#15-A 君のもとへ
大事な話がある、ということで露子さんが私の部屋に訪れた。作家活動再開の具体的なスケジュール確認かと思ったけれど、どうやらそうではないのが、彼女の真剣な表情から察せられた。
「これが届いたの」
露子さんが出したのは、一通の手紙だった。その飾り気のない封筒は見覚えがあった。
「……ヒナちゃんから?」
「いいえ」
差出人を見ると、そこにはヒナちゃんの住所、そして「白鳥 灯」という文字が書かれていた。灯という名前は……。
「お姉さん、ですね」
「ご存じなんですか?」
「少し、話したことがあって」
なんだろう。お姉さんから? そういえばヒナちゃんと最近連絡取り合っていないな。作品をネットに公開した、という話以降通話をしていない。メッセージを飛ばしたこともあったけれど最近は向こうの既読スルーで終わっていた。都合が悪かったのか、と思っていたけれど。
「読んでもいいですか?」
「ええ」
私は封筒を開けて便箋を見る。ここでも見覚えのあるシンプルな便箋だった。そこに書かれていた内容に――私は、怒りと、困惑とが入り混じった感情が沸き上がった。
『ヒナがネットに公開した作品がボロボロに叩かれて、ヒナが精神的に不調を起こしている。』
灯さんの書いていた内容はそんなものだった。灯さんの機械で書いたかのような美しい文字が、尚更その恐ろしい内容の鋭さを際立たせて見えた。この手紙はファンレターというにはあまりに冷たい内容過ぎる。どちらかと言えばSOSのように思えた。
「……」
「先生……」
露子さんも悲しんでるように見えた。
「私、今から彼女に連絡を取ってみます」
露子さんが頷く。流れるように、私はヒナちゃんに通話を試みた。一回、二回。5分、10分。三回目に通話しようとしたとき、すぐに切られた。
「……なにか、私に出来ること、ないかな……」
「先生……」
考えろ。私に出来ること。世界一の私のファンが悲しんでいる。それは私の友人。友人ならば話をして、遊んで、会いに行って……会いに?
「露子さん、少し、旅行に出かけようと思います」
「え?」
「直接、会いに行こうと思って」
「え……ええ!?」
突然の提案だからか、露子さんはものすごく驚いた。
「でもこれ、地方ですよ!?」
「だからなんです? 私の世界一のファンが、友人が、辛い思いをしている。なら、出来るだけそばに寄り添ってあげるのが、本当の友人なんじゃないですか?」
「……ふっ」
露子さんは少し笑った。どうしてこのタイミングで彼女が笑んだのか、一瞬分からなかった。
「そうですね。その通りだと思います」
「では、速やかに私は準備しますから」
「先生。『旅は道連れ』という言葉をご存知ですか?」
「露子さんは他の作家さんとのやりとりもあるでしょう?」
「『急な取材』ということで、他とは都合をつけます」
まったく、露子さんはどれだけ私の優先度が高いんだ。嬉しいけれど。
「じゃあ、一緒に行きましょう」
そういう事で、私と露子さんで、ヒナちゃんの所へと向かうことにした。
ヒナちゃんの住む所は、飛行機で一時間ほど、電車を乗り継ぎ更に一時間。その旅程を立てて、明日から一泊二日で旅行することにした。既に昼を迎えた今日はとにかく急な宿泊に備える日になった。
翌日、私のアパートに露子さんの車が来た。早朝六時。
「おはようございます、先生」
「おはようございます、露子さん。……なんだかバカンスにでも行く格好ですね?」
露子さんは高そうなサングラスにラフな格好と、ハワイでも行くのか、という格好に見えた。まだ四月なのに。
「いいじゃないですか、こういう時に張り切っても」
「はあ」
トランクに鞄を乗せて、私は助手席に座る。芳香剤の爽やかな匂いが車内を包んでいた。
「忘れ物はないですね?」
私が頷くと、露子さんはシフトレバーを動かす。車の目的地は空港までだ。
