#16-A はばたきの時
「証明するって……どうやって?」
ヒナちゃんは自信なさげに問いかける。誹謗中傷をする輩という共通の敵。そんな奴らを見返すために何が必要か?
そんなもの、嫉妬が追いつかない程の栄光だ。
「書くんだ。そんな不埒な奴らに負けない……って言い方はアレだけど。そんな馬鹿な奴らをとことん見下ろすために。私は書く」
「……そんな、アバウトな。先生だって、一度筆を折りかけたじゃないですか」
「うん。でも、今は折れてない。それに今、書くエネルギーは無限に湧いてる」
「無限?」
ああ。ヒナちゃんが間違っていないこと、誹謗中傷するようなクソッタレどもを笑ってやること、必ず最後は愚かな連中には勝つと証明すること。――そんな気持ちがいっぱい、筆のインキとなってくれる。
「ヒナちゃん。まずはお疲れ様。小説一本書くのって、疲れるでしょ?」
「え?」
そうだ。ヒナちゃんと話をしたい事っていうのは、なにも彼女の悲しい話ばかりじゃない。労ってあげたかったのだ。
「まずはさ、打ち上げでも行かない?」
「え……! そ、その……いいんですか?」
「いいも何も。私の旅行っていうのは、そういう目的だよ?」
「旅行!? 先生、ここにどれくらい滞在するんですか!?」
「一泊二日。明日まで遊べるとも」
この時間は、ヒナちゃんと一緒に遊ぶために使うと決めている!
「ちょ、ちょっと! 今から準備しますから!」
「わかった」
部屋のカーテンを開ける。暗かった部屋が一気に光に包まれて目がくらむ。今日の天気は晴れ。快晴と言ってもいい。お出掛け日和だ。私はスマホのメッセージアプリを開いて、露子さんに文を送る。
「ヒナちゃんと一緒にお出掛けします」
「足ですか? 任せてください」
自ら足役を買って出るとは。露子さんがそれでいいなら、いいけれど。
ヒナちゃんの家族に見送られて、露子さんのレンタカーは行く。助手席を空けて、後部座席に私とヒナちゃん、二人並んで座った。
「え、えーっと、初めまして……」
「あら、あなたのことは聞いているわ。鳳ユキ先生の担当編集、烏丸露子です」
運転席の露子さんがにこやかに話す。面識のない二人だったけれど、ヒナちゃんはすぐに固くなっていた肩を降ろした。
「担当編集って、ドライバーもやってくれるんですね」
「露子さんが特例なだけだよ」
「そうよ。私の担当のなかで一番の有望株の鳳先生には、とことん尽くすって決めてるんだから」
「……この人、もしかして結構変な人ですか?」
ヒナちゃんが小声で問う。私が「そうかも」と答えると、ヒナちゃんは苦笑いを浮かべた。
まず着いたのがこの街のショッピングモールだ。ヒナちゃんに希望の場所を聞いてみたところ、おずおずと答えた場所だ。
「結構大きいな」
「はい。……私たちの街のより、大きいかもしれませんね?」
「そうなんですか?」
私の学生時代、地元にこんな大きなショッピングモールなんてなかったのだから、少しヒナちゃんが羨ましい。
入るとやっぱり、解放感も感じる大きさだ。いやーデカいデカい。一日ここで潰せてしまいそうだ。
「何か買いたいものが?」
「えーっと……服とか、見たいなって」
服か。そう言えば私もあんまり最近買えていない気がする。いい機会かもしれない。
衣服のお店(ここもヒナちゃんご指名だ)に入ると、ヒナちゃんははしゃぐように前を行く。
「これとか……私に合いますかね?」
「んー?」
ヒナちゃんが取り出したのは、今着ている服よりもかなり大人しくてガーリーな服だ。そうだなぁ……。
「似合うと思うよ」
「お世辞ですか?」
「まさか。着てみるといいよ」
試着室でヒナちゃんが着替える。
「……ヒナさん、いきなりお洋服のことを聞いてくるんですね?」
露子さんが何か思ったのか、私に聞いてくる。
「いいと思いますよ。あまり畏まっててほしくないし。今日は友達として会いに来たんですから」
「なるほど。そうですか……」
すると露子さんは何やらメモをしている。一体何を書いているのかは分からないけれど、なんだかロクでもないことを書いてそうな気がしている。
ヒナちゃんが試着室のカーテンを開けた。そこに立っていた16歳の少女に、私は驚く。
「ほぅ……」
作品のネタの一つに仕込みたいと思った。さっきまでちょっと垢抜け足りなかった少女が、一気に大人に近づいたような、不思議な感動。具体的には雰囲気がガラリと変わって驚いたのだ。
