#5-A(1/2) お正月、失われた彩り
露子さんに打ち明けて、私は白鳥ヒナにDMを飛ばした。まず本人確認をした。私は決して、やましい目的であなたに連絡をしたんじゃないぞ、と。
赤の他人とDMのやりとりをするというのが互いに不慣れな感じはあった。私は聞きたいことが聞けたかと言われれば少しミスしたような気もしている。
彼女とのやりとりは、彼女の長文のメッセージで一区切りついた。ファンレターというのは相手への好意を綴るものという無意識の縛りがある。彼女のDMはそんなファンレターとは違う、本音が聞けた気がした。スマホの画面をスクロールしてもなお続く文章に圧倒されてしまった。
どうしてこんな一発屋とも言える私に、ここまで大きな感情が持てるんだ? ただ一作、テレビで騒がれるようなものを書いて、それ以降活動しないなどと舐めたことを抜かしたこの私に。
白鳥ヒナは幻滅しなかったのだろうか? どうしてすぐに引退を宣言したのだろうか、と。その時点で私はもう死んだのだ。彼女が筆を折らない理由はなんだろう……? 全然分からない。
『先生、DMでやりとり出来た?』
露子さんからのメッセージの通知がスマホに出る。露子さんが帰ってしばらくしてからやりとりを始めたのだが、気にしてくれていたみたいだ。
『はい。濃厚なやりとりが』
端的に表したらそういう感想になった。とりあえず本当に白鳥ヒナを見つけ出すことが出来たのが奇跡的だと思う。
『どうだった?』
『本物のファンだったみたいです』
『そっか』
露子さんのメッセージの最後に笑顔の絵文字が踊る。
白鳥ヒナの長文DMの返事にかなり素っ気ないものを返してからというものの、向こうから返事はない。彼女のDMに対する感想が、きちんと言葉にすることが難しかったからだ。……そもそも友達同士ではない私たちだからこそ、ある程度引き際を互いに見極めてしまったのかもしれない。
私はこれからどうしたい? 白鳥ヒナとこんなやりとりをしたのは戯れか? 私はもう筆は取らないと決めている。でも露子さんは「あなたはまだ小説を諦めていない」って言ってたけど……。そうなんだろうか? どうして白鳥ヒナとやりとりしたくなったのか。分からない、私は自分の気持ちが分からない。
新年を迎えて三日目、私は初詣に行った。
「あ、先生待った?」
「2分」
今日は露子さんと一緒だ。作家時代、露子さんと初詣に行って以降、なぜか毎年一緒に行っている。
「露子さん、編集という立場で遅刻はかなり不味いんじゃないですか?」
「仕事の時は頑張ってるのよ!」
まあそういう人もいるか。
向かうのは近所の神社だ。これも毎回同じだ。
「寒いわねぇ……。先生、寒くないんですか? 上着着てないし」
「あったかインナー着てるんで」
露子さんはダウンのもっこもこなコートを着ていて雪国の装いだ。私の住んでいる町は冬に雪が降ることもまれにある。けれど今日は降っていない。
お参りを済ませ、おみくじを引いて、お守りを買う。おみくじは私が末吉、露子さんが中吉というなんともコメントに困る微妙な結果だった。
「凶じゃなかっただけマシよね」
私が去年凶を引いた。その年はまるで灰色の一年を過ごした。あまりおみくじの結果など気にしないたちだけど、去年の結果を思えば、少しだけ信じそうにもなる。今年は少しだけいい年になるのだろうか。
初詣のあと、露子さんの車で私のアパートへと帰る。これもいつも通りだけれど、帰る場所は今年から変わった。
「ふー、寒かった寒かった」
「本当にうちで良かったんですか? 何にもないですけど」
「そう思って、私持ってきたんだから」
そう言うと、露子さんは車から持ってきたスーパーの袋をローテーブルの上に置いた。
「おしるこ、作りましょうか!」
「ほう」
正月の醍醐味の一つ、おしるこ。もう何年も食べた記憶がない。私が一人暮らしを始めてから、正月におしるこを食べようという気があまり湧かなかったのだ。
「もしかして初めからそのつもりで……?」
「そうよ。先生、しばらく美味しいもの食べてないんじゃないか? って思って」
「流石にひどくないですか……」
美味しいものくらい私は食べる。そこまで荒んではいないぞ。
一応調理器具は私の部屋にある。それを使って、露子さんは見本のようなおしるこを作った。露子さんお料理上手かったっけ? 手料理を振る舞ってもらった覚えがない。
「美味しかったです、露子さん」
