#9-A(1/3) ヒナちゃんからの相談
バイト先では案の定、いろいろ言われた。例えば、
「鵺野さんから話しかけてくるなんて珍しいね」
とか、
「なんか楽しかったことあったんすか? この前もなんか嬉しそうでしたし」
とか。どうやら私は嬉しさを自分の中だけにとどめることが出来てなかったようだ。今日来ていた店長からも、
「鵺野さん最近明るくなったねぇ」
などと言われてしまった、私としたことが年甲斐もなく。
バイトを終えて帰宅する。一息ついてスマホを見るとメッセージアプリの通知が二件。一つは露子さんからの自撮り写真。は?
「なにこれ」
そこにはビール缶を持って楽しそうにこっちにピースしている露子さんの写真があった。コメントには「またお酒飲みましょうね」とハートマークを沿えて書かれていた。なんというか、これは編集と作家のやりとりではない気がする。まあ露子さん楽しそうだし、いいか。
「ふふっ」
特に重要な件が書かれてるわけではなかった。続いて二件目は……。
「ヒナちゃんだ」
向こうからコンタクトを取ってくれたのは嬉しかった半面、なにかあったのだろうか? と少し気にもなった。そしてその予想は当たった。
「すぐ通話がしたい、か……」
こう求められているということは、本当に話したいことがあった、ということだ。
ササっとシャワーを浴びて、寝落ちする準備もして、スマホに向かう。そういえばパソコンで通話する手段も(カメラとか買えば)あるな、と感じつつスマホでヒナちゃんに連絡する。向こうからの返信がすぐ来て、私たちは通話を開始した。
「お疲れ様、ヒナちゃん」
「お疲れさまです」
カメラの向こうのヒナちゃんは、とても真剣な表情だ。今日の話題はシリアスなものになるのだろうか。
「なにか相談事?」
「あの……またこんな話題になってしまうんですけど」
私はその時点で身構えた。きっとヒナちゃんもそれを承知でその話題を用意しているのだろう。
「イラストレーターを目指している友達がいるんですけど」
「ほう」
「最近、その友達に知らない人から批判コメントが来てたんです」
あーなるほど……大丈夫、このタイプの話題は確かに動悸がするけど、前置きしてくれたから今はまだ大丈夫だ。
「先生にこんなことを聞くのは、間違ってるかもしれないけど……そういう時、先生はどうしてきた?」
ヒナちゃんの抱いた違和感は確かに正しい。私はそういう誹謗中傷に「負けた」人間なのだ。そんな人間に「戦法」を聞いたところで、勝てる保証はない。
とはいえ……そういう誹謗中傷がひとつやふたつの時なら、私はどうにか凌げていた身でもある。圧倒的なキャパオーバーで私は砕けてしまっただけだ。なら、私にもアドバイスは出来るはずだ。
「一つだけ、なんだね?」
「はい。その批判をしてきたアカウントはどう見ても捨て垢で、イラスト投稿サイトなのに作品の投稿は一つもなかったです」
私の時だってそうだ。私の書いた小説、そして私の行いに対して、上から目線、だけれど全く知らない人というのはわんさかいたものだ。こういう批判はSNSで手軽に発信できるようになってしまったから増えた弊害――と露子さんは言っていた。その言葉はきっと正しいのだろう。
「……気にしない、っていうのが一番だけど、私もそういう一件のコメントがハートのど真ん中を貫通してくるんだ」
「……やっぱり」
たとえ100の好意的な声があっても、1の批判的な声っていうのは気になる、なってしまうんだ。
「忘れるのがいいと思う。忘れるために目いっぱいのリフレッシュをするのが、私には合ってたな」
例えば身体を動かしに行ったり。
「そのお友達っていうのは、コメントを貰ってからどんな感じなの?」
「ショックで、絵が描けなくなっちゃったみたいです。ペンを持っても真っすぐ線が引けない……とか言ってた気がします」
重傷だ。――私にだって似たような覚えがある。その時は露子さんや出版社と共に次回作の構想を考えていた時だったけど全く話が纏まらなくなったり、文を書くときにいつもスムーズに打てていたキーボードの配列がわからなくなったりしていた。
私のことはいい。そのヒナちゃんのお友達も、イップス的な物になってしまっている。そういうのは専門家とかカウンセリングとか、そういう相手が相応しいような気もする。だけどそういう所に行くのは勇気がいるだろう。
「……私がうれしかったのは、誰かに褒められること……だったかな」
「ほめる、ですか」
「うん。私の担当編集の人がすごく褒めてくれたんだ。『あなたの作品はすごい』『あなたは頑張っている』『ずっと待ってる』って。……こんな結果になっちゃったけど。でも、きっとそのご友人さんを遠慮なく励ましてあげるといいと思う」
「そう、ですか……」
「毎日、花に水をあげるようにね。……無理するのが、一番駄目だ」
「はい、そう声をかけてみます」