「どうですか?」
「すごい。まさか私の弟子がこんな可能性に満ちた子だったなんて」
「どういう褒め方ですか!?」
思わず私は拍手をしていたみたいで、背後から露子さんも合わせて拍手を送ってきて、そのことに気付いたのだ。
「恥ずかしいですよ! もう!」
勢いよく試着室のカーテンは閉じられた。あーあ、もうちょっと見たかった気持ちもある。
衣服店の次は焼肉店だ。丁度いい時間帯だったのと、打ち上げだからとでそれを選んだ。
「あの、お金は……」
「全部私が払うとも」
「やったぁ!」
……そうはしゃいだのはヒナちゃんだけじゃなかった。
「露子さん? あなたはいい大人でしょう?」
「女に二言はありませんよね? 先生」
「――ハァー……」
やられた。まあ露子さんにはものすごくお世話になっているし、ここで恩返しの一つとしておごるのもいいか。
その後、一つの網を囲んで、満足するまで美味しいお肉を焼き続けた。16歳成長期の食欲というのは、思っていた以上にすごかった。あと28歳成人女性のも。
「う~ん! おいしい!」
「ほんとですね、ヒナさん」
「はい、烏丸さんもすごく食べるんですね」
……すごいよく食べる。露子さんお酒入ってない(ドライバーなので飲めない)のにすごいよく食べる。
「ほらほら、先生も食べて」
一応食べている。だけれど同席している二人がまるで横綱のような食いっぷりを見せるから、私が少食なのかと錯覚してしまう。……お腹いっぱいだけどなぁ。しかも昼だぞ? これからまだ動こうっていうのにこれだけ食べたら苦しくないか?
たくさん食べて、みんなお腹いっぱいになった。なんなら胃のキャパ99%くらい使っていそうな気さえしている。
「うっ……」
ヒナちゃんが顔をしかめて「もう動けない……」って顔をしている。対して露子さんは涼しい顔をしている。
「いっぱい食べましたね!」
「え、ええ」
私だってどっちかといえばヒナちゃん寄りの感想だ。
「そしたら、食後のウォーキングでもしませんか?」
「露子さんはすごいですね……」
「急にほめても何も出ませんよ」
ほめたわけではない。
「ヒナちゃんは大丈夫?」
「……もうちょっと、ゆっくりしたいです」
私も同意見だ。
メニューのドリンクを追加して、少し話をすることにした。
「ヒナちゃん、改めて小説完成おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「おや? その子が小説を書き上げた……という話ですか?」
「はい」
すると、露子さんの目が鋭くなった。この目は、プロの編集者として接するときの目だ。
「いったいどんな小説ですか?」
一瞬、ヒナちゃんはたじろいだ。
「編集者として、見てみたいものです」
「露子さん、別にヒナちゃんプロ作家を目指してるって訳じゃないんですから。出版社目線と、個人の趣味目線ではゴールも変わると思いますよ?!」
「そうでしたか。……ああ、そうそう。なら」
そういうと、露子さんは鞄から何かを取り出す。
「私、こういうものです」
名刺。社会人としての挨拶のツール。出版社の名前と、個人の名前とが書いてある。
「は、はい……」
ぎこちなくヒナちゃんは受けとる。これは『もしもヒナちゃんがプロデビューに興味があったら』という導線だ。こうやって実際の出版社の人間と接する機会というのはレアだ。作家志望の人からしたらとてつもないチャンス……だけども。
「……うーん」
大丈夫だヒナちゃん。ヒナちゃんの未来はなにも作家だけじゃないとも。
「あ、あたしの作品は……有名な投稿サイトで掲載してますから」
「あらそう。気が向いたら、少し窺わせてもらおうかしら」
「!」
ヒナちゃんの表情は「緊張」百パーセントだ。きっと露子さんがものすごい人に見えているんだろう。……実際仕事ぶりは有能なんだからそれは間違いない。
「まあまあ、露子さん。今日はヒナちゃんのお疲れ様会なんですから。あんまり難しい話は無しですよ」
「それもそうですね」
露子さんはにこやかに答えた。それにヒナちゃんが唾を飲み込んだのがわかった。
たらふく焼肉を堪能して、ようやく出発という段になった。そこでヒナちゃんが選んだ場所は……。
「本屋、か」
ヒナちゃんは最初からここに来るのは決めていたみたいだ。私とヒナちゃん、そして露子さんの共通項である、文筆の世界。ここにくるのは、私としても本意だった。
