#1-A 鳳ユキの今
<はじめに:この物語の読み方>
この物語は二人の主人公視点で進みます。
エピソードにAまたはBと書かれており、それぞれ違う主人公の視点のお話になっています。
1-A→1-B→2-A……という順番で読み進めるのがお勧めですが、片方の話だけ読みたい場合はAまたはBの話だけ追って読むこともできます。
「今年の本屋大賞を受賞した、鳳ユキ先生です!」
壇上に上がると、カメラのフラッシュ、照明、全てが私に集中する。迎える拍手の音だって割れんばかりに響いている。
「おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
――ああ、またこの夢だ。
「今の気持ちをお聞かせください!」
「そうですね。まさか、デビュー作で、この賞を取れるなんて、夢にも思わなかったです」
落ち着いて話そうとするけれど、嫌に心臓は高まる。それはこの舞台が慣れないからなのか、それともこの後に待ち受ける展開を予想しているからなのか。
「この作品は、どうやって書かれたのですか?」
少し答えに詰まる。どうやって、か。
「私の感覚を優先して、感じるままに……なんて言ったら笑われちゃいますね」
「あははは……」
会場にいる関係者たちから暖かな笑い声が聞こえて。
「それにしては普通の人には感じ取れないような、繊細な描写が際立ってますね!」
「ありがとうございます」
「――なによ、気取っちゃって」
指先が震える。分かっている、分かっているけれど……。
「あんなもの、誰でも書けるわよ」
「何がいいのか分からない」
「意味が分からない」
「来年には消えている」
「ううっ!」
目が覚める。私を包んでいた照明や歓声はどこにもない。真っ暗闇の中でただ疾る心臓がうるさい。
息を整えつつ、枕元の時計を見る。午前2時13分。くそっ、と一人毒づく。
「……」
バイトは8時。まだまだ時間はある、と言い聞かせて再び横になる。だけれど悪夢を恐れる私の脳は寝ることを許してはくれなかった。
やたらとかいた寝汗が気持ち悪い。どうしようもない気持ちで私はシャワーを浴びることにした。もう寝ることは出来ないだろう。
バイト先のコンビニにつくと同僚の男が挨拶をしてくる。
「おっ、悠希ちゃんおはよ~!」
「おはよう」
「なんかそっけなくない?」
そうしているのだ。私は君とそんなに関わりたくはない。
「鵺野さんおはよう」
「おはようございます」
他の同僚にも挨拶をする。ちら、と雑誌置き場に目をやると、「今年のベストセラートップ10!」といった文字が目に入る。ああ、もう締めくくりをするそんな時期か。
「鵺野さん……体調悪い?」
「いえ別に」
こういうので休んでいたら、きっと出れるシフトなどなくなってしまうだろう。
バイトはいつも通りだ。もう慣れた。
とりあえずでコンビニのバイトを始めたけれど、ズルズルともう一年経ってしまったのだ。はぁ、と出てしまったため息に、また同僚の女性が心配そうな目を向ける。
「鵺野さん、接客業でため息はダメでしょ」
「すいません」
全く気持ちの籠っていない返事とともに、内心は反省する。
バイトを終えて夕方。同僚の男がまた私を食事に誘ってきたが丁重にお断りし、帰宅。アパートの一室、203号室。
何にもない部屋。ベッドに腰かけて、テレビをつける。面白い番組などあるわけでもなく、2分もしないうちに電源を切った。
「……明日」
明日はバイトはない。代わりに予定はある。正直辛いけど、これをキャンセルしてしまったら、私は全て終わってしまいそうな気がする。だから断る勇気は無かった。
スマホが急に震えだす。来るかな、とは思っていた。それに出ると、いつもの相手が出た。
「あ、もしもしお疲れ様、鳳先生」
「お疲れ様です、露子さん」
相手は出版社の編集者。私が鳳ユキとして活動していた時にお世話になった烏丸露子さんだ。
「明日は大丈夫?」
「……ええ」
少しだけ考えてしまった。不甲斐ない自分の姿を見せる勇気が、回を追うごとにどんどんなくなって来ている。
「じゃあ……待ってるからね」
「はい」
それだけ話した後、電話は切れた。
ベッドに倒れ込むとすぐに眠くなった。この一年を振り返ろうと思うと胸が苦しくなる。私は何をしていたんだろう。何の決心もつかず、ただただ時間ばかり無為に過ぎてしまった。おかげでコンビニバイトの事しかこの一年で思い出せない。
「……」
視線の先。趣味を感じられるアイテムが全くないこの部屋に唯一、私の部屋だと言えるピースが置いてある。
「鳳ユキ……」
ペンネーム・鳳ユキ。二年前、彗星のごとく現れ、瞬く間に売れっ子作家となった、私のもう一つの名前。そいつが書いた小説が一冊、目立つように置いてある。
「……」
あの本が見せてくれた景色は、今だって私の人生ではなかったような気がする。それくらい、夢のような時間だった。
「……」
薄らいでいく意識は、また、あの『夢のような時間』へ誘おうとしていた。あの『悪夢へと繋がる時間』へ――。少し抵抗しかけたけれど、間に合わず、私は眠りに就いた。