第二章:5 『少女の語る愛――』
「……騙されてるわけじゃ……ないよね、これ」
あたしは呟いた。しかし、その場所は荒野のど真ん中で、アスタならまだしも、生物の気配一つなかった。埃
の一つも落ちていないかもしれない。まるで、そこの空間だけがくりぬかれたかのように、なにもない……いや、巨大なものがあったこそ、あたしは呟いたのだ。
あたしの目の前にそびえる一本の木。
緑の葉一つ一つが黄色の光に包まれ、その光が泡のようになって落ちてくる。幹はでかく、直径だけでも高層ビルくらいあるかもしれない。もちろん、高さもかなりある。天を穿つほど……というよりもこれ、絶対宇宙まであるよねっ!? っていうくらいに高い。頑丈な表皮は鋼鉄のように堅く、傷ひとつ付いていない。
―――それは紛れもなく、【世界樹】だった。
しかし、なぜあたしがこんなところにいるのか分からない。
だって、さっきまでは平和に(喧嘩腰で)食事をしていたはずなのだ。
そして、ガスタウィルの使った魔法(?)によって、あたしは視界を奪われた。
……まぁ、あの魔法でこんなとこに飛ばされたことには間違えなさそうだよね……でも、あたしだけとか、そんな個人を対象としたすごい魔法を作られる魔法技術士があの国にはいたのか。
それなら、なんで魔法技術士はいなくなったのだろうか。
集落のときもそうだったが、とても……できたばかりだとは思えないほどに、ガスタウィル皇国は力を持っている。そんなんじゃ、あたしなんて必要ないんじゃ……?
ふと、脳裏に横切った言葉に、あたしは首を振った。
「……それじゃあ、あたしを助けた意味が本当に無くなっちゃうなぁ」
ガスタウィルはどう考えても、あたしを利用するつもりなのだ。何でそこまでしてあたしを救わなければならなかったか、それは……まぁ【世界樹】を本気で倒すつもりだからだ。それに偽りはないと思う。だから、あたしは別に騙されたわけではないのかもしれない。
しかし、まだ完全に信用したわけではない。
信用してしまえば、ガスタウィルの術中にいるようなものだ。って、もう手遅れか。
こんな魔法をかけられた時点で、あたしはガスタウィルの掌の上だったのだ。あの魔法の構造だとか、効果時間とか、そんなものは見えなかったが、そのうち戻れるだろう。
なら、それまでの間、この悪魔の木を見ていなければならないのか……。
精神おかしくなっちゃいそうね。
こんな威圧のあるもの……人が巨大なものを見て恐怖心を煽られるような、あの反射神経以上に、【世界樹】は恐怖の種なんだろうなぁ……。こんなものを、常人が見て、何も思わないはずがない。
恐怖に飲み込まれ、そして錯乱、狂乱して……最後には自害辺りが妥当だろう。
「あはは……ま、【世界樹】の情報が集まるならそれに越したことはないけど」
と、呟いて、あたしは【世界樹】の周りを一周すべく、歩き始めた。
しかし、数歩歩いたところで。
「……ん?」
あたしは、荒野の向こうの人影を発見し、腰を落とした。
向こうはすでにこちらに気付いており、少しずつ近づいてくる。
人影は徐々に近づき、それが女性……いや、どちらかというと幼い少女だということが分かり、警戒心を解いた。
少女は笑っている。
少女の髪は濡れ烏のようにきれいな黒。まっすぐに下ろされたそれは、腰まで長い。顔は暗闇だからかよく見えず、肌は病的に白い。華奢な身体には、花がプリントされたかわいらしい着物を着けている。髪には簪を着けていて、まさにお祭りに行っていたかのような格好をしていた。その証拠に、左手には熊のぬいぐるみ、右手には綿あめを持っていた。
少女は、静かにあたしを見上げている。
なんなの……この子。
よく考えれば、こんな荒野に如何にも『あー、お祭り楽しかった❤』みたいな恰好をしている子がいるわけないよね。どう考えても怪しいよね。うん。
あたしが警戒すると、少女がその小さな唇を開いた。
「そんなに、警戒しなくてもいいのですよ、ナルティス・ミリン」
「あ……えっと……そう……ごめん」
あたしが素直に謝ると、少女は綿あめに顔を持っていった。
というか、あたしの名前を知っている?