何事もなく空港に着いて、チェックインを済ませて、空港内のカフェで朝食を取る。朝は朝らしくトーストと牛乳とを注文すると、露子さんは目を丸くする。
「牛乳……ですか?」
「はい。……何か変ですか?」
「コーヒーじゃないんですね?」
「はい、牛乳派です」
「そうなんですね……」
そういう露子さんはコーヒーを飲んでいる。ブラックだ。
「先生、まさか先生がこんな行動力を出すとは思ってもみなかったです」
「いても立ってもいられなかったので。それに、いつかは直接会ってみたいと思ってましたし」
いつも画面越しでのやり取りだったもの。顔が見えるのはいいことだけど……親しい人とはやっぱり、直接会うのが一番だ。
「……先生、変わりましたね」
「変わる? 私が?」
「ええ。先生、一年前のこと、覚えてます?」
「……」
一年前の事。全てが終わって、燃え尽きていた時だ。はっきり言って、何をして過ごしていたか覚えていない。とりあえずで応募したコンビニのバイトをやっていた気がするけれど、それ以上の記憶は全然ない。
「あまり」
「そうですよね。あの時の先生の顔と、今の顔。見違えるくらい違います」
「そうですか」
そうなのかもしれない。活気の差というものが顔に出ていたんだろう、良くも悪くも。
「あれからずーっと先生は『もう人生は消化試合だ』みたいな顔をして過ごしてたんですよ? いつ会っても、まるでそういう顔のお人形みたいで」
「……ずいぶん酷い顔をしてたんですね、その時」
「それが、ヒナさんと関わるようになってから、どんどん明るくなっていって。私、嬉しかったんです。担当編集としても、一人の友人としても。だから……今回の旅行、全力で先生をサポートしますね」
「お願いします」
旅は道連れと露子さんは言っていた。一人で行くつもりだったけれど、もしかしたら露子さんも連れて行ったほうがいいのかもと思った。実はヒナちゃんに会った時に、うまく彼女を励ませるかというのは少しだけ不安があった。もちろん、私なりに全力でヒナちゃんと向き合うつもりだ。そうするしかないと思っている。だけれど私が難しいと思った時、露子さんは私を勇気づけてくれるかもしれない。
時間になり、飛行機に搭乗する。私と露子さんはもちろん隣同士の席だ。
定刻通りに離陸し、シートベルトのサインが消えたころに、露子さんが話しかけてきた。
「先生、飛行機って乗ったことあります?」
「何回か」
「ふふ、そうですか」
そういうと、露子さんはなんだか硬い笑顔を見せた。
「私は初めてです」
「そうなんですか?」
意外だ。そう思ったけれど露子さん他の作家さんに会いに、わざわざ飛行機を使うこともないのかもと思った。もしずっと都会住みだったら、地方へ旅行でも行かない限りは飛行機なんて乗らないか。
「あんまり揺れないといいですけどね」
「あれ? 乗り物酔いしましたっけ?」
「いえ、その……」
露子さんが窓をチラッと見て、すぐにこっちを見た。
「高いところが、苦手で……」
「高所、苦手でしたっけ?」
「ええ、ちょっと……」
初耳だ。飛行機に乗らなかったら、そんなことを知ることも無かっただろう。
「……露子さん、新幹線とかのほうが良かったですか? 言ってくれればよかったのに」
「いいえ……先生の旅行ですから。それに……飛行機、克服する、チャンスかなっておもって……」
気を張っていたのが解けたのか、露子さんは見る見る青ざめていく。
「露子さん、無理しないでよかったのに……」
「わ、私にはお構いなく……わたしはただの、つきびとですから……」
そうして青ざめたまま、シートのブランケットを被って、露子さんは寝る態勢を取った。顔が青ざめているから急病人に見えてしまいそうだ。
「露子さん、気分悪かったら言ってくださいよ」
「一つおねがいするなら……あまりはなれないでほしいです……」
そういうと、露子さんは目を閉じて、何も言わなくなってしまった。
(露子さん、ホントに大丈夫……?)
