第二章:21 『星空に照らされた世界』
星空瞬く森の中、クマさんにもくま〇ンにも出くわすわけでもなく、ただひたすら歩いていた。ひたこらさっさっさのさーっと歩くしかなかった。
息も絶え絶え。いや、そうなっているのはあたしだけだった。元気だね。子どもって。みんな息一つ切らしてないんだもの。
「はぁ……はぁ……」
「あはは。テープレコーダーに録音しておきたい声だね☆」
「キモい」
あたしよりも前に立つのはアスタ。その前にはニボシがエルミニを背負って歩いていた。背後は子ども、そのさらに後ろには歌音が歩いていた。この配置だと、国兵が民間人を囲っているという図になる。それどこのリンチ現場? もしくはカツあげ? まあどっちでもいいや。
にしても疲れた。何度でも言ってやるぞ。疲れた。そして疲れた。さらにもう一声。
「つーかーれーたーッ!!」
「だらしねえぞ、ぼさぼさ」「このくらい疲れの範疇じゃないよ、ぼさりん」「ぼさりん、ぼさりん!!」
「ぼさりんって誰よ。って、そんなことどうでもいいの。それよりもまだ着かないの?」
エルミニ宅を出発して一時間はたっただろう。それでも着いていないとなると、アスタはどこまで迷子に出かけたんだ。そしてそれをニボシはよく見つけたなぁ。
と、そこで思い出す。
「………」
そういえば、ニボシとは喧嘩のようなものをしている真っ最中だなぁ、と。
歌音とは和解した。それは、誰かを傷つけることをよしとしないあたしのわがままだったが、それでも歌音は必死に考えてくれて、分かってくれて……そして、結論は出ずとも、なんとかこうして一緒に歩いているのだ。
歌音は変に律義、というか真面目なところがある。
でなければ、自分に分からないことを必死に考えて、泣いてしまうことなんてないだろう。いまどきの若者は考える前から諦めるというのに、大したものである。これじゃあ、あたしが年寄りみたいなんだけど!?
歌音は人の気持ちが分からない。自分の感情すらも欠如しているから、当たり前と言ったら当り前かもね。自分がどう考えて、どんな気持ちになるか分からない……それでも考えることを止めなかった。
自分が当たり前のことをしていても、相手にとってはそれが当り前ではないのかもしれない。暇つぶしに人殺しするやつが、『人間ならそれが当たり前』と言っているようなものだ。それを強要されるこっちの身にもなってほしいよね。まずそんな人間いないけど。
でも、そんなことが歌音の中で起こっていたのなら。
歌音にとっては『害悪なもの』……つまり化け物を殺すことは当たり前だった。しかし、あたしにとっては、誰も傷つかないを作りたかったんだ。だから歌音のしたことは、あたしの道理から外れてしまう。
あたしだって同じことが言える。世界を救うだとか、そんなことが当たり前という人間なんて、じゃあお前は世界救うために何かしているのか、とか聞かれる運命なんだ。あたしはなんもしてないけど。
故に、人間の概念は他人に強要できるものではない。
そしてあたしは、それをニボシに対してしてしまったのだ。
化け物でも、傷つけ、殺すのは間違いだ、と。
そんなことを強要出来るわけがない。事実、歌音はその考えに囚われて悩んでいたのだ。歌音の脳では、それをきちんと理解することが出来ない。それをあたしは分かってやれなかった。きちんと考えておけば、こうならずにすんだはずなのに、あたしは考えるのを止めていた。それ以上のことを考えなかった。
だれが何と思うかなんて関係ない。そんなの独裁者じゃん!!
考えはみんな違う。
自分が大切だと思っていることも、自分にとっての感動も、何もかも違う。それが当たり前なんだ。だから、ニボシに謝らないといけない。
そして、時間だけがすぎるのだ。
あとで言いにくくなるのは目に見えているのに。ここで何も言わず、ただのろのろと歩き続けることは悪だろうか……?
