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#13-A(2/3) 鳳ユキの杖

 不思議だった。硬い床の上、2月の冷たい部屋の中で、私はなぜかものすごく快適に眠れたのだ。


「……鵺野さん」


 そう呼びかけられて、私は目を覚ました。時計を見ると午前三時前だ。不健康な生活。


「……あ、おはよう吉乃さん。……こんばんはかな」

「鵺野さん……ありがとう」

「起きたんだ」


 デスクライトが照らすだけの薄暗い部屋、そのなかにぼうっと見える吉乃さんの顔はどうも安らいで見えた。


「体調はどう? さっきはものすごく辛そうだったけど」

「まだ頭痛がする。……でも、だいぶマシ」


 なら良かった。机の上には空になったスポーツドリンクのペットボトルが置かれている。


「吉乃さん、もしかして大学生活、あんな感じ?」

「……そうですね。サークルが、そういうタイプのところで」

「実は、昨日の昼、吉乃さんが何人かで歩いているの見たんだ」

「そうなんですね」

「あれが、サークルの人たち?」


 吉乃さんは苦笑いを浮かべて、静かに頷いた。


「入ったときは、あんな感じじゃなかったんです。ここ最近です、あんな無茶な飲み会やら、増えたの。最初は大学生になったからって、張り切ってサークルに入ったんですけど、……眩しすぎるっていうか」


「吉乃さん……」


 だから、大学生活は楽しくなさそうな感じだったんだ。


「おかしいですよね、自分が選んだ道なのに」

「……」


 なんとなく、この子は私に助けを求めているのは分かった。だとしても、助言くらいしか出来ることはない。


「大学以外のフィールドを探すといいんじゃないかな。それこそバイト先とか」

「……そういう場所があったら、いいな」


 吉乃さんは儚げな顔で呟く。




 その後、吉乃さんはまだ体調が悪かったとのことで再び寝た。その直前に、


「大丈夫だから帰っていいよ。今日はありがとうね、鵺野さん」


と言ってもらったから私も帰ることにした。夜は不審者が出没するという話もあったけど、午前三時ともなるとそんな奴も寝ている時間らしい。


 とはいえ始発はまだなのでタクシーで帰ることにした。





 目が覚めると午前10時……。幸いバイトは入れてない。乱れた生活サイクルを戻すため、速やかに洗濯やら家事を済ませる。終わって机の前に座る。


「始めるか」


 ネタは少しずつ集まっている。パソコンやスマホのメモアプリ、直筆のメモ帳だってある。それをパソコンのファイルに集約していく。


 まず私が書きたいのは何か。ハッピーエンド、友情、それでいてローファンタジーな世界観。いや、ライトノベルみたいなハイファンタジーでもいい。分かりやすく、それでいて読んで幸せになれそうな……。


 一応希望を叶えそうなネタはいくつかある。それを幾つか混ぜてしまえば適切な題材になりそうな感じはある。……けれど。




 何一つ、ピンとこない。




 どういうわけか、何も心を惹かれない。なぜだ? それぞれの要素は私が興味があったり、書いてみたいと思う題材と思うのに、それを小説のために色々組み合わせたりすると途端何か面白くなくなる。私何やってんだろう……。


「な~……」


 マヌケな声が出るくらいには行き詰っている。……プロとして、ときめく題材と言わなくとも書かなくちゃいけないと思う。だけどそれがいい未来になるビジョンが、私に見えなかった。


