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コトサキク  作者: 真央
1/2

前編

「はっくしゅん!」

 大きなくしゃみが出て、僕はその勢いで腰かけていたガードレールからずり落ちそうになった。 

 

 今日から3月になったとはいえ、早朝でもありまだまだ寒い。気温も低いし、こうしてじっとしていると足下から冷えが立ち上ってくる。

 

 なんで何も考えずに普段登校しているとおりのピーコートで来てしまったのか。死ぬほど後悔だ。

 こうして長い時間外で待ちぼうけすることも今朝の予想気温も、昨日のうちからわかっていたんだからダウンコートでもなんでももっこもこになるくらいありったけ着てくれば良かった。

 

 顔を上げてみてもぶあつい灰色の雲がアリの子もはいでる隙もないくらいびっちりと空を覆い隠しているので、この後もあたたかくなりそうな期待はもてなかった。


 「ん」

 ガードレールに座り直していると、隣からぬっとターコイズブルーのコートにくるまれた腕が突き出された。

 

 実乃里の手にはてのひらサイズのカイロがほかほかと乗っかっている。この幼馴染みは普段ろくすっぽ喋らないが、ぼんやりしてるわけじゃなくていつでも用意がいい。


「サンキュ。でもそれとっちゃったら今度はお前が寒いだろ」

 心づかいはありがたいが仮にも相手は女子である。

 上半身はターコイズブルーのダッフルコートに黒いマフラーで顔の下半分と肩までをぐるぐる巻きにしているとはいえ、ミニスカートとハイソックスの寒そうな足が視界に入ればさすがに遠慮なく受け取るわけにもいかないだろう。


 武士は食わねど高楊枝、っと。なんか違うか。


 実乃里は無言で反対側のポケットからさらに大判のカイロを出して僕に見せた。さらにローファーを片足脱いで僕の方へとかたむけてみせる。

 どこまでも準備のよいことにしっかりと中敷きのように靴の中用カイロが貼ってあった。


「なるほど」

 本当に準備万端だな。感心して呟くと、ローファーをはき直しながらどういう意味なのかつかみかねるが実乃里はこっくりとうなずいた。


 ありがたく借り受けるとかじかんでいた手の中から、ほこほこと熱が広がっていく。


 実乃里は相変わらず黙ったまま、道路の向こうのバス停に寄りかかるようにして立っている喬をぼんやり眺めている。


 つられて視線を向けて、そういえばあいつもあたたかそうなダウンを着込んでいるじゃないかと気がついた。

 僕だけか、考えが足りなかったのは。

 

 喬は相変わらず待ち人来たらずのまま待ちぼうけしているが、遠目にはそわそわしている様子もなく落ち着いているように見えた。


「しかし僕らほんと付き合いいいなあ。友達甲斐があるってもんだ」

 関係ないただの付き添いである僕の方が、意味なくそわそわして時間をもてあましている。

 間を埋めるように口を開いたが、実乃里は僕の無駄口に付き合ってはくれずやはり素っ気なく肩をすくめただけだった。


 彼女が無口で無愛想なのは、別に寒いからとか付き合わされててタイクツだとかではなく(絶対そうじゃない! とまでは言い切れないが)元々こういう性格なのである。


 この年頃の女の子といえば、世間一般では箸がころがっても笑うだの三人集えばかしましいだのと言われるものだが、実乃里は例に漏れて昔からあまり感情の起伏もそう大きくない。


 そもそもどっちかといえば、この三人の中で一番よくしゃべるのは遺憾ながらこの僕だろう。


 僕と喬と実乃里と。三人まとめて今日にいたるまでの腐れ縁、幼馴染みというやつだ。

 たまたま全員同じマンションに住んでいたというだけだが、僕らはそれぞれの母親の腹の中にいた時からの長ーい付き合いだ。


 マンションには他にも年の近い子供たちがいたけれど、物理的に引っ越して疎遠になった連中をのぞいてもみんな顔を合わせれば話はするが学校が違ったりして基本疎遠になっている。


