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一、対・鬼の料理長、カインドハート(第一ラウンド)

 ボクシングでチャンプになるには、まずはジムで練習しなくてはならない。そう言うが早いが、いきなり近くの公園のジャングルジムに登って、ゴリラのようにウホウホはじめたキラーを引き出すのに、パサランは、ジャングルジムからあわてて降りた子供の持っていたバナナを奪って彼をおびき寄せる、という非道をせねばならなかった。


「なんでゴリラの真似なんか――あっ待て、言わなくても分かる!」

 道で問い詰めようとしたパサランは、はたと黙った。まだ会って数時間もたっていないのに、相手の行動原理をつかめはじめていた。


「どうせ、ジャングルだからって猛獣の真似すりゃいいと思ったんだろ」

「そう! すごい、よくわかるねえ!」と嬉しそうに笑うキラー。「この完全に終わった理解力は、君も僕に劣らぬすさまじいバカと言わざるをえない」

「うるせえ! あそこはジムはジムでも、子供の遊び場だ!」

 だがパサランが指差して怒鳴っても、バカの興味は、もうよそに移っていた。



 塀の壁に貼られたそのポスターには、グローブをつけてこっちに構えているボクサーの絵が描かれ、その上に黒の太字で「ボクシングジム、バルボア・スターで、君もチャンピオンを目指そう! 新人ボクサー募集!」と書かれている。

「ほら、ここで募集してるよ」

「おー、ほんとだ! よし、ここで修行して、二人で天下を目指そうぜ!」


 だがやる気満々でファイティングポーズするパサランに対し、キラーはかなりさめた目で言った。

「二人でって、君はなにすんの?」

「えっ? そりゃ、お前を一人前にするためにトレーニングするに決まってるだろ」

「だって、このジムにはもうトレーナーいるから、君は必要ないんじゃないの?」

「うっ、そ、それは……!」

 痛いところをつかれ、あせるパサラン。


 じつは昨日、所長と喧嘩してジムを追い出され、途方にくれていたところに、この金の卵と出会ったのだが、そのことを言うわけにはいかなかった。


「さっき聞きたかったんだけど」とキラー。「君トレーナーなのに、なんでジムがないの?」

「そ、それはだな……」

 急いで思考をめぐらせる。

「そ、、そうだ、俺は流れのトレーナーで、とくに所属のジムはないんだ! さすらいの一匹狼ってわけさ」と、いきなり赤い薔薇をくわえて目がキラーン。一匹狼の解釈が何かおかしい。

「うわぁ、なんかカッコいいねー」

 バカが騙されてほっとしたパサランだったが、バカもバカなりに鋭かった。

「でもそしたら、このジムに入ると、君は用なし、ってことになるよ?」

「いや、そこに俺も所属するから、大丈夫だ! そうそう、そうやってジムを渡り歩いてるんだ俺!」

「ほんとー?」とジト目。

「ほんと、ほんと。なんせ俺は、一匹狼だからな!」と薔薇くわえて目がキラーン。

「わぁ、カッコいー!」

「ふふん、まあな」と腕組みで笑う。

「さすがはケサラン・トレーナー」

「パサランだ!」



 しかし彼らは目的地に向かいながら、もうナイスな思い違いをしていた。ポスターの貼ってある塀の裏に三ツ星レストランがあったのだが、二人はそこがジムだと勘違いしたのである。

 キラーはまだ分かるが、まともなはずのパサランも、一緒にいることでバカが移りつつあるのか、「建物の塀にポスターがあるから、そこがそのジムである」という短絡的解釈に、うっすら疑問を持つ程度で、「まぁいいか」と納得してしまった。


 これが表の、立派なガラス張りの自動ドアになっている入り口から入ろうとしたなら、軒下にペンキで書かれた店名のしゃれたロゴや、脇のショウウィンドウに置いてある様々な豪華料理の見本から、「どう見ても、ここは客がものを食う店だ」とすぐに分かったろう。

 だが不幸なことに、塀に貼ってあるポスターのそばに、ゴジラがチョップでかち割ったようなでかい裂け目があって、裏口から入れるようになっており、二人はそこから店内に入り込んでしまったのだった。



  xxxxxx



 いきなり厨房であった。

 両脇にシンクや長々した調理台の並ぶ銀一色のせまい通路をきょろきょろし、後ろを行くパサランも、さすがに不安になった。

「おいここ、料理屋かなんかじゃないのか?」

 前に囁いたが、先頭のキラーはニコニコと「外にボクシングのポスターがあったんだから、ここで間違いないよー」と言うばかり。

 これで誰か従業員でもいれば追い出されて終わりだったろうが、(この店にとって)とてつもなく不幸なことに、まだ夕方の開店には三十分以上も早く、誰も出勤していなかった。


