第二章:6 『紅茶わんだふる』
「あはは〜、ヒドいなぁ殺人なんて」
「事件が現場で起きているのよ」
事件は会議室で起きているわけではない。それは紛れもない事実として、あたしの胸に刻まれた。
そして、頭の中で現状を整理してみる。
現場:【世界樹】から戻ってくると、自分の世話役が一国の王を殺そうとナイフを首に当ててました〜てへっ。
……どう言い繕っても、端から聞けば王暗殺にしかなんないわよ。ものものしいにもほどがあるでしょ。
「……で、これは何なの?」
「いやぁ、俺はただ、このバカをボカスカ罵ってやろうとしただけで……」
「あぁ、なるほど」
納得のいく答えだ。ならば、王であろうとも、ナイフを突きつけ、ボコスカ罵ることもあるだろう。
うんうん、と頷いていると、ガスタウィルがにこやかに笑いながら話し始めた。
「はは、いや、暗殺されかけていたわけではないんだけどね。ただ、アスタ様とは話し合いを……」
「足、震えているわよ」
「……」
足がガクガクと震え、その不細工な不協和音にあたしは耳を塞ぎたくなった。ビートどころかリズムすら刻めていない。こんな情けない演奏があってたまるか。
あたしが耳を塞ぐか塞がないかの葛藤をしていると、アスタがガスタウィルの首からナイフを離した。ガスタウィルは安堵するかのように息をつくと、あたしを見てきた。
「……で、私がして欲しいことは理解できましたか?」
「……」
そう言われて、あたしは先ほどまでの出来事を思い出す。
なんかよくわからない魔法を掛けられ。
いつの間にか【世界樹】をと思しきもののところにワープさせられ……。
そして、奇妙な少女に出会った。
少女はまるでお祭りの帰りのような格好で、偉そうにあたしにいろいろと言ってきたのだ。
まるでおせっかいな母のような少女――いや、彼女は自分があたしよりも年上だとか言っていたし……本当のことは分からないが、彼女の名前はリール〇ケルファ と言った。
彼女はあたしのことを深く知っているようだったし、何より、最後の最後まで正体不明のままだった。
そのことについて、この王に聞く必要があるが……。
「……」
あたしはリールとの会話を思い出す。
彼女は、あたしが【世界樹】を倒すにはまだ早い、と言った。
もし彼女がガスタウィルの仲間なら、そんなこと言って、【世界樹】から遠ざけてどうするんだ、といった話になる。そんなことを言っても、ガスタウィルにとっては不利益になるはずだし、もしそこであたしが『やっぱり面倒だから』とか言ってバっくれでもしたら、本末転倒だろう。
つまり、リールはガスタウィルの仲間ではない。
ガスタウィル自身も、彼女のことを知らないのかもしれない。そして、彼女のことを口走らせれば、ガスタウィルは自分が不利になるようなものを排除しようとするだろう。
リールのことは言えない、そう胸にしまいこみながら。
「……あたしに、あんなものを倒せって言ったあなたは頭がおかしい」
リールのこととは関係ない、あたし自身の正直な感想を言った。
事実、あの木を見た瞬間、あたしは恐怖した。
あんな威圧感のあるもの……軟弱者が見れば、腰を抜かすどころかあまりもの力に圧倒させられ、精神的に大ダメージを受けること必須だろう。
「よくも、あんなものが倒せると思ったものね。脳みそにお花畑が広がっているのかしら?」
侮蔑の意味を込めていやらしく言ったつもりなのだが、ガスタウィルはそれを気にしない、とでも言うように笑顔になった。
「それは、ナルティス様なら、あの【世界樹】でさえも圧倒できる力があると踏んだからです。そうでなければ、あの木には近づけられない。現に、私の部下たちの中でも精神的にやられて自殺した者もいる」
そんな奴がいて、あたしにあれを見せたっていうの!?
そんなの嫌がらせでしょ!
