#10-A(1/3) 失うタイミングたち 私の「友達」
その夜、露子さんは日付が変わる直前にメッセージをくれた。明日もきっと仕事だろうに、露子さんは優しい。……そんな私は殆ど寝ていたけれど。電気がつけっぱなしの中でたまたま起きて見たスマホに、5分前のメッセージの通知が来ていたことに気づいた。
『帰宅! 先生、何かありました?』
露子さんのメッセージに私の寝ぼけまなこはスッと醒めた。決めていた、私は彼女にありったけの気持ちを伝えると。
通話ボタンを押すと、すぐに露子さんに繋がった。
「お疲れ様です、露子さん」
「お疲れ様~。ふわぁ……」
……ああ、露子さん本当に疲れてる。本当は今すぐにでも寝る支度をしたいところなんじゃないだろうか?
「あ、いや……露子さん、また今度にします? 私ちょっと、長話になりそうなんで」
「んーん、担当作家さんのお悩み相談っていうのは、編集の仕事ですから。それが鳳先生であるなら尚更です」
これ本当に私の話始めていいのか? 決心したのにもう揺らいでいる。仕方ないとはいえ……。
「遠慮しないで。一日徹夜したくらいで、この烏丸露子が倒れるなんてことないですから」
「徹夜はお肌の敵ですよ、露子さん。健康的な生活は大事ですって」
「……そう言われると、ちょっと……」
んー、これはまた今度にしよう。
「今日はもうやめましょう、露子さん。次のお休みの日にでもいっぱい喋りましょう」
「あー……そうね。まったく、先生ったら優しいんだから」
それはあなたも同じだ。
「一応概要だけ聞いておくわ。どういうお話? その様子じゃ、切羽詰まっているって訳じゃないわね?」
「はい。なんていうか、その……感謝の言葉、というか」
「え? なにそれ。どういう事ですか?」
「露子さん、私に何も言わないで本を出してましたよね」
「っ!?」
それから沈黙が数秒続く。
「スゥーッ……」
なんか意味深な深呼吸の音が、スマホ越しに聞こえて。
「……ええ、そう、ねぇ……」
ぎこちない発音の答えが帰ってきた。
「露子さん、やっぱ今度お話ししましょう? 露子さんも心の準備とか、必要なんじゃないですか?」
「そうね……まさかだったわ。先生にその話題を振られるなんて……」
露子さんの声のトーンはちょっと下がっている。まるで私が露子さんを責めているかのような気分になってしまう。そんなわけはないのだけど。
「うん。今度の土曜日。そこが休みだから、お話ししましょう。先生はどうですか? バイト」
シフトが入っているけど、そこはどうにか変えてもらおう。最悪バイト終わりでも私は通話できる。
「行けると思います」
「じゃあ、その日に。……楽しみにしてるわね」
露子さんの安らかな声の後、通話は切れた。
あの本、もしかして露子さんにとってあまり見つかりたくない物だったのかな? 話さなかった理由はそれで納得できるけれど、じゃあそもそも出さなくてよかったのでは? とは思う。(本を出す理由なんて人それぞれだとは思うけれど)
とはいえ、私も今の勢いで喋ったら、暴走していたかもしれない。露子さん同様、私も少し整理する時間は必要だったのだろう。そう言う事にしておこう。
「あれ、何か通知が入ってる」
メッセージアプリの通知。何か露子さんが言い忘れたことでもあっただろうか? と思ったけれど相手はヒナちゃんだった。
「先生、通話できますか?」
そんなメッセージが1時間前には来ていた。しまった。時計を見るともう日付が変わっている。今頃返信しても遅いだろうか? とりあえず通話はもうやめよう。私も眠い。返信だけしておく。
「ごめんなさい、今日はもう寝ます。どんなお話?」
そう送ったメッセージはすぐに既読がついた。
「そうですか。実は作品作りで相談があって」
むむっ。作品作りの相談? それは事情が変わってくる。
「徹夜します。電話いい?」
だいぶ前のめりな返信をした結果、
「ごめんなさい、あたしも眠いんです。明日お願いします」
あっちから手を引かれてしまった。仕方ない。徹夜なんて健康の敵なんだ。ましてやヒナちゃんは学生。なおさら不健康に導くわけにはいかない。なんだろう。それからヒナちゃんから具体的な内容は聞かされず、私はどこかモヤモヤした夜を過ごすことになった。
翌日バイトに入った私に同僚が言う。
「鵺野さん、お客さん!」
「え、あっ」
目の前の客に気付かなかったようだ。またある時は、
「鵺野さん、レンジの中!」
「あっ」
レンジの中のお弁当を忘れてたり。かなり危うい日だった。
「ごめんなさい」
人が空いてきたころ、私は同僚に謝る。
「いいよ、気にしないで。……何か悩み事?」
「悩み、というか……昨日とも」
友達、と言おうとして少しためらってしまう。友達、か。
「とも?」
「友達の相談を聞きそびれて」
「あー、そうだったんだ。モヤモヤしてるって感じ?」
「うん」
そっかぁ、とボブヘアーの同僚はなにやら嬉しそうに両手を合わせる。な、なんだ……?