「お粗末様でした」
「露子さんお料理上手なんですね」
「ええ。料理は好きなの」
「いい旦那さんを捕まえるためですか?」
「ちょっ……」と、露子さんは苦笑いをする。この前泥酔してたときに聞こえた本音だ。
「否定はしないけど……でも、自分で出来ることが多いのって、素敵でしょう?」
「それは、まあ」
私は最低限の料理しか出来ない。急におしるこを作れって言われたら、まずレシピを調べることから始めるだろう。
「先生、あんまり食生活おろそかにしちゃ駄目よ?」
「そうですね」
料理か。……また今度かな。
一息ついたところで、本題に入る。切り出したのは意外にも露子さんの方だった。
「それで先生。あの例のファンの子とはどうなったの?」
「一通りやり取りはしました」
「私に教えてくれたり出来る?」
二つ返事でDMを見せようと思ったけど、白鳥ヒナに許可は取っていない。少し手を止めていると露子さんは「ああ」となにか察したような声をあげた。
「相手の許可が降りてないって感じかしら?」
「いや……」
一対一だったはずのやり取りを勝手に誰かにばらすのは罪悪感がある。でも……これは編集者たる露子さんのコメントももらいたいところ。
「見てください」
「いいの?」
私が頷くと、露子さんは私のスマホ、DMの開かれた画面を見る。ふむふむと頷きながら一読すると、とくににこやかな表情が変わることもなく、私に語り掛けてきた。
「あーこれは……いわゆるオタクって感じの文面ね」
「オタク?」
オタク……広義で言えば一つのジャンルに傾倒した者なのだけど、どうもアニメやアイドルに夢中の人をイメージしてしまう。オタク?
「なんて言うか……アイドルオタクとかそういうんじゃなくて、気質がオタクって感じ」
「ほう……」
気質がオタク。なんとも私にはイメージがしづらい。オタク気質っていうのは何だろう。あまりいいイメージは湧かない。
「要するにものすごく細かいことを気にしてくるタイプの人って感じね。でも女子高生っていうのも嘘じゃなさそう……なんだか珍しいタイプのファンみたいね」
露子さんにとっても「オタク気質」というのはちょっと難しい人なのだろう。
「特に最後の長文、先生に対する思いが真っすぐに綴られてるわね。ネガティブな物も含めて」
「露子さん的には、こういうファンは勘弁してほしいとか、思ったりしませんか?」
「うーん」
露子さんが少し考え込んだ。どうもそういう境界線スレスレの相手ではあるみたいだ。
「まあ……私が作家さんの立場だったら、ちょっと嫌ね。でも、編集目線であれば、そこは作家さんにお任せするわ。作家さん、先生がこのやりとりを良しとするのなら、私が止めようとは思わないわね」
つまり私がどう思うか、と。
「先生はこのDMはどうだった? もうこんな話、したくなかった?」
「……いや。そうでもなかったです。でも、やっぱり分からないです。私に影響されて筆を取って、そんな私がやめても筆を置かないのは」
「あら? 先生察しが悪いですね?」
え?
「世の創作活動をしている人たちは、憧れの人がいなくなっても、燃え続けるものですよ?」
「燃え続ける……」
「憧れの人なんて、きっかけにしか過ぎないの。一度燃え始めたら、初めの火なんて関係なく、燃えれるだけ燃えていくの。白鳥ヒナさんにとって、先生はきっかけの火なのよ」
……。
「先生。自信を持っていいんですよ。あなたを慕っている人っていうのは、まだまだいるはずですから」
「……。ちょっと、外の空気を吸ってきます」
「あら」
そう言って、私はベランダに出る。きっとその姿は露子さんに見られているだろう。
外を見ると、三が日の賑わいがあちらこちらに見える。皆明るい表情で街を行く。冬の澄んだ空気を肺に取り込んで、吐き出す。
「……」
澱んでいるのは、私の中だけなのか。初めの火。白鳥ヒナのそれとして振る舞った私は燃えているだろうか? 灰はもう燃えることは出来ないのではないか?
「……」
一年。私が灰色と感じた一年。四季は巡るはずなのに、なんの彩りも見えなかった一年。私、どうすればいいんだろう。筆を取れば、また色づくのか? いや、手が拒否している。震える手は、恐れている。
「……」
窓を開く音がすると、露子さんが声をかけてきた。
「風邪ひきますよ。そろそろ戻りません?」
「……そうですね」
部屋に戻って、泥の海に沈んだ意識を引き上げた。




