第二章:19 『人間貯金箱、再び』
「うわはぁぁぁ……」
目の前にそびえる石壁……否。化け物に、あたしは腰を抜かしてしまった。あれは噂に聞く『ゴーレム』とかいう奴じゃ……でも、何でこんなところに?
と、とにかく、いまはそのなんかよく分かんないでっかい石壁の化け物をどうにかしないと、家の中には歩けないエルミニと、眠っている歌音がいるんだ。今はアスタもニボシもいないから、このでっかいのをどうにかするためには、あたしの力なんて非力どころじゃない気もするけど……まぁ、いい!
「とか言ってみたけれど……どうしよ、これ」
あたしにあるのは、魔法を作ることだけ……それも、兵器を。でも、いまそんなものを作れるほどの触媒がないから……ああ! どうすればいいの!?
ゴーレムはこちらを警戒するように上から見下ろしてきていた。数は一体。その荘厳さには神さえも怖気づいてしまうかもしれない。頭のには真実を意味する『emeth』の文字。そこから”e”を取れば、死を意味する『meth』の字となり、ゴーレムは地に帰る。
それが分かっていれば、やることは簡単。”e”を取ってやるのだ。でも、
「そう簡単には、いかないよね……」
それは至極当然。だって、頭の位置はだいたい5メートルはあるんだもん。届くわけがないでしょ。
とすればやっぱり魔法……いや、だから無理だって。そんな短時間に魔法なんて作れるわけないでしょ。歌音がいれば時間稼ぎくらいはしてくれるでしょうけれど、歌音があの爆音で起きないということは、彼女の寝起きが相当悪いことを意味する。あ、もちろんエルミニとは違ってだけどね。あれは以上だから。うん。
どうするか……そう悩んでいると、ゴーレムがしゃべり始めた。
「わー、エルちゃんの家に知らない人がいるー」
「……え?」
驚いたのは、このゴーレムが、エルミニを知っていて、そして話したことだ。
普通のゴーレムは話したりなど、出来ない。だから、話すこと自体おかしい。その上にこのエルミニを見知ったような態度だと……
「……敵じゃない?」
と、呟くように言ったところで、ゴーレムが徐々に小さくなり始めた。
やがてそれは、5人の子どもたちになった。
子どもたちは無邪気に笑って、身体に張った魔法陣の描かれた紙を剥がしていた。それがあのゴーレムを作りだしたことになるけれど、でもおかしい。
「……エルミニ? これってどういうこと?」
すると、壁の向こう側からエルミニの声が聞こえてきた。
「ああ、子どもたちでした? ふふっ。暫くぶりになるわね」
「いや、答えになってないんだけど……」
「まあまあ、ミーちゃん、それに子どもたちも中に入って入って」
「「「わーーい!」」」
子どもたちが歓声を上げつつ、エルミニ宅へ入っていった。あたしはそれを何だこれ、と見ていたが、考えていても仕方ないので、中に入ることにした。
さすがに狭いだけあって、5人の子どもたちが集まると、中は狭苦しくなっていた。しかし、子どもたちはそんなことお構いなしと言わんばかりにはしゃいでいた。
「ねぇねぇ! エルちゃんエルちゃんエルちゃん! この……ぼっさぼさの髪の人、誰!?」
「うぐ……」
癖っ毛なのに! 最近の子どもたちは礼儀を知らないのか!?
まあ、そんなことを知っているわけもないので、肩を落とすだけにしておく。
「だめだめ、そんな言い方したら、ミーちゃんが傷ついちゃうよ?」
「むしろエルミニのその一言があたしに会心の一撃を与えたよ!?」
「ミーちゃん?」「ミーちゃんって……猫?」「猫ならここにいるよ? 寝てるけど!」
「そんな変態猫と同列にしないでほしいな!!」
分かっているのか分かっていないのか、子どもたちは楽しそうに「はいはーい」と答えると、エルミニに視線を向けた。あたしには興味なしかこいつら。
子どもたちは男子2人、女子3人の計五人。みんな仲よさそうにしているので、なんだかほほえましい気持ちになる。でも、子どもの言動はえげつないことを、あたしは知らなかった。
「ぼっさぼさ! 何で生きてるの!?」
「生きてて辛いからぼさぼさじゃないの? ぼさぼさ」
「ほう、ついに人格否定、生きる価値をも否定されましたか……」
それに愛称が『ぼさぼさ』に決定したらしい。もう嫌だこんなの……。
でも、子どもたちに懐かれるのは、そんな悪くない気持ちではない。だから、こうして愛称を授けられて、うれしい気持ちもある。ここに紅茶でもあれば、優雅に飲みながら、呑まれながら子どもたちを眺めていられるのに。まあ、この家にそんな設備があるとは思えないけど。
諦めがついたところで、エルミニを見る。子どもたちを、そして歌音を撫でながら彼女はまるで母親のように
微笑んでいた。子どもの扱いにも手慣れているらしい。
エルミニがこちらを見ずに話し始める。
「この子たちはですね、数日に一度、ここに来るのですよ。さっきみたいに化け物に変装して」
確かに子どもたちはゴーレムになっていた。しかしそれは、魔法のはずだし、この国に魔法技術士がいないのに、どうやって?
