#14-A 弟子からの報告
三月になった。そしてヒナちゃんから連絡が来た。
「ついに……!」
ついに彼女の小説を見せてくれる準備が出来たらしい。長かったような気がするし、推敲と言えばこれくらいというイメージもある。むしろ早いんじゃないだろうか。
ただ彼女はなにかまだ気持ちの整理が出来てないのか、『通話しながら見せたい』とのこと。緊張しすぎだなぁ。そしてそれが今夜のイベントだ。
楽しみだ、そう思いつつ今日のバイトをこなしていく。
「お疲れ様、鵺野さん。このあとどう?」
「ごめん、今日は用事がある」
「えっ!?」
吉乃さんの誘いを断り、私はさっさと帰ることにする。吉乃さんはしょぼんとしていたけれど、申し訳ないが私の中でも優先順位というのはあるんだ。
三月になって、私の次回作の執筆もスタートした。テーマはファンタジー。もしかしたらライトノベルに分類されそうな雰囲気の作品だと思っている。テーマ選びの時に「案A」として、あまりピンとこないまま腹をくくって書き始めたものだけれど、なるほど、露子さんの言う通り、書き始めたら筆が乗って少しずついい感じになってきた。
家に帰って窓を開ける。夕方の空は春の明るさでほんのり優しい。吹き抜ける風も冷たすぎず、爽やかで気持ちがいい。……けれど夜になるとグッと冷たくなるから窓を開けたまま寝ると風邪を引きそうだ、と思う。
いつものごとく、入浴やら、夕食やらを済ませて、ヒナちゃんとの通話に備える。今年で一番ワクワクしている日な気がする。何だろうこの高揚感。
ヒナちゃんに「こっちの準備は出来たよ」とメッセージを送る。スマホをしまって、また出して、しまって。ああ、なんでこんなにヒナちゃんの返事が遅く感じるんだろう。
ついに付いた既読に胸を躍らせていると、向こうからのメッセージが飛んで来た。
「まだご飯食べてます」
時計を見ると午後七時。……あれ、私の夕食、大分早かったな。夜お腹すいたりしないだろうか?
ともかく、少しだけ時間がある。さて何をしよう。執筆の続きでもやろうか。いや、絶対手につかない。じゃあ適当にテレビでも見るか。
そう思って、テレビをつけて適当にチャンネルを変えていく。うん、何も見たい番組はない。
困った、出来ることがない。何か集中しようにも気持ちが高ぶってそれどころではない。受動的に流せるものはノイズしかない。悶々としつつも、私は彼女が用意できるのを待つしかない。
ふぅ、と一度身体のギアを落とす。深呼吸、深呼吸。流石に空回りしすぎている。考えろ、考えろ。こういうときは瞑想でもするか。それでとりあえずの集中力を取り戻すしかない。
目を瞑る。高鳴った心臓の音が聞こえる。息の音も聞こえる。息の音に集中して、長く、静かに呼吸をしていくと心臓の音は少しずつ緩やかなペースを取り戻す。
するとさっきまで感じられなかった、周囲の音が少し気になる。外から聞こえる電車の音、踏切、風。そこに、私の意識を置く。すると。
「……ふっ」
ああ、戻った。いつもの私に戻った。浮ついていた私はどこへやら、ここにいるのはいつもの、昨日と一緒の私だ。
よし、と思って目をあける。新鮮な光が眩しい。目の前には執筆のために開いたパソコンとテキストファイルがある。それに向かって、私はいつものようにキーボードを叩き始めた。
三十分ほど経ったころ、スマホに通知が入った。
「先生、通話しましょ」
……来た! 落としていたギアが、再び上がるのが分かった。「うん!」と絵文字付きで送ると、すぐに向こうからビデオ通話がかかってきた。
「お疲れ様でーす先生」
「お疲れ様」
私はあくまでも平静を装って……。
「さ、早く早く!」
「先生そんなにあたしの小説みたかったの~?」
無理です。私はこの子のお話を見たくて見たくてこの数日間は浮ついていたんだ。今更平静になれっていうほうが無理なんだ。
「しゃーない、今からファイルを送りますから」
「お願いします」
いつになく敬語でヒナちゃんにお願いする。いや、こういう時だからこそ、相手を敬う心が重要だと、私は判断したんだ。
しばらくすると、ヒナちゃんのアカウントから、フォルダが送られてきた。おお……これが……! 秘密の宝箱でも開けるような気分だ。
「来た!」
「……どうぞ」