「鳳先生って、どんな本読むんですか?」
「色々。小説だって読むし、雑誌だって読む。エッセイもね」
「やっぱり、プロの作家さんですもんね」
「勉強の意味もあるけれど、そもそも本を読むのは好きだよ」
そう告げると、ヒナちゃんは少し、苦笑いを浮かべた。あ、この反応は。
「あはは……。あたしは、あまり本を読んでこなかったです」
「あら。でも、別にいいと思うよ。だってまだ16歳でしょう? まだまだ大人になってから読めるものはいっぱいあるよ」
「そうですかね」
そういうと、ヒナちゃんは一冊、売り場の本棚から取り出す。
「先生のこの本、ポップまで用意されてる」
それは私の書いた本だった。本屋の目立つところには流石に置かれなくなったけれど、どこの本屋さんにもひっそり並んでいるくらいの立ち位置に、今はなっている。だけどここの本屋はそうじゃなかった。
「……嬉しいけれどね。今は次の話を考えなくちゃ、ってね」
その本を受け取って、元の場所に私は戻した。
その後、色々回ったり、ヒナちゃんのナビゲートでこの街の色んな所を車でドライブした。この街は確かに田舎。だけれど、どこか懐かしさを感じる。私の故郷も、こんな雰囲気があった。時間の流れがゆっくりで、電車の音が遠くて。少しだけ学生時代を思い出した。
最後に、ヒナちゃんが案内したのはヒナちゃんの家の近くの公園だった。公園と呼ぶには遊具が少なくて、ブランコ二つと小さなジャングルジムしかない。だけどその簡素さが逆にスッキリしてて居心地は悪くない。誰かとひっそり話すにはすごくいい場所だと感じた。
公園には落ちかけた夕日が差す。公園の真ん中の街灯が点き始めた。きぃ、きぃ、と私とヒナちゃんが座るブランコの音だけが聞こえる。
「今日は、ありがとうございました」
「ううん。こちらこそ」
一度でも、ヒナちゃんと直接会いたかったのは私だ。ヒナちゃんはそうだったのだろうか?
「あたし、今日先生が来てくれなかったら、まだまだずっと、引きこもってたと思います。世の中の誹謗中傷する人間たちを呪い続けてたと思います。……正直、今だってムカついてます。投稿サイトを覗くのが怖い。また投稿するとして、それがまた目に入るのかな、って思うくらい」
「……じゃあ、見ててよ、ヒナちゃん。私が立ち上がるところをずっと見てきた証人でしょ」
「……ふっ、そうですね」
「私やるよ。もう一度、表舞台に上がって見せる。それを、ヒナちゃんに見ててほしい。立ち上がることはいつだって出来るってことを、見せてやる」
「……そうですね」
めらめら、私の中に燃える闘志。それの根っこに君がいる限り、燃え続けるだろう。
「人を蔑む馬鹿野郎には、輝き続ける大馬鹿野郎をぶつければいいんだよ!」
ブランコを漕ぐ。大人が漕ぐほどの高さじゃないけれど、どうにか勢いをつけていく。
「よっ!」
ふわっと、私の身体は宙を浮いて、すぐに着地した。
「ヒナちゃん、頑張ろうね」
「はい」
私とヒナちゃんの約束。これは卑劣な世界への宣戦布告であり、勝利宣言でもあった。
ヒナちゃんを家まで送った後、私たちはホテルに向かう。車で30分ほどだ。
「先生、言い切りましたね。今書いている作品、どんどん創っていきましょうね」
「いいえ、あれじゃないです」
「え?」
私の中で、ヒナちゃんのために書く作品っていうのは、生半可な物じゃダメだ。
「もっと飛びきり、あっと言わせるような、そんな作品です」
「で、でも先生、ネタ帳見てもピンと来ないって」
「大丈夫です。今、閃きましたから」
「まあ」
露子さんは一瞬驚いたあと、また、にこっと笑う。
「先生、信じてますよ?」
「思う存分、信じてください」
きっと露子さんはどこまでも私の力となってくれるだろう。助かる。私だけでは難しいことも、彼女となら心強い。
「ホテルに行ったら、またパーッと飲み会しましょ?」
「……ちょっとだけですよ」
飲みたかったんだろう。幸い、今の私もそんな気分だ。
ホテルについたあとは、もうこれまでのことを振り返った。私の作家デビュー、大ヒット、引退、ヒナちゃんと出会った後の再起。終盤、お酒の入った露子さんがもりもり泣くのでかなりカオスな雰囲気になった。
でも、やっと、こんな彼女に報うことが出来るんだ。ずっとずっと信じていた彼女に、恩返しが出来るんだ。もう、今の私なら、どこまでも行ける。翼が生えたように、どこまでも。




