#15-B 私たちの証明
真っ暗闇の包む部屋。スマホの光さえ眩しくって嫌になる。
二件目、三件目の批判が翌日に来た。あたしみたいな初投稿の作品に熱心だな、とはわずかに思った。だけれどその批判の的に、いじめに遭ってるような感覚がもう嫌で嫌であたしは何もかも捨てたくなった。ぶち壊したくなった。
一件目のときは姉貴が必死にあたしを励ましてくれたっけ? だけど次々来るいじめのコメントが10件超えたあたりでもうあたしはおかしくなってしまった。誰かの言葉を聞き入れる余裕が無くなった。姉貴には申し訳ない。お父さんやお母さんにも。
毎日三回、部屋の前にご飯が置かれる。足音が遠ざかるのが聞こえた後に、それを取る。最初は短い文面の手紙が乗ってたりしてたけど、それも無くなってしまった。
パソコンはもう一週間は開いていない。外にも出ていない。お風呂に入りたい。だけどもう嫌だ。
あーあ、あたしこんなことで引きこもりになっちゃうんだ。なんにもやる気しない。世界中人をいじめる極悪人ばっかりだ。あたしが何をしたんだ。……もう考えたくもない。
こんな解決に至らない思考のループを延々繰り返して、一日が終わる。バカバカしいとは思う。だけれど、もう嫌だ。嫌で嫌でたまらない。……。
こんなあたしを鳳先生が見たらなんていうだろうか。叱ってくれるだろうか? でも……駄目だ。嫌なイメージばかり先行する。「極悪人」に、実はあの人も該当したりするんじゃないかって、思ってしまう。絶対そんなことはないと思うのに、頭の中に、ちらついてしまう。
「ううっ……」
また涙が出てくる。枕は毎日毎日水分を吸って触り心地最悪だ。だけれど、もうあたしの逃げ場はここにしかない。世界中どこ探しても。
部屋の外からインターホンの音が聞こえる。宅配便かな。うちに宅配便が来るのは珍しい事じゃない。なにか話しているような声が聞こえる。けどさすがに聞き取れない。あたしには関係ないだろう。
枕に顔をうずめたって、布団をいくら被ろうったって、眠ることはできない。そりゃそうだ、さっきまで12時間以上寝てたんだから。
せめて、外の喧噪から遮ってほしい、そう思いながら、また布団を顔まで被る。
突然、扉がノックされた。二回。……? このノックの音は聞いたことがない。元気な時の姉貴でもなければ、最近の姉貴の音でもない。かと言って両親のものでもない。誰だ? 分からない。山下さんはじめあたしの友達の物でもない。未知の音だ。その瞬間、ドッとあたしの脳内に嫌なイメージが溢れてくる。あたしを……嘲笑いに来たの? 今ドアを叩いたのはあたしを笑いに来た悪人? あたしは幻聴を聞いてる? おかしくなってついにありもしないものを感じ取ってしまうようになったのか?
またノックがされた。そのノックは……分からない。冷静に音を聞けない、あたしの加速した鼓動が煩くってよく聞き取れなかった。
苦しい、気持ち悪い。ああ、誰も来ないで。今のあたしは誰かに会えるような状態じゃない。どうしよう、どうしよう。叫ぼうか? 声は……いったいいつ振りに出すんだ? 出るのか? いやだ。もうあたしはどうしようもない。ただただ、あたしは布団に身を包むことにした。
「ヒナちゃん」
そう声がした。布団越しに聞こえる、女性の声。知らない声だ。家族でも友達でもない。鳳先生の声ともちょっと違う。まさか、引きこもり支援みたいな胡散臭いサービスの人間……? やめて……!
