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#10-A(2/3) 揺さぶられる本心

 夕方、スマホを見ると「準備ができたら連絡ください」とヒナちゃんからのメッセージが来ていた。学校も終わったんだろう。こちらもちゃんと準備はしている。長期戦になるかもしれないし、入浴、夕食を済ませて椅子に座る。


 深呼吸を数回。大丈夫、落ち着いている。浮かれているかもしれないが、酒を飲んでいるわけでもない。心の準備がバッチリ出来た後、ヒナちゃんに「OK」のスタンプを送る。


 すると数分後、向こうからビデオ通話がかかってくる。拒むことなくそれに出た。


「お疲れ様です、先生」

「お疲れ様、ヒナちゃん。金曜日だね」


 いつも通りの挨拶をかわす。もう慣れてきた。


「はい、明日はまた友達と出かけます」

「友達っていうと、例の?」

「あ、そうですそうです。なんとか励ましてあげたら、彼女吹っ切れてくれて。もうすっかり元気なんです」


 そうかそうか、それならよかった。果たして私の助言がどれだけ役に立ったのか。正直自信がない。その友達を立ち直らせたのは、ヒナちゃんの力だから。


「先生の言葉もありましたから」

「……そんな私役に立ったかな?」

「そりゃそうですよ。先生が『励ましてあげて』って言ったから、行動する勇気を持てたんです」

「……」


 画面の奥のヒナちゃんが嘘をついているような様子はない。力にはなれたんだろう。


「それなら、よかった」


 匿名の悪意に負ける姿、私自身でも、その他の会ったことのない人でも、私は見たくないのだ。ましてや創作活動をする人間がそれに膝を突くところなんかもっと嫌だ。


「……そうだ、ヒナちゃん自身の相談事で今日通話するんだったよね?」


 あ! と思い出したかのようにヒナちゃんが声を上げる。


「でしたでした。その、お話に関することなんですけど」

「うん、言ってみて」

「実は、今書いている話が佳境なんですけど、最初考えていた展開が、なんか違う感じがしてきちゃって」

「ほう……」


 なんとも、本物の作家がぶち当たるような質問だ。でもこれに関して、私が100パーセントの回答をすることは出来ない。


「もっと、なんか『らしい』展開が書けるんじゃないか、ってなって」

「――面白いでしょ」

「え?」

「そういう化学反応が起きるの」


 私はきっといつもと違う目をしていたのかもしれない。画面の奥の彼女がとても困った様子に見えた。


「……で、こういう事先生遭遇したことありました? あったらどう切り抜けたか」

「私の場合は、最初の案を没にする」

「……ええ!?」


 ヒナちゃんは驚きの声を上げた。もしかしたらこの化学反応を「いけないこと」と思っていたところがあったのだろう。


「それは、登場人物が辿る運命が、具体的に見えてきた証拠だよ」

「……なるほど」

「最初に展開を考えていた時、きっとこうなる『だろう』で話の筋を決めていた。だけど登場人物たちが動いて、それに伴って周囲も動いて、その結果、思っていたよりずっとリアルな展開が見えてきた――って事だと思うんだ」

「……」

「ヒナちゃん、話を書いているとき、キャラクターたちがひとりでに動きだしたりしなかった?」

「! はい! 思ってたことと全然違うこと始めたりして……」


 ああ、一緒だ。私と似たようなタイプの作家だ、この子は。


「そうか。私と一緒だよ」

「?」

「世の中、違う人もいるらしい」

「そうなんですか?」


 ガチガチに計算しつくしてキャラを『動かす』という作家もいるにはいるらしい。そういう作家さんは推理小説などで活躍できる……とか。


「私も違和感のない展開を選ぶよ。……もっとも、そのあとに軌道修正して最初没にした展開に寄せることもある」

「どっちなんですか!」

「好きなように。そのキャラたちに歩んでほしい道を作れる『神様』なんだ、私たちは。だから、思いつくまま『これだ!』って展開を作るもよし、『ブレすぎ!』って少しずつ修正するもよし。それは、ヒナちゃんだけにしか出来ない、大仕事だ」

