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#14-B 沈んで、また沈んで

 鳳先生に見せてから、一か月でネットに公開した。推敲だなんて難しい言葉を使っていたけれど、結局ちょっとした手直し、ちょっとした誤字脱字修正というところにとどまった。



 皆、ネットに公開したと言ったら驚いていた。山下さんは目を輝かせて、山城は固まって、かほちゃんも落ち着きがなかった。


 山下さんと相談した時は「とりあえず一歩!」と前のめりなコメントを頂いた。そして彼女に先行して小説も見せた。「面白い」と言ってくれた。




 事件が起きたのは、公開して5日経った頃だ。


『パクリ?』


 そんな言葉が、あたしの作品のコメント欄に付いた。一つ。


 見た瞬間、動悸が止まらなくなった。気持ち悪くなって、目眩もした。……。


 考えたくもない。思い出したくもない。だけれど、あの画面、あのコメント欄、一字一句、ただの4文字が、頭に焼き付いて離れなかった。




 その日の夕食は食べられなかった。食欲どころではなかった。姉貴が部屋に訪れたけれど顔を合わせる気分じゃなくって会わなかった。



 逃げ場所を求めて、あたしはベッドに潜る。明りのない暗い部屋の中、暗闇のはずなのに、さっきの恐ろしい画面の光景が煌々と頭の中で煩く光っている。逃げたい。逃げたい。あたしは、あたしは何をやってるんだ……?