 いや正確には一人、一番乗りの社員が奥の更衣室にいた。

 このレストランの中年のコック、ジャック・カインドハートである。




 味と礼儀に凄まじく厳しい彼は、長年「鬼の料理長」の異名で呼ばれ、ここで働く大勢の部下たちに等しく怖がられていた。はげ頭でいかつい顔つきの、鷲のように眼光鋭いカインドハートは、コックの例に漏れず、軍人を思わせるがっしりした体格だった。背が高くやや猫背の彼は、これも鷲で悪いが、いつもフックのような鷲鼻を部下に向け、突き出た顎を小刻みに動かしては、的確な指示を出すのだった。客が来ない開店前は常に怒鳴りまくるから声はつぶれてハスキー、いかずちのごときわめきが店の隅々にまで通り、厨房はさながら原始人の暴れ狂う洞窟の様相を呈する。おたまの裏などでコツンと痛い程度に殴られることもあり、部下のコックたちには恐怖の時間である。


 だが、開店したからって気は抜けない。見回る料理になんらかの落ち度を見つけようものなら、背にくっ付かれ、目の前の料理を指されて、肩越しにドスのききすぎた声で「おめえ、なにやってんだ……」と不気味に囁かれて、半泣きになるのである。そして作り直してもまたダメなら、「おめえ、あとで休憩室に来な……」となる。

 この休憩室行きが、二度目で首である。だからコックの入れ替わりは、ほかのどの店よりも激しい。コックたちは、料理長の目にかなうために必死で働く。

 そんな恐ろしい銀ぴかの魔窟に、パサランたちが入り込んだわけである。



 カインドハート料理長が白衣に着替え、ここの長を示す長い筒状の白帽をかぶって調理場に出ると、通路に見慣れぬ二人の男がいる。バイトは使わないから正社員のはずだが、あまりに首が多いので、いちいち憶えていなかった。


 新人と決めつけ、彼は二人に近寄った。

「おう、二番手とは早いじゃねえか、感心だ」

 口元を吊り上げてニヤけて言い、メニューをずらりと書いた紙を渡した。

「おら、今夜のぶんだ。仕込みは済んでっから、準備だけしとけ」

 そして二人をじろじろ見て付け加える。

「まずは着替えてきな。五分だぞ」


 彼がてのひらをあげて言い捨て、くるりと背を向けて去ると、キラーはもらったメモを見て眉をひそめた。

「なんたらポトフに、なんちゃらシチューのうんたら風? ケサラン、これって普通の練習メニューなの?」

 パサランはひったくってまじまじと読み、たちまち顔色が変わった。

「レストランのメニューだぞ、これ! やっぱここは厨房だ! やべえ、とっととずらかろう!」


 だが、アホはそう簡単にはいかない。

「なんだ、やっぱりメニューか」と安堵して笑う。「じゃ、これにしたがってトレーニングしよう。えーと、グローブとかサンドバッグはどこ?」

 などと見回すアホにキレかかる相方。

「ポトフやシチューにどう従うんだよ! ここはジムじゃねえ、レストラ――あっこら、聞いてんのかっ!」

 相棒のありがたいお言葉を聞きもせず、壁にかかっている銀ぴかのおたまやフライ返しを取って、しげしげ見るキラー。

「へえ、変わったグローブだねえ」

「まじめにそんなセリフ言うんじゃねえ! さっさと戻して、ここを出るんだ!」

「またぁ、自分がこんな高級なの使ったことないからって、そうひがまなくても」と、おたまを見入る。「しかし、いいグローブだねえ。これで人を殴っても、ビクともしそうにない」

「そんなもんで殴るのはコントだけだっ!」

 いくらキレられても気にもしないキラー。最初に言ったように、なんせ彼はとてつもなく、バカの領域に達するほどに素直なので、おたまがひとたびグローブに見えるや、完全にそうだと思いこんでしまう、という特異体質をしていた。


「でも手首のとこが細いのが、ちょっとなぁ」と長い柄を見る。「対戦相手が、こういうのをはめて殴ってきたら、簡単に折れそうだ」

 そう言って、壁ぎわの洗いもの立てに何枚かさしてある、まな板を指す。さらにキレるパサラン。

「そんなもん、はめる奴はいねえんだよ!」



 そこへ、運悪く鬼が戻ってきた。二人を見るや、ただちに顔をしかめ、調理台を指さして怒鳴る。

「なんだ、準備の『じゅ』の字もしてねえうえに、着替えてもいねえのか!」

「すみません、さっそくやります」

 バカは謝ると、二つのおたまを両手に持ち、いきなりシュッシュと交互に突き出しはじめた。そして、おたまのアタマ(ヨーヨー、韻踏んでるぜベイベエ)で、なんといきなりカインドハート料理長の右頬を、思いっきりぶん殴ったではないか。

 バキイイッ!

「ぐはああっ!」

 当然、よろけるおっさん。


「てっ、てめえ、なにすんだっ!」

 あわてて白帽をなおし、目ん玉とび出て驚くおっさんに、「あっ、そうですよねえ」と頭をかいて苦笑するキラー。パサランは隣でションベンちびりかけるほどビビっている。

「やっぱり、こっちのほうが丈夫でいいですよね」

 などと、バカは今度は壁ぎわの洗いもの立てのまな板を二枚取り、それぞれの上にあいている指入れの穴に指を入れて両手に持つと、二刀流でまな板を振り回して、角で料理長の顎を思いっきり直撃した。

 ガッツーン!

