第二章:7 『暗闇の紅茶』
ガスタウィルとの会談が終わり、あたしたちは薄暗い廊下をとぼとぼと歩いていた。いや、歩くのはアスタとニボシだけだ。あたしはアスタの背中で薄眼になって前を見ている。
ニボシが先行し、あたしたちが今日泊まる部屋まで案内してくれる。しかし、廊下を行っても行っても……同じような風景が続いているので、少し目が回る。何だこれ、作った奴手抜きしたな。
そう断言し、あたしはアスタの背中で、すぅと寝息を立てた。
「……んにゃ……」
どれだけ時間が経ったか分からないが、目を覚ますとベッドに寝かせられていた。
半身を起こし、辺りを見渡す。
白い部屋に白いベッド……部屋の隅に白い机が見えた。ベッドの足の方向にはガラスのない窓があり、そこから冷たい風が入ってきた。部屋全体はやはり真っ白で、それらを照らすのは壁に掛けられた松明のみ。
そして、机にアスタが座っているのが見えた。今は後姿だけで、眠っているかどうかは分からない。しかし、あたしが起きたことに気がついたのか、アスタが振り向いた。
「あ、起きた?」
その顔にいつものニヤニヤ。寝起きの悪夢である。何で起きたのに見えるのよ……。
悪夢が……いや、アスタがこちらに近づいて来るので、あたしは寝起き眼でそれを見守る。
そして一言――
「おっはよー! そのにぃやにぃや顔どうにかなんにゃいの?」
絶賛、酔っ払い中!
一度眠ったくらいでこの酔いは冷めないじぇ! 特にアップルティーだったから、今滅茶苦茶テンション高い! 二割増しな! 二割増し!
ひゃっほぉぉぉ! となりそうな気持ちを抑えて、あたしは身体をゆらゆらと左右に振る。特に意味はないけどね!
「楽しそうだね、あはは」
「うん! 今、人生がすっっごく楽しい!!」
「人生レベルかぁ……」
アスタが感心したように頷くので、あたしは幸せそうに笑った。
「はぁ……【鳥籠】から出られたしぃ、今までに飲んだことない紅茶だって飲めたしぃ……あたしは幸せものだぁ!!」
と、叫んで手足を投げだす。その勢いでアスタを蹴飛ばそうとしたのに、アスタは笑いながらよけやがった! うぬぬ……貴様、やるなぁ。
まぁ、冗談はここまでとして……まぁ、酔っている時点で真面目ではないけれど……そこはスルーで! あたしはアスタを見上げた。
見下ろされる気分に、うぇぇ、となる。だって、アスタ如きに見下ろされるなんて嫌でしょ!? ほんと、勘弁してほしいわぁ。
しかしアスタのほうはそんなことお構いなしに、笑いながら話しかけてきた。
「あはは。……でもナルちゃん、本当に【世界樹】に挑むつもり? ナルちゃんって、あのバカ王(本名なんだっけ?)に魔法で【世界樹】見せられたんでしょ?」
「だーいじょうぶっ! 何となくやればなんとなく終わるから!」
「あはは、すごく無責任」
そんなことないよぉ、と笑いかけながら、内心焦っていた。
確かに、なんとなく作った魔法で、【世界樹】が倒せなかったら、それが結果になるわけだし……そうなれば、さすがにあのバカ王(本名バカだったっけ?)も諦めるだろう……でも、それじゃあ……それじゃあ、【世界樹】を倒して世界を救うという夢が潰えてしまう可能性がある。いや、その道をわざと断つ行為なのだ。
なら、どうするか……。
「……むぅ」
あたしは思案顔になり、苦しそうに唸った。
ま、今更どうこう考えても無駄なだけかもナー、と思うけど……世界を救うにはこれがチャンスなのかもしれない……。
あたしは再度部屋を見渡す。すると、本棚が見えた。そこにはこの国で集められたであろう魔導書の数々が見て取れた。
ベッドから起き上がり、アスタを抜けて本棚の前に立つ。
そのうち一つを手にとってパラパラとめくってみると、中身が全て【世界樹】に関することなのが分かった。その魔導書以外の魔導書には、【世界樹】のことだったり、今まで【世界樹】に挑んだ人たちが作った魔法の作り方だとかが書いてあった。そのどれもが、作る期間が一カ月以上はかかるものばかり……。
「むっかしの人はまじめだにゃぁ」
感心したように頷く。
あたしはそれらの魔法を作ったことがない。同じように一カ月かければそれなりに強力な魔法は作られるが……。
それらの魔法の共通点はこうだ。
・製作期間が長い。
・魔法陣の大きさが規格外。
・どれも構造が複雑怪奇で解読しにくい。
・あり得ないほど魔法式が長い。
・手に入りにくい触媒で、数が多い。
つまり、対人用の魔法でこれを作ってしまえば、それは本当に殺戮者と化してしまう。 それに、これは魔法技術士の規律に反する。
規律では、大きさは五・二平方メートル、そして触媒はむやみやたらに使ってはならない。
そのどちらにも、これらの魔法は適用していない。特別に作られるのか?
