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束縛してほしいのは、あんたなんだけど

作者: 今無ヅイ
掲載日:2026/08/22

「うええん、聞いてよ。もう今の彼氏がめちゃくちゃ束縛してくるのおおお」


 放課後の食堂には、夕食にはまだ早い中途半端な時間の光が差し込んでいた。西側の大窓から射す橙色が長机の端を照らし、空になりかけたティーカップの縁で細くきらめいている。


 向かいに座った友人は、開いていた魔術理論の教本から顔を上げると、泣きついてきた相手をしばらく眺め、それから小さく頷いた。


「束縛系かー」


「そうなの。昨日なんてバインドとかホーリーチェーンとかしてくるの。私には効かないのに」


「うんうん。それは彼氏が悪いわ」


「でしょ!?」


「体系が」


「そっち!?」


 思わず身を乗り出すと、友人は何を驚いているのか分からないという顔で首を傾げた。


「だって、あんた拘束術耐性高いじゃん。単純な魔力鎖なんて通るわけないし、ホーリーチェーンに至っては属性相性まで悪い。聖属性耐性ある相手に聖術式の拘束を選ぶ理由がない」


「そこを相談したかったわけじゃないんですけど!」


「じゃあ何を相談したかったの」


「彼氏が束縛してくるって話!」


「だから聞いてる」


「聞いた結果が魔術体系の査定なのよ!」


 友人は少し考えてから、机の脇に積んでいたノートを一冊引き寄せた。


「拘束術なら、空間固定系か精神干渉を避けた重力系のほうがいいと思う。あんたの場合、術式そのものに対する抵抗力が高いから、対象指定じゃなく周囲の空間ごと固定したほうが」


「改善案を出すな!」


「でも効かないんでしょ」


「効かないけど!」


「じゃあ彼氏に教えてあげたら」


「嫌だよ! なんで私が自分を縛る方法を彼氏に教えなきゃいけないの!」


「束縛されたいって言ったんじゃないの」


「束縛されたいとは言ったけど、それは愛情的な意味で!」


 声が食堂に少し響いた。


 幸い、この時間に残っている学生は少ない。遠くで本を読んでいた上級生が一度だけこちらを見たが、すぐに視線を戻した。


 友人はペンを止めた。


「愛情的」


「そう」


「束縛」


「そう!」


「具体的には?」


「え」


「定義が曖昧だと分からない」


「恋愛の話に定義を要求しないでよ」


「今までそれで失敗してるんでしょ」


「ぐっ」


 反論できないのが腹立たしい。


 そもそもの始まりは、付き合い始めてしばらく経った頃、彼氏に「束縛とかされるの嫌?」と聞かれたことだった。そこで自分は、ちょっとくらいなら嫌いじゃない、と答えた。


 嘘ではない。


 好きな相手が自分の予定を気にしてくれたり、他の誰かと親しそうにしていれば少し不機嫌になったり、帰りが遅ければ心配してくれたり。そんなものを、愛されている証拠として欲しいと思う気持ちは確かにあった。