「……はぁ」
紅茶が飲みたい。
その時間は確かな休息を感じることが出来たんだ。それなのに、こんなにも堅苦しいことを延々と考えている。これはエコじゃない。あたしは楽が好きなのに、そうなれずにいるんだ。
これも、あたしの悪い癖だなぁ。
難しい話はやめだ。さて、前に進もうか。
あたしは大きめの石を飛び越えた。
空の月は雲に覆われていて、辺りはとても暗かった。
数分後、歩いていた道幅が次第に狭くなっていった。
「……もうすぐだね」
迷ってたくせに道は覚えてるんだなぁ。じゃあなんで迷ったのよ。
疑問は浮かぶけれど、それを聞こうとは思わない。だってめんどいもんね。
とか何とか思っている間にも、一行は狭い道から広い空間へと出た。辺りは暗くて何も見えないが、木の気配はなかった。足元には雑草が生い茂っていた。
「……ここは?」
ニボシに背負われたまま、エルミニが言った。あたしは同意するように一つ頷く。
「ありゃぁ、暗くなって何も見えないわ。あはは」
「いや、あははじゃなくて……あ!」
視界の先にぼうっとした光が見えた気がした。気のせいかと思ったが、みんなもそれに気がついたらしく、息を漏らした。
その光が少しずつ数を増やして目の前を明るく照らす。
小さな明かりが集まって紡いだ光の天幕は、その下に広がった湖を照らしていた。透明な湖に、魚が泳いでいるのが見受けられた。自由に泳ぐ彼らの鱗が光で煌めいていた。
その時、雲に覆われた月が顔を出した。
ワインレッドと黄金色の月で、湖全体がスポットライトに当てられたかのように輝いた。
「うはぁ……」
湖は相当大きい。視界の限り続く湖の周りは木が無くなり、代わりに粒子状の白砂が海岸のように辺りを埋め尽くしていた。水面には月が映り、魚が作った波紋で揺れ動く。細かな光が魅惑的な雰囲気を醸し出す中、負けじと月の光が森を、湖を照らし続けている様は幻想的だ。自然の美しさを凝縮したような空間が、目の前に横たわっていた。
こんな風景を見たことがない。
蠱惑的で誘惑的な光のダンスが、胸の中で幸福感を湧き起こしてくれるような気がした。美しいの一言ではあまりにも物足りないほどの美しさ。きっと、天国というものはこんなところだろう。
「なんか……すごい……」
「……さっき来ても、今こうして目の前にあるように、綺麗だったんだけどね。むしろ今のほうがいいかも」
「これが自然の脅威というものでしょうか」
「……すごい……」
「わぁ……こんなものが見られるなんて、思ってもみませんでしたわ」
「わー!!」「きれー!!」「ぼさりんよりもきれい!!」「ぼさりんよりもね!!」
「あははぁ……あたしよりもきれいなんだぁ」
「ナルちゃん、目が死んでるよ?」
軽口を叩きつつ、美しい光景に浸っていた。
自然と笑顔がこぼれてしまう。あたしの横で歌音が笑っているような気がして、安心した。このままいつもの調子に戻ってほしい。やっぱり、歌音は元気な姿じゃなきゃね。
あたしは歌音に微笑みかけ、そしてニボシの隣に立った。その時、アスタが何か言おうとしていたが無視。
「……ニボシ」
あたしは声を潜ませながら、ニボシを見つめた。身長差がかなりあるので、ニボシに見下げられる形になり、怖いけれど……あたしは我慢した。
いつの日か、あたしはアスタに救われた。
狭い世界から抜け出して、こんな広い世界に出られたのは彼のおかげ。
いつからか、考えかたが変わった。
あたしはわがままだけれど、結局は人を救いたかったのかもしれない。
誰も彼も救って、身勝手な大人共を嘲笑してやろうって、思ったんだ。
「……ゴメンナサイ」
そして、あたしは歌音と出会った。
ニボシと出会った。
エルミニと出会った。
なんとか王にも出会った。
運命線上で、決まったことなのかもしれない。でも、出会えたことを感謝するんだ。
