#4-A(1/2) 二人だけの忘年会
あの手紙を見せてもらった後、ずっと、その差出人の事を考えていた。どうしてそこまで気になるのかと言われれば――。
「小説を書き始めた……」
その一文が、どうにも私の心に引っかかった。今までもらったファンレターのなかで、「自分も小説を書いている」とか「創作をしています」という声はわずかにあった。だけど「執筆を始めた」というのは初めてだった。
まさか私の影響で小説を書き始めた、なんて……。この手紙が鳳ユキの活動時に届いていたのなら、ただのファンレターの一つとして処理していただろうし、こうしてピックアップすることもなかっただろう。でも、引退して1年経とうというこのタイミングで、私に影響されて始めたとか……。
「……ダメだ」
頭を振って、思考のリフレッシュを試みる。自室のベランダから見える夜景は程よく大人しくて、頭をスッキリさせるには丁度いい、はずだ。
それなのに、私の脳内から「白鳥ヒナ」という差出人の事は、網が絡まったかのように離れてくれなかった。
次の日も、その次の日も、病に陥ったかのように、私の頭にはその差出人の事が居残っていた。……ろくに私生活に刺激も無かったからだろうか、なおさら色鮮やかな存在に思えた。
「あれ? なんかいいことあったっすか?」
バイト中にもそういわれてしまう始末。浮かれてるのか、私。
バイトを終えて、何もない自宅に帰宅。ベッドに座って、スマホを見る。白鳥ヒナ、いったい何者なのか。相手は芸能人でもなければこのスマホで調べていったところで、きっと簡単には出てこないだろう。
それでも私は、その衝動を抑えることは出来なかった。「白鳥ヒナ」「16歳」「女子高生」たったこれだけの、特定などとても出来そうにない要素で絞り込むなんて無謀なことを始めていた。自分でもアホらしいとは思っている。それでも私の心の中の、ただひとつの灯火は無視できなかった。
名前で調べ、小説投稿サイトで調べ、私の名前で調べてファンを探して。残念ながら成果はなかった。
16歳というのであれば、SNS盛りなのでは? 何かしらアカウントはありそうな気がする。と、そのとき思い出したことがあった。
手紙の封筒、そこに書いてあった住所だ。こんなことに知った個人情報を使ってはいけない。わかってはいるのだが……。
だめだ、そんなことに、私の私欲のためにそんなことに手を染めてはいけない……。
覚えている。白鳥ヒナの住所。県、市町村。番地まではさすがに覚えていない。無駄にこんなところに記憶力を駆使している。
「……」
私は愚か者だ。一ファンの善意から届いたファンレター。その個人情報を悪用している。バカだ、馬鹿だと思いつつも、どこか私の中の醜い部分が手を動かすのをやめなかった。
たどり着いたひとつのアカウント。あまりフォロワー数は多くないが、でも確かにこのアカウントから発信されている地域情報は白鳥ヒナの住所に通ずる。
あと「スワワン」というアカウント名。これは白鳥から連想したものだろうか? だとしたら証拠のひとつにはなるかもしれない。
ともかく、宛はついた。ただ、あくまで「かもしれない」という範疇でしかない。ならどうするか。
「……」
この世のSNSには捨て垢という手がある。いわゆるスパムのやり方だけど、それは即ちやる側のリスクも低いやり方ということ。
待て、私は何をしようとしている? 捨て垢? そんなものをつくって、DMでも飛ばそうと言うのか?