「やめ……っ!」
思ってた通り、声は出ない。
「ヒナちゃん。……顔を、見せてほしいな」
「っ!?」
――声は違って聞こえるけれど、解った。あたしの極限まで加速していた心拍数が、だんだん緩んでいくのが解った。
「お願い」
「せんせい……」
布団越しでくぐもった音であっても、そのイントネーション、声音の優しさ、喋り方、それでこの布団の外にいるのが他でもない鳳先生であるというのがわかった。
「ふ……うぅ……」
また涙が出てきた。だけれど、その涙は少しだけ、優しい温かさがあった。
「ヒナちゃん」
先生はあたしに急かすような言葉をかけてこない。あたしを待ってくれている。お風呂にまともに入れていない、泣いてばかりできっと不細工な顔をしている、なによりカメラ越しじゃないから誤魔化しがきかない。そんな状態で正直、合わせる顔がない。でも、でも……。
布団を探って、ちら、と外が見える隙間を作る。そこにいる、黒髪の女性。染めていた金髪はもう色が抜けたみたいだ。
「先生……」
「ああ、やっと会えたね、ヒナちゃん」
隙間を通る先生の声は、スマホ越しで聞くより、凛としていて、綺麗だと思った。
「先生……」
あたしの中に生まれていたもやもやした気持ちが、少し柔らかくなっていく。ああ、ただ会っただけなのに。なんでこんなに、嬉しいんだろう。
「ヒナちゃん、もしかしておめかししたい?」
「……。そうですね」
「うん、わかった」
「……その……」
「ん?」
「お風呂に、入るところからなんですけど……いいですか?」
「うん」
先生は笑うこともなく、ただ真っすぐに返事をしてくれた。
「……じゃあ、外で待っとこうかな」
「いえ、ここでいいです」
あたしは布団を外にめくる。外の空気が冷たい。カーテンで窓を隠してるはずの部屋でさえ眩しい。
「……やっと、顔が見れた」
「……不細工でしょう?」
「そんなことない」
お世辞だと思うのに、先生の言葉にはそんなひねくれた意味が感じれらなかった。
お風呂に入るまでもすごかった。部屋を出たあたしを見た両親が驚いていて、姉貴も固まっていたのだ。……そうか、あたし、それだけ引きこもっていたんだ。
お風呂を上がると久々な清潔感で気持ちが良かった。あたしが思っていたより、お風呂って必要なアクションだったんだ。すごく心地いい。
髪を乾かして部屋に戻ると、先生はあたしの椅子に座って待っていた。
「お、上がったね。……」
先生は風呂上がりのあたしをまじまじと見つめる。なんか気になることあるのかな?
「な、なんですか……?」
「いつもビデオ通話では上半身しか映ってなかったからさ」
「あー……」
「ちょっと思っていたより」
「肥ってます?」
「あ、じゃなくって。背が高めだなって」
「え?」
……本当かな? 今まで気にしたこともなかったけれど、16歳と言えば成長期。いつの間にか身長がグンッと伸びていてもおかしくない。
「……そういう先生こそ、テレビで見てたよりも、スラっとしてますよね」
テレビで見たとき、美人さんだとは思っていたけれど、今目の前にいる鳳先生は、あたしが思う「カッコいい大人の女性」っていうシルエットをしていた。なーんでこんなにスラっとしてるんだよ。
「そうかな……最近不摂生であんまり自信ないけれど」
「やめましょう、この話」
なんだかあたしはさらに度の過ぎた不摂生をしてるみたいじゃないか。いやこの一週間くらいはしていたけれど。
「……ヒナちゃん、ここ最近ずっと辛かった?」
「……はい。もう、あたしの書いた話っていうのは、必要とされてないのかなって。あたしが書いた話は所詮二番煎じなのかなって。あたしが書くものなんて、その程度の俗な物なんだなって……思わされて……もう、嫌になっちゃって……」
言ってるそばから、どんどん悲しい気持ちが溢れてくる。やばい、足元に真っ黒い沼が湧きだしてきたみたいに、もう嫌な気持ちが止まらない。
「……絶対に、そんなことはない。断言していい」
「……あたし、間違ってたんだ……先生に憧れて、話なんて、書かなきゃよかった……!」
「ヒナちゃん。こっち見て」
顔を覆っていた手を降ろして、あたしはどうにか先生の方を見る。涙でよく先生の輪郭は見えなかったけれど、ともかく、彼女があたしの視界に入るように。
「ヒナちゃんは、私の一番弟子だ。私が師匠。ヒナちゃんが間違っているっていうのなら、それは私が間違っていたってことになる」
「! そ、そんなの……違う……!」
「わかってる。だから――証明しよう。私が、私たちが、間違っている訳なんてないっていうこと」
涙を拭って、彼女の顔を見た。そこにいたのは、カメラの前で温かい視線をくれた師匠でもなく、テレビに映っていた美人さんではなく――。
私たちの譲れないもののために戦う、勇者がいた。