「……しかしやはり、ナルティス様は違った。あの木を見てなおここにいる。それだけで、あなたには【世界樹】に挑む挑戦権は与えられたということが証明された。ですから、改めて」
そういうと、ガスタウィルは立ちあがった。
そして深々と頭を下げてくるので、あたしは一瞬、その頭にかかと落としでもしてやろうか、と思うが、我慢する。
「お願いします。どうか……この国のためにも、あのイカれた木を倒してほしい」
「嫌よ~、嫌嫌」
だめよ~、のノリで返してみたのだが、ガスタウィルは一向に頭を上げない。
「私はふざけているわけではありません。本気で……あの木を倒したい」
「……あたしは何を言われようとも、絶対にあんたのためになんか【世界樹】倒したりしないよ。というか、この国のためって言うけど……それってつまり」
あたしは唾を飲み込んだ。
その時、ガスタウィルは顔を上げる。
「……ええ、ナルティス様の考えている通りです。【世界樹】……世界史上最凶最悪の木は……」
一呼吸置き、
「――この国にあります」
「……」
世界を犯す最凶最悪の木――【世界樹】が自国の領土にある……そりゃ、焦るわけだ。
何しろ、このガスタウィル皇国は出来上がったばかりの国なのだ。周りの国との国交は、もちろんあまりないだろう。まぁ、それも出来てから何年経っているかで決まるが。
しかし、この国に【世界樹】があるのがばれてしまえば、周りとの国交も難しくなる。
倦厭され、どこの国からも【世界樹】を倒してくれそうな先鋭は派遣されないだろう。そうなれば、今度は【世界樹】からの浸食に備えて死を待つのみになってしまう。
どれだけの犠牲があるだろうか。
どれだけの不幸があるだろうか。
どれだけ、救えるだろうか……。
「……分っかんないなぁ」
弱音を吐く。それでどうこうできる問題ではないことは重々承知の上だが、それでも、正直【世界樹】を倒す魔法を作られる自信はなかった。
だって……あんなもの見せられた後で、【世界樹】を倒してくれッなんて言われても……無理でしょ。
それに……リールが言っていたのだ。
まだ、【世界樹】に挑むには早い、と。
なら……今はやらなくてもいいんじゃないかな……?
「ナルちゃん」
「!」
突然の呼びかけに、あたしは驚いて肩を震わせた。
「……俺だけは信じてるからね」
「はぁ? 何を言って――」
しかし、アスタはそれを遮り。
「無責任かもしれない。でも……せっかく【鳥籠】から出られたんだ。今やれることをしなくて後悔、なんて嫌でしょ?」
「……うん。そうだね」
アスタの言葉はいつも優しいなぁ……。あたしのことを正面から受け止めてくれるし、アスタなら一緒に悩んでくれそうだしね。……でも。
「顔がねぇ……」
「あはは、なんか失礼なこと考えたでしょ?」
こんな風に、アスタはあたしのことを分かってくれる。が、いつもにやにや笑っているのが、どうしても怪しくてたまらない。
何考えているか分からないのはガスタウィルも同じで、さっきから無言でにこにこしているだけだった。
……そろそろ、覚悟しないといけないかな?
あたしは一つ、ため息をついて、言葉を発する。
「……あたしが、【世界樹】を見て、あんたの話を聞いて、それらを吟味して考えてみると……今は、保留ってことにしない?」
つまり、いつかは倒すかもしれないが、それまでは何もしない、ということ。
それが一番の解決方法だと思ったし、もし途中で【世界樹】を倒すことを諦めたとき、投げだすことができる。
しかし、これはあくまで提案。ガスタウィルが許可するかなんて分からない。
ガスタウィルが、顎に手を当てて瞑目する。
「……私としては、今すぐにでも倒してもらいたいのですが……」
「そんなこと言っても、魔法を作るための時間だって必要だし、あたしが今まで作った魔法の中で、一番の威力がいるし……とにかく、いろいろ魔法について調べる必要もあるから」
そうは言ったが、もちろん、調べるとか面倒なことはしない。
あれだ、適当に作って『失敗しちゃった。テへッ』とでも言っておけばいいんだ。そうすれば万事解決。ナイスアイデア。さすがあたし。
と、自己満足に浸っていると、ガスタウィルが一つ頷いた。その行動に、あたしは小首を傾げた。
「なるほど……では、決意が固まるまで、この城にいてもいいですよ。もちろん、この城の部屋や設備は全て使い放題。まぁ、部屋も有り余っているので、自由に使ってもらって結構です。……あ、なんなら、ナルティス様の部屋に、国中の魔導書を持ってこさせましょう。万全の態勢が整うまで、あなたがたを全力でサポートいたします」
あぁ、なんだかすごいことになってきちゃった。
やる気が……誰か、あたしの……あたしのやる気スイッチを押してぇぇぇ!!
