第二章:2 『ここは……どこ?』
壁の向こうは暗かった。
自分がいる部屋とは違い、赤レンガで作られた廊下に掛けられた、燭台から灯る蝋燭の光だけがそこを照らしていた。廊下には赤い絨毯が敷きつめられており、高い天井はその頂点が見えなかった。
そんな廊下を見て……いや、廊下に立つ男を見て、あたしは腰を抜かした。
二メートルはあるだろう巨躯に鋭い眼光。筋骨隆々とした身体には血のように赤い鎧が着込まれていた。目は赤褐色、髪は暗褐色で、耳には丸いピアスを付けている。そして、姿勢良く立つ姿は真面目さを体現しているようだった。
しかし、あたしには悪魔か鬼のようにしか見えなかった。
男はこちらを見下ろしながら、その身体のわりに小さく、ゆっくりと声を出した。
「ナルティス・ミリン様。今すぐ、同行願います」
「え?なん……」
しかし、あたしが全部を言う前に男は踵を返してしまう。
「……拒否権は、ないってこと?」
しかたなく、あたしは涙を拭ってから男を追いかけた。
廊下は、先ほどまでいた部屋同様に質素なものだった。まるで地獄へ行くかの如く、延々と赤く暗い廊下が続いているので、気味が悪い。部屋自体はたくさんあったのだが、そこに人の気配は皆無だった。しかし、その作り自体は精巧で、何より広かった。燭台から灯る蝋燭の火だけが頼りではあったが……。
暫く、大男との無言が続き、
「……あ」
あたしは声を漏らした。
目の前に再びあのな壁のような扉が姿を表したからだ。しかし、その色は白。そこにクロスするように金色のラインが引かれていた。
荘厳なそれを、大男は片手で押した。
ゴロゴロと、雷が鳴ったような音が鳴り、重々しく扉は開いた。道理であたしにはダメだったわけだ。
扉の先にはさっきよりも広い部屋が広がっていた。天井から床まで、全面鏡張りで目が回りそうになる。窓がないので光は入らない。その代わり天井から吊された無数の蝋燭が部屋を照らしていた。その部屋を縦断するようにして菱形の細長い白机とイスが置かれている。
それはまるで食卓のようだった。
机上には赤い花や燭台が置かれ、いくつか食器が並んでいた。食材はまだないのだが、どこからか美味しそうな香りが漂っていた。
そんな奇妙な部屋に、
「……あ」
一人の少年が座っているのが見え、あたしは声を漏らした。
鈍色の髪、黄金の目をした少年は、こちらを見て笑っていた。
「やあ、ナルちゃん」
「アスタぁ……」
アスタの笑顔を見て、あたしは安堵する。すると緊張の糸が切れ、涙が零れた。
「アスタが……いる……」
「あはは。そんなに心配だった?」
アスタにそう聞かれるが、その答えはもちろん……
「あたしがアスタの心配なんかするわけないでしょ?」
「ついに見捨てられたかな?あはは」
実際にアスタがいてくれてよかったと思う。しかし、心配していたかは別だった。あたしは一人が嫌だっただけだし……。あの大男と二人きりだと、息がつまりそうだったし。
だから、アスタがいてくれたことだけはよかったと思う。
それに……あたしは自分の生死すら分かっていないのである。もしも死んでいたなら、アスタがここにいて完全に安心できたといえようか。
無論、ノーである。
「……あたしたち、生きてるのかな?」
「え?」
「だって……あのでかい人、なんだか鬼に見えて……」
地獄にきたみたい、と呟きながら話題の男を見る。
全身赤ずくめの筋骨隆々の男。その手に棍棒でも持てば、鬼にしか見えないほどにその体は大きいし。それに、鋭い目つきがとにかく怖かった。
それはもう、あたしが腰を抜かしてしまうほどに。
だからここは地獄なのでは?と思えて仕方ない。
今まであたしが作った魔法は全て戦争に使われるものだった。なら、それを使って人殺しが起きれば全てあたしの責任になる。あたしの作った魔法のせいで、たくさんの人々が死んでしまうのだ。もう後悔しても遅いが、それでも罪は付き纏って消えはしないだろう。その罪を償うための地獄であり、あたしはそこへ行く必要がある。
「……ここは地獄なのかな?」
