#9-B 一対一で立ち上がって
山下さんが泣いて3日。あるものは猛烈に励まし、あるものは暖かい目で見守り、またあるものは変わらず接して……。表面上は山下さんは明るく振る舞っていたけど、元気がないのは明らかだった。いつもの弾けるようなトーンの声だってハリがない。
そんな中、審判の日が訪れた。
「……」
美術の授業。今回は「花」の絵を描くという授業だ。この一年間で、山下さんが絵に強いっていうのはクラスのみんなも、先生も知っているのだ。……だからこそ、私は彼女がとても心配だった。
今日山下さんは欠席することなく授業に参加している。何か無理をしているんじゃないか? と内心ずっと疑っている。だってあの空元気は今さっきまで感じていたから。
「では皆さんの好きな花を、描いていってくださいね」
そういう私も描かなくちゃいけない。悲しいことに絵のセンスは全然ない。それでも美術の先生は「あなたらしくていいじゃない」と褒めてくれた。
今日の美術は二時限あるから、早い人はもう絵の具で色塗りまで行っている。私はそんな上手じゃないから、まだまだ下書きが終わらない。
チラッと山下さんの机を見る。……やっぱりだ。彼女はいつもこの手の課題はクラスで一、二を争うくらいに早く仕上げていく(仕上げの段階に時間を使えるからクオリティも高い)彼女だけれど、いまだに私同様、画用紙の上は白黒の世界だ。
「あら、山下さんどうしたの?」
何か違和感を覚えたのであろう先生が山下さんに問う。瞬間、彼女の手が止まって、微かに震えていた。
「せ、……せんせぇ」
「? 体調悪いの?」
はぁ、はぁ、と荒い息遣いが少し席の遠い私にも聞こえてきた。彼女の顔は血が通ってないかのように真っ白だった。
「……先生! 私が保健室に連れて行きます!」
「白鳥……」
手を挙げた私に、隣の山城が驚く声を出していた。
「わ、わかったわ。お願いね」
「行こう」
彼女の手を取って、半ば連れ出す形で美術室を出た。
「うっ、くっ……」
保健室に向かう途中、彼女は泣き始めてしまった。
「大丈夫? どっか他のところ行く?」
「うん……」
山下さんは上を指さす。まだ授業中だ、色んな教室に生徒がいて、廊下はがらんとしている。そんな中で落ち着ける場所と言ったら、保健室、あるいは……。
屋上に通じるドアの取っ手は、ホコリっぽかった。開けるとそんな不快感を吹き飛ばす、寒風が吹き抜けた。
「さむっ」
思わず縮こまる。だけど山下さんはそんな素振りもなく、歩き出していく。迷うことなくテクテク歩いて、縁のフェンスまで行く。
「……うう、うえーん」
ここでよかった気がする。保健室では声を上げて泣くことはできないし、もしかしたら他の利用者もいたかもしれない。
「うっ、くぅっ……」
堰を切ったかのように山下さんは泣き始める。そこには無理した笑顔の彼女はいない。悲痛な叫びと共にクシャクシャに顔を歪める彼女に、私はかける言葉を見つけられない。
「……」
こういう時、どうしたらいいんだろう。ただ黙って見ているのも、見ないふりをするのも、当然見捨てることも心が辛くなる。何か彼女を慰めたい。いまそれができるのは、私だけなんだ。でもかける言葉は月並みなものばかりだし、もし彼女をさらに傷つけてしまったのなら、と踏ん切りもつかない。そんなダサいあたしが嫌になる。
「っ……」
考えても纏まらない。山下さんの慟哭が思考を乱す。あたし、何をすれば……何をしたら……情けないことに、あたしはこの場で誰かに答えを出してほしくて仕方なかった。
(あたし、どうしたらいいんだろう……)
その時、姉貴のことが頭に浮かんだ。姉貴だったら、こんなときなんて言うんだろう。「なんでもいいから慰めてやれ」とかいうだろうか? でも姉貴はコミュニケーションにおいてテキトーなのには厳しい筈だ。どうすれば……。
「あー、もう」
あたしはもう考えるのをやめた。答えなんか出してくれない思考回路を止めたのだ。
「……白鳥さん?」
「拭いて」
あたしはハンカチを彼女に差し出して、彼女の手をギュッとキツく握った。痛いって言われるかもしれないとか、その時には思わなかった。
「山下さん、大丈夫だって。あんたのイラストは、あたしの世界で一番輝いてるって!」
嘘ではない。プロと比べて拙くても、彼女の楽しいという気持ちが見えたイラストはあたしは好きだ。
どうしてこんな言葉を告げたのかはわからない。ただ思ってることと、彼女を励ますことが一致した言葉だったのだろう。
それを告げた途端、山下さんは驚いたような顔をこちらに向けた。
「か、輝いて、る……?」
「うん。あたしが見たイラストで、一番心が揺さぶられたんだ」
盛ってない、とは言わない。だけど限りなくこれに近いことを感じたんだ。
「だから、元気を出して。山下さん、ここで筆を折るのはもったいないよ! あたし、山下さんの次回作、待ってるからね!」
「えっ……あぁ……」
何か戸惑ったような表情をした彼女に、何か失言をしてしまったか? と少し振り返る。月並みな言葉でも、地雷のワードというのは誰にだってあるから。……急かしたのはマズかっただろうか?
「あぁ……!」
すると彼女は、目に涙をいっぱい溜めたまま、頬を緩ませた。
「あぁ、ああ……」
と思ったら今度は大声で泣き声をあげだしたのだ。でも笑ったまま。え、何これ? どういう感情を現してるの?
