第1話 すもも先生、と呼ばれるまで
診察室のドアが、少しだけ強くノックされた。
「……どうぞ」
須之内桃は、カルテから目を離さずにそう言った。
次の瞬間、母親に手を引かれた男の子が、半歩遅れて入ってくる。
「先生、あの……この子、昨日から熱が下がらなくて」
母親の声は、説明より先に不安が滲んでいた。
桃は顔を上げ、男の子の目線に合わせて椅子から腰を落とす。
「こんにちは。お名前、教えてくれる?」
男の子は一瞬、母親を見る。
それから、小さな声で答えた。
「……ゆうた」
「ゆうたくんね。今日は一緒にがんばろうか」
その言い方は、診察というより、
なにかを共有しようとする約束みたいだった。
――まただ。
看護師の佐藤が、ガラス越しにその様子を見て、
小さく苦笑する。
距離が近すぎる。
でも、子どもたちはなぜか心を開く。
診察を終え、処方箋を渡すと、
母親が深く頭を下げた。
「ありがとうございました、すもも先生」
その呼び方に、桃は一瞬だけ言葉を失う。
けれどすぐに、いつもの微笑みを返した。
「お大事に。何かあったら、すぐ来てくださいね」
⸻
休診日の午後、桃は立川駅から少し離れた教会の門を押す。
石畳の先で、子どもたちの声が弾んでいた。
「すももせんせー!」
駆け寄ってきた少女を受け止めながら、
桃は胸の奥で、静かに思う。
――私は、
あの頃の自分に、まだ会いに来ているのかもしれない。
医師としての自分と、
孤児だった自分の間で揺れながら。
教会の鐘が、ゆっくりと鳴った。