しかし、現実逃避しても、話はどんどん先へ進む。
「なんなら護衛とか、メイドとか……付けておきましょうか? もちろんナルティス様の邪魔はいたしません。ナルティス様が全力を尽くせるようなサポートを……」
「ちょ……ちょっと! そんなに急に話を進められても困――」
しかし、ガスタウィルは聞いていないかのように。
「じゃあ、そうしましょう! 早速準備をさせますから、食後のティータイムでもどうですか?」
ピーーンッ!
っは! つい、背筋が伸びてしまった。
ティータイムというからにはもちろん、紅茶よね……それも王様へ淹れたものと同等のものが来ると期待してもいいでしょう! あぁ、あぁあ……なんだか落ち着かなくなってきたぞぉぉ……。
「あはは、ナルちゃん楽しそうだね」
アスタに笑われるが、もう気にしない。
あたしはガスタウィルが入ってきた扉を見つめる。そこから神の飲料・紅茶がやってくるに違いないと見切りをつけたからだ。
はぁ、はぁ、もう待ちきれないヨぉ……はあはあ。
「ナルちゃんの顔が性犯罪者じみてきたねぇ、あはは」
さっきまでの緊迫感はどこへやら。
あたしは紅茶のことだけを考える。
――もう、紅茶さえあれば世界なんて関係ないよねっ! の、トランス状態。
すると、後方の扉から、
「失礼します」
背後から、紅茶を台の上に乗せたメイドがやってきた。くっ、予想を裏切りやがった。
まぁ、それでも紅茶の味には左右しないかぁ。
あたしは、目の前に置かれた紅茶を眺める。
美しい琥珀色の、リンゴのような香りがする紅茶。
これはアップルティー。一口口に含めば、リンゴの甘い味が口いっぱいに広がり、飲み下せばとても後味がいい。【鳥籠】にいた時には、リンゴが高くて手が出せなかったが、今、それが目の前にある。
あたしは感動のあまり涙を零しそうになったので、上を向いた。
「そこまで感動するほど?」
もはやアスタの声にすら応えたくないほどの感動に包まれていた。
あたしはマグカップを恐る恐る口へ運んだ。
口に広がる……あぁ、もう何でもいいや。
とにかく美味しいことが分かったところで。
≪数分後≫
「あはははっははは!!」
酔いました☆
「りゃっほおおおおお! いぇええい!」
「もう何語か分かんないのだけれど……」
ガスタウィルの本気の引き。しかし、それをいちいち気にしないのが、完全トランス状態に入ったあたしだ!!
「がしゅたうぃるも何もどうだってぃい! あてゃしは魔法を作るのみだじぇぇぇ!!」
「え……じゃあ、【世界樹】を倒してくれ――」
「じぶんでやれぇ!! ふぃとに頼るなこぞー! ……でも、仕方ないから、ありゃしが作ってあ・げ・る!」
あたしは上目でガスタウィルを見上げてお色気攻撃だ! でも、貧乳だからあんま意味ないね。あはは。
「それって結局作るってことなので……」
「あははははは! あしゅたに丸投げ!」
「あはは。丸投げされちゃった」
もう、なんだか部屋中がカオスな空間になっちゃった。完全トランス状態のあたしが、周囲の鏡に映っていっぱいだぁ! そのせいでさらにカオスな雰囲気になっちゃったけど、面白いからいいや!
「ふあーっははははははぁ……はぁ、疲れた」
「えぇと……つまり、ナルちゃんは『紅茶さえ用意すてもらえれば何でも作る』って言ってる、かな? あはは、俺にも分かんないや」
「あしゅたのアホんだらがぁ! そんなじゃけぇ、平凡なんじゃろーがぁ」
「……何で広島弁なのかはともかくとして。ま、安心してよ。これでもナルちゃんは立派な魔法技術士だからね。多分、きっと……おそらく、魔法は作ってくれる……はずだよ」
「どんどん声が小さくなって言っても説得力はないですが、まぁ、いいでしょう」
そして、ガスタウィルの胸に『ナルティスと交渉するときは紅茶』という方程式が刻まれたことは誰も知らない。
「あはははは!!」
そして。
――それから数時間後に悶絶することになるのは言うまでもないだろう。




