#11-A(2/3) こだわりのカフェを紹介します
街の中心駅から3駅、10分ほど。歩いていくには少し遠い距離。やや寂れが見える街の角にある、これまた寂れている純喫茶店。だけれど確かに営業している店だった。
「いらっしゃい」
「わ、わぁ……」
感嘆の声が後ろから漏れる。久々に来たけど店主さんはまだ元気にやってるみたい。
作家時代、露子さんと来ることのあった喫茶店だ。本当に営業出来てるのか? と聞きたくなるくらい人が来ない喫茶店はとても静かで、流れてくるジャズのBGMがほんの少し聞こえるくらい。それくらい、人気や賑わいというものには無縁だ。
隅っこの席に座ると、店主が水とメニューを持ってきてくれた。
「久々だね」
「そうですね」
「ご友人?」
「そうなります」
短いやりとりを店長さんとする。丸眼鏡に白い毛の混じったあごひげが特徴のその人も、この店の雰囲気に一役買っていると思う。私は甘めのミルクコーヒーLサイズを注文する。
「吉乃さんは?」
「え、えっと……!」
メニュー表の震える指先が示すのはブラックコーヒーだった。
「こ、これで……!」
「ブラックだよ? 大丈夫?」
「へっ!?」
気づいて吉乃さんはミルクコーヒーを指す。
「これください」
「はいよ」
そんな吉乃さんの様子を気にすることもなく、店主はコーヒーの用意を始めた。
「ありがとうございます、ブラックは、飲めないので……」
大分緊張しているようだった。
「あまり好みの店じゃなかった?」
「ち、違うんです、こんな小説に出てきそうな喫茶店で、感動しちゃって、よく分かんなくなっちゃって」
感動したにしては随分大げさというか……。
「どうして鵺野さんはここを知ったんですか?」
「んー、ツテ」
「ツテかぁ」
端的に言ったけれど、ここを教えてくれたのは露子さんだ。なんでも、担当作家さんや同僚と大事な話をするときにこういう場所を選んでいるらしい。私としても、ここでノートパソコンを持ってきて作業をしたこともある。そういうことをしていてもここの店主さんは何も言わない。無機質なくらいに何も言わない。お礼の気持ちでで二杯目を注文しても、何も言わない。
「こういう場所は好き?」
「うーん……」
そう吉乃さんが考える間にも、聞こえてくるのは微かなジャズの音だけだ。
「嫌いじゃないかも……」
「そっか」
そんな受け答えの中、店主がコーヒーを持ってきた。ミルクコーヒー、片方は大きなカップに入っている。
「……多くない?」
「ううん、これが普通」
吉乃さんが驚いた私のカップの大きさは、おおよそコーヒーカップとは呼ばないサイズだ。小ジョッキと呼ぶかもしれない。ここにきたらこれを飲むのが私の決まりだ。
「……」
活発そうな見た目とは裏腹に、吉乃さんはお淑やかな所作でカップを口に運ぶ。どうだろうか?
「……甘い」
「でしょ」
甘い、ここのミルクコーヒーは本当に甘い。私好み。
「……やっと落ち着いて話せるね、鵺野さん」
「そうだね」
思えばバイトが終わってからずっと人混みに揉まれていた気がする。私も少し疲れていたけれど、吉乃さんも同じことを感じていたみたいだ。
「鵺野さん、創作活動をしてるって言ってたけど、どんなの?」
「うっ!?」
コーヒーが気管に飛び込んだ。静かな店内で私のむせる声が響いて、ちょっと恥ずかしい。
「きゅ、急だね」
「私、鵺野さんのこと、もっと知りたいなって」
さっきまでの少し緊張していたような素振りは鳴りを潜めている。今目の前にいるのはバイトではつらつとした姿を見せる吉乃さんだ。
「えーっと……」
言いにくい。なんかごまかそうとも思ったけれど、残念ながら私は嘘が下手だ。
「……小説」
「へっ!? 小説!?」
「うん」
すごい、かっこいい、……とか吉乃さんからはとにかく褒め言葉が止まらなかった。そこまで言われると照れる……というか小説家ってそんなに洒落た肩書きだろうか?