「よかったぁ、鵺野さんの事が聞けて、ちょっと嬉しいよ」
「そ、そうですか……」
あんまり話したことが無かった同僚。思い返せば、私がそもそも自分のことを殆ど話したことがなかっただけだ。この人は私がここのバイトを始めてからずっといるし、たまに一緒のシフトに入っている。
「前々から思ってたんだけど、鵺野さん……」
じろじろ、じろじろりと私のことを見てくる。……なんだか嫌な予感がする。
「なんか、有名人に似てる……気がする」
「気のせいじゃないですか?」
反射的に言葉が出る。逆に不自然だと思われるほどの速度に、同僚はちょっと面食らっていた。
「ご、ごめん……あの月9に出てる女優さんにちょっと似てるな~、って思っただけだから……」
「い、いえ、謝らなくても……」
……誰だ、その女優。芸能人に似てるって初めて言われた気がする。
「……ちなみに、その女優って?」
「あ! えーっとね……」
聞いてみるとどうやらそのドラマのちょい役らしい。ときどき出てくる主人公の姉を演じているらしい。残念ながら名前を聞いても私はわからなかった。
「今度調べてみる」
「うん。多分似てるから」
そうなんだ……。
「鵺野さん、最近明るくなったよね。何かいいことでもあった? 彼氏さんでも出来た?」
「いえ、恋愛はとくになにも」
普段ならそこで私は言葉を止めていた気がする。だけど、今日はなんだか口が軽かった。
「……友達が、出来たと言うか」
「んっ!? どんな人!?」
ずいぶんグイグイ来る感じにちょっと警戒度が上がる。やめてくれ、そういうノリちょっと苦手なんだよ……。
「趣味が同じで……歳はちょっと離れてるんですけど……すごく、通じ合えるというか」
「す、……」
一呼吸置いたのち、同僚は言った。
「ステキ~~!!」
「こ、声が大きい!」
しまった、と言わんばかりに同僚は口を両手で抑えた。
「そういう人、憧れちゃう……! ゆくゆくは恋愛関係に?」
「? いえ、女の子です」
「え? あ、ああ~……なんか、舞い上がっちゃった……」
今の流れから異性の友達と勘違いしたらしい。そうか、そう聞こえたか。
「でもそういう人、大事だもんね」
「そうですね。……その子と会ってから、なんか、だんだん毎日楽しくなっている……気がします」
「……それって恋愛じゃない?」
「そういうのじゃないです」
ただの通じあえる友人だ。同性だし、恋愛関係とは全然違う。
「そっか。でも……その人がいなかったら、今こうしてわたしとお喋りもしてくれてない……でしょ!?」
「!」
そうかもしれない。私ったら、やっぱり浮かれているんだ。
「その人、もし良かったらどんな人か、今度詳しく教えてくれない!?」
「いえ、その……」
「あ、いらっしゃいませ~」
断るタイミングで丁度客が来てしまった。くそ、なんて間の悪い……!
それからは客が絶妙に途切れず、同僚に断る話をすることが出来なかった。
「鵺野さん、また月曜ね!」
「はい」
結局タイミングを逃して、バイトが終わった。次のシフトの男同僚が少し私たちに絡んできたが、私も、そして同僚もきっちりスルーして無事に帰宅した。




