第一章:2 『依頼書……?』
ぼやいても仕方ない。あたしは手に持った依頼書に目を落とした。やはり貴族からの依頼で、内容は透明化の魔法だった。
「いかがわしいことに使うんじゃないでしょうねぇ……」
依頼主には聞こえないだろうが、それでも一応ツッコんでおく。あたしの魔法がそんなことに使われたくないしね。
魔法を作るためには、いくつかの工程がある。
まず最初に、『魔法陣を設計』する。
作られる魔法の規模や威力を決めるため、そして、この後のものを詰め込む『器』として機能する者。料理で例えるなら、お皿かな。お皿がなければ、料理したものも入れられないもんね。
二つ目の工程は『魔法種の生成』。
魔法種とは、作られる魔法の種類や系統をお決める者だ。その方法は、自然にあるモノの中から、魔力を抜き出して魔法陣へ入れるだけ。抽出したモノの性質が、魔法の性質に影響される。風を魔法種にするなら、風に関する魔法が出来上がる、と言った風に。料理でいうなら、食材かな。
三つ目の工程は『魔法式の計算』。
作った魔法を起動させるためのものであり、持続時間を決めるものでもある。起爆剤であり、導火線でもあるのだ。複雑な計算ほど、待つ同次官が長くなったり、多少の威力の違いが出てくる。しかし、これが魔法を作るときに一番難しいところで、うまく組み合わせないと、発動しなかったり、暴発したりしちゅう。料理でいう、調理の工程だ。
最後の工程は『術式で封じる』。
先の二つを魔法陣に組み込むだけだと、時間を待たずして魔法が発動してしまう。または、暴発してしまう。だからここで、一旦術式で封じて魔法が安定するのを待つのだ。
巻物で魔法を作る場合、巻物を縛る『紐』に、術式を刻んで結ぶだけで済む。羊皮紙などでも作れるが、この工程があるため、ほとんどの魔法は巻物で作られる。料理でいう、盛り付けて、蓋をする感じ。蓋を開けば料理が現れるように、術式を外せば魔法が発動する。
魔法の大きさにも、限度がある。限度を超えた魔法は安定せず、暴発してどんな影響を辺りにばらまくか分からないからだ。
そして、今手元にある依頼書、『透明化』の魔法は、さほど難しいものじゃない。
これを作るための触媒は、ケテルという、不可視効果のある木の実。
しかし、これはあくまで見えにくくなるだけの魔法。つまり、そんないかがわしいことに使おうとして『ぐへへ、お嬢ちゃんかわうぃーねぇハアハア』とか言おうものなら正義の玉蹴りが男の部分を潰してしまうだろう。
一度立ち上がって、薬品棚を漁る。ケテルはそれほど珍しい木の実でもない。その木の実自体が、辺りと同化して見にくくなって見つけにくいだけだ。それに、この木の実を食べるだけで、自身が透明化するわけじゃない。
褐色瓶を取り出し、中から緑黄色の、拳程度の大きさの木の実を取り出す。光が当たると同時、木の実は辺りと同化して見えなくなった。しかし、手のひらの上に、その重さは感じ取ることが出来る。
机に巻物を広げると、木の実を正面の奥に置く。羽根つきペンをもう一度手に取って、巻物に魔法陣を描いた。それほど難しい魔法じゃない。さほど時間を掛けなくとも、魔法陣を描き終える。
羽根つきペンを、今度はケテルの表面に当てた。途端にペン先が光りだし、羽ペンを掲げると軌跡を描くように、空中に光る線が引かれた。
いくつもの線が、繊維のように空中を舞い、ケテルの姿もそれに合わせてなくなっていく。セーターのほつれを引っ張っていくみたいな感触だった。それを、巻物に描いた魔法陣に組み込んでいく。
やがて、全ての魔法種を組み込み終えると、次は魔法式の計算だ。魔法陣の上を、羽ペンでなぞりながら、組み込む魔力の量を計算し、調整する。それが、魔法式の計算だ。慎重に、けれどできるだけ早く魔法式を計算すると、巻物を閉じる、あらかじめ用意しておいた銀色の紐で、巻物を縛り付ける。銀色の紐には、術式が施されていた。
「ふぅ……できた」
魔法自体は、これだけで完成する。ものの十数分。難しいものでも、一時間はかからない。もちろん、それも人によって違うけれどね。
うーん。にしても、この魔法……使用者がいかがわしいことを目的に使うかもしれない。 だから、一応、忠告しておく必要があるよね。そうだなぁ、内容は……。
『この魔法で、女の子にあんなことやこんなことをやりたい放題! さぁ、この魔法であなたも天昇してみませんか?』
「……よし! 完璧!」
そうガッツポーズを取り、次の依頼書へ手を伸ばす。悪よ、ここに成敗されたし。
まあ、毎日そんな感じで魔法を作っているのだが、苦情は一切ない。むしろ感謝されている。どうだ偉いだろ!