歌音のおかげで、あたしの考えがいつも正しいとは限らないことを知った。
ニボシのおかげで、アスタの別の一面を見ることが出来た。
エルミニのおかげで、子どもたちのことを知ることが出来た。
「あたしは……」
だから、あの日から変わったあたしは、ニボシにはっきりと言うことが出来る。
「……あたしは、ニボシのことも、歌音のこともよく知らなかった」
「え……」
ニボシの表情を、見ることが出来ない。けれど、きっと驚いているのだろう。
「誤解してた。ニボシも歌音も……化け物を殺すことがいいって思っているんだと思った。いや、実際、そうなんでしょ? 国を守るためなら仕方のないこと。歌音もニボシも、兵士だもんね」
あたしは笑って、真剣な顔になって、頭を下げた。
「だからゴメンナサイ。酷いことを言ったと思ってる。もっとニボシと歌音の気持ちを分かってあげるべきだった」
頭を上げた時、あたしはニボシを睨んでいた。
でも、と続けた言葉……あたしの思い、考えはこれだ。
「でも、あたしは間違ったことを言ったとは思ってない」
「……そうですか」
「うん。だって、あたしが目指したい世界は、こんな争いのある世界じゃないんだもん。みんなを苦しみから解放したい……それがあたしの願いなの。だから、化け物でも殺すことは間違っていると思う。話し合いが出来ないなら、もっとほかに……例えば、睡眠の魔法を使うとか、あると思う」
「でもそれだと、化け物が多くなってしまいます」
「いいじゃん。それでも、あたしたち人間が減っていくなら、その分だけ彼らに生活させてあげましょ? 共存が無理って決めつけるのは、人間の悪い癖だよ。今こうして目の前に広がるものを、みんなで分け合ってみればいいじゃん。独り占めなんてさせない。みんなで笑いあったらいいじゃん」
あたしは両手を広げて湖を示す。
細かな光。
月の光。
魚の鱗。
木の葉。
波紋。
「みんな、違うけれど調和してる。これがあたしの目指す世界かな。こんなに雑多してるのに、綺麗に美しく、みんな輝いてる。この世界がこうなっても、きっとこんな綺麗になってくるはずだよ。だから……」
瞑目。そして――
「あたしは争いたくない。こんなにも綺麗な世界になるんだったら、兵器も作らない」
「でも、現実には無理です。私欲で満たされればいいんですよ、みんな。争うことで学ぶこともあります。だか
ら私は間違っていないと思っております。争うことも、自分に害悪なものを排除することも」
「そう……」
これがニボシの考えなんだ。受け入れがたいけれど、ニボシにとってはそれが正しいんだ。
「……ま、それも考えの一つなんでしょう」
あたしはニボシの目を見た。
いつの日か、あたしは彼のことをよく知らないと思っていた。でも、単純だった。
ニボシ・カルシウムという大男は、その巨躯に似合わず真面目で、繊細。自分の考えを信じて、そして目上の人に忠実、真面目に接する。ニボシはとにかく図体とは似合わない性格をしているんだ。
優しさが満ちているのかもしれない鋭い瞳を見て、あたしは続ける。
「でもあたしの考えは変わんないよ。みんな救いたいんだもん。だから、協力してくれないかな?」
あたしは右手をニボシに差し伸べる。
「あたしはあなたの考えを否定しないけれど、あたしはあたしの考えが正しいと思って生きるよ。難しくても、絶対にみんなを救う……けれどね、あたし一人じゃ出来ないんだ。だから――」
「ナルティス様は、こんな私を信用してくれるのですか?」
「いいや。信用はしてないよ。でも、必要な人間だとは思ってる」
賛成ばかりの会議では、何も進展しないのと同じように、あたしの考えを否定する人間が一人は必要なんだ。ニボシや歌音にはそれが出来る。あたしよりもこの世界のことを知ってる彼らなら、あたしの意見から真向に立ち向かってくれるはずだ。