 その中で僕ら三人はいまだにこうしてなにかと顔をあわせてつるんでいるんだから縁が深いというか、どこかウマがあったんだろう。多分。


 今日は僕らが三年間通った高校の、いわゆる晴れの卒業式だったりする。もちろん僕も実乃里も、当然喬も卒業生になる側だ。


 本来ならばもう袖を通すことのないであろう制服のなごりを惜しんだり、同じようには歩かないだろう通学路に別れを告げたりするんだろう。


 そんな門出の日に僕らときたら家をいつもより早く出たはいいが何をしているかといえば待ち伏せ、である。


 喬がほぼ3年かけてずっと恋をし続けた女性が、いつものバスに乗る時間を見計らってこうして待っているのだ。

 ……卒業式に告白とはなかなかベタだ。


 とはいえ喬の卒業後の進路などをふまえて考えると、確かに今日告白しておかないと次の機会がないわけだが。

 家から通える距離の大学に進学する僕と実乃里とは違い、喬はアメリカに留学することになっている。天文を専門にやるそうだ。

 向こうの新学年は九月からだけど、環境に慣れたり勉強についていけるように語学学校へ入るという。それは理解できるが、なんとも気の早いことに明後日には出国してしまうというのである。


 だから明日を予備日にして、今日に照準をあわせたのだった。


 そのあたりの事情をわかってはいても、いい度胸してるなあと親友ながらしみじみ思ってしまう。

 喬のお相手の女性はOLさんなのだという。ごく一般的な常識に照らし合わせてみても、一介の高校生に振り向いてくれる可能性なんてミクロだろう。

 ましてや今回の場合は、更に喬に不利な決定的な条件があるのだから――。


「ふえっくしょい」

 もうひとつくしゃみが出た。しかし実に冷える。実乃里に借りたカイロを右手でシャカシャカ振りつつ、空いてる左手で携帯をポケットから取り出し時間を確認した。


 時計の針は七時四十五分になるところを指している。体感より時間はすぎていなくて、僕らがここで張り込みをはじめてまだ十五分くらいしか経ってないのだった。


 道路の向こうの喬に全く動きがないので、だいぶ長くここにいるような気がしているだけなのか単に僕にこらえ性がないせいか。

 焦れる僕に応えるようにバスが来た。


 駅前大通を横切って市役所へ向かうバスだ。前もって喬に聞いていた情報では、確か相手の人はこのバスに毎朝乗って通勤しているはずではなかったか。


 僕はどきりとしてあわててまわりを見回した。実乃里が突然きょろきょろしはじめた僕に不審そうな目を向けるが気にしない。


 けれどあたりにそれらしい人はいなかった。相変わらずスポーツバッグを足下に置いた喬が一人ぽつんと立ち尽くしているだけだ。


 バスを待っているんじゃないんだ。そのバスに乗る女性を待っているんだ。

 喬はじっと動かない。

「……寝坊かな」

 実乃里がぽつりと呟いた。


 バスはバス停にもたれて立つ高校生を見つけて徐行したが、乗る様子が無いのを見て取ってそのまま通り過ぎて行ってしまう。


「かもな……。とりあえず有給じゃないことを祈ろうぜ」

 何の気なしに口に出してみた途端、その可能性が皆無じゃないことにようやく思い当たって僕は一人暗鬱とする。

 喬が僕らを振り返って困ったような、照れたような笑みを浮かべた。


 意図が届くはずもないだろうが、僕は自分の顔の前で大きく十字を切り両手を組み合わせて拝む仕草をしてみせた。

 喬が左手でピストルみたいな形を作って学校のある方を指さして返してきたのは、先に学校行っててもいいよという意味だろうか。


 実乃里が顔を上げて僕をじっと見ている。僕に判断をゆだねるときの、こいつの癖だ。