疑問に答えるようにエルミニは続ける。
「あの魔法は、まだ魔法技術士のいるころに、ガスタウィル様が下さったのですよ。5人で一つの魔法。そして、その魔法を使ってここまで来て、わたくしが相手をするんです。その時間だけは、この狭くて苦しい天然の監獄から抜け出せたような気分になれるんですよ。だから、わたくしは子どもたちが好きです。子どもたちの笑顔は、どんな辛いことも吹き飛ばしてくれますから」
「ふぅん」
あたしの返事は素っ気なかったが、エルミニは笑って続ける。
「で、この子たちが来たら、必ずやることがあるんですよ。ああ、なら、それをミーちゃんへのお礼にしましょう」
「? なんのこと?」
「魔法です。あんなすばらしい魔法を見せてもらったのですから、お礼は当然ですよ」
「いや……あんな魔法、簡単だからいいよ。あとあれ、普通の人にも使える魔法だから、エルミニにあげるよ」
すると、彼女は今までで一番の笑顔になった。
「ほぁぁ……あ、ありがとうございます! ミーちゃん!」
感激したように、精いっぱいの感謝を受けると、なんだか気恥ずかしくなってしまって、ニヤニヤしてしまった。子どもたちに見られたら、いびられるかも。幸い、あたしに興味もない子どもたちはこちらを見ていなかった。寂しくないよ? うん。ちょっと虚しいだけ。
「あはは、まああんなものでいいんなら、いくらでも作ってあげるよ」
「いえ。あれはミーちゃんの思い、願い、優しさなどの愛情が詰まった魔法です。だから、その愛情にわたくしも応えましょう」
言って、エルミニは女の子に机の引き出しからある物を取るように頼んだ。女の子は、うれしそうに笑顔になると、たたたっと、軽い音を鳴らして机に向かった。あたしが魔法を作った机だ。
女の子は「あれ? ないなぁ。こっちかな!?」とか大声で呟きつつ(呟いてない)、やっとの思いで見つけた。それを持って、エルミニの下へ走り寄っていく。
女の子が渡したのは、オカリナだった。
乳白色の陶器のオカリナ。そこにフクロウのような絵が色鮮やかに描かれていた。
「ミーちゃんが愛情なら、わたくしは心情で。ミーちゃんが魔法なら、わたくしは音楽でそれを伝えましょう」
流れるように言って、エルミニはオカリナに口をつけた。自然、子どもたちが静かになり、歌音の寝息だけが聞こえるようになった。しかし、歌音のことは気にしない。
エルミニが息を吸う。
エルミニが息を吐く。
途端。
「……!」
風が吹いた。
ポー、ポー♪
鳥が囀るのをやめた。
ピー、ポーポー♪
木が耳を澄ました。
ピーピー、ピー♪
空気が澄んだ。
ポー、ピーピー♪
世界が澄んだ。
ピーー♪
そんな奇跡を思わせるような音色が、鼓膜に語りかけた。
――そして。
歌音が目を覚ました。
ビィィィィィ♪
子どもたちが耳をふさいだ。
ポゥオゥオゥ♪
鳥が地面に落ちた。
ボォォォッホゥ♪
木がざわめき始めた。
ビィィンッボッボゥ♪
空気が叫んだ。
ピぃぃ※▼□☆●♨♪
世界が拒絶した。
ポウッ♪
あたしが倒れた――――どさり。
さあ、意識のあるうちに、これだけは伝えておこう。
―――めっちゃ下手じゃん……。
さて、数分後。
「ぜー、はー、ぜえー、はぁぁぁぁ」
「さあ、みんなどうだった?」
「うん! スゴくよかったよ!?」
お世辞を言いだしたぞ!? 今も耳ふさいでるよね!?