と思いながら、次の依頼書を開く。開いたところで、泣きたくなった。
「ああ、ほんと……あといくつ依頼あるのよ……」
仕事をここまで滞納させたあたしに非があるのは分かる……でも、さすがに多すぎだ。そして『仕事を滞納するほど面倒くさくなる上に、しなかったらしなかったでどんどん状況が悪化する』法則が、ここに成り立ってしまう。
だからやらなければならない。どんどん滞納していく仕事を、ほんの少しでも解消するのだ。そうしなければ、このままどれだけの依頼書に囲まれて、地獄の日々を過ごさなければならなくなるか。考えるだけでも嫌な光景である。
そしてこのまま紅茶がない日々が続けば……そんな光景を思い浮かべ、
「はっ! 死んだ!」
と、驚愕に身を震わせた。
やらないとやらないと……そんなことが現実になるなんて嫌なんてレベルじゃない。人命レベルの問題だ。
魔法陣を描いて。
魔力種を作り。
魔法式を計算。
これらを封じて完成。
ただひたすらこれを続ける、とても退屈で面倒な作業。
時々、あたしのところではない別のところに依頼をして欲しいと思ったりもする。しかし、あたしに来る依頼は、誰からも嫌われる代物。他の魔法技術士が、人命を奪うような魔法の依頼を受けるはずもない。
だからこそ報酬が高い。魔法技術士であるあたしだけが嫌われて、集落はまんまと手を汚さず、金を手に入れることができる。
さっきの透明化の魔法にしたって、戦争で使われてしまえば大変なことになりかねない。戦場で、知れず敵が背後に回っているのだ。一気に戦況が変わってしまうことは想像に難くない。
だから、こんな魔法一つ、だれ一人として作ろうとしない。
自分から進んで作る奴は狂っているとしか言いようがない。人を殺したくて殺したくて仕方ない変態狂人ならともかく、そんな人間、ほとんどいない。
「……って、嘆いたって仕方ないよね。どうせ誰かが作らなければ、無意味に人が犠牲になるかもしれないし」
人体実験でもされれば、どんな国だって最強の兵士を作ることができる。魔法がなくなれば、そんな方向へ向かいかねない。向かった先で、さらに多くの犠牲者が出るのだ。苦しむ人間が増えるのだ。
「あたし一人が、嫌われて、一人でも犠牲が少なくなれば……」
結局あたしがしているのは兵器の開発だ。そんなことば、無責任にもほどがある。
こんな、争いばかりの世界になってしまったのも、あれのせいなのだ。あれがあるせいで、世界中が狂ったように戦争を始めたんだ。
と、そこまで考えたところで、
「ん?」
ふいに手に取った依頼書に違和感を覚え、首を傾げた。
その依頼書は白い。
本当に普通の真っ白な封筒。依頼書はその中にあるので、どんな内容かは伺えない。しかし、異変は中身ではなく、その封筒だった。
そもそも、依頼書は住所、氏名をはっきりと記載しなければならない。でなければ、どこのだれが依頼してきたかわからなくなるからだ。
依頼書にはこう書いてある。
~ガスタウィル皇国・第八皇女~
~L・Eよりナルティス・ミリン様へ~
つまり、名前がイニシャルではっきりとしない上に、住所も名前だけで曖昧。唯一分かるのは、この依頼は国からの依頼ではないことだ。国からなら、皇女から来るような回りくどいことはせず、国の名前を使って依頼してくるはずなのだ。しかし、この依頼は皇女からの依頼。しかも第八皇女ともなると、おそらく政治的にも、国家的にも肩身は狭いはずだ。
だから、この依頼は『L・E』とかいう皇女から来たものであり、きっとこの中には、私欲のための魔法の依頼があるに違いない。