「まあ、まだ遅刻する時間じゃないし。どうせだし、ついでにもうちょっと付き合ってやろうぜ」

 カイロを握りしめながら言うと実乃里はまたこっくりとうなずき、そしてどういう理由か道路の向こうの喬に思いっきり舌を出して見せた。


 それは一体どういう意味なんだよ。

 僕は半ばあきれ、喬は吹き出している。

 そして喬は両腕を組むと、またバス停にもたれかかるようにしてじっと彼女を待ちはじめた。


 その横顔をみつめながら、僕らもまたガードレールに座り直す。

 ふと、実乃里が思い出したようにかばんの中身をかきまわし何故か千歳飴をわけてくれた。


「長っ」

 紅色に着色された飴は、わりばし一本分より長さがあると思われる。

「なんでこんなの持ってんだよ……。七五三以来だよ、食べるの」

 ぶつぶつ文句言いつつも口に差し込むとミルキーな味が舌の上に広がった。

 実乃里も同じように白い千歳飴をくわえている。


 なんだか間の抜けた高校生二人組という感じがありありとしてるが、気にするのはいまさらだろうか。

「わざわざ買ったのか?」

 普段そんなに甘いものを好んで食べていたような覚えがないので疑問に思って尋ねると、実乃里は首を横に振った。


「お米屋のおじさんにもらった」

「ああ……」

 大手スーパーマーケットに負けずに頑張っている米屋が、僕らの住んでる団地のすぐ近所にある。

 町内会の面倒もみていて子供会やらでお世話になったため昔からよく知っているが、当時からかくしゃくを通り越しぴんぴんしすぎて埋めても土の中から戻ってきそうなほど元気でしぶといじいさんだった。


「米屋のおじさん? 孫が俺らより年上だろ……」

 おじさんと呼んでいるが、僕らがいたずらをしては怒鳴り小突かれていた頃からすでにうちの祖父と変わらないほどのじいさんだった気がする。


 けれど、口に出すと親たちから口移しに伝わったままの習慣のなごりで、なんとなく米屋のおじさんと呼んでしまうんだよな、不思議と。


「まだ元気にしてんだ」

 うっかりまだ、とつけてしまったデリカシーの無さのせいか、実乃里はやや顔をしかめたがこっくりとうなずいた。

「そっか。全然米屋のある方通らないから長くみかけてないなあ」


 米屋のおじさんに怒られるような遊びをする歳でもなくなったし、子供会に参加することもなくなり、根性無しの僕なのに内弁慶の典型だったらしく中学の反抗期がムダにすさまじかったのでうちの親はその頃から僕におつかいを頼むことがない。

 念のため付け加えれば別に恐れてくれてるわけじゃない。

 単に母親も僕に交渉するのがめんどうなだけだ。


 僕の内心を見透かしたのか、実乃里はマフラーに顔を半分埋めたままくすりと笑った。

 実乃里や喬は僕と違って、米屋のおじさんに怒られるような遊びに参加することは少なかったような気がする。


 僕は本当によく怒られた。目の玉が飛び出るほど、実にこっぴどく怒られた。怒られるようなことをするのが悪いのではあるが。


 おじさんにはなんかいたずらを見つけるセンサーがついているのじゃないかと噂されたほど神出鬼没にあらわれては僕らの犯行を未然に防ぎ、血管がきれるのじゃないかと逆に心配になるほど怒鳴り散らしたものだ。


 僕もそんなにいたずらで活発なタイプでは今も昔もなかったはずだが、何かにつけて尻馬にのりやすいというかお調子者なのだろう。

 ……残念ながらいまだにその性格は変わっていない気がする。


 率先してたリーダー格だったヤツより何倍もこっぴどく叱られたので当時は理不尽だと思って恨みがましい気持ちをもっていたが、今思えばふらふら流されやすいうえに根性が無く要領の悪い子供にがつんと言ってやりたくなるのもわからないでもない。

