#10-B(1/3) 初めての釣り堀デート
鳳先生から連絡があったのは土曜日の昼だった。なにか趣味が見つかったのかな、なんてのんきな事を考えてメッセージアプリを見たら「私、次回作書くよ!」って書いてあった。
は?
いやいやいや、待ってほしい。一体何を言ってるんだあの人は。昨日あれだけ「書かない」みたいなこと言ってた人が、そんなガラッと変わるか? あの人お酒でも飲んでんのか? なんていう戸惑いのほうがどうしても強かった。
「いったい何があったんです?」
気付けばそうメッセージを送っていた。ジェットコースターみたいな急展開に喜ぶという感情を忘れている。
返事はすぐ来た。きっとあっちもスマホの前で待機していたのだろう。
「編集の人、ヒナちゃん、いろんな声を聞いて、考え直したんだ」
……ほう。
実は今日は釣り堀で釣りをするなんて言う謎のイベントの日だ。姉貴が言い出したのだ。
「姉貴、随分趣味変わったね」
「前々から行ってみたかったんだ」
「意外だね」
「そうか? んー、確かにそんな素振りは見せたことないな……」
なんとなく興味が湧いて、みたいなノリなのかもしれない。そういうところに行ってみたい、っていうのはあたしもある。
だけどさぁ。
「なんであたしと二人きりなの?」
「……察してくれ」
「姉貴、大学に友達いるでしょ?」
「いるぞ? いるが……どいつもこいつもそういう趣味の奴じゃないのさ」
「そっか。であたしが生贄と」
「ひどい言い回しだな」
毒づいている割には姉貴は楽しそうだ。実際あたしも楽しんでいるので悪い気はしていない。最初は生臭い魚なんか触りたくなかったし、げんなりしていたのだ。
「お、来た来た」
釣り糸を垂らすなり、姉貴は数秒で竿を上げる。そこには小さな魚が引っかかってた。姉貴はなんでも器用だ。
「すっげー……」
思わずあたしは声が出た。魚釣りは初めてだ。糸にかかってぴちぴちと震えている生の魚に、感動してしまった。
「はっ、結構楽しいな」
「まだ来て五分経ってないのに? ……お、これは」
あたしの糸も引いていた。ひ弱なあたしの力でも竿は引っ張れた。そこにかかっていた魚は、姉貴のよりも少し大きかった。
「へへ、姉貴、どっちがデカいの釣れるか、勝負しようぜ」
「いいぞ? 負けたらジュースをおごる、それで行こう」
そんな勝負をしていたときに来た、鳳先生のメッセージだったのだ。
「ええ……」
「? どうしたヒナ?」
しまった、声に出ていた。この文面、ちょっと公にしていいものか分からない。鳳ユキが復帰するなんて、こういうのバラしてしまったら、機密保持とかそういうので罰せられないだろうか?
「な、なんでもないよ」
「ほう?」
そんなその場しのぎの言葉、姉貴の前に通用するわけがない。姉貴はそういう人だ。反射的に言ってしまったあとに思い出す。
「『なんでもない』って言葉は、なんでもないときには大体使わない言い訳だぞ」
「うぐっ……」
その通りだと思う。
「……でもこれあんまり言いふらさない方が良さそうなことなんだ。ごめん姉貴」
「鳳先生の事か?」
「うん」
「そうか」
姉貴は引いてくれた。あたしの個人間の話に割って入ってくるようなデリカシーのない人間じゃない、それが姉貴だ。
「……ひどく動揺してるが大丈夫か?」
あたしの手が震えているのに姉貴が気付いた。そりゃあ、鳳先生の復帰が急に言い渡されたら、冷静でなんかいられないのだ。
「……ちょっと休憩するね?」
「まだ五分しか経ってないのに?」
「つ、疲れちゃったんだよ」
「そうか。まあ、私の釣りでも見とけ」
姉貴は何か察したかのように、それ以上あたしを追求しなかった。
姉貴はバンバン魚を釣りあげていく。釣り堀から魚を根こそぎ持っていくつもりか? ってくらい。姉貴は何やらせても大体上手くやれる人間だ。昔から勉強だって、スポーツだって上手くやっていた。部活の助っ人とかやれてしまう人間だったのだ。
「姉貴、周り見て」
気付けば、周りの客がちらちら姉貴の釣果を見ていたのだ。それくらい目立っている。
「ふむ……」
一体姉貴のなにがそんなに釣り堀の魚たちに気に入られているのか、あたしは分からない、たぶん周囲の人達も分からないだろう。
「あれ?」
急に声をかけられた。聞き覚えのある声に振り向くと、そこには山城がいた。なぜこんなところに?
「山城、こんなところで会うなんて」
「私こそびっくりだよ。白鳥に釣りの趣味があったなんて」
「いや、あたしじゃなくて姉貴の付き添い」
「姉貴?」
釣り堀でえげつない量の魚を釣りあげている女性を指さすと、山城は驚いた。
「えっ、この人!?」
「ん?」
姉貴も気付いたのか、山城の方を見る。姉貴のちょっと鋭い視線に山城は少しうろたえていた。
「ひっ……は、はじめまして、白鳥……ヒナちゃんの友達の、山城ひかりです」
「ああ、ヒナの姉の、灯だ。よろしく」
それだけ言うと、姉貴はまた釣竿の方に集中し始めた。
「……なんか、ちょっと怖いかも」
「わかるよ」
姉貴、真面目さの塊だったもん、以前までは。いや、もしかしたらそうじゃない面を見せているのはあたしにだけなのかもしれない。他の人から見たらかなりカタブツに見えているのかもしれない。目元もキリっとしているし、今は金髪のショートで、黒髪のあたしと比べてかなり異質に見えたのかもしれない。
「姉貴、友達と一緒に釣ってくる」
「ああ。あんま遠くに行くなよ?」
ちょっと山城と話したくなったので、あたしたちは自分の釣竿を持って別の場所へ移動することにした。