要するに、簡単にあたしの意見を言うと。
「めぇんどくさい……」
だって、これを作れば、確かに【世界樹】を倒すことだってできるだろう。しかし、それがばれてしまえば、魔法技術士としての免状を剥奪されかねない。臨機応変に対応できないやつらが、魔法技術士を管理しているのならば、問答無用で免状を剥奪されるだろう。
そうなれば、あたしは魔法技術士ではなくなって、【世界樹】を倒すのも困難になる。
そうなれば、自然と倒さない、魔法を作らない、という結論に至るのだが……。
「それだと……【世界樹】たおせにゃい……」
「難しいことばかり考えてると、はげるよ?」
「はげないもん!! まだそんな予定ないもんねぇ!」
「あはは、予定あったらはげるのかぁ」
予定を作るつもりも、軽口叩いて時間を無駄にするわけにもいかないし……。
考えてると、頭が痛くなるぅ……だいたい、あたしに何か求めること自体間違っていると、あたしは思うなぁ!
むぅ……自分で思っててこれを言うのはどうかと思うけれど……
「みじめな気分……」
「ねぇ、ナルちゃん」
「あ?」
「いや、そんな敵を見るように睨まなくても……まぁ、いいや。で、ナルちゃんが何を考えているか分からないのだけれど、何を悩んでいるのか分からないけれど、俺がいるから。これからはずっと一緒に、俺が付いているから」
「……なんにゃらそれ……スケーター?」
「ストーカーね。いや、ストーカーでもないけど……」
アスタが困惑したように笑った。そしてその足をこちらに向け、歩いてくる。
あたしの目の前で立ち止まると、あたしの頭に手をポン、と乗せて。
「何があっても、俺はナルちゃんの世話役だから、扱き使っていいよ。俺はナルちゃんの味方だ。正義を貫こうが、王を侮辱しようが、何が何でも、俺はナルちゃんの味方だ」
「アスタ……」
「だから、ナルちゃんが背負ってるものを、こっちにも寄こして。その重荷を、俺も背負ってあげるから」
「……」
あたしは、アスタの顔を見上げた。
アスタは照れたように笑っている。
それはいつものことで……。
だから、そんないつものアスタがいることに、あたしは安心して笑顔になった。
「そーんなこと、頼んでなぁいけれどねっ!」
照れたように笑って、けど、と付け足す。
「……ありがと。ちょっと……ほんのちょっとだけだけど、楽になった……気がする」
「……そっか」
「うん。そう」
俯いて、赤くなっているだろう顔を隠した。
アスタの声が優しく聞こえ、その手があたしの頭を撫でた。
まるで兄妹のようだと思う。アスタのほうが歳が上だし、なんだかあたしよりも大人じみていると思う。その優しさに甘えるように、あたしは撫でられる頭をそのままにして目を瞑った。
これから起こることは、きっと、アスタにとってもあたしにとってもいいことばかりではない。
けれどあたしたち二人なら、それを越えていける……と、なんとなくそう思うのだ。
幸せな時間は、永遠と、永続的に続くわけではないけれど。
いつかその幸せを、当たり前と感じて忘れてしまうけれど。
「――今だけでも、この幸せを感じておこう」
そう、思ったのだ。
「……さ、ナルちゃん、今悩んでたこと話して?」
「えー……ばれてたぁ?」
できるだけアスタに見えないように思案顔を作ったのだが、どうやらアスタにはばれていたらしい。さすがストーカー! その行為は決してほめられることではないが、その観察力だけは評価に値する! だから、早めに諦めろ! わりと美男美女はそこら中にいるぞ!