ヒナちゃんも意を決した、と言わんばかりの表情だ。フォルダを開くと、テキストファイルが24個入っている。その容量は……結構ある。
「読ませてもらうね」
「……文字数すごいから、読み終わってからまたかけ直してもらっていいですか?」
「あー……」
それもそうか。容量的にしっかり文字数があるように見える。読んでいる間は集中しているだろうから通話の意味が薄れる。彼女の言葉に従うか。
「うん、そうさせてもらおうかな。……でもこれ何時間もかかりそうだから、今日はもう少し話をしてから、通話終わろっか」
「そうですね」
今は彼女との会話も楽しみたい。
「もう三月だね。ヒナちゃん一年生ももうちょっとで終わるね」
「ホントですよ。なんか、早かったかも」
「大人になるともっと早くなるよ」
「ええ?」
多くの大人はそう言うし、私もそう言う。きっと目の前のヒナちゃんだって、そう言う日が来るのだろう。
「あー進路とか、考えないとなぁ」
「ヒナちゃんは将来何になりたいの?」
「んー……なかなか、思いつかないんですよね」
「そう、か。てっきり作家を目指すとか、言うと思ったのに」
そう告げると、ヒナちゃんは急に笑い出す。
「まさか。あたしそんなにうぬぼれてないですよ! 一作書いただけで『作家で食っていってやる!』だとか、無謀ですよ」
「んー? 誰に向かって言ってるの?」
「先生は例外中の例外でしょう」
それはそうだけれど。でもそうか、ヒナちゃん作家に全力投球するって感じじゃないんだ。……ちょっと安心したかも。
「そっか。じゃあ、将来やりたいこと、見つけないとね」
「そうですね。なにかな~」
私も高校生の時はそんな感じだった。なんとなくで進学して、なんとなくで就職して。……でも作家になったのは「なんとなく」よりはもっと強い理由だった。
「どういう職業にあこがれるっていうの、ないな~。年頃の女子だったらなんて言うんだろう。看護師とか? 花屋とか? でもこれ小学生みたいな意見だな~ あー、あたし何になりたいんだろう」
「難しいよね」
「うーん……」
実際に仕事に就いたこともない高校生に「なりたい仕事は? 職業は?」って聞くの、酷なことなんじゃないだろうか? 見えないこともいっぱいあるし。
「今は良いんじゃない? 気になる仕事があれば、たくさん調べればいいし。それこそ、作家の仕事だったら、私が答えてあげられるよ?」
「……そのときが来たらお願いします」
承知だ。もしヒナちゃんがその気なら、私が懇切丁寧に教えてあげよう。いいとこも悪いところも。
「先生は、学生の頃はどうだったんですか? 作家になりたくて生きてきた……って感じは全然しないですけど」
「そうだよ。全然、何かに向かって頑張ってきたとか、そんなのじゃない」
「じゃあ、どうして作家に?」
「うーん。たまたま読んだ本が……面白くなかったから」
「へ?」
驚くのも無理はない。変な理由だというのは、昔露子さんに告げたときの反応でもう分かっている。
「面白くなかったから、『私が書いたらどうなるかな』って思って書いて、出版社に送って、お返事が来た」
「ちょ、ちょっと待って先生!」
「ん?」
「先生の人生ジェットコースター過ぎない?! 面白くない本読んでどうして出版社にいきなり作品を送るの?!」
確かに。端から見たらかなり奇抜なことをやっているかもしれない。出版社に作品を急に送りつける……うーん、変かもしれない。
「変かな」
「変だよ! 出版社はポストじゃないって!」
「もしかして私変わり者?」
「今の話聞いたら、だいぶ」
そうだったのか。そういわれるとは……。
「それで、出版社に目をつけられた結果、作家デビューと」
「そう」
「あたしとはまるでタイプの違う人生だ……」
だけど、ヒナちゃんと通じるところはある。
「でもヒナちゃんも、今回書いた話の書き方は、私と同じような書き方じゃない?」
「……ほんとだ」
ヒナちゃんはそれ以降、私を変人呼ばわりするのをやめた。彼女も仲間だったのだ。
「先生、あたしの書いた話ですけど……正直な感想を教えて欲しいです。師匠としての意見が聞きたいから」
「うん。つまり贔屓目は無し、ということだね」
「はい」
