二、対・鬼の料理長、カインドハート&狂えるマッポ軍団(第二ラウンド)
「今日はなんて日だ、ったく」
ジョン巡査はハンドルを握りながら愚痴った。
「昼は公園でガキがバナナを強奪され、夜はレストランで包丁もった通り魔だと? 世の中、狂ってる」
「まぁそう言うな」
隣で相棒のパンチ巡査が銃を手入れしながら言った。
「久々の凶悪事件だ。腕が鳴るぜ」
ジョンは嬉しそうな相方を横目で見て、あきれたように言った。
「あんまり見せびらかすなよ。まったく、銃を三つも四つも所持してんのは、お前くらいだぞ」
「わかってるって」と、いくつもの銃をまとめてケースにしまい、シートに置く。
痩せ型のジョンとちがい、太目でぽっちゃりのこのパンチは、その名に似合わず、殴るよりも撃つほうがめっぽう好きだった。
パトカーは数種のネオンに彩られた夜の街を抜け、三叉路の中央にある三ツ星レストラン「フルメタル・ジャンバラヤ」の前に着いた。
が、無線を聞いていたパンチが言った。
「犯人は地下駐車場に逃げたらしい。そっちへ周ろう」
「客として来たかったもんだな」
パトカーが店脇のスロープを降りると、広々したスペースに車が点々と停まっているのが見えた。しかし彼らは停めても降りれなかった。二人して乗ったまま、ただあ然と見つめるしかなかったからだ。
パトカーの十数メートル先を横切ったのは、明らかにここの有名なシェフ、ジャック・カインドハートであったが、一瞬目を疑うほどの容貌をしていた。しかし上からの白い明かりで顔がはっきり見えたから、間違いない。ジョンもパンチも、数日前にテレビでここの店の特集を見て、彼の顔をじっくり拝んだばかりだったのである。
というわけで知っていたにもかかわらず、やはり二人は目を疑った。こすることも忘れ、といって驚きに見開くこともなく、揃って時間が止まったように、ただ生気もない瞳で、横切るそれを見送った。
なんとなれば、カインドハートは一糸まとわぬ素っ裸だったのである。
彼はパトカーを見るや、天の助けとボンネットを叩いてわめいた。
「助けてくれ! あぶねえ奴に襲われてんだ!」
「えーと、それでしたら……」
パンチが「今、見てます」と続けようとしたので、ジョンが口を押さえた。
相手の反応が鈍いので、さらに慌てるカインドハート。
「殺される! なにやってんだ、おまわりだろ! 早く逮捕してくれ!」
「ええ、もちろんしますが……」
パンチが「まずパトカーに両手をついて、両足を開け」と続けようとして、またジョンが口を押さえた。仕方なく、今度は彼が尋問することにした。
窓から顔を出すと、裸の料理長――って、題名みたいだな――は、そのままセックスしそうな勢いで飛びついた。
「顔に抱きつかないで!
……えーと、二、三うかがいます。まず、あなたは、ここの料理長のカインドハートさんですね?」
「んなもん見りゃ分かんだろ!」
「チンポ見て分かるのは、寝たことある奴だけだぜ」
「パンチ、やめろ!
