期限付きの婚約者ですが、どうやら彼は本気だった様です
「三ヶ月だけ、婚約者のふりをしてほしいの」
そう言った瞬間、向かいの椅子に座る幼なじみの騎士――レオンは、ぽかんと口を開けた。
「……はあ?」
「だから、三ヶ月。形式だけでいいの。私に言い寄ってくる連中から逃げるための、偽装婚約よ」
「おいリリア。俺はお前の護衛騎士であって、恋人役じゃないぞ」
「護衛騎士だからこそよ。父がね、『今年中に婚約者を紹介しなければ、こちらで相手を決める』なんて言い出したの」
あの頑固な父の顔が頭に浮かぶ。決められた結婚なんて、まっぴらごめんだ。
するとレオンは面倒くさそうに頭をかいた。
「……つまり俺は、貴族の縁談避けに使われるわけか」
「使うだなんて人聞きの悪い。頼むって言っているの」
「……はあ、しゃーねえな。三ヶ月だけだぞ」
「本当に!?」
「ただし――」
彼は指を一本立て、いつになく悪い笑みを浮かべた。
「俺に惚れるなよ?」
その瞬間、心臓が一瞬だけ跳ねた。
馬鹿みたい。冗談に決まってる。そう思って笑い返す。
「惚れませんわ。絶対に」
「よし、じゃあ契約成立だな」
彼が差し出した手を取ると、温もりが指先に広がった。たかが契約、ただの偽装婚約。――なのに。
◇
それから数日後、王都最大の舞踏会。
社交界の面々が集まり、煌びやかな音楽と笑い声が溢れる中、私はレオンの腕に手を添えていた。
「見せつけるように歩け」
「そんな言い方しないで。……ほら、皆の視線、刺さってるわ」
「お前が綺麗すぎるんだよ」
さらりと囁かれた言葉に、また鼓動が跳ねる。
そういうの、冗談でも言わないでほしい。
あの時、彼に頼んだのは“逃げるため”だったのに。
今は――この腕を離したくない、なんて思っている。
「リリア嬢、まさか本当に婚約なさったとは!」
「しかもお相手は、あの騎士レオン殿とは……」
周囲のざわめきの中、彼は微笑んだ。
堂々としたその立ち姿に、私は一瞬だけ見惚れる。
「噂は本当ですよ。リリア嬢は、俺の婚約者です」
「レ、レオン!? そんなはっきり言わなくても――」
「偽装とは言え、礼儀は大事だからな」
そう言って、彼は私の手の甲に軽く唇を触れさせた。
歓声が上がり、顔が一気に熱くなる。
「な、なにを……!」
「婚約者の務めだろ?」
心臓の音が止まらない。
彼の目は真っ直ぐで、どこまでも優しくて。
けれどその瞳の奥に、一瞬だけ“別の何か”が宿った気がした。
この人の中に、私の知らない顔がある――。
そう思った時、胸の奥が少しだけざわついた。
◇
夜が更け、馬車で屋敷に戻る途中。
隣に座るレオンは、珍しく静かだった。
「……どうしたの? 疲れた?」
「いや、ちょっとな。お前が思ってる以上に、面倒な立場に足を突っ込んだ気がして」
「何それ、意味深ね」
「さあな。三ヶ月で終わるなら、それでいい」
その言葉に、少しだけ胸が痛んだ。
終わりが来る前提の関係。最初から分かっていたのに。
私は平然を装って、窓の外を見つめた。
「……ええ。三ヶ月だけ、ね」
馬車の揺れの中、静かな沈黙が落ちる。
夜の街灯が彼の横顔を照らし、淡く光った。
その横顔を見つめながら、私は小さく息を吐く。
(本当に、惚れたりなんて――しないわ)
そう自分に言い聞かせながらも、
心はもう、とっくに揺れはじめていた。
◇
「リリア嬢、あなたの“婚約者”について、聞いたのですけれど――」
昼下がりのティーサロン。
笑顔の裏に毒を仕込むのが、貴族淑女たちの嗜みだ。
私は微笑を崩さず、ゆっくりカップを置いた。
「まあ、どんな話かしら?」
「ご存じないの? “平民上がりの騎士を金で囲っている”って噂。すっかり社交界の話題になっているわよ?」
涼しい顔を装っていても、内心では手が震えた。
誰がそんなことを――。
思い当たる顔が一つあった。
伯爵家の息子、クライヴ。以前、私の婚約を断られた男。
彼の取り巻きがレオンを見下すように笑っていたのを、思い出す。
「くだらない噂ですわ。根も葉もありません」
「でもお父上が、たいそうお怒りだとか……。『そんな男と婚約とは何事か』って」
胸の奥が冷たく沈む。
“父の怒り”――それは、噂よりも厄介だ。
このままでは、レオンにまで火の粉が及ぶ。
◇
「つまり、俺のせいでお前が非難されてるわけか」
「……そんな言い方しないで」
その日の夜、屋敷の庭で。
月光の下、私は彼に噂のことを打ち明けた。
レオンは顔をしかめ、無言で拳を握る。
「誰が流したか、心当たりは?」
「恐らく、クライヴ伯爵家の方々。でも証拠はないわ」
「証拠なんて、俺が探して来てやる」
「待って!」
思わず声を荒げていた。
彼が怒るのは、私のため。けれど――。
「あなたが何かすれば、ますます騒ぎが大きくなる。父はもう婚約を破棄するよう言ってるのよ」
「……それでも、俺はお前を守る」
「やめて」
言葉が震えた。
“守る”と言われるほど、胸が痛くなる。
だってこの関係は、たった三ヶ月の契約で――。
「もういいの、レオン。私たちの契約はここで終わり。あなたまで巻き込みたくないの」
「待て、リリア」
「最初から、これは偽装婚約だったでしょう? 本気になる理由なんて、どこにもないわ」
そう言いながら、自分の声が掠れていた。
彼の瞳に映る自分の顔が、泣きそうに歪んでいたから。
私はそっと指輪を外し、彼の掌に乗せた。
「ありがとう、三ヶ月の間……本当に、楽しかった」
レオンは何も言わず、ただ指輪を見つめていた。
夜風が吹き、彼の前髪が揺れる。
その沈黙が、なによりも辛かった。
◇
翌朝、父に婚約解消の報告をした。
彼は満足げに頷き、代わりに新しい縁談の書類を差し出す。
「縁談相手はクライヴ伯爵家のご子息だ。今度こそふさわしい相手を見つけねばな」
「……承知しました」
そのとき、胸の奥で何かがぽきりと折れる音がした。
これでいい。そう思いたかった。
けれど、夜になっても眠れなかった。
枕元に、彼が残していった手袋が一つ。
何度も触れた指先の跡が、そこにあった。
(レオン……あなたは、今どこで何を考えているの?)
