小説を書いたけどブクマもされないし評価もされないし感想もつかないし…もしかして才能無いのかな。と思ってる君へ
結論から言いましょう。
「君には才能がある……! かもしれないし、無いかもしれません!!」
結論になっていない? そりゃそうです。才能の有無なんて誰にも分らないのですから。
私たちが生きている現実世界には人物鑑定のスキルもステータス開示の機能もないのだから、人の才能なんてわかるわけがありません。
だから「私って才能ありますか?」とか「僕って才能無いのかな」とか、そういうことを考えるのは時間の無駄です。
誰かに聞いてもせいぜい「ああこの人は、現実がよくわかってない人なんだ」と思われるのが関の山です。恥ずかしいと思う気持ちが残っているのなら、やめておきましょう。
というのはそれとして。
『才能』とは何なのか。
私の考えでは、小説家に必要なのは『素質・技術・戦略。そして忍耐』の四つです。
すなわち
・物語を創る『素質』
・小説を書く『技術』
・読者を掴む『戦略』
そして、それを継続するための『忍耐』を持つ者だけが、小説家に成れます。
……「成る」というか、そんなのなくても小説を書いてる時点で小説家なんですけどね。
さておき、一つずつ説明しましょう。
まず『素質』。
ある意味において、唯一『才能』と言えるのはこの部分かもしれません。
頭の中に物語を浮かべる。そしてそれを言葉という形に変換する。
どれだけ優れた文章力を持った人がいたとしても、この『素質』無しには何も描けません。
材料をどれだけ持っているか。と言い換えることも出来るでしょう。
たとえ、完璧な設計図があったとしても、組み立てるだけの建材がなければ犬小屋一つ出来上がりません。
この『素質』こそが、作者にとっておそらく最も重要であり、同時に最も鍛えるのが難しい項目です。
なぜならこの『素質』は、そのまま『作者の人生』と置き換えることが出来るから。
素人の作品を読んだときに「薄っぺらい」と感じるとしたら、もしかしたら素材の質が問題かもしれません。
それは「人生経験に乏しい」のか、あるいは「人生経験の密度が薄い」のか。
あるいは材料に加工するのが下手くそという可能性もありますが。
次に『技術』。
これはわかりやすいですね。小説を書く技術です。そのままです。
基本的に、技術は『学習』と『反復』により得することができます。
本を読みましょう。ただ読むだけでなく、学習するつもりで読みましょう。
この本が「読みやすい」と感じるのはなぜか。どうして「面白い」と思うのか。
ただの読者としてでなく、小説家になろうとしている者の目で読むと、役に立つ発見があります。
もちろん座学も効果があります。世の中には「小説の書き方」系の情報は無数にありますので、それらを学習し……
そして、学習するだけでは意味がありません。書きましょう。
学習した知識が血肉になるまで書いて書いて書いて、書きましょう。
他人の評価を気にしている場合ではありません。どうせ、今現在に書いている作品なんて、数年後の自分が見たら恥ずかしく感じるような作品なのですから。
そして『戦略』。
小説を書くだけなら必要ありませんし、小説を書く能力か?と聞かれたら微妙なところですが。
ですが「多くの人に読まれたい」「あわよくば高い評価を受けたい」と思うなら、どうしても必要になります。
ええ。ええそして、私はわりと軽視しています。というか苦手です。
適切なサイトに投稿する。目を引くタイトルを考える。SNSでの立ち回り。投稿時間、更新頻度、あらすじ、第一話の構成、後書きでのくれくれ……ああぁ゙! 考えることが多すぎる!!
そこまでして読まれたいか?と考えてしまうかもしれませんが、そこまでしないと評価されない時代なんですよ。悲しいことに。
じゃあなんで、貴方はそれをしないんですか?
ええ……っと、まあ、ある程度書き続けていると、他人の評価が気にならなくなってくるんですね。
重要なのは重々承知なんですが、どうしても「そんなこと考えている間に、一話でも物語を進めたい」と考えてしまう……いえ、正直に言ってしまえば、面倒くさいんですね。
まあでもやっぱり評価はされると嬉しいので、たまに頑張ります。たまに。
最後に『忍耐』。
どれだけ素晴らしい作品を書く人でも、途中で止めたらそこで終わりです。
……まあもちろん、続けるだけで芽が出るほど世の中は甘くないですが。
作品エタらせてしまうのは仕方のないことですし、私にはそのことをとやかく言う資格がありません。
だけど、水やりを止めた草木がどうなるかは言うまでもないでしょう。
もちろん小説を書くばかりが人生ではありません。
だけどせっかく趣味としてでも書き始めたのなら、花が咲くまで続けてみるのはどうでしょうか。
なんて、思いました。