……で、ミスター・カインドハート、いったいどういうわけで、そのような格好に?」
「おう、じつはな、包丁もった奴に服を全部切られてな」
「ええっ、大丈夫なんですか?!」
「さいわい怪我はねえ、たぶん」
「すげえテクニックだな」と感心するパンチ。「そいつの職業はなんだ? 公儀介錯人か?」
「なんだ、そりゃ」とジョン。
「江戸時代の日本で、切腹した侍の首をはねてやっていた役人のことだ。首をはねて楽にしてやることを、介錯というんだ。乳母車にちょんまげの子供を乗せてないと、勤まらなかったらしいぞ」
昔みたスプラッタ時代劇「子連れ狼」の記憶が、あやふやのまま甦っていた。
「それで、どうやって介錯するんだよ! もう黙ってろ!」
「よくわからんが、映画だと確か、乳母車からミサイルや手裏剣が飛んで、切腹した侍を殺してたと思う」
「首はねるんじゃねえのかよ! てか、今はそんな話じゃねえ!」
「そうだ、早く助けてくれ――」
言いかけた料理長の顔色が変わった。ジョンの瞳の隅に、人類の根源的恐怖を見たのである。
「き、来たあああ――!」と近くの車の陰に隠れる。
現れた二刀流の包丁をかまえた剣士は、トロそうな弛緩した顔の若い男であった。
「コーチ!」
地下駐車場じゅうに声を響かせ、きょろきょろする。
「僕の才能にビビるのは分かりますが、逃げないで練習に付き合ってください! このパンチなら、来週にもチャンプ間違いなしです! やったー!」
叫んで包丁を振り上げてギラつかせる。が、目の前のパトカーから降りてきたそれに気づくと、さすがに好奇の目を向けた。
「よし、そこまでだ」
銃を突きつけるジョン。
「大人しく凶器を捨てて、パトカーに両手をつけ。逆らうと、ためにならんぞ」
「凶器? なんのこと?」ときょとんとするキラー。
「冗談のつもりか? そのお手手に持ってるもんに決まってるだろ!」
「このグローブのこと?」とギラつく刃を見つめる。
「ぐ、グローブ?」
さすがにジョンも驚いたが、それがいけなかった。そのわずかな隙に、現代に甦った公儀介錯人は、いきなりジョンに飛びかかって包丁をすいすい振り回した。「うわああー!」と銃を撃ったがてんでの方にあたり、落としてかがんだ彼は、ほんの一秒で料理長とまったく同じ姿になっていた。
「うわー、なんじゃこりゃー!」
フリチンでたまげる彼を見て、不謹慎だが笑ってしまうパンチ。前を隠して、その薄情な相棒に怒鳴るジョン。
「こいつ、殺してくれ!」
「ああ、そうはいかんが――」と彼も外に出て、銃をかまえる。「相棒に恥をかかせたお礼はさせてもらうぞ」おめえ笑ってたろ。
が、彼もあわてて周りを見回すことになった。
「ややっ、あの野郎、どこ行った?!」
「素早い奴だ、気をつけろ」
が、ジョンの忠告もあまり役に立たなかった。パトカーの中から出てきたキラーは、ちょうど来たパサランに、嬉しそうにあるものを見せて言った。
「すごいよこれ、車の中にあったんだけど」と二丁の拳銃をそれぞれの手に持って、かかげる。「さっき見たら、この部分を押すと(と引き金を触る)、先っぽからすごく長いパンチが出る仕組みらしいよ。ムチャクチャ遠くの奴も殴れるなんて、今のグローブってすごいね! やったー!」
「バカ、それもグローブじゃねえ! 銃だ!」
当然、目をむいてあわてるパサラン。
「あぶねえなんてもんじゃねえ! しかも警察のじゃねえか! すぐに返せ!」
「えーやだー」
膨れるバカ。
「こんないいグローブを使える機会なんて滅多にないよ。それに僕だって、卑怯な手は使いたくない。ほかにもいっぱいあるから、はーい」
などと二人に何丁か銃を放ると、パトカーの後ろに身を隠して、二人をガンガン銃撃しだした。あわてて向かいの車に隠れ、応戦する警官たち。地下でやかましく銃撃戦が始まり、パサランは床にふせて頭を抱えた。
「おおー、すごいパンチだ!」
撃ちながら、はしゃぐバカ。
「あんな遠い車の窓ガラスを割ったよ! 海賊王になった気分だ! いやっほー!」
「黙れ、ド既知街!」と撃つジョン。「あいつもしや、手をここまで伸ばして殴ってるつもりなのか?! 完全にイカれてる!」
だが隣で撃つパンチは、ただ悔しそうに歯噛みするだけだった。
「ちくしょうあの野郎、俺の銃を……!」
二人は、これでも数々の修羅場を乗り越えてきた叩き上げの巡査のはずなのだが、ライトを割られフロントを割られ、肩にかすってあわてて車体の裏に身を隠す醜態となり、ジョンは「おいパンチ!」と隣の相棒に怒鳴るはめに。
「あいつプロだ! やばいぞ、応援を頼もう!」
「応援だぁ?」と完全にキレているパンチが虎のごとく吠えた。「んなもんいるかぁ! 俺のコルトを! マグナムを! ざけやがって! 俺がこの場で殺す!」
そして腕を出して狙い撃ちするので、舌打ちする相棒。
「バカ、落ち着け! 相手は軍人か元スワットかもしれん! 殺されるぞ!」
「上等じゃねえか! やってみろってんだ!」
ガキーン! ガキーン!