「ふふっ。ほめてもらって、とてもうれしいわ❤」
「楽しそうで何よりだよ。って、何それ?」
エルミニがふいに取りだしたのはテンガロンハットだった。ベッドの隙間に挟んであったのだろう。立体的なはずなのに、いまは平面と化していた。可哀想なハットちゃん……。
しかし、なんのためにそれが必要なんだろう。用途は分からないので、エルミニのすることを静かに見守ることにする。
平面だったテンガロンハットを立体に戻し、被るほうを子どもたちに向けた。すると、子どもたちは服の袖やポケットからお金を取り出し……って、まさか……。
「はいはーい。徴収だよ❤」
「それ詐欺だよ……」
お金を回収し始めた。そして楽しそうな子どもたち。何がそんなに楽しそうなのだがよく知らないけれど、とにかく詐欺であることは間違いない。お巡りさん、こちらです。
一通りお金を集めたエルミニは、それを見て「むふふふふ❤ 一杯たまったわ❤ うへへへぇぇへへ❤❤」とか呟いていてとても怖かったので、とりあえず視線を逸らしておこう。だめよ、子どもたち。こんな大人になっちゃ!
そんな思いとは裏腹に、子どもたちはエルミニを見ていた。ダメな人の見本みたいな少女だ。今すぐに止めなければ……しかし、それはエルミニが起こしたアクションで憚られる。
「いただきます」
ん?
ん?
問、いま、エルミニはなんて言ったんでしょーか!?
答、エルミニが体で正解を示してくれました☆
エルミニは、お金が一杯入ったテンガロンハットを口元へ運び、それを一気に流しこ―――
「に、人間貯金箱だぁぁぁぁぁああ!!」
「きゃああああ!」「お金たべてるぅぅ!」「俺たちには出来ないことを平気でしてしまう!」「そこに痺れる憧れるぅぅっ!!」
「憧れちゃダメ!!」
背中にズギュゥゥゥゥゥンッ! とか出てきそう。
一端歓声が上がると、しばらくは続きそうだった。歌音はさっきの殺人音楽にて耳をやられたようで、うぅ、
と唸っていた。きっとあたしよりも何倍も耳がいいのだろう。かわいそうな猫ちゃん。
慰めの一つでもかけてやりたかったけど、彼らが帰ってくることでそれは再び憚られた。
「やっほー! ただいま帰還……って多くなってない? あはは」
「遅くなりました。エルミニ様」
ハイテンションなアスタに、ローテンションなニボシ。これ以上ハイテンションはこの部屋にはいらないので、とりあえずアスタを睨んでおくことにする。
「あはは。すっごく久しぶりに睨まれた気がするぅ。やっぱり、その顔可愛いね」
「お世辞をどうも」
「いやいや、そんな謙虚にならなくてもいいのに。お世辞とかじゃなくて、本当に可愛いよ? そこの王女様よりも、ね」
止めてアスタ……ニボシの視線が怖いよ。やぁぁ、こっちを見ないでぇぇ。
むしろ慈悲めいた、哀愁めいた視線だったが、その時のあたしは気付かなかった。
あたしは喉に蟠ったものを吐き出すように息を吐いた。
「……で、何してたの?」
まさか河原で殴り合い、とか妙に青春めいたことをしてたんじゃ……て、いつの時代よそれ。そもそも、こんなところに河原なるものがあるとも思えないしね。
訝しげな視線を送ると、アスタは笑って答えた。
「あはは。いやぁ、ちょっとした”鬼ごっこ”だよ」
「鬼ごっこ?」
反射的に聞き返すと、アスタは頷いた。
「うん。ナルちゃんが喧嘩はダメって言うから、それ以外の方法で解決しようってことになったんだぁ」
「その結果が鬼ごっこって、子どもすぎない?」
「あはは、そうだね。でも、そこののっぽ君が鬼気とした鬼の形相で鬼速く追いかけてくるからさ、これ、鬼ごっこじゃないねってなっちゃたんだぁ♪」
ニボシの顔を思い浮かべ、身を震わせた。今でもアスタに向けた視線が鬼目なのに、そいつが追いかけてくるって……。
――殺人?
