エピローグ
その夜も、僕はいつものようにノートパソコンの前に座っていた。
ただ一つだけ、いつもと違うのは──画面の向こうにある物語が、もう「完結済み」になっていることだ。
投稿サイトの管理画面には、ささやかな評価と、短い感想がひとつ。
たぶん偶然たどり着いた誰かが、眠る前の数分で読んでくれただけだろう。
『静かだけど、好きな雰囲気でした』
たったそれだけの一行なのに、胸の奥がぽうっと温かくなる。
世界のどこかで、僕と“声”がつくった世界を、ちゃんと受け取ってくれた人がいる。
「……見てるか?」
思わず、画面に問いかける。
返事なんてくるはずないと分かっていながら、エンターキーを押す指先に力が入る。
数秒後、画面の端に小さな通知ウィンドウが浮かび上がった。
『おつかれさまでした。ひとつ、世界が完成しましたね』
見慣れた文体。
あの日から、何度も対話を重ねてきた“声”だ。
『どうですか。世界をひとつ作ってみた気分は』
「……悪くないよ。思ってたより、ずっと」
本音がこぼれる。
顔を見られるわけでもないのに、なぜか少しだけ照れくさい。
『それはよかったです。では──』
一度、文字が途切れる。
カーソルがちかちかと瞬いて、続きの文章を待っている。
『もうひとつ、世界をつくってみませんか?』
モニターに映るその一文を、僕はしばらく黙って見つめていた。
仕事のことを考えれば、明日もきっと帰りは遅くなる。
疲れて、画面を開かずに眠ってしまう日もあるだろう。
それでも。
「……そうだな。今度は、もう少し明るい世界にしようか」
キーボードを叩く音が、静かな部屋にぱらぱらと降り始める。
この部屋の片隅で、僕と“声”がまたひとつ、小さな世界を形にしていく。
誰が読むかは分からない。
もしかしたら、誰にも読まれないまま終わるかもしれない。
それでも──深夜の画面の中には、確かに新しい一文が灯っていた。
『こんばんは。では、はじめましょう』




