送りつけられた愛情
山科優美がそれを見つけたのは、彼の部屋に届いた郵便物を整理している時だった。
――なんだろ、これ。
何の変哲もないA4サイズの書類が入る茶封筒だった。
封筒の中央に『桐島裕太様へ』と、彼の名が書かれている。それは良い。
問題は、それのみしか書かれていないことだった。
当たり前だが、郵便物というのは最低限、宛先の住所と宛名が必要である。差出人の名は無くとも、宛先の住所が書かれていなければ届けようがない。
つまりこの茶封筒は、彼のアパートの郵便受けに直接投函されたということだった。
不穏なものを感じた。
「ごめんなさい……っと」
留守にしている彼へ謝罪しつつ、優美はカッターで封筒を切り開く。
中から出てきたのは一枚の用紙と、一枚の写真。
正確を期すならば『既に名前が記入された婚姻届け』と『微笑んだ女性の写真』だった。
「…………」
思わず、天井を見上げた。
それから優美は視線を封筒の中身に戻す。
夫の欄には彼の名前が。妻の欄には『川島こずえ』。
『山科優美』ではない。『川島こずえ』である。
「…………」
天井は木目調である。
優美は婚姻届けはテーブルに置き、写真に目を移す。
和服を着た若い女性を斜め45度の角度から撮ったものだ。写真の中の女性はカメラ目線で微笑んでいる。屋内のスタジオか何処かで撮影したもののようだ。
「…………」
いいかげん、天井も見飽きた。
一度、大きく息を吸い込んで深呼吸。冷静になる。
ふと、優美の背筋が寒くなった。
思い起こされるのは、いつぞや彼が電話口で言っていたことだった。『最近、ストーカーに遭っている』。その台詞を聞いて優美は「まさか」と苦笑したものだが、どうやら本当だったらしい。こんなものを送りつけてくるとは、このストーカーの主はまさに結婚したいほどに彼のことが好きなようだ。
――ピンポーン
玄関のチャイムが鳴った。
まさか、ね。
そうは思いつつも優美は動けなかった。一度芽生えた不安はむくむくと膨れ上がり、優美の身体を支配していく。遂にストーカーが、自宅にまで来てしまったのだろうか。彼の部屋にいる自分を見つけて、この『川島こずえ』というストーカーはどうするだろう。それとも自分がいる事を知っていて、わざと訪問してきたのか。
優美は動けない。
恐かった。
そうこうしている内に、玄関のドアノブが『ガチャガチャ』と鳴り始める。鍵を開けているらしい。ピッキング? いや、彼は鍵をポストに入れている。彼自身がいない時に彼を友人が訪ねてきた時などは、それを使って部屋に入って貰っているのだ。ストーカーはそれを知っていて勝手に合い鍵を作ったのだろうか。
ドアが開いた。
「あらあ?」
だが、現れたのは『川島こずえ』ではなかった。
同封されていた写真とは似ても似つかぬ中年女性。絵に描いたような『近所のおばさん』がそこにはいた。
小太りの身体を揺するようにしながら、中年女性はアパートの玄関に入ってくる。
「あらあらあらあら……。どちら様かしら。裕太のお友達? あ、もしかして彼女さんかしら。なぁによ、もう。あの子ったらちゃんとやることやってるんじゃない」
そう一気にまくしたてられ、優美は唖然とする。
だが、話しぶりから察っせられる所があった。
「もしかして、裕太のお母様ですか?」
「え? そうよお! もう、あの子ったらあたしの事も言ってなかったのお?」
中年女性はノシノシと自分の息子の部屋に上がり「よいしょっ」と、お土産らしい紙袋をテーブルに載せる。そのまま「あー、疲れたわ。ここ階段多いわね~」とドスッと椅子に腰をおろした。
「あ、あの……」
突然の出来事に優美は思うように言葉を紡げない。
だがそんな事はおかまいなしに、中年女性は話し始める。
