異国の一匙
山間にそびえる碧嶺城は、国一番の大名・暁焔さまの居城として知られていた。
十五歳の料理見習い 蒼太 は、その城の台所で働いていた。
もともとは村の湯治場で雑用をしていた少年だが、味噌汁を作らせれば村一番だった。
その腕前が噂になり、城に引き抜かれたのだ。
だが碧嶺城の厨房は、想像の何倍も厳しかった。
「蒼太!その味噌、火が強い!焦がしたら今日で終わりだ!」
怒鳴られながらも、蒼太はひたすら鍋と向き合った。
---ある日、城へ「南海の商人」が訪れた。
彼らは遠い海の向こうから来た者で、見たことのない香辛料を持っていた。
城中がにわかに騒がしくなる中、台所に使者が現れた。
「暁焔さまが料理を所望だ。蒼太、来い。」
心臓が跳ねる。
自分の料理を殿さまに?そんな話、聞いたことがない。
通された部屋には、色鮮やかな衣装をまとった南海の商人たちと、
黒羽の装束に身を包んだ暁焔さまがいた。
「この香り、面白い。蒼太とやら、これで一品作ってみせよ。」
差し出されたのは、黒い粒の香辛料と深紅の油。
蒼太は戸惑ったが、逃げ出すわけにはいかない。
南海の言葉を身ぶりで理解しながら、蒼太は見たこともない料理を必死に作り上げた。
完成したのは、香り高い“辛味の鍋”。
暁焔さまが一口すすると、部屋が静まり返った。
そして、わずかに口元がゆるむ。
「……良い。気に入った。」
蒼太はその場で膝から崩れ落ちそうになった。
「明日の旅の前にも、汝の味を食したくなった。明朝、わしの膳を整えよ。」
明日の旅?
不思議に思いながらも、蒼太は深く頭を下げた。
---翌朝。
蒼太は早くから殿さまのために味噌汁を用意した。
具材は山の芋と若芽。
蒼太が一番自信のある、素朴だが心にしみる味。
だが城の外が妙に騒がしい。
兵たちが慌ただしく駆け回っている。
「蒼太、急げ!暁焔さまは今すぐ北の都へ向かわれる!」
出発が予定より早まったのだ。
蒼太は器を抱えて走り、馬にまたがろうとする暁焔さまへと差し出した。
「殿さま……せめて、これだけでも!」
暁焔さまは手綱を緩め、器を受け取った。
温かな湯気が朝日に溶ける。
「……うむ。良い香りだ。
蒼太、覚えておけ。新しきを恐れるな。
それは人を強くする。」
言い終えると、暁焔さまは馬を走らせ、隊列は北へと消えていった。
それが、蒼太にとっての“最後の別れ”となった。
---後日、北の都が突然の襲撃にあったという知らせが城に届いた。
暁焔さまは戻ることなく、国の行方は大きく揺れた。
蒼太はしばらく何も作れなかった。
香辛料の匂いをかぐだけで、胸がぎゅっと締めつけられた。
だが、暁焔さまの言葉が、蒼太を再び前へ進ませた。
――新しきを恐れるな。
いつしか蒼太は旅に出ていた。
村から村へ、街から街へ。
南海の香辛料と山の恵みを合わせた、新しい料理を作るために。
彼はどの宿場でも、最後に決まって一椀の味噌汁を作った。
素朴で、どこか懐かしい味。
それは、暁焔さまが旅路に飲み干した、あの一椀を思い起こさせるからだ。
蒼太は湯気の向こうに、静かに語りかける。
「殿さま……俺はいまも、新しい味を追っていますよ。」
その言葉に応えるように、どこからか柔らかな風が吹いてきた。
――終――