もしくは、天国へ行くか地獄へ行くか選定される前の控室、みたいなものだろうか。
鬼はそのための監視であり、そして今いるこの部屋こそ選定場なのではないだろうか。
だとしたら、これから起こることは何なのだろうか。
もちろん選定である。
あたしはきっと地獄行きだな……アスタは天国?でもそれはそれで腹が立つな。
「……なんだかイライラしてきた」
「あはは、なんでこっちを睨んで言うのかな?」
アスタは相変わらず笑っている。今の状況でよく笑っていられるな、と思うがそれは口に出さない。
アスタだって自分の生死が分かっていないはずだ。それなのに笑っているという神経の図太さには脱帽である。いつも気楽思考なアスタらしいといえばらしいのだが。
そんないつも通りのアスタに、多少安心しつつ、あたしは部屋を見渡した。
とても広い部屋に全面鏡張りは奇怪極まりないことは確かだが、そんな部屋にいるのはアスタとあたしと大男だけなので、地獄という雰囲気はまるで感じられなかった。
閻魔大王的ななにかもいないし……ならば、ここは一体どこなのか。
考えられる可能性は二つ。
一つは、自分たちは本当に死んでいて、閻魔大王的な何かはいまはいない。
しかし、それはあまりにも荒唐無稽な話ではないか?それに、死後の世界というものも存在するのだろうか。うぅ、頭が痛くなってきた。
そしてもう一つ、自分たちは生きていて、どういうわけか【鳥籠】の落下から助かった。
確かにこちらのほうが現実味がある話だが、ならどうしてあんな状況から助かったのだろうか?
だって、【鳥籠】の金格子には対あたし用の魔法がかけられていて、それに触れば感電死するようにできていた。あたしは多分それに触っている。実際に、先ほど起きた時に全身が麻痺したかのように動かなかったのだから。
結論を言えば、よくわからないが奇跡が起きたと考えるしかない。
そのあまりの荒唐無稽さに、
「はぁ……」
あたしはため息をついた。
そして、小さく呟く。
「あたしたち、生きているのかな?」
「?」
その呟きを聞いたアスタは首を傾げ、自分の左胸を指した。
それが何を意味するのかよくわからないあたしは、とりあえず左胸を指さしてみた。それを見たアスタは笑いをこぼした。
「むぅ、なんなのよ?左胸がどうかしたの?
「いや……ナルちゃん」
「何?」
「心臓って知ってる?」
「し……しん、ぞう?誰の名前?」
「そこからかぁ〜」
訝しげに眉を顰めるあたしに、アスタは笑った。あたしにはアスタの言おうとしていることが分からないので、その表情にいらいらし始めていた。
「……で、何が言いたいの?」
あたしが偉そうに腕を組んで問うと、アスタが答えた。
「あのね、人間ってさぁ心臓ってやつが動いて生きてるんだよねぇ」
「?……うん」
「あはは、分かってない顔だね。でもま、いっか。で、その心臓なんだけど、みんなここにあるんだ」
そう言って、アスタは自分の左胸を指さした。それに倣って、あたしも左胸を手で触ってみる。身体の奥がとくとくと、動いていることが分かる。
つまり、心臓は動いているので……。
「あたし……生きてる……」
それを実感して、あたしは崩れるようにその場にへたり込んだ。
「あたし……自由なんだ……」
それを口にした瞬間。
「う……うわぁぁぁぁぁぁん!」
あたしは慟哭した。
一縷の希望が、願いが叶ったのだ。
もう一生、【鳥籠】で生きていくしかないと思っていたのに。
もう一生、あたしには自由なんてありえないと思っていたのに。
――あぁ、やっと自由になれたんだな……って。
「うああぁぁぁぁん」
【鳥籠】という呪縛から抜け出して、あたしはもう自由の民になれたんだ。
なんて幸せなことだろうか。
誰かに縛られ続けた世界は終わった。
これからは自由を謳歌して生きることができるのだ。
……もう嫌々魔法を作らなくてもいいのだ。
「うっぐ……あたし……自由なんだ……空へ羽ばたいて生きていけるんだ!うぐっ……もう……誰にも縛られなくて済むんだ!」
そして、誰にも縛られなくなったあたしが、こんどは世界を救うのだ。