「ど、どんな作品を書くんですか……?」
「以前は恋愛もの……だったけど、色々書こうと思ってる」
「わぁ!」
私が話すたびに吉乃さんはぱぁっと花が咲くように笑うのだ。とても可愛らしいと思う反面、だんだん面白くなってきてしまう。私が喋ればこの子はステキな笑顔になる、謎のスイッチがこの子にあるような気がしてきた。
「そ、それってどこかで読めますか……?!」
「うーん、それは探してみて」
「えー!」
今度は笑顔じゃなくて驚愕の表情。よかった、いつもの……いやいつも以上に表情豊かになって。
「な、何かヒントを……! ヒントが欲しいです!」
「えー……?」
まあ、ヒントくらいなら。とは言っても当てられたくはない。
「ヒントは『鳥』」
「鳥……!」
「鳳」とは架空の霊鳥のこと。私は嘘を言ってはいない。
「早速……!」
吉乃さんはスマホを取り出し調べ出す。彼女が見ているのは日本で一番有名な小説投稿サイトだ。
……しかし私の舞台はネットじゃない。当分彼女は遠回りするだろう。
「分からないです……」
そもそも彼女はタイトルに鳥の名前が入っているものを調べたようだ。
「これ以上は教えないよ」
「そんなぁ」
悪いけど私の正体は追わせないぞ。
「はい、吉乃さんのターンは終わり。今度は私があなたのことを聞くよ」
「!」
「まず自己紹介をお願いします」
「え、ええと……」
吉乃さんは戸惑いつつも、自己紹介を始めた。
「吉乃さくら、21歳、大学生です。趣味は……えっと、趣味は……す、スポーツは好きです!」
吉乃さん結構力持ちだし、スポーツが得意そうなのはなんとなく予想できた。
「どんなスポーツを?」
「高校生までバドミントンをやってました」
バドミントンか。瞬発力が問われるスポーツ、改めて目の前の彼女を見たとき「上手そう」と思った。
「鵺野さんは、スポーツとかやってました?」
「ううん、なんにも」
運動は苦手って程でもなかったけど選んでこなかった。だから多分下手寄りの凡だと思う。
「うーむ」
吉乃さんについて聞きたいこと……そういえば。
「吉乃さん、どうして小説家がカッコいいって思うの?」
「それは……なんか、知的な気がして」
うーんあんまり考えて出た答えじゃないな。
「好きな本とかあるのかと思ってた」
「読書……昔、ミコトアオサギ先生の本を読んだことがあって、それが面白かった……かも」
ミコトアオサギ先生の本が好きという声はチラホラ聞く。こういう場で出ても不思議な名前じゃない。
「ううっ、ごめんなさい、あんまり読書の習慣なくって」
「そんなもんだよ」
私だってプロデビューする前はそんなに読書なんかしてなかった。若者の活字離れって言葉があるように、読書っていうのは知名度の割に流行ってる趣味ではない。
「あ、そういえばちょっと前に鳳ユキって小説家さん、話題になりましたよね!」
「……うん」
あ、ヤバ。私自ら墓穴を掘ったかもしれない。
「あの人の本も少し読んでみたかったなぁ……」
「今度読んでみるといいよ」
「読んだことあるんですか?」
「うん、一応」
私が書いたから物語の始まりから終わりまで、この頭の中には入っている。
「あれ、そう言えば……鵺野さんって……」
「ん?」
「鳳ユキに似てる……」
!! しまった! 私なにも考えてなかったけれど変装っていう変装は今やっていない! 当時の私と違うのはきっと髪色だけだ。そう思った時、染めた髪の根元が少し地毛の黒に戻りつつあったのを思い出してしまった。ま、マズい……何か、誤魔化せないか……!?
「あー、なんか、お腹空いてきたなぁ~」
「えぇ!? さっきとんかつ定食食べてきたばっかりじゃないですか!」
「デザートだよデザート!」
とにかく、私の容姿から意識を逸らさなくちゃ……!
「マスターさん、パンケーキを追加で二つ!」
「私も!?」
一応不公平じゃないように注文する。大丈夫、ここは私が払う。
注文をしたのち、すぐにパンケーキは出てくる。シンプルにバターがてっぺんに乗ってるパンケーキ。飾り気の無さが私は好きだ。
「いただきます」
「いただきます……」
急なデザートに吉乃さんは戸惑いつつも、やはりデザートは別腹になるのかキッチリ完食していた。
「美味しかったです。上品な甘さがすごく良かったです」
「うん、私も好きなんだ」
とりあえず彼女の意識はおいしいパンケーキに行った。あとは私の容姿に返ってこない事を願うだけだ。
「ところで鵺野さん、鳳ユキに似てるって言われたことありませんか?」
「……」
無駄だった。
「あんまりないかな……あんなテレビに出てたスターと似てるなんて恐れ多いよ……」
「そうかなぁ……」
とにかく切り抜けたい。誰にもバレずに私は鵺野悠希として生きていきたいんだ……! 少なくともバイト先では……!
「鵺野さんが違うっていうのなら、違うか……」
そうだ、そう! 私は鳳ユキとは全然違う、鵺野悠希だぞ……!
「うん。もし似てるとしても、世の中意外と似ている人って多いし」
「そっか……」
それ以上、吉乃さんは何も言ってくることはなかった。
ひとしきり話したところで、ぼーん、ぼーんとクラシカルな音が店内に響いた。
「っ!?」
「ああ、これは向こうの古時計の音だよ」
見ればもう3時を差している。そろそろ帰り時じゃないだろうか?
「あ、あんなアンティークまで……!」
「また来たい?」
「はい、すごく……!」
お気に召してくれたのなら良かった。
会計を(私が)済ませて帰路に就く。吉乃さんとは全然違う帰り道で、私は電車で帰るけれど吉乃さんはこの近くみたいだった。
「今日はありがとう、鵺野さん」
「どういたしまして」
「また、こうやって遊ぼう?」
「いいよ」
今日を振り返って、まあ、悪い一日じゃなかった、と私は思う。彼女がどうだったかは少し分からないけれど、その言葉がリップサービスじゃなかったら嬉しい。
「じゃあ」
吉乃さんは背中を向ける。私も振り返って駅のほうへ向かった。