「ぴゃあああああ! 怖い怖い怖い怖い怖い(以下略)」
「お、落ち着いてください! アスタ様の過剰な演出です!」
アスタのルビにクソガキを付けた時点で説得力は破綻したと思うんだけど、そこんとこどうかな? ゴメンナサイゴメンナサイ! こっちを見ないで!
「スゴく拒絶されているような気がするのですが……」
「気のせいじゃないね。そんな顔だからじゃない? 生まれ変わったら?」
「アスタももうやめなさいよ……。で、結局どうなったの?」
「いやあ、それがね。一度下山したんだ。で、ここまで鬼ごっこしながら来て、最後に鬼だったほうが負け。そんなルールでやってたんだけど」
一度下山したから遅かったのか。くっ、あの素敵で無敵で不敵な音色をこいつにも聞かせたかったのに!
「あは。ナルちゃんそんな悔しそうな顔しなーい。可愛い顔が崩れちゃうよ?」
「しつこい」
「あはは。またまた照れちゃって~。まあ、それはいいや。で、鬼ごっこ続けてたんだけどさぁ、俺、つい迷っちゃって☆」
「……は?」
「その時、のっぽが鬼だったから、俺を探してたんだけど、俺もちょうど道を探しててね」
「いやいや、先に進むのおかしいでしょ」
なんなの迷ったって。そんな軽く言って次になんて進めないよ。しかし、アスタは指を一本立てて静かにする
ようにう促した。
「まぁまぁ、そこんとこはあとで話すからさ。……迷って迷って、これ、さすがにまずいなぁ、て思ったときに、見つけたんだ」
「道を? そんなの分かりきっていることでしょ?」
そうじゃないと、アスタは今ここにはいないわけだし。けれど、そんなことを言うためにあたしに指を立てたんじゃないってことは分かる。世話役のアスタ。むしろ執事と言ってもいい彼は、あたしよりも立場は下なんだ。だからあたしの質問を途中で遮ったりはしないだろう。
それをアスタも分かっているのだろう。アスタはこちらに立てた指を左右に揺らし、ちっちっちっとやる。この動き、気取った感じがしてスゴく不快感を呼び起こすよね。
「違うちがーう。俺が見つけたのは、もっと別物なんだよ」
「とにかく、ナルティス様も行ってみませんか? あ、もちろんエルミニ様も」
その様子からすると、ニボシもそれを見つけた……いや、見たのだろう。何の事だかよく分かんないけれど、とにかくエルミニの瞳が爛々と輝いていたので、これは強制的に生かされるパターンだなと思った。
「うんうん! 何の事だかよく分かりませんが、行きましょう。もちろん、子どもたちも」
「「「やったぁーー!!」」」
子どもたちは叫ぶように、暴れるように喜びを体現して見せた。元気だなぁ。
「ふふ。わたくしも久しぶりの外出ですね」
エルミニが喜んで言ったのは、そういうことか。
この天然の監獄に閉じ込められた彼女が、外出など頻繁にできるわけがないのである。足も動かないから一人で歩くこともままならない。だからニボシや歌音がいる。彼ら彼女らが、ハンディのあるエルミニのサポートをしているのだろう。あの王様に仕えることだけが仕事なのかと思えば大間違いだった。ニート志望のあたしにとっては、美辞麗句を尽くした賛美を送りたいところである。まあ、本当にそんなことをしたらこの部屋の空気がおかしくなってしまうだろうからやらないけど。
「……じゃ、行こっか」
あたしが早々に家から外へ出ると、アスタがついてきた。ニボシや歌音はエルミニの介助だろう。子どもたちも手伝っているに違いない。
「……アスタも手伝わなくていいの?」
「俺がやれることなんてほとんどないよ。ま、俺はナルちゃんの世話役だし、ナルちゃんから離れないようにしておくよ」
「とか言って、さっきまでどこにいるか分かんなかったくせに」
笑いながら言うと、アスタも笑って空を仰いだ。
空には星が瞬いていた。日が落ちたのだ。
徐々に寒くなっていく空気に触れて、身震いするあたしの手をそっとアスタは握ってくれた。その手は冷たかったが、心が温かくなった。
帰るにはまだ早い。
手を離すにはまだ早い。
リールの意味を理解するには、まだ早い。