そもそも、なんでこんな荒野にいる? ――という思考を読み取ったかのように、
「私は、ナルティス・ミリンのことをよく知っている。それはなぜか? 簡単です。私はあの集落を監視していましたから」
「え……?」
いま、この少女は何と言っただろうか。
――あの集落を監視している。
「……君は一体……」
そういうと、少女はぷくっと頬を膨らまし、
「私は、一応あなたより年長者ですよ? ナルティス・ミリン。私の名前は、リール〇ケルファ。魔法技術士の……ま、その話は今はいいでしょう」
少女――リールは、話の途中で綿あめに顔を近づける。話しにくい少女……いや、一応は年長者らしいが、そうは見えないし。
……面倒だから心の中だけは少女としておこう。
もちろんそれは、リールは自分より年上のようには見えないからだ。
話の途中で綿あめを食べるし、でも、口調だけは一人前のように感じた。自分に占有権があるかのような物言いで、あたしに話しかけるし。
あたしはそれがあまり嫌ではないので、話を続ける。
「で、リール……さん?」
「リールでいい」
「じゃあ、リール、あなたは誰?」
「私は私。リールとは私のことで、私はリールだ」
「禅問答するつもりはないけど、結局なんなの?」
「私は、ナルティス・ミリンに警告をするために来た」
リールが言う。
あたしはそのリールの言葉に、少し緊張した。
警告……それが何なのか分からないが、少なくともあたしが不利になることに違いない。だって、現在進行形で自分がどこにいるのか分からないのだから。
もしかしたら、リールもガスタウィルの刺客なのかもしれないし。
しかし、疑っていても仕方ないので、
「……何?」
と、先を促した。
そしてリールが顔を綿飴で隠しながら言った。
「ナルティス・ミリンは、まだここに来るべきではない。今は……まだ【世界樹】を倒すべきではない」
「は?」
首を傾げる。
リールの言葉はとても抽象的で、よく分からない。大事な部分が抜け落ちている……理由も言われず、まだ【世界樹】を倒すべきではない、とか言われても、ねぇ。
「……その顔は、よく分からない、という顔ね」
あたりまえでしょ? と、思うが、リールにはその当たり前が分からないのだろう。思案顔で綿あめを一口、口の中に入れて、もごもごさせている。ああ、お腹空いた。
リールの目的は皆目見当がつかない。
うまく説明をされなければ、使い方の知らない機械のように、間違いを起こしてしまうかもしれないのだ。だから、あたしはリールの説明を間違うことなく理解しなければならない。その責任感に、はぁ、とため息をつくと、
「なぜ、ため息をつく? この話はふざけているわけではないのだ」
ふざけているのはリールの格好だけで勘弁してくれ、と思うが、リールは続ける。
「もう時間がない。あのバカ王の魔法の効果が切れかけている。事実、今ナルティス・ミリンの姿が消えかけているのだ」
「え……あ!」
視線を足元に落とすと、確かに徐々に足が空気に溶けるように薄くなってきている。
「やっば……」
「だから、早く、早急に、急いで、話を進めなければならない」
「これ、大丈夫なの!?」
悲鳴混じりに叫ぶと、リールがため息をついた。
「大丈夫だから、安心なさい。そして私の話を聞きなさい」
「え、あ……うん。そうだね」
「……まず、さっきも言った通り、ナルティス・ミリンにまだ【世界樹】を倒すには早すぎる。今は……そうだなぁ、人を救う魔法を作ってあげろ」
「人を救う? 【世界樹】だってそのつもりだけど……」
厳密には子ども限定だが。
あたしには大人を助けることに意味を見いだせない、と考えている間にリールは。
「うん。確かに【世界樹】を倒すことは、世界を救うことになる。しかし、まだナルティス・ミリンには早い。早すぎる。だから、その予行演習だと思って、誰かを救う魔法を、人を幸せにする魔法を作ってみなさい。もちろん、そこに年齢は関係ない」
「えー」
「えー、じゃない」
あんたはお母さんか、と思う。
だって、いくらなんでも甲斐甲斐しすぎるでしょ。まだ初対面のはずなのに、どこか命令形だし、偉そうにするし……。
「……今、面倒って思ったでしょ」
