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 小説というわかりやすいものにどう工夫をしてつまらなくなくするかというときに、わかりにくくすれば良いんだと思う人がいたとしたらそれは素晴らしいことであるが、しかし、わかりにくさというものこそ、退屈なものの本質なのであり、では、問題は何かというと退屈なのであり、逆に考えると、常に退屈しない状態というのはこれは頭がどうかしている状態であって、そういうのを変性意識状態というのであるが、人はそうなれるものを見つけると動物的になってぶつかってゆこうとするものであり、人生とは大なり小なりそういうものの刺激を通して、退屈さを忘れるのであり、実はその中にもある種の退屈さが潜んでいることは確かであって、つまるところ、どっち道、退屈ということであり、私は人間は現実逃避のために小説を読むという説を取らないのであって、というのも小説というのは実は認識の根底にそういうものがあるからであり、人は物語を通じずに物に接することはできないのであって、カントはそれを悟性と表現したのであるが、ものをかたる、考えるということであって、ここで大切なのはそれでは私はどうなるのだということであるが、どうもならないのであり、たとえば今日支配的な漫画というフレームを想起してほしいが、ものを語る、つまりナレーション、ナラティブに寄り添う、生成される何かに伴奏するということなので、そこには私というものはかき消されているのであり、退屈の根源というのは私にあるのであって、天国の退屈、地獄の退屈、どっち道それは私というものに関係しているのであって、私を忘れるとつまり今逢着している人生を忘れると人は退屈ではなくなるが、それは現実逃避ではなくて現実没入であり、実は退屈とは、現実への準備段階にある私という姿勢、構えにあったのであって、人は絶対に自分に批判的なのであって、これを西洋人は原罪と捉えたが、多分、そうではない方向性で、人は自己批判的であり、メタフィクション的であり、実は、常に二つのものを必要としているのであって、だから異世界ものというのが流行するのであって、私がこれから展開する8つの物語も、勿論、そういうものに決まっているので、それはある意味、書いている方でも退屈であって、多分、私は自分を裏切るために小説を書いているので、こうではない私以外の何かへのアプローチなのであって、それは死と言っても良いのであるが、裏返された人生である。

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