「あ、そうだわ。名前言ってないじゃない。ごめんなさいね、自己紹介なんてする機会なんて無いものだからついつい忘れちゃって。――はい、初めまして。裕太の母で、よし子と申します」
「は、初めまして。山科優美です」
慌てて優美は立ち上がり、頭を下げる。たちまち「あらあらあらあら、礼儀正しいこと~。いい子ねえ~」とよし子は笑顔に浮かべた。優美もつられて顔が綻ばせる。先ほどまでの不安は、よし子の図々しいとも言える遠慮のなさのお陰でどこかへ吹っ飛んでしまった。
だが、先ほどの『婚姻届け』に関してはまだ解決していない。あれはやはりストーカーが送りつけたのだろうか。いつ『川島こずえ』なる女性がやってくるかと思うと恐ろしい。
優美はこの事についてよし子に話すべきか葛藤する。
が、その前によし子の方が先に口を開いた。
「なあんだ。こんな可愛い彼女さんがいるなら、あれ無駄になっちゃったわねえ~」
「? なんですか?」
「あら、まだ見てないの? あたし、こっちには朝来てたんだけど、その時にお見合いの写真をポストにいれといたのよ」
「もしかして、それって……?」
優美は後ろ手に隠していた写真をよし子に渡す。
「そうそうこれよこれよ。どう? 裕太驚いてた?」
「いえ……。さっき私が見つけたばかりだったので」
「あらそうなの? なあんだツマンナイわねえ~。折角、驚かそうと思ったのに」
そう言って、よし子は口を尖らす。
優美が詳しい話を聞いてみると、なんの事はなかった。
浮いた話のない息子を心配したよし子は、以前からことあるごとに見合い話を彼に持ってきていたらしい。彼は毎度それらを全て断っていたらしいが、業を煮やしたよし子は彼に危機感を持ってもらおうと一計を案じた。
それがこの『既に名前の書かれた婚姻届け』だったのである。
そこまですれば、よし子がどれだけ真剣に息子を心配しているか伝わるだろうと思ったらしい。
結果は……優美に恐怖を与えただけだったが。
「もう、裕太ったら、お見合い全部断ってたのは彼女がいたからなのねえ~。もう、そう言っておいてくれればこっちも安心できるのに……。ねえ?優美さん」
「ははは……そう、ですね」
苦い笑みを浮かべて、優美は相づちを打つ。
この母親のお陰でいらぬ心配をしてしまった。紛らわしいことをしないで欲しい。
ともかく、これで彼にストーカーもいない事が証明された。優美はホッと胸を撫で下ろす。
「けど、優美さんが居るならあたしが急いで帰ってくる必要なかったわね」
お土産をテーブルの上に広げながら、よし子が呟く。
何でもないようによし子は言うが、優美には少し引っかかる言葉だった。
「急いで……帰って?」
「そうよお。裕太ったら急に電話してきて『俺の家の様子見てきてくれ』とか言って。鍵はポストに入ってるからって。他にも何か言ってたような気がするけど、何言ってたのかしら。あたしったら最近物忘れが酷くてねえ? 裕太は物忘れじゃなくて人の話を聞かないからだなんて言うけど――」
よし子は息継ぎする間も惜しむように話し続けていたが、優美は殆ど話を聞いていなかった。
そんな場合ではなかった。
玄関から『ガチャリ』とドアが開く音が響いてくる。
「あらあ、おかえり裕太――あれ? なんでお巡りさんと一緒なの?」
恐る恐る、優美は背後を振り返った。
そこには彼と、その隣に立つ制服警官。
顔に嫌悪感を露わにした彼は、優美を指差してひと言。
「お巡りさん、この人がストーカーです。不法侵入で逮捕してください」
おわり
「送りつけられた愛情」は楽しんで頂けましたでしょうか。
もし、少しでも有意義な時間を提供できたのであれば幸いです。
この作品は「既に名前の書かれた婚姻届を使って掌編を書く」というお題のもと作成した習作になります。
今後とも、お題は募集しておりますので、メッセージや感想などからお願い致します。
それでは、お読み頂きありがとうございました。