ヒナちゃんがそういうのなら、私はきちんと、赤の他人としての評価を下そう。……私に出来るかどうかはわからないけれど。
「じゃあ、そろそろ切りますね先生。ちょっともう眠くて」
「寝る子は育つ。おやすみ」
そうして通話を終えると、午後9時半。ヒナちゃんが書いた小説、なにか身構えてしまう。なぜか読むのに心の準備がいる。……明日にしようかな。無理して今日読む必要も無いような。正直私も眠くないといったら嘘になる。
とりあえず今日は読むのをやめて、明日気合いを入れて読むことにした。
翌日、私は頭を悩ませていた。
無事読み終えることは出来たのだけれど、……なんだか、自分の作品をなぞられてるようでムズムズしてしまったのだ。これではフラットな評価が難しい。
大体は悪くなかった。表現の語彙がもう少しってところや、展開は見え見えだったり。だけれど、この小説は『完成している』。それは、自称小説家志望の人の中でも上位の人間になれる要素なんだ。
多くの人は小説を書き切ることは出来ない。長編、短編関係なくだ。小説家志望が書き出しは決まったけれど色んな要因で続きを書くのを断念した、あるいは書く気がなくなった、で終わる人のほうが多いのだ。それを考えれば、ヒナちゃんが1から10まで小説を書き切ったという事実が一番大きい。
内容は70点、でも完成まで漕ぎつけたのが100点。それが私の評価だった。
その日は土曜日で、ヒナちゃんもどうやら休みでゆったりしてたらしい。私が評価のメッセージを送ると、驚き顔の絵文字が返ってきた。すぐにビデオ通話もかかってきた。
「……100点?」
「うん。完成したから100点。世の中小説を書こうとして完成した人間は数少ないから」
「……喜んでいいんですかね?」
「もちろん」
ヒナちゃんは釈然としない、という声色だった。
「すごい事なんだよ! 小説が一つ書き切れるっていうのは!」
「なんか、恥ずかしくなってきました……」
喜んではくれなかった。今は難しいか。
「で、内容は70点って」
「うん。エンタメに振り切ったハラハラ感は少ないし、少し冗長なところもある。だけれど、初めて小説を書きましたってことなら何も凹むことないよ」
「うーん」
「……浮かない顔だね」
「なんとも。ズバッと切り捨ててほしかった気もするんです」
ええ? ヒナちゃんはまだまだ伸びしろがあると思うんだけれどなぁ。
「私としては……白鳥ヒナ先生の次回作、楽しみにしようかな、って思うな」
「!」
「ヒナちゃんがまた次の作品を書くかは、ヒナちゃん次第だけれど」
「あはは……考えておきます」
恥ずかしいような、嬉しいような、そんなモジモジした動きがカメラ越しに見えた。彼女これからどうするんだろう。
「ところでこの作品、どうするの? 予定通りネットに公開するの?」
「あー……そうです、ね……。どうしよっかな~」
「あ、私に切り捨ててほしかったっていうのは、ネット公開が嫌だったからだ」
「あはは、そうです。でも、先生も悪くないって言ってるし、なんだか……うん」
押せば彼女は「うん」と頷いてしまいそうである。私はネット公開という道を辿らなかったから分からない。様々な視点から見られるのだから、様々な意見が飛んでくる可能性が高い。……そもそも誰にも見られず飛んでこない可能性だってあるだろうけれど。彼女の作品がネットでどのような評価を得られるかは私は予想できないし、その未知の可能性に興味もある。「行け」と言いたくなる気持ちも正直ある。だけれどあまりに無責任すぎるから言える言葉ではなかった。
「……そうだ、イラストの上手い友達に、相談してみようかな」
「おー……」
ジャンルは違えどネットに創作物を公開している友達。そういう人のアドバイスは私よりも具体的で役に立つかもしれない。
「うん、色んな人に意見を聞くといいだろうね」
「そうですね」
こればかりはヒナちゃん自身が決めること。私が先導することじゃない。
そして、桜が散ったころ、ヒナちゃんからのメッセージが届いた。「公開しました」と。
私に読ませてから公開するまで1か月ほどあった。その間、彼女の友達に見せたり、少し手直ししたりしていたみたい。
ここから彼女の作品が、どのような評価を得られるか、私は少し浮かれた未来を想像していた。熱に浮かされた未来を……。