だから信用なんていらない。
信用は同志だから。
同じ志を持っていても仕方ないからね。あたしだって彼らの考えを受け入れることなんてできないもん。だから同志にはなれない。
ニボシは考えるように、顎に手をやった。
すると、歌音が後ろから抱きついてきた。
「ぬわっ!」
「……私……可愛い子の……味方……」
歌音の耳元で響く。歌音の白くて細い腕が首を抱いている。耳に当たる歌音の息か温かくてこそばゆい。
「……私……ニボシの……言うことも……可愛い子の……言うことも……よく、分かん……ないから……だから……可愛い子の……味方……ニボシの……味方……みんなの……味方……」
ぎゅっと、大切なものを抱きしめるように、腕に力が入った。
「……歌音は、あれだね」
歌音は敵ではなく、味方でもない。中間でみんなの調和を保つことが出来るんだ。
歌音はあたしの気持ちが分からないと泣いた。もどかしい気持ちに駆られて、誰よりも純粋な彼女は、情けないほどに泣いていた。
だからこそ、彼女は誰よりもその間に入っていられる。
中和剤のように、相反するものを、歌音ならどちらも受け入れられるのだ。
「……歌音が、この中で一番優しいんだね」
あたしが呟いた言葉に、ニボシは頷いた。
「ええ。……じゃあ、歌音が言うことならみんな正しいのでしょう」
そう言って、あたしの手を取った。その手はとても大きくて、温かい。
「私も、あなたに協力しましょう。みんなが幸せになる世界……そんなこと無理だと思いますが」
「ふふっ。そう言っても、あたしがやることは変わんないよ」
あたしは、ニボシの手を強く握って笑った。
その時――
「あ! 流れ星だ!!」
子どもの声がして、空を見上げた。
星が瞬く暗闇に、一筋の光が落ちては消えていく。それが空全体で起こっていた。
流星群だ。
「うはぁ……」
一同が息を吐く。
子どもたちが願い事をして、はしゃいでいる。
なら、あたしも願うことにする。
「どうか―――争わない世界に……」
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帰り道。
あたしはアスタと歌音、子どもたちと一緒に山を下りていた。
ニボシとエルミニはあのボロ家に戻ることにしたので、彼らの姿はここにはない。
やがて山道は終わり、平坦な道へと出た。
辺りは家や街灯の光に照らされていた。店には誰もいない。昼間にあった喧騒も、今は風の音しか聞こえてこない。
あたしよりも前に歩く子どもたち。
子どもたちはいいものを見られた喜びから、笑顔ではしゃいでいた。けれど、中には大人しくしている子もいる。まぁ、こんな夜遅くなら仕方ないか。
子どもたちを追いかけるように歩いていると、大通りに出る。そこを真っすぐ西に行けば城なのだが、子どもたちはどこへ行くのだろうか。
とりあえず西に曲がって暫く歩くと、
「ぼさりん、ぼさりん!!」
「ぼさりんって呼ばないで。……なに?」
子どもたちは急に静かになって、互いを見合わせている。なにか言おうとしていることを呑みこんでいるようでもあった。
少しして、子どもたちは別れの言葉を告げた。
「僕たち、こっちだから」「ばいばい、ぼさりん……」「またね・・…」
そう言って男の子が差したのは裏路地だ。今の時間帯からして危ないのでは……?
そんな心配を気にせず、子どもたちは手を振って足早に裏路地を走り始めた。
「ちょっと! 待って!」
あたしが呼び止めるが、子どもたちは足をゆるめるつもりはないらしい。あたしたちは子どもたちを追うように、走り始めた。
そして見つけてしまった。
「……え」
裏路地の先。
何もない、ゴミで埋めつくされた空間に。
「……」
子どもたちは生活していた。