 ただし、翌週から実際に拘束魔法が飛んでくるとは思っていなかった。


「もっとこう……『今日は誰といたの』とか」


「うん」


「『帰ったら連絡して』とか」


「うん」


「あと、他の男の子と仲良くしてたら、ちょっと嫉妬するとか」


「なるほど」


「『あんまりそいつと喋らないで』とかさ」


「分かった」


 友人がさらさらと何かを書き始めた。


「なんでノート取ってるの」


「愛情的束縛について再設計を」


「魔法体系から離れて!?」


「でも体系化したほうが事故が少ない」


「恋愛を事故防止の観点から見るな!」


 またペン先が紙の上を走る。


 几帳面な字だった。講義ノートでも研究記録でも、彼女の文字はいつだって細く整っていて、見返したときに迷わないよう項目ごとに線まで引かれている。


 そんなところが好きだった。


 そのことを考えてしまい、慌てて視線を逸らす。


「そもそもさあ」


「なに」


「あんた、彼氏のこと嫌いでしょ」


「別に」


「嘘。絶対嫌いじゃん」


「興味がない」


「それ嫌いよりひどくない?」


「他人の恋人に興味持つ必要ある?」


 さらりと言われて、胸の奥が少しだけ冷えた。


 こういうところだ。


 彼氏ができた、と報告したときもそうだった。


 少しくらい驚くと思った。ずっと一緒にいた友人に恋人ができたのだから、何かしら反応すると思った。


 けれど返ってきたのは、「そう。おめでとう」の一言だけだった。


 初めて二人で出かけた日のことを話したときも、「楽しかったならよかったね」。


 肩を抱かれたと言ってみても、「嫌じゃなかったならいいんじゃない」。


 手をつないだと話しても、「そう」。


 何をしても、何を言っても、ほんの少しも乱れない。


 自分ばかりが馬鹿みたいだった。


「……じゃあさ」


「うん」


「仮に。仮の話ね」


「うん」


「私があんたと遊ぶより、彼氏と遊ぶほうが増えても平気?」


「寂しくはなる」


 思ってもみなかった答えに、思わず顔を上げた。


「……寂しいんだ」


「そりゃ、今まで毎週会ってたのが減ったらね」


「じゃ、じゃあ、私が彼氏とずっと一緒にいても?」


「それはあんたが決めることだから」


「……ふうん」


「なに」


「別に」


 欲しい答えではなかった。


 いや、正確にいえば、かなり近かった。あと少しなのだ。


 あと一歩だけこちら側に踏み込んでくれれば、それで全部終わるのに。


「もうちょっと嫉妬してほしいの」


「彼氏に?」


「……そういうことにしといて」


「彼氏にしてほしいなら本人に言えば」


「そうなんだけどさあ」


「何が不満なの」


「例えば……『その男と別れて』とか」


「かなり強いね」


「『私だけ見て』とか」


「重いね」


「『そいつより私のほうがあんたのこと好き』とか!」


 友人のペンが止まった。


 言い切ってから、自分でもずいぶん具体的な例を挙げたものだと思った。


 沈黙が落ちる。


 窓の向こうで、学院の鐘が一度だけ鳴った。


「……具体的だね」


「例だよ、例!」


「誰に言ってほしいの、それ」


「知らない!」


 熱くなった顔を隠すように、冷めかけた紅茶を一気に飲んだ。


 まずい。


 この話題はまずい。


 もう何年も隠してきたものが、さっきから口元まで浮かんできている。


 好きだった。


 たぶん、彼氏と付き合うよりずっと前から。


 毎朝教室で会うのが嬉しくて、隣に座れれば一日機嫌がよくて、休日に誘われれば前の晩から服を選んだ。


 けれど相手は、こちらを友人として大切にしてくれているだけだった。


 だから諦めようと思った。


 彼氏ができれば変わるかもしれないと思った。


 もしかしたら、ほんの少しだけ嫉妬してくれるかもしれない、とも思った。


 そこまで考えて、自分の性格の悪さに嫌気が差した。


「ねえ」


「なに」


「私が彼氏できたって言ったとき、どう思った?」


「おめでとうって」


「それは言ったこと」


「じゃあ何」


「本音」


 友人は答えなかった。


「……ねえ」


「他人の気持ちを推測して、自分に都合よく解釈するのは好きじゃない」


「なにそれ」


「そのまま」


「私、そんなことしてないよ」


「してるでしょ」


「いつ」


「今」


 視線が合った。


 彼女の目はいつも通り静かだったが、少しだけ困っているようにも見えた。


「自分が何も言ってないのに、相手には分かってほしいって思ってる」


「……」


「詠唱してない術式は発動しない」


「うん」


「宣言してない好意は受け取れない」


「……いじわる」


「事実」


 静かに言われたその言葉が、思った以上に深く刺さった。


 確かにそうだ。


 彼氏を作った。


 デートの話をした。


 手をつないだ話も、抱きしめられた話もした。


 それで嫉妬してくれることを期待していた。


 止めてくれることを期待していた。


 それなのに、自分は一度だって、好きだとは言っていない。


「……じゃあ言う」


「うん」


「笑わないでね」


「笑わない」


「絶対?」


「絶対」


 喉が乾く。


 たかが一言なのに、上級拘束術の詠唱よりずっと難しい。


 膝の上で握った指に力を入れる。


「私、ずっとあんたが好きだった」


 友人の瞳が、ほんのわずかに見開かれた。


「彼氏作ったのも……その、あんたがちょっとくらい嫉妬してくれるかなって思ったから」


「それは性格が悪い」


「うええん!」


「体系じゃなくて、今回は性格が悪い」


「二回言うな!」


「彼氏にも失礼」


「それは……はい。ほんとにそう」


 そこだけは笑えない。


 彼氏にはきちんと謝って、話をしなければならない。自分の気持ちをごまかすために誰かと付き合うなんて、正しいわけがない。