「うっ、うううう~……!」
何かを抑えられなかったかのように、山下さんは私に抱き着いてきたのだ。
「うわぁっ!?」
「もう~~!! 早く言ってよぉ~~!!」
あまりのハグの強さに、全身の血流が滞りだして、意識が飛びそうになった時、やっと彼女は放してくれた。
「あれ? 白鳥さんどうして青いの?」
「山下さんのハグがあまりにも強かったからだよ……」
「ご、ごめん」
そう謝る彼女の顔に、不安の色は少しも見えなかった。
「元気になったみたいでよかったよ」
「白鳥さんの言葉、すごく嬉しかった。ねえ、私、まだまだやれるよね?」
「うん。絶対。あんな批判してくる奴なんか一発で黙らせる、最強の絵が描けるようになるよ! もしまたなんか言われたら、あたしを、あんたのファン一号を思い出して」
「……うん!」
彼女のとびっきりの笑顔が、褪せた冬の景色でキラキラと輝いていた。
教室に戻ったあたしたちは怒られた。どうやら保健室ではなく立ち入り禁止になっていた屋上に侵入した罪だそうだ。この世には理不尽なことは山ほどある。でも横に立つ未来の神絵師の顔は晴れ晴れとしていたから、なんでもいいや。
それからというものの、以前まであった山下さんの翳りともいえる表情はすっかり消えた。いつもの明るくてちょっと声が大きい彼女が戻ってきたのだ。
「なあ白鳥、山下に何したんだ?」
「さあね」
恥ずかしいから言わない。
「ねえ白鳥さん、今度のイラスト、どういう系がいいかな?」
「んー、ゴシック系とか?」
「あ~! いいね!」
「私らの意見は聞かないのか? なあカホ」
「……!」
かほちゃんが頷いている。
「わかったから。じゃあ、何かいいアイデアある?」
「んー、和服」
山城のそれを聞いたかほちゃんが一瞬固まったのち、自分のノートに答えを書く。そこにはチャイナ服と書かれていた。こういうときに遠慮しない、というのはあたしたちの中での約束だ。
「うわ、バラバラじゃん。山城さんまた今度ね」
「なんで私真っ先に切られるんだよ!?」
「んー……チャイナ、ゴシック、チャイナ、ゴシック……」
限界まで悩んだ彼女はこう言いだした。
「ゴシックチャイナ……」
「ええ? デザインスキル必要じゃない?」
「……」
「よーし、やってみよう!」
こうして山下さんは元気と、そしてイラストを描く力を取り戻したのだった。
「ってことがあってね」
「おう、よかったな。友達を救えて」
姉貴に話した。最近姉貴との距離がだんだん近くなってきている気がする。嬉しいような、恥ずかしいような。
「『救う』って大げさじゃない? あたしそんな大それたことやってなくない?」
そう言うと、ハア、と大げさなため息を姉貴は吐いた。
「本気で言ってんのか?」
「うん……」
「その子がお前の言葉に勇気を貰わなかったら、今頃本気でイラストやめてたかもしれないぞ?」
「それは……そうかもしれないけれど」
「自信持てよ。お前、結構いい奴してるぞ」
「やめてよ! 照れるから!」
「意味わからん逆ギレやめろ!」
そうか、あたしの言葉が、山下さんを復活に導いたんだ。一つの言葉で心は簡単に折れるかもしれないけれど、一つの言葉でそれを立ち直らせることも出来るんだ。なんか、胸の奥があったかい感じ、嫌いじゃないかも。
「……それにしても姉貴、ホントにやったんだね」
「美容院に行ってな」
姉貴の髪は、以前の黒髪から、美しい(ってあたしは思う)金髪に生まれ変わっていた。下手な色じゃないし、この色ならあのミーシャを演じてもきっと似合うだろう。そして。
「ショートかぁ……姉貴のショートヘアー、かなり違和感あるかも」
「……私もそう思う」
姉貴が照れくさそうに毛先をくるくる弄る。生まれてこの方姉貴のヘアスタイルはロングだった記憶しかない。あたしが幼稚園の頃から今までずーっと長かった。それが今、姉貴の髪は肩の上にしかない。
「ショートヘアーって楽なんだな。髪も速く乾くし、首元蒸れないし。これからショートで生きてこうかな」
「お母さんたちが見たらビックリするかもね」
「だろうな」
あたしが驚くんだ。きっと驚く。
その予想は当たった。当たったけれど、それ以上の反応をされた。
「変な人と付き合ってないわよね?」
「娘がグレるとは、父さん悲しいぞ」
「そういうんじゃない!」
納得の反応だった。
夜を迎えて、椅子にもたれて目を閉じる。いろいろあったな。山下さんは元気になったし、姉貴は大胆イメチェンをした。こんな濃いイベントが二つも重なるなんて、面白いこともあるもんだ。
「さてと」
あたしはあたしの趣味を楽しむ。パソコンを開いて、文章を打ち込んでいく。そろそろ佳境といえる場面に来たような気がする。そこで、ふと手が止まった。
「あ……」
恐ろしいことに気づいてしまった。あれ、ここからの展開、どうすればいいんだっけ!? いやプロットとして予定はある。あるけれどなんか、それ通り書いたら違う気がする。あれ、あれあれ!?
「やっば……」
なんか変な感じがする。あたしはまさか迷路に迷い込んでしまったのかもしれない。……そんなときは、大先輩に聞くのが一番だろう。あたしが持ってる切札、それが先生の存在だ。さっそくメッセージを送って返事を待つことにした。




