あはは!」
笑った。
笑いやがったな、このヤロー。
「あっはは」
隣のアスタ――否、変人も笑った。何? 対抗意識?
そして少年の声。どこかで聞いたことがある声。
「あの食堂にいた姉ぇちゃ……いや、ロリ?」
「そんな幼くないわぁぁぁああ!!」
慟哭するも、応じてくれない。まあ、当たり前と言ったら当たり前か。
そしてアスタも笑う。あんたは大人しくしなさいよ。
「はぁ……」
ため息をついて、とりあえず記憶を思い起こしてみる。
そう。この声は確かエルミニのところへ行く途中に立ち寄った食堂で聞いたものだ。イスの底が抜けてこけてしまったときに、あたしのことを笑ったあのガキだ。
恨み多き、この乙女をあざ笑ったあの声だ。
多分それを思い出して変人は笑ったのだろう。許せまじ変態。変態追放賛成多数→可決→変態追放。
「こいつらはほんとにもう……」
「ダメだよ、お兄ぃちゃん。いじめちゃ、め」
ああ、この声はスウィートエンジェル。あたしに幸せを運びに来てくれたのか……で、誰?
「ああ!? ヒナダメだろ、ちゃんと寝てなきゃ!」
「うぅ、ゴメンナサイ」
そうだ思い出した。このガキを叱ったあの可愛い天使……じゃなくて少女だ。むしろ幼女だ。可愛いわ。
幼女はゴミ山の裏から這い出てきた。つまりあそこで子どもたちは寝泊まりしているわけか。
大人の姿は見えない。しかし、子どもたちの会話を察するに、近くにはいるようだった。でなければこんなに静かにしようとはしない。子どもたちを置いてさきに眠っているのかもしれないし、大人にだけは家が宛がわれているのかもしれない。そうならばなお悪質だ。
この国の裏側……昏い悪意の塊の部分はこれなのか。
あたしは納得もしていないのに、拳を握りしめた。