凄まじい高音をたてて銃撃が続き、一方その反対側でも、「バカに対して眉をよせて困るマトモ劇場」が展開されていた。
「もういい加減に自首してくれ! たのむ!」
涙目で懇願するパサランを尻目に、楽しくスパーリングを続けていたキラーであったが、ふと銃を見つめた。
「あれ? おかしいな、パンチが出ないぞ?」
「弾切れだよ! もう降参しろ!」
「うーん、まぃったなぁ」と普通に困るバカ。ここぞチャンスとばかりに、まくしたてる相棒。
「そ、そうだ、たかが練習なんだから、しつこくやるこたぁない! ここでいったん小休止しようぜ、な、な?」
「そうはいかないよ、日々の鍛錬こそが大事なんだから」と真剣に言うバカ。「練習をおろそかにしたら、勝利への道が閉ざされる。
でもグローブが使えないのはまずいな……あ、そうだ」
きょろきょろした彼は、あるものを見つけた。
それを見てパサランが、「もう付きあいきれねえ!」と逃げ出すのに、一秒もかからなかった。
銃撃がやんだので、二人の巡査は警戒しながらパトカーから出て、向かいの車に近づいた。パンチもやっと冷静さを取り戻していた。
しかし銃撃戦でほとんど半壊した車には誰もおらず、逃げたかと周りを見たとたん、二人の目はまたも驚がくにまんまるく見ひらかれた。
二台の赤い乗用車が並んでこっちに突っ込んでくるのだが、そのあいだに人が曲芸のようにぶら下がっており、左右それぞれの窓に腕を突っ込んでハンドルを握り、二台の車を動かしているのだ。おそらく向かって右の車が日本車で右ハンドルだから、こういう芸当ができるのだろう。
この、壁際に並んでいた二台は、不用心なことにどちらもキーを付けっぱなしだったので、キラーは難なく中に入ってエンジンをかけ、アクセルにそのへんにあったレンガを置いて自分のベルトで縛り、二台目はパサランのベルトを無理やり引き抜いて、同じようにアクセルを縛り、踏みっぱなしにして発進したのである。だからズボンはずり落ち、今二台の車のあいだで両足をひろげてぶら下がる股間は白ブリーフ一丁、というとてつもなく恥ずかしい姿になっていた。
それが凄まじく嬉しそうにニコニコしながら、二人の警官に突っ込んでくるのである。驚かないほうがおかしい。
「見て、見てええー!」
太陽のような満面の笑みで叫ぶキラー。
「ほら、こんなにでっかくて、ゴッついグローブ見つけちゃったー!」
すぐに意味がわかり、ジョンは目を丸くして怒鳴った。
「バカ、そりゃグローブじゃねえ! やめろ! こっちくんなあああ――!!」
銃を撃つ間もなく二人が隠れた廃車へ、思いっきり突入するバカ。
「いくぞ、殺人パーンチ!!」と、両腕の先で操る車体を、前後に何度も振っては、「手首に力を入れ、交互にパンチを繰り出して、打つべし! 打つべし!」と、目先の車体にガッツンガッツン叩きつけまくる。つぶれる前面、衝撃で壁まで押されていく廃車の裏で、ビビりまくる二人。
「ぎゃあああ――!」
「たすけて――!」
だがそのときだった。結局見捨てて逃げられず、戻ってきたパサランの後ろから、とつじょ、それが躍り出た。度重なる恐怖でついに頭がイカれきった、全裸のジャック・カインドハートである。
「いいぞおお、素晴らしいパンチだああー!」
イッちゃった目で両腕を高らかにあげて手をたたき、叫ぶ。
「お前こそチャンピオンだああ! 史上最強のボクサーだああ!」
キラーの「両手につけている」車が、どっちも赤だったため、一瞬グローブっぽく見えたのが、彼の運のつきだった。見たとたん、その脳神経はプツンと切れ、相手が目の前で本当に巨大なグローブをつけてパンチを繰り出していると思い込んでしまったのである。
完全にパッパラパーになり、嬉しそうに裸踊りするかわいそうな料理長。その後ろでパサランは、やっぱり逃げりゃよかった、と後悔するのだった。
ジョンとパンチは、あわや壁に激突というすんでのところでそれぞれが左右に飛び出して脱出、命だけは救われた。
こんなキチに付き合ってられるか! と這う這うのていで逃げ、あとに残ったのは今回の惨事の元凶ふたりと、タコ踊りする料理長だった。