【世界樹】を倒して、世界を救うのだ。
あたしと同じように、縛られて生きていくことしかできない子どもたちを、救うのだ。それはひどく面倒で、大変なのだろう。けれど、今更立ち止まってはいけないし、そうするつもりもない。
もう、誰も悲しまなくていい世界にするために……幸せの魔法を作るのだ。
今までは戦争に使われるような兵器を作っていたが、そんなものはもう作りたくない。それに、きっと誰かの幸せになる魔法を作ったほうが楽しいはずだ。
「あたし……がんばるからっ!!絶対に【世界樹】を倒して、世界を救ってやるからっ!!そしたら……もうあたしと同じような経験を誰にもさせないから!」
「ナルちゃん……」
あたしはだらしなくわんわん泣いた。いままでこれほど泣いたことがないくらいに鳴き続けた。
それを、アスタは笑いながら見ている。
「……うん。そうだね、がんばろ」
「……うん」
アスタがあたしの髪を撫でた。
「大丈夫。ナルちゃんは絶対に世界を救えるから。そんな魔法、ナルちゃんにしか作れないって俺は思ってるから。だからがんばろ。俺はただの人間だからすっごく非力だけど、ナルちゃんのためなら何でもするから。……もう、ナルちゃんを誰にも縛られないようにするから」
「うん……うん……」
アスタの声は優しい。
そして嘘のない純粋な言葉だと思う。
普段は何を考えているか分からないが、でもあの大人共よりもずっと優しい心を持っているのだと思う。
あたしを【鳥籠】から救い出してくれたのもアスタだし、
いつも意識はしてないが、あたしを支えてくれていたのもアスタだ。
どれほど感謝してもしきれないくらいに、アスタにはいろんなことをしてもらっていたのだ。普段気付かないけれど……ときどき腹が立つこともあるけれど、その大切さに気付いたときだけはありがたさを実感するのだ。人間というものはそんなものだろう。大切な人ほど、すごく身近にいるから逆に気付かない。
だから……
だから、気付いたそのときだけでも。
「いつもありがと……アスタ」
と、感謝を口にするのだ。
「アスタのおかげで、あたしは今ここにいて、あの【鳥籠】から外へ出られた。あたしの狭い世界を広くしてくれたのはアスタだよ?それはもう、感謝しても感謝してもしきれないくらいに……あたしはアスタに感謝してるから。だから……ありがとね?」
「ナルちゃん……」
「って、なんか恥ずかしいからやっぱり聞かなかったことにして……」
そう言って、あたしはアスタから視線をそらした。きっといま、あたしの顔は真っ赤だろうから。
そんな様子を見て、アスタはにこにこしながら、
「ナルちゃん顔真っ赤にしてかわいい~な~」
「う、うるさい」
「それに今のセリフ、全部録音して毎日聞きたいなぁ」
「~~~~~!!」
あたしは拳を振り上げた。アスタは笑いながら殴られ、壁に激突する。アスタのそんな様子を見ながら、あたしは大男に問いかけた。
「で、あたしたちをここに集めたのはなんで?ちゃんと理由があるからここに呼んだんでしょうね?」
「ええ、もちろん。……ですが、その内容は私の主に聞いてみたほうが早いでしょう」
「それって、あなたはあたしたち二人を呼ぶだけの役割で、それ以外は何も知らないってこと?」
すると大男は首を振り、
「いえ、私はその話の外側だけは知っています。しかし、やはりそこは主に聞いてもらわなければ私は説明しかねます。……あ、もう来ますね」
そう言うと、大男は部屋の奥にあるもう一つの扉を見た。
あたしもそちらを見るが、しかしそこに人の姿はない。
「ん?別に何もなさそうだけど……」
と、言おうとしたところで、巨大な扉が開いた。
重々しい雷のような音が鳴った後、一人の男が入ってきた。
年は20歳前後だろうか。髪は金色、翡翠色の目をした好青年だ。身長はさほど高くなさそうだが、細身なので小さく見えた(といっても、あたしよりも大きいが)。そしてその身を包むのは黒い外套だ。
その容姿、雰囲気はまさしく……
「―――王様?」