きっとこうなると分かっていながら露子さんは同行してくれたのだ。怖かったに違いない。面倒は見てあげよう。
少しすると露子さんが寝息を立て始めた。朝早いのもあっただろう。短い時間だけど、ゆっくりしてくれるなら、それがいいだろう。
よし、今のうちに、ヒナちゃんとのやりとりをイメージしておこう。
ヒナちゃんが元気がないのは、彼女の作品がネット上で謂れのない批判をされているからだ。ヒナちゃんの作品のコメント欄は事前に見に行った。
正直、トラウマの扉を開きそうになった。我ながら何も顧みずに行ったな、とも思った。今彼女の作品のコメント欄には30件以上のいわゆる「荒らし」とか「誹謗中傷」と呼んでもいいような悪質なコメントが並んでいる。はっきり言ってそういうことをやる馬鹿野郎は全員逮捕されてほしい気持ちだってある。目の前にそんな奴がいたら我を忘れて殴っているかもしれない。
それらはただ、なんの文脈もなく相手を傷つけるだけの言葉を置いたような物ばかりだった。全てが的外れだ。あの作品を読んで、きちんと内容に触れた感想は無かった。
だから、ヒナちゃんが真に受けて、傷つく必要なんてないんだ。
「……」
私は小説家。俳優ではなく、演技者でもない。彼女を励ます言葉は言いたい。出来たら最大限の物を。だけれどそこに虚構は混ぜたくない。中身のない励ましなんて、言われたら見え透いてしまう気がする。そんな言葉は、本当に助けたい相手に言うべきじゃないと思っている。
「まもなく、空港に到着します」
機内放送と同時に、シートベルトのサインが点いた。窓を見ると、見慣れない地がすぐそこまで迫っていた。
じっくり考える時間なんてなかった。でも、考えすぎて縛られては意味がない。彼女にかける言葉を、緩めに考えつつ、私は降りる準備を始めた。
「露子さん、そろそろですよ」
「ん……んん……」
露子さんが眠っていたのは30分足らず。疲労を取るにはちょっと足りないだろうか? それとも小休止として最適だっただろうか。
「先生……おはようございます」
「おはようございます。気分はどうですか」
「……んん」
あまり目覚めが良くない。事前に私が買っていたミネラルウォーターを露子さんに渡すと、彼女はゆっくり飲み始めた。
「んー……ありがとうございます」
まだ本調子じゃない。着陸して止まるまではまだ時間がある。目覚めてくれるだろう。
飛行機を降りて、見知らぬ空港を進む。隣には付き人もいる。一応機内で寝てリフレッシュ出来たのか、顔は晴れやかだ。
「うーん、ここに来るのは初めてですね」
「遊びに来たんじゃないですからね」
空港の駅から電車に乗る。ここから乗り継ぎ二回、1時間ほどの道のりだ。
私が今住んでいるところよりも田舎だからなのか、電車に乗る人達はやや少ない。今日は休日だから多いのはあるだろうけれど、やっぱり少ないと思った。
彼女の家の最寄り駅につく。だけれどここからレンタカーを借りて行く。
「そろそろですね」
「はい。……ヒナちゃんにかける言葉を、考えておかないと」
「先生、もしかしてですけど……ヒナさんが落ち込んでいる一番根っこの原因は、自分だとか思ってます?」
「? いや……そんなことは」
「あら、そうならいいです」
? どういうことだろう。元をたどれば私のヒット作がヒナちゃんの創作の始まりという話だろうか? それは知っている。だけれど、ヒナちゃんが落ち込むまで叩いた連中が悪いのであって、私が悪いというのは感じていない。
ヒナちゃんの家までは遠いようで短かった。露子さんと話しているうちについてしまった。
「……立派な家だ」
二階建てで、青い屋根が目印の家。建てて10数年といった具合の落ち着いた色調。窓から彼女が見えたりしないだろうか? と思ったけれど流石にいない。
「先生、私は……待っていたほうがいいですか?」
そういえば露子さんとヒナちゃんは面識がない。そもそも私がヒナちゃんに会いたいのだ。……ヒナちゃんだって、知らない大人一人増えたら怖いだろう。私だって変なプレッシャーを与えたくはない。
「すみません、待っていてください。ここら辺何もないですけど」
「いいえ、田舎の空気って美味しいですから。……健闘を祈っておきますね」
「はい。絶対、ヒナちゃんを元気づけて来ます」
私は一人で彼女に向き合うことにする。ふぅ、と息を一つついて、ヒナちゃんの家のインターホンを押した。