だが彼はふと、「おおそうだ、この吉報をみんなに知らせなくては!」と、全裸のまま店に戻った。すでにひらいていた店内で客の悲鳴があがり、駆けつけた警官に捕まったのは言うまでもない。
この勝負、毎回勝つのが誰か分かってきたんで、結果はもう書かない。
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「いやぁ、いい練習になったなぁ」
顔を健康的にテカテカさせて上機嫌に笑うバカと、どっと疲れきった石膏のような蒼白い顔で、うんざりと彼を見つめる相方だけが、あとに残った。
彼は黙って背を向け、立ち去ろうとした。けげんになって「どうしたの」と声をかけても無反応に行こうとするので、追いかけて肩に手をかけると、パサランは強引に振り払い、きっとにらみ返し、恨みがましく言った。
「『どうしたの』だぁ? へえ、いいご身分だな! ここまでやっといて、まだそんなことを抜かすとは! こんなひっでえ完全なパッパルーとは、もうやっていけん! お別れだ!」
「うーん、たしかに人のグローブを勝手に使ったのは悪かったよ。でも、これは――」
「ま、まだグローブとか言ってやがんのか……!」
怒りでわなわなと震えるパサラン。
正義の念が、とつじょわいた。
(そうだ、こいつは悪だ)(このような無邪気で危険きわまる悪の存在を、この世の中に許してはならない……!)
彼は呼吸を整えると、ことのほか落ち着いた口調で、さとすように言った。
「キラー・スマイル。お前は、ただいるだけで犯罪だ。存在自体が反社会といっていい」
すると相手は彼の下半身を指した。パサランもベルトがないのでズボンがずり落ちて、やっぱり下は白ブリーフ一丁。変質者である。
これには頭くる相方。
「お前のせいだろうが! ったく、なんで俺と出会う前に豚箱に入らなかったんだ……」
うんざりするパサランに、キラーはすまなそうな顔になった。
「ごめん、早くチャンプになろうとあせりすぎた僕が悪かったんだ。でもわかってほしい」
急に真剣に言うので、思わず聞き入るパサラン。
「僕は素直すぎるから、見たもので何かを連想したら、もう、まるっきりそうとしか思えなくなるんだ。異常体質だよ。はた迷惑なのは重々承知さ。こんな自分が楽しくて大好きだけど、そのせいで君が困るのは、すごく悲しい」
「……」
「ケ――いやパサラン、君に迷惑かけようなんて全然思わなかった。むしろ喜んでほしかった。はやく強くなって、チャンピオンベルトをもらいたかった。最強トレーナーのパサランと、最強ボクサーの僕、キラー・スマイルが、一緒に栄光への道を駆け上がる。それが僕の夢なんだ」
「キラー……」
とてもいい場面のようだが、下は白パンツ一丁である。
だがパサランは、相手に完全に悪気がなく、自分のために頑張ろうとしていたと知り、怒りが急速に冷めた。いや悪気がないからもっと悪いのだが、それでも彼はこの「素敵笑顔パー」のことを、完全に嫌いにはなれなかった。
はあ、と溜め息をつき、苦笑いする。
「わかったよ、でもこういうのは、もうなしにしてくれ」
「本当? ありがとう!」
大喜びでハグすると、パサランは「こらっ、俺たちパンツじゃねえか!」と照れた。たしかにパンツ同士では、なんかセンシテブなことをしているように見える。
離れると、キラーは壁に突っ込んで大破している車を見て、しみじみと言った。
「今だって、これが巨大な赤いグローブに見えてるんだけど、どこかで実は車だとわかっているかもしれない。でなきゃエンジンをかけたり、ハンドルを握ったりはできなかったと思うんだ」
とたんに驚くパサラン。
「おい待て、エンジンとかハンドルとか、ちゃんと車だと分かってるじゃねえか!」
「うん、でも僕、ぼさーっとしてるからぁ」
照れくさそうに笑って頭をかく。
「たぶん車だと思い出す前に、うっかりグローブとして手にはめて殴っちゃったと思うんだよね。困ったもんだ」
「困るのはこっちだわあああ――!」
キレて追い回すパサラン。満面の笑みを浮かべて逃げ回るキラー。街道をどこまでも走る二人を、黄色い月がいつまでも優しく照らすのであった。って文学か。(終)