「……」


 こういうとき、心強い相談相手はいる。その手のプロフェッショナルが。




「露子さん、お疲れ様です」

「あら、鳳先生、おはよう」


 私の目の前に、担当編集・露子さんがいる。……画面ごしではなく。


「連絡してから5分でうちに突撃って、何かここらで用事でも?」

「いいえ、たまたま通りがかっただけよ?」

「そうなんですね……」


 私的には電話やカメラ通話で良かったと思ったけれど、たぶん直接のほうがいろいろスムーズにやりとりはできるだろう。


「それで、用事っていうのは?」

「……露子さん、次回作の題材なんですけど」

「なになに? 候補が上がった?」

「ぜんっぜん上がらないんです!」

「まぁ」


 私の必死な訴えに、露子さんはふふっ、と笑った。


「一つ一つの要素はワクワクするのに、それらを小説のために組み合わせたりすると途端、なんか面白くなくなるんです……」

「なるほどね」

「私だって、プロの作家なんだからワクワクとかそういう基準で題材を選り好みとか、良くないですよね」

「そうね」


 冷静に、露子さんは答えて、続ける。


「プロ作家なら、ときめいた物だけを題材にっていうのは難しいわね。時には与えられた題材で話を書く必要だって出てくるわ。……でも」


 露子さんの眼差しは少し和らぐ。


「ときめきをエネルギーにするのは、きっと素晴らしい作品づくりのための近道だと思うの」

「……」

「ただ、いまそういう題材が見つからないなら、『嫌じゃない』題材で話を書いていくのはどうかしら。先生が集めた題材たちは、確かに『いいな』と思ったものばかりなのでしょう?」

「はい……」

「なら、それらが粗悪な物になる理由はないわ。あるいは……いろいろ混ざりすぎて、その題材の良さが見えづらくなっているのかも。いったん書いてみたら、題材の良さが分かって、書きやすくなる……そういうこともあるわ」

「なるほど……」

「先生はデビュー作で売れてしまったから、経験値不足は否めない。それでも作品へのアプローチは『最初にときめいたから』以外でも十分書くことはできるわ」


 ……やはり露子さん頼りになる。私が欲しかった回答を一発でくれた。なら、私は集めた題材から一番興味ある物を選んで、書いてみることにしよう。


「だけど先生の一番の武器は、そのときめきへの探究心だと思うわ」

「……さっきと言ってること違いません?」

「ううん。何事も経験よ。それに、書いているうちに強く心を惹かれる物に出会うことだって、あるかもしれないわよ」

「それも、そうですね」


 今「これだ!」っていう究極の題材に出会えていない以上、露子さんのアドバイスをもとに題材を選ぶのがいいだろう。いつまでも題材ばかり探して、話づくりが(おろそ)かになっては本末転倒だ。


「ありがとうございます、露子さん。どうするべきかが、はっきり見えました」

「いいのよ。私はあなたの杖なんだから。いつだって、鳳ユキの力になると誓ったの」

「誰に?」

「私自身に」


 そ、そうか。なんだかすごく重い気持ちを告げられた気がするけれど、とりあえず心強い。


 書く題材の候補はネタ帳の中にある。さっきは組み合わせた時に面白くなくなると思ったけど、ともかく幾つかの題材を組み合わせた「案A」で話を組み上げて行こうと考えた。


「露子さん、これから会社に戻ります?」

「いいえ、今日は直帰予定よ」


 彼女の鞄を見る限り、それは嘘じゃないと思った。


「あーそうなんですね。他に行く担当作家さんが?」

「いいえ?」


 おもむろに露子さんは鞄から缶を取り出し、プシュ! と爽快な音を立てた。


「今日はここでおしまい」

「えー? だからって平日昼間から飲酒って、ちょっとだらしなくないですか!?」

「いいのいいの。ここは私の第二のホームなんだから」


 いつの間に……ここが露子さんのそんな場所に……。


「ふーっ」

「空腹で飲んだら酔いますよ」

「それがいいの」

「自分を大事にして下さい? 露子さんほどの仕事出来るお方が、自ら破滅するのなんて見たくないですって」

「……いまキュンって来ちゃった」

「何言ってるんですか、ホントに。程々にしてくださいね」

「は~い!」


 あ、もう酔ってる。露子さん、お酒好きだけど強くはなかったっけ。


「この間の水族館デート、楽しかったですねぇ~」

「露子さん、オンオフの切り替え上手いって思ってましたけど、今の飲酒でそれは薄れましたね」

「ストレスたまるのよ、こういう仕事。それにお酒って一人で飲んでも面白くないの」

「……まあいいですけど」


 早く彼女を貰ってくれるステキな旦那さんが現われてくれますように、って今度流れ星にでも願うことにした。

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