 それが僕自身なのが実にいたたまれないが。


「ヒマゴのお祝いの残り」

「えっ!」

 僕がしみじみと過去と現在の自分に思いをはせていると、実乃里がぼそっともらった千歳飴についての説明を付け足してくれた。

 おかげで道路の向こうから喬がこちらに視線を送って来たほどめちゃくちゃびっくりして大声が出た。


 なんでもない、気にするな。手を振ってやると喬は苦笑しながらまた元の体勢に戻った。

「よっちゃん結婚してたのか……」

 とっくだよ、と実乃里は笑った。

 というか、実乃里がまだマメに近所づきあいしてるのも意外だったが口には出さなかった。喬は知っているのかな。


 米屋のよっちゃんは僕らの町内で子ども会のとりまとめをしていた。祖父が町内会の顔だったせいもあるだろう。じいさんとは正反対の、大人しくて僕らの優しい兄貴分だった。

 僕らが幼稚園の頃にすでに学生服を着て遠くの学校に通ってたので、確かに子供がいたところでおかしくない。


「へー」

 僕はしみじみと感心した。

 これもまた自分に置き換えてみれば、小学校の高学年に入った頃には子ども会の集まりなんて一切参加する気もおきなかったのでよっちゃんは実に偉大だったのがよくわかる。

 祖父であるおじさんが怖いだけじゃつとまるまい。


「よっちゃんの子供かあ」

 その当のひ孫の顔は見たこともないが七五三のお祝いだというなら、僕が米屋のおじさんに怒鳴りまくられてた頃の歳に近いのだろう。なんだか不思議な気分だった。


 実乃里は黙って千歳飴をなめている。甘い飴を僕はさっきとは少し違った気分で味わった。

 道行く通勤通学の人たちも車の中の人たちも、朝っぱらからガードレールに腰かけて飴をなめてる高校生二人に怪訝そうに視線を送ってくるが気にしない。

 断固として気にしない。


 実乃里はまったくそういう周囲のことなど視界に入らないのか、一心不乱に千歳飴を短くしてしまうことに集中していた。

 僕ら自身の七五三で神社に参った後もそうだったっけ。


 アルバムに残っている数枚のスナップに、僕と喬は親たちの悪ふざけで着せられた振袖でけれどなにもわからずにっこり笑って写っている。

 実乃里はその真ん中で千歳飴しか存在しない世界の子供のように、どの写真もひたすらせっせと飴をなめている顔ばかり残っていた。

 当時の記憶はあやふやだけれど、証拠写真が残っているんだから間違いない。

 

 卒業式だというのが無意識にやたら感傷的にさせているのか、僕が再び遠い昔の思い出にひたっていると今度は、不意にぐいっと強い力で腕をつかまれた。


「な、なんだ。次は何がおきたんだ」

「ん」

 飴をくわえたまま実乃里が空いてる方の手で道路の向こうを指差している。こいつにしては珍しく一生懸命な顔をしていた。


 指された方角に視線を向けて、すぐにわかった。高台のほうから坂道を高いヒールのロングブーツを履いて、早足で下ってくる女の人。

 喬の首が持ち上がって、あいつも彼女を見ているのがわかった。普段となんら変わらない顔つきをしている。


 肩までのウェーブの髪に薄いピンク色のAラインコート。生地は厚手なのに、春めいた印象がある。きっとお洒落な人なんだろうと思った。そして美人だ。


 僕らより9歳年上だと聞いているが、まだ大学生だと言っても通じるくらいどこか幼げな雰囲気をしている。

 確かにこれまでの喬の好みから言っても彼女で間違いないだろう。


 初めて見た。そうかこの人を好きなのか、と何にかわからないが半ば感心しつつさらに照れつつ僕はなんとなく立ち上がった。

 実乃里もこの状況でもいまだに千歳飴をなめたままとはいえ、僕の隣に並んで立った。


 歩いて来る彼女を見つめる実乃里のその横顔が、少しだけ緊張しているような気がする。

 僕が勝手にそう見てしまっているだけの可能性もあるけど。

 

 バス停へ彼女がだんだんと近づいてくる。律動的な歩調。

 喬の肩がゆっくりとバス停から離れた。そして足元のバッグを拾い上げ肩に担ぐ。

 

 後姿になってしまって、喬がどんな顔をして彼女を待ち受けているのかこちらからはうかがえなかった。

 

 さすがのあいつでもやっぱり緊張してるんだろうか。やっぱり相変わらずの平常運転なんだろうか。

 僕の心臓が、緊張しそうにない喬の分とついでに実乃里の分とで、三人分もしかしてフル稼働してるんじゃないだろうかと思うくらいばくばくと音をたてている。


 冷たい風が吹いて僕たちを打ちつける。けれど、びっちりとすきまなく詰められた灰色の雲はこれっぽっちも動こうとしない。


 女の人が腕時計に目をやって顔を上げたとき、喬が動いた――――。


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