「ふんぎゃああ――!」


 叫んでひっくり返り、完全にぶちキレて起き上がったその目は、怒りで列車の停止信号のごとく、赤くらんらんと輝いている。

「そうかてめえ、やろうってんだな! おーし、相手になってやる!」

 超慌てで両手を振って弁解せんとするカワイソーな相方。

「ち、ちがうんです! これはその、誤解というか――そうだ、こいつ病気なんです、すいません!」とバカを指さす。まぁ、ある種の病気なのは間違いなかろう。「すぐつれて帰りま――」


 彼は止まった。その病人は、引き出しから恐ろしい物体を出して、自転車のLEDライトのごとく目をキラキラ輝かせていたのだ。それは二本のぶっとい出刃包丁であった。

「おおー! こんなにいいグローブがあったとは! 隠すなんて人が悪いねえー」

 あんまりな展開に、目が飛び出そうになるパサラン。

「バカ、そりゃグローブじゃねえ! 包丁だ!」

「うーん、この鋭さ! かなりの殺人パンチが出せそうだ!」

「殺人パンチじゃなくて、ただの殺人じゃねえか! やめろ!」


 しかしバカは二つの刃物を両手で持つと、そのままただなんも考えずに、いきなり料理長にとびかかった。

「きええええ――!!」

 白目むいて奇声を発して、二つの出刃包丁を振り上げて突っ込んでいく人殺し。これにはカインドハートもビビったが、さすがは刃物を使ってウン十年のベテラン、あわてて自分も壁に下がっていた包丁を二本取り、対戦した。

 出刃包丁の二刀流同士の、壮絶な戦いが始まった。鋭い銀の刃がぶつかる音が厨房というリングに響く。

 キンッ! キンッ!

 キキ、キンッ!

「さすがはプロのトレーナー! 鋭いパンチしてるな!」

 笑いながら二本の立てた包丁を突きまくる危ないバカ相手に、必死に刃を振って戦うカワイソウな料理長。

「やめろってめえ! 気は確かかコンチキショー!」

 キンッ! キンッ、コンッ!

 これだけ派手に金属音がしているのに、今はグローブで殴りあっているだけで、じつは凶器で殺しあっているなどとは夢にも思わない、このキラーさんの特殊な大脳を、ニューヨーク大学医学部は研究する価値があるだろう。


 ついにおさえきれなくなったカインドハートは、包丁を捨てて背を向け、「た、たすけてくれええ――!」と通路を逃げたが、キラーはどこまでも追ってきた。

「待てえええ!! ボクシングしろおおお――!!」

 逆手に持った包丁を振りあげ、白目むいて口から泡を飛ばして絶叫しながら追ってくる。その名のとおり殺人鬼である。

 もちろん逃げる料理長には、相手の言っている意味は分からない。やってることが、まったくなにもボクシングじゃないからだ。分かる奴は本人とパサランしかいないだろうが、本人もわかっていないかもしれない。


 カインドハートは更衣室に逃げこみ、中から鍵をかけた。すんでのところで閉められ、木製の扉の表面を、白目むいて理性のかけらもなく、「死ねえええ!! 死ねえええ!!」と刃で縦横に大きく何度も切りつけまくるキラー。

 体当たりでもするならともかく、そんなことであくはずもないのだが、すでに練習モードに入っている熱い新人ボクサーには、わずかの気の迷いもないのだった。やってることは、ただの危ない奴だが。


 カインドハートは奥行きが一メートルもないせまい部屋の壁に張りつき、外から切りつけられる扉の表面から、何度も刃先がズンズンとつき出すたびに、「ぎゃあああ――!! 人殺し――!!」と泣き叫ぶのだった。鬼の目にも涙である。



 しかし、楽しい練習時間はいつまでも続かなかった。出勤してきた社員がこの有様にビビり、スマホを出した。あわてたパサランの妨害にもかかわらず、警察が呼ばれ、どこからかサイレンの音が聞こえてきた……。



 カンカンカーン。

 この試合、第一ラウンドは、キラー10点、カインドハートは頑張って戦ったが、あまり笑えないので8点。



*「古代の宇宙人」並みに、たいして役に立たない豆知識

 片方の点数が6より下がると、レフェリー(作者)が試合を止めるため、それ以上の点差が開くことはない。


 ちなみに、ふつうのボクシングの試合では、片方がダメージを食らうにつれて点が下がっていくので、それがあまりに大きすぎた場合に、レフェリーがストップをかけるのだが、この小説では、片方があまりにも笑えなかったときなので、そうなると、作品が途中で終わってしまいます。

 そうならないよう、なんとか毎回大バカヤロウな対戦相手を出すよう努めますので、今後とも、よろしくお願いいたします(って次回で終わり)。

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