#6-A(2/2) 距離は遠くても(後編)
大まかにはファンレターで言っていたこと、最初は私の作品毛嫌いしてたとか、読んだらいろいろ衝撃的だったとか、そう言う事だったけれど。
「先生……どうやったら、あんな話を書けるんですか? もしかして先生、昔海外で暮らしてた、とか?」
など、どうも私に対するイメージがだいぶ斜め上だったりして、そういうところも分かった。もちろん、私は海外住まいではなかったし、ごく普通の日本人として生きてきた。
「なんか、先生って結構普通の人だったんですね」
そう、私は普通の人間。私自身はそう思っている。
「喋り過ぎましたね。先生の用でこの通話をやっているのに」
「気にしないで。私の聞きたかったことばっかりだから」
お世辞ではない。こうして誰かから、私の作品に対する感想が聞けて、とても満足だった。
「……先生。先生が話したいこと、あります?」
「……あ」
なんだったっけ。ヒナちゃんからいっぱい色んな言葉が聞けて満足していたけれど、私自身が言いたいこと、あった気がする。
「ヒナちゃん。ヒナちゃんもお話を書いているって手紙にあったと思うんだけど……それ、まだ続いてるの?」
「はい。あの……恥ずかしいですけど、なんか、先生の作品見たら、書いてみたくなっちゃって……」
さっきとは随分違う、もじもじした様子で彼女は話す。
「難しいですね、お話を書くのって……」
……申し訳ない、ヒナちゃん。私、そう感じたことが無かった気がする。私が作品を書いたときは、『詰まる』という感覚に陥った覚えがないんだ。
「毎日『書いてみよう』ってパソコンに向かうんですけど、全然進まなくって……でも、最近姉貴と喋ったりして、なんか閃いて、進んだりして……先生、書くスピードってどういうもんでした?」
「…………」
「先生? もしかして、かなりかかったんですか? 数年単位とか」
「……」
顔に出ているらしい。これ言ったら彼女を傷つけるのではないだろうか? などと逡巡してしまう。いいや、こういう機会だからこそ、嘘はよくない。
「……2週間」
「2週間も詰まった……? そんな……」
「2週間で書き終えた」
「え?」
スマホの中の彼女の表情が固まる。5秒くらい静止画のように固まっていた。
「え?」
「あの小説の第一稿は2週間で書き終えた。そこから修正を繰り返して、2か月」
「――」
完全にヒナちゃんの動きがない。通信が切れたのかと思うくらいにヒナちゃんが動かない。向こうの環境音が聞こえるから通信が悪いわけじゃないらしい。
「は?」
「……なんか、申し訳ない」
そうか。デビューした時に露子さんが言っていた気がする。「筆が早い」って。そういえば進捗の心配をされたことがない。
「えーと……からかってます?」
「私は嘘は言っていない。一切詰まることなく、一日六千字以上書いていた、な……」
「六千っ!?」
ヒナちゃんの声が音割れする。直後、他の誰かの声、そしてヒナちゃんが背後に向かって謝る様子が見えた。かなり大きな声だったみたいだ。
「六千、って……なんですか!? 読み換算!?」
六千字は書き文字で六千字だ。
「うわー……あたし才能ねぇ~……」
「でもヒナちゃん、毎日書くためにパソコンを開いているでしょう? それはすごく偉いことだよ」
これは露子さんにも言われたことだ。毎日続けること。習慣づけること。半ば機械的に書くことで、作品を作るスピードを保証することが、プロ作家として大切であると。
「あたし……一日に50文字も書けなかったんです。浮かばない、というか、『なんか違う……』ってなっちゃうというか」
分からない感覚。『書けない』という問題は往々にして聞く。プロデビューした作家でさえ、そういうスランプに陥ると聞いたことがある。
「結局、書いては消して、最終的に増えてるのは20文字、とか……」
かなり進行スピードとしては遅い。遅いが……。
「でも進んでいる」
「もうちょっとスピードが欲しいんですよ! 先生はどうやら天才だから無縁のお話みたいだし……」
「でもさっき、『姉貴と話したら閃いて進んだ』とか言ってなかった?」
「それは……そうですけど。その時、三千字とか、書けた……はず」
「うん。あまり気にしすぎることでもないと思うよ」
きっとそれは、溜めたエネルギーが爆発したような、そういう執筆だろう。
「でもそれは結局、ボーナスタイムで、先生みたいな毎日数千字とかは無理で……」
「大丈夫。なんというか――」
私が滞りなく書ける理由は……そうだ、あれを言っておこう。
「登場人物に入り込む、とかどう?」
「入り込む……?」
「そう。登場人物に入り込んで、その人から何が起きて~、何を感じて~とか。私はそういう書き方だった」
いわば疑似体験のような書き方だ。
「……なるほど。そういう感覚、なったことないかも」
「うん。毎日書く根性はあるみたいだから、あとはスピードは後から付いてくるはず」
最初からスピードに悩まなかった私が言っても、説得力はちょっとないと思うが、一応。
「分かりました。ありがとうございます。ところで先生」
「なに?」
「後ろの人、誰です?」
急に怖いことを言われ、反射的に振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべた露子さんがこっちを見ていた。
「っ!? ああああ!! ごめん! また話そう!!」
「ああっ、ちょっ」
思わず、私は通話を切ってしまった。すまないヒナちゃん。恥ずかしいのかなんなのか、もうよくわからない感情が湧き上がってしまったんだ。
「……鳳先生。今誰と話してたんですか?」
「え、ええと……」
一呼吸いれて、ちゃんと答えることにする。
「白鳥ヒナさんです。あのファンレターをくれた」
「まあまあ……先生、やっと、一歩踏み出せたんですね」
そうかもしれない。私の心の中で、砂漠に突如として現われたオアシスのように、満たされるものがあった。
「そうかもしれませんね」
「いい顔です」
そして露子さんはビールの缶をぐいっと、口に運んだ。もう何本目なんだろう。そもそもお酒を抜くために寝ていたと思うけれど、今更指摘する気もなかった。




