#8-B(1/3) 穏やかなあたしの一日
今日土曜日ということは、明日は日曜日ということだ。学生の土曜夜というのは、大体26時くらいまであったりしてもいい――白鳥ヒナ。
全然名言ではないのだけれど、あたしはどうもその夜は目が冴えて仕方がなかった。鳳先生に許してもらえた……というか、また話すことができて、純粋に嬉しかったんだ。あのままフェードアウトというのは、絶対ダメだったんだ。……姉貴に感謝しなくちゃ。
その日眠るということを二の次にしてしまったあたしがやったのは、執筆だった。塞ぎこんでいた気持ちとともに、小説への躊躇は吹っ飛んでしまった。また、二千字ほど増えたのだ。あたしってば、わかりやすい。
そして満足して、ベッドに横になった。興奮で目は冴えているけれど、それでも寝なくちゃと思っていたらいつの間にか意識はなくなっていた。
目が覚めて時計を見ると八時。わ、やっば。寝るのが遅かったからお寝坊さんになっちゃった。日曜だからまあ、いいや。
そう思ってリビングに向かうと、目の据わった姉貴がそこにいた。
「おはようお寝坊さん」
「姉貴、週末くらい許してよ」
「そういうところから乱れるのは良くない」
……まあ、言わんとしてることは、分かるけれど。姉貴はそういうところはきっちりしてる。
「お母さんたちは?」
「父さんと出掛けたよ。お洒落なカフェに行きたいんだとさ」
「ふーん」
うちの両親はどうも仲がいい。良いことだしおかしな文言ではないのだけど、他の家と比べると、両親二人でデートみたいなことをやってるという家庭は珍しかったみたい。あたしの周囲では。
「姉貴は行かなかったんだ」
「ああ。私も私でやりたいことあったし」
「それって……髪?」
「いや、大学の課題」
あ、ちゃんとやらないといけないことだ。これは邪魔したら良くないな。
「なるほど」
「ヒナ、鳳先生とは話せたのか?」
「ぎくっ」
「話せてないのか」
「話した」
「紛らわしい反応するなっ」
ごめんごめん、ちょっとからかいたくなっただけだから。
「姉貴の言ってた通りだったよ。鳳先生、全然気にしてなかったみたい。ちゃんと謝ったら、許してくれた」
「良かったな。もう人をナメたようなことはするなよ」
「うん。姉貴……」
「?」
「ありがと」
その瞬間、姉貴の動きがピタリと止まった。まるでスイッチが切れたかのように、姉貴の瞬きを含む全ての動作が止まった。
「――へ?」
「もう、何度も言わせないでよね」
「あ、ああ……ごめん、なんか、ビックリして、頭が止まったわ」
姉貴にお礼なんて言ったの、何年ぶりだろう。記憶がない。いつも姉貴には怒られてばかりで、その都度、姉貴に恨みのようなものを募らせていた気がするから。だからこう姉貴にストレートに感謝の気持ちを伝えたことも、そんな気持ちが湧いたことすらも殆どなかったと思う。
「え、えーと、……」
姉貴が手元のコーヒーカップを取る。なんで? 目に見えて震えているそのカップからはコーヒーがこぼれた。
「あー姉貴なにしてんの」
「わ、わわ悪い……」
動揺しすぎじゃない? 姉貴の方を見ると、なぜか視線を合わせてくれない。姉貴どうしたんだ。
姉貴の代わりにこぼれたコーヒーを拭いた後、あたしはチラチラと姉貴を見つつ、朝のテレビを見る。日曜日だから真面目なニュース番組なんて全然やってない。
「……」
「……」
姉貴、あたしが朝の子供向けアニメを見てるといつもはごちゃごちゃ煩いのに、今日は何も言ってこない。まあいいや。あんまり慣れない言葉を言っちゃったか。姉貴ってばこういうのに弱いんだ。――切札として取っておこう。
結局アニメを見終わるまで姉貴は何も言ってこなかった。顔を合わせることもなかった。どんな顔をしてるのか、絶妙に見せてくれない。
日曜朝の大事なイベントも済んだし、あたしは部屋に戻ることにした。立ち上がった時、ぼそりと姉貴がなにか口にした。
「……また、困ったことがあったら、言えよ」
「……うん」
姉貴も素直じゃねえな。
部屋に戻ると迷うことなくあたしはパソコンを開く。モチベは好調、キーボードを叩くスピードだって悪くない。そうして三千字の文章を紡いで時計を見ると50分経っていた。
「えぇ?」
自分でも驚いた。こんなに濃密な50分は味わったことがない。一切の邪魔が入らない、スマホすら気にならない、没頭した50分。あたし、いま物語の向こうに意識があった。
「……やべえなあたし」
少し震えた。あたし、生まれてこの方こんな集中して何かに取り組めたことなんてないぞ?
三千字の時点で充足感、そして明らかに疲れのようなものが見えてあたしはPCのテキストファイルを閉じた。
「……」
やばいな。なんかやり切った感ある。これは……続きが書けるかわからないぞ? 別に物語の佳境を書き終えた訳じゃないのに。
「……出かけようかな。そういや山城からなんか連絡来てたっけ」
山城は結構誰かを誘って遊ぶということをする奴だ。その相手はあたしだけではない。ちょうどいい、遊びに行こう。どうやらイラスト大好き山下さんや、いつもつるんでるかほちゃんもいる。あ。
「山下さんかぁ」
山下さん、以前二人きりで話してから、創作に関する話題で話すことはなかった。そもそもこの世であたしの創作趣味を知っているのは姉貴と鳳先生だけだ。
「いつもの面子ならそこそこ楽しい集まりになるでしょ」
とくにためらうこともなく、あたしは支度をする。……部屋の外はがらんと、人がいないかのように静かだ。両親がいないのと、本当に姉貴が大学の課題に集中しているのとで物音の源は無いようなもの。
「姉貴、友達と遊んでくる」
「ああ、気をつけてな」
姉貴の部屋のドア越しにそう会話して、あたしは出かけた。