「え? そ……ソンナコトナイヨォー(棒)」
「拳骨」
と言って、リールが拳を振るってくる。あたしはそれをまともに受け、『うう、頭がぁ……』と呻くことになる。頭痛が痛いのだ。
頭をさすっていると、リールはため息をついて。
「はぁ……こんな緊急事態だというのにナルティス・ミリンは……」
「……て、なんであたしが怒られるの? だいたい、リールに何の権限があってあたしに命令しているわけ?」
「文句を言うな。ケツに手入れて奥歯がたがた言わされたいか?」
いつからだろう……この台詞がいつにも増して狂気に満ちたのは……。
あたしはもちろん、そんなことになりたくないので一生懸命首を振った。振りすぎてもげそうなくらいの勢いにゴキッと首が鳴った。
「あぅ……」
「ま、自業自得だな。で、ナルティス・ミリンの存在がほとんど消えかけているから早く話そう」
というので、再度自分の身体を見下ろしてみると、たしかに腰のところまで消えていた。どういうわけか、足がないのに立つ感触があったり、本当に立っているかのように上半身が浮かんでいる状態で。
「なんか……バギ〇になった気分」
「心配するな。そのうち戻る。さ、話を続けよう」
まぁ、あんな高い声とか出せないし、大体、このネタでどれだけの人がついてこられているか分からないし……話をつづけたほうが妥当だろう。
「うん。早急に」
「それをナルティス・ミリンが言うか? ま、いいけど。で、ナルティス・ミリンは人を救う魔法を作る必要がある。そして、それは必ず訪れる」
「……って、そこまで分かるなんて、リールって何者?」
それに、リールは声を出して笑った。
「あはは。ま、そのうち分かるよ。いや、分からないかもしれないし、分かるかもしれない、と言ったほうが確実だな」
「曖昧ねぇ」
「現実なんてそんなもんでしょ?」
「はは、うん、まぁ……確かに」
「曖昧の愛の中で……世界が成り立つ人だっている。そして、そんなやつはきっと愛を失うと、狂乱してしまう。錯乱してしまう。そして、世界なんてどうでもよくなって……いや、そもそも愛と世界は関係ないのだ。世界が滅亡しそうでも、愛さえあればそんなことは小さい出来事にすぎない」
そういって、リールが聖母のような優しい笑顔になる。
「ナルティス・ミリン、君は誰かに愛されているって思う?」
「え……」
突然の質問に、あたしはたじろいだ。
いや、そ……そんなこと言われても……だれかにそんな感情を抱いたことも、抱かれているとも思ってないし……。そもそも、身近にいたのがあの万年笑顔狂人だけだったし……。
「うーん……ないかな」
あたしが素直にそういうと、リールはふっと笑った。
「それはまだ、君が気づいていないだけだ。きっと、君は愛されている。今はどうかわからないけれど……そのうち君にも分かる日が来るだろう。そして、その時にはナルティス・ミリンの周りは幸せに満ちるはず……」
「本当に何者なの……?」
「あはは、それはまだ知らなくてもいいって。それよりも、いまは現状優先ね」
と言っている間にも、自分の身体が消えていくことに気がついた。もうあとは頭しか残っていない。
宙に浮かぶ頭ほど、奇妙なことはないな……って、軽口叩いてる暇はないって!!
「で、リールが言いたいことってつまり――」
「もういいよ。全部伝え終わった。……でも、これだけは言っておきたいかな?」
「は……早く……っ!」
そう言っている間にもあたしの顔が消えていく。
なんだか心臓が痛い。それほど、いつの間にか鼓動が速くなっていたということ。……いま起こっていることすべてが恐ろしく感じるし、そもそも、これでリールとはお別れなのか?
あぁ、もう! 頭で考えるのは後!! 今は……今は……。
リールの言葉を。
「私が言いたいことは……」
「……」
「―――ナルティス・ミリンは、自分が思っている以上に愛されている、ということだ」
「え……それって、どういう――」
しかし、それを言いきる前にあたしは食卓に戻されていた。
食卓ではガスタウィルの首元にナイフを当てているアスタの姿があって――
「……殺人現場――?」
と、怯えながら呟いた。