問いかけても、返るのは静寂だけ。
“期限付きの婚約”は、こうして終わった。
◇
婚約の儀は、まるで公開処刑だった。
貴族たちが円形に並び、中央の壇上に私と彼――いや、婚約者となる伯爵家の息子・エドワードが立っている。
「公爵令嬢リリア・セレスティーナ。貴様との婚約を結ぶにあたり、ハッキリさせたい事がある」
堂々たる声が響き、会場にざわめきが走る。
けれど、私はただ静かに息を吐いた。――知っていた。この男がそう言うことは。
「ハッキリさせたい事とはどの様な事でしょう?」
「貴様が平民騎士などという下賤な男と婚約していた事についてだ! 穢らわしい!」
わざとらしい芝居口調。
そして、貴族たちは一斉に同調するように口々に囁いた。
――“平民と婚約するなんて何を考えているのかしら”
――“恥を知れ”
私の父もまた、冷ややかに言葉を重ねた。
「リリア、お前の軽率な行いがセレスティーナ家の名を汚した。謝罪しなさい」
……ああ、やはりあなたも。
私は、もはや家族にも見捨てられたのだ。
「地を這い、許しをこうなら婚約してやるぞ。さぁ、謝罪してみせろ」
エドワードがそう告げると、周りの人間も騒ぎ立て、私が地面に手を着こうとしたその瞬間――重々しい扉の音が、広間を震わせた。
「王命により、隣国アルバート王国の第一王子レオン・アルバート殿下が入場される!」
場の空気が一変する。
ざわめきが波のように押し寄せ、貴族たちが慌てて頭を垂れた。
私は息を呑む。……その名を、私は知っている。
けれど、まさか――。
入場してきたのは、私が幼い頃から知っているその人だった。
鋭く整った横顔、深い青の瞳。
騎士服ではなく、王族の正装に身を包んで。
「な、何故……騎士団のレオンが、殿下だと……!?」
「レオン……アルバート? まさか、あの隣国アルバートの王族……!?」
貴族たちのどよめきが渦を巻く。
レオンはその中心で、静かに口を開いた。
「俺の婚約者を“穢らわしい”と呼んだのは、どこの愚か者だ?」
その冷ややかな声に、エドワードが凍り付く。
レオンの視線はまるで刃のようだった。
「彼女はアルバート王家の正式な婚約者だ」
「そ、そんな馬鹿な……!」
「侮辱した罪、軽くは済まないぞ」
周囲の空気が凍りついた。
父も伯爵も、顔面を蒼白にして膝を震わせている。
そんな中、レオンはゆっくりと私の前に歩み寄り――跪いた。
「リリア・セレスティーナ」
「……はい」
「期限なんて、最初から破るつもりだった。俺はお前を、契約ではなく――心から、愛している」
その言葉が胸の奥に届いた瞬間、涙がこぼれた。
あの冷たい日々の裏で、彼は“任務”として私を守り続けてくれていた。
それを知らず、私はただ「期限付きの恋」だと自分を納得させていたのだ。
レオンは微笑んで、私の手の甲に唇を寄せた。
「ようやく言える。……お前は俺の、唯一の人だ」
――広間が静まり返る。
エドワードの唇が震え、父は言葉を失っている。
私はゆっくりとレオンを見下ろし、唇の端を上げた。
「惚れるな、と言ったのは……どちらでしたか?」
レオンの瞳が、優しく細められた。
「撤回する。今さらでも、間に合うなら」
「ふふ……仕方のない方ですね」
ざまあ、と思った。
自分を見下した者たちが沈黙するこの瞬間ほど、心地よいものはない。
だがその中心で跪く彼だけは、違う。
彼だけは、私の“真実”を見てくれた。
花の香りが漂い、陽光が差し込む。
誰もが見守る中、私は彼の手を取り、言った。
「はい、殿下。……今度こそ、永遠の婚約を」
歓声が上がり、祝福の鐘が鳴る。
伯爵家の冷たい顔が遠ざかる。
そして私はようやく、自由と幸福を手に入れたのだった。
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