「やめろ」
一旦スマホを置いて冷静になろうとする。今から私がやろうとしてるのはかなり問題行動だぞ、鳳ユキ。出版社だって黙っていないし、……露子さんだって、私を見損なうかもしれない。
『先生……ファンの個人情報を悪用するのは、私でも擁護できないわ』
そう言って、今まで見たこともない悲しそうな顔で告げてくる露子さんの想像は容易につく。
「やめよう。今日は頭を冷やそう」
SNSの画面を閉じて、私はベッドに横になる。今日は少し、冷静さを欠いただけだ。今ならまだ取り返しはつく。白鳥ヒナの事は忘れよう。ただ琴線に触れるようなファンレターが一通来た、それだけの事なんだ。人気絶頂期のなかでも、私は届いたファンレターは全て読んで来た。その中にだって、心を動かされたものはあった。ただその仲間の一つが今来た、それだけなんだ――。
翌日、年の瀬も迫ったなかでのバイトを終えて帰宅する。エアコンが起動していない、冷たい部屋。仕事用として一応置いてある机と椅子。そこに座る。
「……」
ダメだった。私はなにか藁にでも縋るような感覚であの白鳥ヒナという人物を探そうとしてしまう。どうしよう。自分で解決できないのなら、誰かに頼るべきなのかもしれない。だけど、その相手と言ったら露子さんくらいしかいない。……逆に考えよう。一度叱られてしまえば、私も反省できるかもしれない。そうしてもらった方がいいだろう。こんな愚か者を、叱ってほしかった。
「もしもし先生?」
電話のむこうに、元気そうな露子さんが出てくれた。
「もしもし露子さん」
「どうしたの? 年末に一人は寂しくなっちゃった?」
ケラケラと笑う露子さんに、私は反応に困ってしまった。いや、これから怒られようとしているというのに、この感じでは切り出せない。
「あ、いや……」
「おっ、たまたま近くを通ったから、寄っちゃおうかな? 先生自宅?」
「あ……はい」
露子さんはパワフルだ。私の雰囲気などお構いなしに、こちらに来る約束を取り付けてしまった。
とりあえず部屋の暖房を入れて、露子さんに出す飲み物を考え、本当に何もそういうのは用意していない自分にため息をついたとき、部屋のチャイムが鳴った。
玄関を開けると、露子さんが立っていた。
「やっほー先生。元気だった?」
「は、はい」
と気付いた。お酒のにおいだ。もしかして飲み帰りか?
「ねー、二次会しません? 女二人で」
「露子さんずいぶん飲んだんですね……?!」
私は露子さんの酒癖はよく知らない。私の前で露子さんは酒を飲んだことがないからだ。でもとても嫌な予感がする。
「おじゃましまーす……わぁ、なんにもない部屋! 仕事部屋みたい!」
「……」
それはそうなんだけど。この部屋に越してきて一年、本当に趣味を感じるアイテムは置かれなかった。
「ちょっと寒いですねぇ~ こたつ……こたつないんだぁ」
「すいません、ないです」
しまったな、と後悔の苦みを感じていた所で、露子さんは絨毯の上に座り込んだ。そこには丁度ローテーブルがある。
「えへへ、座ってくださいよ先生ぇ」
「は、はぁ……」
酔っ払いに誘われ、私は露子さんの対面に座る。見れば見るほど、露子さんは酔っぱらいの形相だ。顔は赤いし、ほんのり目が潤んでいるし、そして頭がふらんふらん揺れている。
「あの……露子さん、うち、ロクに飲み物がなくって……」
「だいりょーぶだいりょーぶ、わたし、そんな無粋なまねはしませんからぁ」
すると、持っていたバッグからチューハイが2缶出てきた。ご丁寧に私の前に一つ。もう一つはなんと露子さんのところ。
「露子さん、これ以上飲むんですか?!」
「これ以上……って、私まだビール二杯しか飲んでないよ?」
うーん、なんとも言い難い量だ。酔う人は酔うし、酔わない人は酔わない絶妙な量。でもこれ以上飲ませたら露子さん明日大変じゃないだろうか?
「先生、私と飲みたくないんですか……?」
うるうるとその目を煌めかせて、私を覗き込んでくる。そういう言い方はやめてくれ露子さん。断れない。
「……飲みますよ」
カシュ、と缶を開けると、露子さんは子供のように喜んだ。この人はあれか? 飲むの好きだけど、あんまり飲んじゃいけないタイプ?
「じゃあ先生、一年間お疲れ様でしたぁ! かんぱーい!」
かん、と私たち二人の忘年会が始まった。