「……」


 ヒナちゃんは何か噛みしめているかのようにも見えた。


「そう、か……私が、作れちゃうんだ」

「そう。きっとステキな展開になるよ」


 そう告げると、カメラの向こうの彼女は笑みを浮かべた。


「……はい! 先生、ありがとうございます」


 先生。露子さんからはしょっちゅう呼ばれなれているけれど、ヒナちゃんから発せられる「先生」は何度聞いても、ちょっと新鮮に思える。講師のような気分だ。


「悩みは解決した?」

「はい。大変そうですけど……頑張って、いいお話、書いてみます」


 きっと君なら、ステキな物語が書ける。私はそう信じている。




「先生、今日夜更かし大丈夫ですか?」

「ん? ちょっとくらいならいいけれど」


 明日は露子さんとも話す予定がある。バイトはない。夜が明けるまでとかは無理だ。


「先生の趣味の話です」

「あ」


 そう言えばそのことはすっかり忘れていた。それを探しに本屋に向かったのに、結局露子さんの本に全て持っていかれてしまったのだ。


「見つかりました? 先生の趣味」

「……それが、昨日探してみたんだけど……なんか、ピンと来なかったよ」

「探す、っていうのもなんか変ですよ」


 そうなのかな。そうかもしれない。


「何か空き時間にしてることってないんですか? ゲームとか」

「それがないんだよ」


 事実、スマホやアプリゲームが世の中に普及しているというのに、私はそういうので時間を潰す趣味はない。


「珍しくないですか? それともジェネレーションギャップ?」

「それはないと信じたいけど」


 私だって二十代、スマホに夢中な二十代なんてどこにでもいるはずだ。だからこれは私が少数派なだけだ。


「じゃあ、空き時間はなにを?」

「うーん、こういう通話とか?」

「え……」


 ヒナちゃんが少しうろたえたように見えた。


「そ、そうなんですね……あたしだけ?」

「いや、私の担当編集さんとたまに話すんだ。とても良くしてもらっててね、私が引退した後も親切にしてもらってる」

「あぁ、なるほど。あたしそんなに通話してるっけ? って思っちゃいましたよ」


 時間はそこまでだけど、君との通話は私の生活の中でひときわ輝く時間だ。


「ん? 担当編集?」

「うん。引退を表明したけど、その人はまだ私を諦められないみたい」

「……仕事で?」

「そう……あれ?」


 そういえばそうだ。露子さんってなんでまだ私と関わっているんだ? 引退という言葉はもう「作家業やめまーす」という意味でしかない。それを公に発言して一年以上経った今、私が出版社や編集者と未だにつながりがあるのは確かにおかしい。


 引退後露子さんが私に接触しているのは、引退後の書類関係の手続きをするという名目だったはず。今の今まで失念していた(というより当時はもう精神的に限界で、気にしている余裕もなかった)。


「変だな……」

「随分大事にされてるんですね」

「今度そういうところ、聞いてみよう」


 どういうことなのか。もしかして露子さん貴重なプライベートの時間を割いて私のことを気にかけているのか?


「話を戻すと、先生の趣味は誰かと通話すること……って感じですか?」

「そうなるかも」


 ふむ、とヒナちゃんは唸る。誰かと通話が趣味、趣味というか、なんというか……。


「つまり~……友達付き合いが趣味ってことですかね」


 そうなのかもしれない。私は実は孤独なのが嫌なのかもしれない。そうでもなければ、通話が一番楽しいっていうのはおかしいと思う。


「なーんだ、あたしと喋るの、そんなに好きだったんですね」

「そりゃあ……うん」

「恥ずかしがったりしないんですね」


 恥ずかしくはないし。君と喋るととてもワクワクするし。


「じゃあヒナちゃんは私と喋るの、嫌?」

「うっ……そんなことはないですけど」


 ヒナちゃんは言いづらそうな表情だ。


「楽しくなかったら、こうやって事あるごとに通話しませんよ」

「だよね」


 それが聞けて良かった。


「……あたしてっきり、先生の趣味の欄は『執筆』とか書いてあるものかと思ってたんです」

「っ!」




 作家時代はそれが仕事だったから、必然的に別のことを選んでいたはずの趣味。

 じゃあ仕事が変わった今、執筆が趣味になっているかといえば……。




「残念ながら、趣味じゃないんだ」

「そうなんですね」

「もう、作家はやめようって思って」

「……完全に引退、ってことですか」


 うん、と返事をする。もう私は決めている。あの世界は、私がいていいところじゃなかった。


「でも、もしヒナちゃんが作家を目指すっていうのなら、私は教えられることはなんでも教える」

「……そうですか」


 いいんだ。私はもうあの道を行くことはない。たった一作売れただけの作家、それで終わり。


「……そうなんだ」

「?」

「もう先生の書く新しいお話、読めないんだ」


 ズキン、と胸の奥が痛んだ気がした。……知らない、何で痛んだのか知らない。追及してはいけない。


「うん。私の代わりに、ヒナちゃんが書いてほしい」

「ズルいですよそんなの」


 ああ、私はズルい元作家だ。好き勝手なことを言っているのは分かっている。


「じゃあ、私が鳳先生よりも大ヒットする作品、出しちゃいますからね!」

「うん、頑張って」

「ちょっと! 少しは悔しいとかないんですか!? あたしみたいなひよっこに挑発されて!」

「微笑ましいし、むしろ追い抜いてくれた方が嬉しい」


 なんですかそれー! とヒナちゃんは鋭く(にら)んでくる。


「じゃあ、鳳先生はもう本当に書かない……ということなんですね」

「うん、それだけはもう変わらない」


 私の回答を聞いた後、こちらを睨む視線は途端に、力が和らいだ。


「……あたし、先生の後釜になれるほど立派じゃないですよ」

「少しずつでいいからさ。私はヒナちゃんのことを信じているよ?」

「はいはい……」


 諦めたのか、ヒナちゃんはそれ以上何も言ってこなかった。





 夜更かしをするような雰囲気があった通話は思ったより早く終わった。スマホの画面に映る午前一時の時計。外から入ってくる音はないし、無論部屋の中を満たす音もない。


「……」


 胸に手を当てる。あの時走った痛み。もちろん外傷的なそれじゃない。……ダメだ。それ以上考えちゃいけない。私は作家業をやめたんだ。それ以上でもそれ以下でもない。


「……」


 寝よう。そう思い、寝る支度をして、ベッドに入る。目を(つむ)るけれど、通話前まで確かにあった眠気はどこかへ消えてしまっていた。眠れない。そう思った時にネガティブな事ばかり頭の中を巡るのはどうしてだろう。




「もう先生の書く新しいお話、読めないんだ」




 ヒナちゃんの言葉が頭に反響し続ける。ダメなんだ、ダメだ。この言葉に反応しちゃいけない。忘れろ、忘れろ鳳ユキ。いや、鵺野悠希。もう「鳳ユキ」なんて名前も忘れてしまえばいいんだ。そうすればもう、作家の鳳ユキは消えてなくなる。私がそれを忘れれば、完全に世の中には存在しなくなるんだ。


 二時、三時。時計の針が進み続ける中、私は眠れない夜を過ごした。

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