#9-A(2/3) ヒナちゃんからの宿題
シリアスな話題はそこで一旦終了して、私はヒナちゃん自身のことを聞くことにした。
「私ですか? うーん……まあ、好調ってところですね」
「おお。文字数も増えてきた?」
「はい。この前先生と話せた辺りから、だんだん調子上がってきて」
よかった。なんか、後輩を見ているような感じだ。彼女が一体どこまで行けるのか、ちょっと楽しみになってきた。
「そういえばヒナちゃんはどんな話を書いてるんだっけ」
「えっ!?」
露骨に驚いたような声をあげたヒナちゃんの表情は、これまた露骨にバツの悪そうな感じに固まってる。
「あ、あの……その……」
「恥ずかしいのなら、全然いいよ」
「あ、いえ……その」
顔を赤らめつつもヒナちゃんはぼそっと呟いた。
「……先生の書いた作品……に、近い、奴です」
……ほう! なんだろう、すごく、嬉しいと言うか、すごく胸の辺りがあったかい感じがする。こんな感覚初めてだ。パクリって貶すつもりなんか全然ない! うれしい、うれしいな、これたぶん嬉しいって感覚だ!
「先生?」
「あ、ああ、いや」
声が裏返ってしまった。しまった、気持ちが出ちゃっている。んん、と何度か声だけでも整えようと咳ばらいをする。
「……いいんじゃないかな。別にあの作風は特許取ってるわけでもないし」
「そ、そうですか……!」
さっきまでガチガチだったヒナちゃんの顔は見る見る晴れやかになる。
「ヒナちゃん、もし書き上げることができたその時は……読んでみたいな」
「! いや、いや~……」
おずおずとヒナちゃんは声が小さくなる。普通の人は自分の書いた小説など恥ずかしくて見せたくないとは聞いたことがある。
「そんな、あたしの小説なんて……」
「意外と面白そうだし」
「いや、いやいやいやいや!」
「私の作品に似てるのなら、面白いはず」
「っ、意地悪ですね!」
からかってしまった。
「よし、ヒナちゃん相談事はもうないかな?」
「はい。友達は全身全霊で励まします」
「なら」
「あ、先生」
「なに?」
なんだろう。なにか思い出したのだろうか。
「あたし……これ聞いていいか分からないけれど」
「?」
「先生の事、聞いちゃだめですか?」
……ほう。私の事か。ファンと作家という立場であるなら、あまり踏み込まない方がいいけど、今の私たちの関係は果たしてその枠に入っているだろうか? そもそも私はもうそんな接し方じゃないと思っていた。
「いいよ。何が訊きたい?」
今の私たちは友達だ。歳はそこそこ離れているかもしれないけれど、本当の友達というのは年齢などに縛られるものではないだろう。
「先生って何歳ですか?」
「……」
前言撤回と言いたい。自分の答えをそのまま言おうとしたとき、なぜかためらいが生まれた。これは頭では年齢など関係ないとか思っていながらも、本当は歳の差には埋められない溝があるって分かっているのかもしれない。いや、いやいやそれを乗り越えてこそだ。大人の付き合いなど、同い年のほうが珍しいんだ。
「24歳だよ」
「8個上……」
その通りだ。目の前の彼女は少し、どう思っているのか分からない顔をしている。笑顔じゃない、悲しそうでもない、なんか……「複雑な顔」をしている。
「なんか変だった?」
「もう少し上なのかなって」
うっ!? ちょ、ちょっと待ってくれ! 何だその答え!? 私、もしかしてもっと老けて見られてたってこと!? いや、いやいやいや! 嘘だろ!?
「……あの、先生? どうしたんですか、鏡なんか持って」
「っ!?」
反射的に握っていた鏡。今の私、そんな顔が死んでいるのか!? まてまてまて! 必死に覗く鏡が震えてよく自分の顔が分からない。そもそも冷静さを失って自分が老けてるのか若いのか顔が死んでるのか紅潮してるのかもわからない!