 けれど今は、それより先に聞きたいことがあった。


「……で」


「なに」


「発動した?」


「何が」


「私の好意」


「宣言は確認した」


「効果は?」


「術式じゃないから効果とかない」


「さっきまで術式に例えてたくせに!」


 思わず机越しに手を伸ばすと、逃げるでもなく、その手首を掴まれた。


 拘束術ほど強くない、ごく普通の力だった。


 なのに、逃げようとは思わなかった。


「私も好き」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。


「……え」


「聞こえなかった?」


「聞こえたけど」


「じゃあいい」


「よくない!」


「何が」


「いつから!?」


「たぶん、あんたより前」


「はあ!?」


 食堂に声が響き、今度こそ遠くの上級生が露骨に顔を上げた。


 けれど、もう気にしている場合ではなかった。


「じゃあなんで! なんで彼氏できたって言ったとき止めなかったの!」


「好きな相手が選んだことを、自分の都合で壊していいわけないでしょ」


「嫉妬は!?」


「した」


「したの!?」


「したよ」


「どのくらい!?」


「かなり」


「全然分かんなかった!」


「分からせてないから」


「なんで!」


「宣言してない好意を勝手に受け取るなって言ったでしょ」


「今それ言う!?」


 腹立たしい。


 腹立たしいのに、口元がどうしても緩んでしまう。


「じゃあ、私が彼氏と遊びに行ったときは?」


「行かなければいいのにと思った」


「肩抱かれたって言ったときは?」


「腕が折れればいいと思った」


「怖っ」


「比喩」


「本当に?」


「半分くらい」


「怖いって!」


 なのに嬉しい。


 ずっと欲しかったものが、今になって次々と降ってくる。


「……じゃあ言ってよ」


「何を」


「ずっと言ってほしかったやつ」


 友人はしばらく黙っていた。


 それから、掴んだままだった手首を離し、その代わりに指先を絡めるように手を握った。


「彼氏と別れて」


「……うん」


「そのあと、私と付き合って」


「うん」


「できれば私以外と付き合わないで」


「当たり前でしょ」


「他の人に好きって言わないで」


「言わない」


「休日は、なるべく私に空けて」


「うん」


「帰ったら連絡して」


「うん」


 顔が熱い。


 たぶん、笑っている。


「……束縛しすぎ?」


「遅い」


「そう」


「遅すぎる」


 握った手に、少しだけ力が込められた。


     ◇


 それから数日後。


 彼氏とはきちんと話をした。


 こちらがずっと別の人を好きだったことも、自分の気持ちを誤魔化すために付き合ってしまったことも謝った。もちろん彼は怒ったし、最後には「じゃあ今までの拘束術なんだったんだよ」と妙なところで落ち込んでいた。


 そこについては本当に申し訳ない。


 ただ、別れ際に「次に付き合う相手にはホーリーチェーンやめたほうがいいよ。属性相性悪いから」と伝えたところ、「お前の友達と同じこと言うな」と怒られた。


 どうやら似た者同士らしい。


 そして放課後。


「愛情的束縛について再設計した」


「まだノート取ってたの!?」


 いつもの食堂、いつもの席で、恋人になったばかりの友人は例のノートを開いた。


 表紙には几帳面な字で、


『愛情的束縛・運用規定』


 と書かれている。


「朝一回、就寝前一回の好意宣言」


「運用ルール作るな」


「休日は最低一回会う」


「……」


「帰宅時は連絡」


「……まあ、それはいい」


「体調不良時は互いに報告。必要に応じて看病」


「それも……いい」


「他に要望は」


 こちらを見る目は真面目そのものだった。


 たぶん、からかっているわけではない。


 本当に、真剣に、自分との恋愛を上手くやろうとしているのだ。


 そう思うと、馬鹿らしいくらい嬉しくなった。


「……手つなぐ」


「追加する」


「術式みたいに扱うな!」


 さらさらとペンが動く。


「頻度は?」


「聞くな!」


「決めないと」


「会ってるときに、したくなったら!」


「双方の任意?」


「そう!」


「了解」


「書くなって!」


「抱擁は?」


「え」


「要件に含める?」


「……含める」


「頻度」


「だから聞くな! 雰囲気でやれ!」


「雰囲気は再現性が低い」


「恋愛に再現性を求めるな!」


 呆れながらノートを覗き込む。


 そこには、


『抱擁 適宜』


 と追加されていた。


「業務マニュアルみたいにするなあ!」


「他には?」


「もうない!」


「本当に?」


「ない!」


「じゃあ暫定版として運用する」


「暫定版とか言うな!」


 ノートを閉じようとした手が止まる。


「……あ」


「なに」


「一個あった」


「どうぞ」


 言った瞬間に、急に恥ずかしくなった。


 けれど、宣言していない好意は受け取れない。


 それを教えたのは、目の前の恋人だ。


「……キス」


 わずかに、彼女の頬が赤くなった。


 初めて見た。


「……追加する」


「それはノートに書くな!」


「頻度は?」


「雰囲気!」


「また?」


「それだけは絶対に雰囲気!」


「再現性が」


「いらない!」


 笑いながらペンを奪おうと手を伸ばした。


 けれど今回は、その手を避けられなかった。


 指を取られ、引き寄せられる。


「じゃあ」


「え」


「試験運用」


「キスを試験運用って言うな!」


 文句を言った口は、そのすぐあと塞がれた。


 ノートには結局、その項目だけ何も書き加えられなかった。

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