と、軽くアスタをストーカー扱いしたところで、
「……そうだね。うん。話そっかぁ」
照れ笑いを浮かべながら、あたしはアスタの顔を見上げて笑った。
すると、アスタも手を引っ込めてしまい、あぅと唸った。うぅ、もっと撫でられたかった、とは口が裂けても言えない。というか口が裂けたら言えないでしょ。
そして、あたしは思ったことを包み隠さず話した。
魔法を作ってしまえば、魔法技術士としての称号剥奪。
魔法を作らなければ、【世界樹】を倒すチャンスは失われる……可能性。
そしてリールことも話した。
全部話し終えたところで、アスタは笑いながら顎に手をやった。
「うーん……リール、かぁ……」
「うん! リールが何を知っているかは分かぁんないけど、でも……まるであたしの人生を見てきたよー! って感じで、あたしよりもあたしのことを知ってるみたいだったよ!」
と、懐かしい記憶を探るように、あたしは思い馳せた。
一度眠ってしまい、もう彼女と話したことが遠く昔のように感じる。
確か、彼女はあたしに向かって、『【世界樹】に挑むにはまだ早い』とか言っていた。
そして、彼女はこう付け足した。
「『【世界樹】に挑む前に、人を救う魔法を作れ』……って、そんな感じのことも言われたしぃ……あぁ、何が正解なのか分かんないね!」
リールが何をどこまで知っているかは分からない。彼女の思っていることも、彼女の正体も分からないのだから、それは当り前のこととして受け止められる……。
リールは、これまでのあたしのことどころか、未来のあたしのことも知っているかのようだった。それはまるで、この世界を作る神のようでもあった。
この世界の最期を知っている――そう取ってもいいかもしれない。
「……じゃあ、まだ保留にしておいたほうがいいかもね」
「うん……だからあの王に、『保留』って言ったんだけど……なんか、後には引けない結果になっちゃったね。あはは」
リールとは違い、あの王は、気持ちだけで動くような単純な脳内構造をしているらしい。その反面、自分の意思が強いあまり、相手にそれを強要するような傾向も見られた。
「とりあえず、ここにある魔導書、全部読んでみようと思うけどねぇ……結構あるからどんだけ時間がかかるか分かんないね! あは」
「うん。じゃ、ナルちゃんがそれを読み終わるまでは保留ってことで。それまでに、リールってやつが言った、『誰かを救う魔法』を作る時が来るかもだし」
うん、とあたしは頷く。
「じゃあ、これ読む前にもう一回寝るかー」
と、あたしは背筋を伸ばしてベッドへ向かう。
しかし、ベッドが一つしかないことに気が付き、
「……もしかして、アスタと一緒に寝ろってこと?」
酔いが覚めるほどの衝撃を受けました。
あたしの顔に、恥辱と絶望が浮かび上がった。
「いやあああああ!」
「そんな絶叫されたら、俺哀しくて死んじゃうよ?」
そういうアスタには、相変わらずニヤニヤ笑っているだけだった。あたしの貞操が危機に晒されてるぅ!
「あ……あたし、紅茶飲んで来ようかなぁ……」
「ああ、ナルちゃん、大丈夫だよ? ここにあるから」
「準備いいね!」
気がつくと、アスタの手には二つのマグカップが握られていた。
部屋を見渡してみると、隅のほうに魔法で作られただろうコンロやら薬缶やらが見えた。
あたしは仕方なくマグカップを手に取ってベッドの端に腰かけた。アスタは立ったままで、こちらを見下ろしながら紅茶を飲んでいる。
中に入ったストレートティーを眺めながら、あたしは一言、ありがとう、と呟いてから口を付けた。
外はもう夜である。
真っ暗な空間で、その冷たい夜風に身を震わせながら、温かい紅茶を飲む。
明りは部屋に掛けられた松明。
その火が風に揺らぎ、ふっと消えると、本当に真っ暗になってしまった。
けれど月明かりがあたしたちを見守るように部屋を照らしてくれる。
だから……
「今の……この景色、この空間、この雰囲気が、いつまでも変わることがないように……平和と平安がいつまでも続いていけるように、あたしは……あたしたちは魔法を作るんだろうなぁ……そうだとしたら、集落にいた時よりも、ずっとやる気が出るね」
両手で握ったマグカップを、抱き締めるように胸の前へ持ってくる。
アスタは暗闇の中で、静かに頷いた。
あたしは、アスタに見られないように、
「……どうか、このまま一生――」
温かい紅茶を飲んだ。