「あ、先生……あんまり年齢に触れてほしくなかった?」
「……いや、その後」
「もっと年上に見えたってとこ?」
「ウン!」
力強く頷くと、画面の向こうの彼女はふっと笑った。
「先生、そういうところ気にするんだ」
「えっ」
……言われて気が付いた。私、自分の年齢とか、自分の容姿がどう見られてるとか、そんなムキになるほど気にしたことがない気がする。どうして? どうして私はいまこんなに焦ってたんだ?
「ほんとだ……」
「ええ? 何ですかその反応」
「今までそんなに気にしたことなかったのに……」
「……先生疲れてます?」
そんなことはない。最近の私は元気だ。こうして楽しくお喋りできる相手もいて、退屈しないんだから。
「まあ、なんて言うか、先生の雰囲気もっと人生経験豊富なのかな、とか思って。さらに3つか4つくらい上を予想してました」
鳳ユキ、28歳。……想像したくない。28歳っていう数字、それは露子さんのナンバーなんだけど、あの人は今かなり婚活に奔走している。私もあんな風になるんだろうか?
「うーん、そこまで。ほんの数年前まで大学生してたし」
「そっか」
テレビに出るほど人気作家になった経験はあるとはいえ、私はまだまだ青い人間だと思っている。
「って、年齢だけでこんなに話膨らむのおかしいですよ!」
「……確かに」
私が24歳ってだけでここまで盛り上がってるのは変だな……。
「あたしが聞きたかったの、先生の趣味です。先生ってどういう過ごし方してるのかなって」
「趣味?」
「あと、大人の女性の趣味ってどんなのがあるのかなって気になって」
「周りにそんな人いない? そういえばお姉さんがいるって聞いた気がするけれど」
「あー、姉貴は真面目人間なんで……。……。勉強ばっかりです」
なんか変な間があった気がするけれど、また聞きで人の趣味なんて深掘りするものでもないだろう。
「だから、大人の女性について聞けるのは今は先生だけなんです」
「……ひょっとしてそれは取材?」
「え?」
取材。小説を書くとき足りない情報はどうにかして埋める必要がある。その一つの手が取材だ。
「いやー、なんか、個人として気になっちゃっただけ」
「そう。小説を書くとき、取材することって大事だからさ」
「え? そうなんですか」
「うん。分からないものを書きたいとき、分からないまま書いちゃうと話のつじつまが合わなかったり、誰かが読んだときに、それこそ『真っ当な批判』が上がったりするんだ」
露子さんから言われたことの一つ。リアリティを出す時、そしてそれをあえて外すとき、情報は大事だって言っていた。私も痛感したことがある。情報不足で書かれた小説に上がった批判は、例え優しい露子さんでも容赦なく伝えてくるだろう。(それをなくすために作家・作品をチェックするというのも編集の仕事ではある)
「つまり……ヒナちゃんは作家としての才能はあるんじゃないかな」
「急にそんな話にしないでくださいよ!」
褒めたつもりだったのに。
「で、先生の趣味って?」
悪かった、友達としての話だったね。えーと私の趣味は……。
「バイト……?」
「バイトが趣味……?」
待ってほしい。私、趣味なんだっけ? あれ? 私……バイト以外、何をしてる……?
「……?」
「先生?」
「……無い、な」
「ええっ」
……恐ろしいことに、思い浮かぶ趣味も、やった趣味もない。この灰色だった一年間で一体何を楽しみに生きていたのか、それも分からない。
「なんだろう……」
「先生、聞いたあたしが悪かったです! もうこの話はやめ! やめよう」
「……」
これは、この通話が終わった後の宿題になりそうだ。
趣味の質問で変な反応をしてしまったあと、もう寝る時間だと言う事でヒナちゃんから終わりを切り出された。学生に(大人にもだけど)夜更かしは敵だ。おやすみ、と伝えて通話が切れた。
ベッドに横になる。私の趣味。私が仕事以外でやっていること……。
「思い出せない……」
何をしていたっけ。最近楽しかったことと言えば、ヒナちゃんと話すこと、露子さんと話すこと――私、自分の趣味っていうの、見失っている。
「どうすれば……」
そんなことを考えているうちに、いつの間にか私は夢の中へと迷い込んでいった。