しかしまあ、こうなれば面倒この上ない。
名前がよくわからない。住所がはっきりしない。ともなると、これを調べてもらう必要がある。けれど、あの大人どものことだ。その手間すら惜しむことだろう。
とりあえず、依頼主の名前は、『ロンドン・エダマメ』とでもしておこう。住所は……まぁ、国名が書かれているのでなんとかなるか。
安直な考えかもしれないが、それでも一応は王族なのだ。国名さえ書いておけばなんとか届くだろう。
と、嘆息し、依頼書を開こうとしたところで、今度は別の違和感がした。
それは指先に。
生温かいような、とても冷たいような……そんな気味の悪い感触が、封筒の裏から感じられた。なんだかネトネトするし、妙に肌にまとわりつく。あたしは疑問符を浮かべながら、封筒の裏を見た。
後悔する。
「ぅ……」
封筒の裏に……赤く、熱く、冷たい、人の肌にまとわりつくような、妙な感触の液体が。
―――血、がこびりついていた。
「ひいいいいいいっっ!!!」
悲鳴を上げて、封筒を投げ捨てた。
封筒は空中をくるくると回転すると、血のついた面を下にして着地した。
何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これェェェェッッ!!
依頼書に血? しかも、まだ固まっていなかった。
ならば、依頼書が集落に届いてからついたもの……? 集落で、何か事件が起こって……それで……いや、違う。もしそうならば、アスタはここにはいないはずなのだ。ここにはおらず、事件か何かに巻き込まれている可能性が高い。
……だとすれば、いったい何が――?
集落か、それとも依頼主か……。
「ナルちゃん?どうしたの?」
「ひやぁぁぁぁああああっっ!!」
誰かの声に驚き、みっともない声を上げ、どたりと尻もちをついてしまった。そして床に尻もちをついたまま、アスタを見上げる。
「あ……アスタぁ……あ、あれ……」
「?」
あたしが目じりに涙を浮かべながら、封筒を指さす。アスタが首を傾げながら、床に落ちた手紙を手に取ろうとかがんだ。
呼吸が荒い。ぜーぜーと、過呼吸のように息が苦しくなる。
血が付いていた……これがなにを意味するのか。
まだ封筒を開いていないので、中にどんな依頼が入っているのかわからない。
どんな依頼でも、あたしはしなければならないわけなのだけれども、それでも……この依頼だけは……。
と、
「これがどうしたの?」
「……え?」
アスタがそう言って、依頼書をこちらに見せるように掲げた。
――確かに、そこには血など付いていなかった。
「え……だって、さっき……」
血が付いていた――という言葉を、あたしは飲みこんだ。アスタには心配をかけたくなかった。さっきのが気のせいなら当然だ。
「ううん……気のせいみたい」
「そ。……それよりも、晩御飯、できるよ?」
「うん……」
無理やり笑いながら、アスタから依頼書を受けとる。そして、もう一度、依頼書の裏と表を見てみるが、やはり血など付いていなかった。
「気のせい……でも、だとしたらあの感触は一体――」
しかし、考えても分からないので、その依頼書を机にしまった。
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夕暮れの太陽は地平線へエスケープ。代わりに入場してきた二つの月は大きいほうがワインレッド、小さいほうが黄金色という、なんともいえない妖しさを醸し出していた。
そんな中、あたしたちは向かい合っていた。