 目が覚めた。朝の光がじんわり入ってくる。嫌でカーテンを閉めた。姉貴がまた部屋の前に来る。


「具合大丈夫か?」

「……姉貴」


 駄目だと思った。これは、あたしが一人で抱えられるダメージじゃなかった。


「……何があった?」

「……」


 あたしの返答を待たず、姉貴は部屋の扉を開ける。


「ヒナ……? どうしたんだ?」

「姉貴、あたし……全部、やめる」


 上手く言葉に出来なかった。自分の気持ちを言葉にしようとしたとき、真っ先に出てきたのが「やめる」の三文字だった。


「やめる……って、何を?」

「やめる。やめるったら、やめる」


 そう言う度に、あたしの目から涙がこぼれた。頭で言語化するよりも、本能的な部分でもう現実を拒否しようとしていたのだ。


「……」


 姉貴には何が見えているだろう。昔みたいに泣き虫なあたしの顔だろうか。それとももっと酷いものが映っているかな。


「そうか。……気が済むまで、ゆったりしておけ」


 姉貴の言葉とは思えない、優しい言葉。その優しさに、また涙が出た。




 布団を被って、枕に顔をうずめる。嫌だ。なにもかも間違っていたのだろう。あたしってば、調子に乗り過ぎてたんだ。


 嗚咽は止まず、自分でも煩いと思うほどに泣き続けた。もう涙も出ないくらいに泣き続けていたら、いつの間にかまた、眠りの世界へと足を踏み入れていた。




 短い眠りから目が覚めると、まず頭痛に襲われた。目も痛い。だけれど気持ちは晴れてなかった。


「ヒナ」


 ベッドの縁に座っている、姉貴の姿が見えた。……妙に姉貴の顔がよく見えるのは、カーテン越しに入ってくる光が、昼になって強くなったからだろう。


「……何があったか見たぞ」


 姉貴が開かれたノートパソコンを指さす。ああ、あたしはパソコンの画面も閉じずに泣き散らしていたんだ。


「そんなことだろうと思った」

「……情けないよね、あたし」

「思い切りが良過ぎる。一発叩かれただけでやめるって」

「……姉貴は分からないでしょ。自分が創ったものが、いきなり脈絡なく批判されるの」

「分からないかもなぁ」


 いつもそうだ、姉貴はやることなすこと、認められ続けた人間だ。この人はやっぱり元からあらゆる才能の塊なのだ。


「だけど、世の中想像以上に頭の悪い奴もいるのは知っている」

「……頭の、わるい?」

「何の脈絡もなく、何の文脈もなく、ただ汚い単語を吹っ掛けてくるような、おおよそ人と呼びたくない連中さ!」


 あまり聞いたことのない姉の(いきどお)った声に、思わずあたしは姉貴の顔を見た。そこにあったのは、鋭くパソコンの画面を睨みつけた、怒りの表情だった。


 なんだろう、あの表情に、安堵感を覚える日が来るとは思ってもみなかった。


「姉貴……」

「私がいろいろ褒められ続けたように、お前の目には映っていたかもしれない。だけど……それに対して嫉妬や妬みを持つ奴だっていっぱいいるんだ」

「!」


 姉貴にそんなことをいう輩が……?


「そのとき、私はどうしたと思う?」

「……分からない。無視?」

「半分正解」

「じゃあ、もう半分は?」

「退学させた」

「……は?」


 思ってたより過激なワードに、あたしは驚いた。


「バカなのさ。自分たちのやっていることが黒だっていうのすら分からない連中だったんだ。だから一杯いっぱい証拠を集めて、絶好のタイミングでしかるべきところに突きつけた」


 姉貴の口から歯が見えた。見慣れないその表情は――笑っているようだった。だけど。


「最高だったよ。将来を潰されて、先生に懇願して、どうにもならず泣き喚くことしかできない連中を見たのは」


 悪魔のような笑顔だった。パソコンの画面の光しかここに明りがないからなのか、姉貴が本当に持っていた一面だったのかは分からない。だけれど、そこに確かに恐ろしい笑みを浮かべた女がいた。


「あ、姉貴……?」

「おっと」


 一瞬で元のクールな表情に戻った。果たしてさっき見た姉貴の悪人面が現実かあたしの勘違いか、これで分からなくなった。


「……それは、姉貴が頭がいいから、そういう冷静な手が打てたんだよ。あたしにそんな手段はとれないし、……相手は匿名だよ?」

「もちろん仕返ししろなんて言ってない。ただ、受け止めてやり過ごすだけが正解じゃないっていうのは、頭に入れておけ」

「……うん」

「腹減っただろ?」

「……うん」


 そう頷くと、姉貴はあたしの部屋を出た。しばらくして、遠くから何か料理をする音が聞こえる。姉貴……あたしのために、わざわざ料理を……。


 ぐぅ、と大きくお腹がなった。昨晩から何も食べていないのだ。あたしの心は何もしたくなかったけれど、身体は食べて動きたかったのだろう。




 しばらくすると、姉貴がお皿を持って部屋に入ってきた。途端、いい匂いが部屋を包み込む。


「餃子だ」

「……ごくり」


 思わず唾を飲み込んだ。さっきまでただ無を受け入れていた胃が、急に息を吹き返したように目の前の餃子を求めている。


「食べろ。元気を出せ」

「……うん」


 食べて、姉貴の優しさにもう涙が止まらなくて、なんでこんな神様みたいな人があたしなんかの姉をやってるんだ、と不思議に思ってるうちに、餃子が無くなった。


「どうする? 寝るか? お前の好きなようにするといい」

「……うん」


 あたしはもう一度、ベッドに寝転がる。美味しい餃子とお米とみそ汁。完璧な餃子定食を食べて、あたしの悲しい気持ちは、美味しい物を食べた満足感に抑えられた。そして、今一度気持ちを整えるために寝ることにした。



 

 


 だけど、あたしの悪夢はまだ終わらなかったのだ。


 起きて、パソコンの電源をつけた。あのコメントなんか、もう怖くないぞ、笑って流してやるぞ、可能なら通報するぞ、と意気込んで。


「……へ?」


 コメントが増えていた。16件。ふと目に入った物に書かれていた「お粗末」というワードが、あたしの心を刺していった。


「あ……あ……っ」


 もう何も考えず、あたしは叫んでいた。もう、無理だ。一件目のときに悲しみを抱えていた心に、重さで穴が空いたような気がした。

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