08:特徴的な人物
二日目の夜だ。クルスは計画を行動へ移した。
ランバートの屋敷の裏手に回り、まずは侵入口にする予定の裏口を確認する。
昨夜と同じく警備兵が一人立っている。これを短時間でも退かすことができれば、鍵開けが必要になるとしても誰にも悟られずに屋敷へ侵入できるのだが。
クルスは塀の周囲を見回して使えそうなものを探した。他所から持ってきた小道具よりも現地にあるものを使う方が侵入を気取られにくいからだ。
そして、見つけた。近所の家の茂みでゴソゴソ動いている。
クルスはそいつを捕まえて、ランバート邸の塀の向こうに放り込んでやった。ストッと見事に着地を決めた足音が鳴る。
「誰だ?」
裏口の警備兵が声を上げた。
彼が目を凝らした暗闇から常夜灯の下へのっそり現れたのは、一匹のアライグマだ。その毛量豊かな縞々の尻尾へ注目が向かう。
「ほーん、いい毛並みだなぁ。そういや坊やが帽子を欲しがってたっけ……」
人間と目が合ってしまったアライグマは涙を滲ませたが、警備兵が棍棒に手をかけたので逃走した。警備兵は無言で追いかける。
足音が遠ざかったので、クルスは塀を乗り越えて裏口に張り付いた。指ぬき手袋からかぎ針を取り出して鍵穴に差し込む。数秒後、ドアノブはクルスに頭を垂れた。
(他愛ねえな……)
順調だからこそ警戒しながら中へ入る。
台所はもう火の気が失せていた。家人たちも既に寝室らしく、一階は静かだ。
階段から二階へ上がり、塀の外から見たあの部屋へ向かう。
ドアを開けると、そこは権力者の執務部屋らしかった。まず視界に入るのは重厚なデスクだ。そして尊大な背もたれを広げた椅子。その後ろには昨夜見た窓。
目的の水晶柱は、窓辺の高い台座に鎮座していた。
(あれが『退魔の水晶』。なんだ、見た感じは普通だな)
クルスは一歩踏み出そうとした矢先、背後に気配を感じて振り返った。
そこには長毛の白猫がいた。不審そうな目つきで侵入者を見上げている。
「ああ、お前か」
「なーん……」
「シ」
クルスは人差し指を口の前に立てると、もう一方の手でポケットから葉っぱの包みを出して開いた。
鹿肉のローストの欠片だ。昼食からこっそり取り分けていたのだ。
「これやるから見逃してくれよ」
猫は床に置かれたご馳走を何度か嗅ぐと、一気に食いついて美味そうに咀嚼し始めた。
(今のうちだ)
クルスは水晶柱に近づき、ベストの下から太い縄でできている網袋を引き出して獲物をその中へ入れた。
用は済んだ。次は退出だ。
しかし部屋を出ようとした時、廊下の先から男性の唸り声が聞こえてきた。
「うぅん、なんだい? ご飯? おトイレ?」
「なぁーん、なぁぁーん」
「どうしたどうした。まったく、もう少しで寝付くところだったのに」
隙間が開いているドアから人影が現れそうになる。
クルスは素早く部屋へ戻った。
(引っ掻いてたくせに、あの猫、ちゃんとご主人様に懐いてるじゃねえか!)
食べ物で買収できる心の隙など無かったようだ。
クルスは窮地に陥った。計画していた逃走口は一階の窓だが、人間にバレずに階段へ戻る方法はない。
人間を一旦やり過ごすために部屋のどこかに隠れたとしても、主人に忠実な猫の嗅覚がすぐにクルスの居場所を暴くだろう。
残る道は一つ。窓だ。
室内履きを引きずる足音が近づいている。
「一体なんだいチビちゃ……ほあぁっ!」
ガウンを着崩した口ひげの男は、窓枠に脚をかけているフードを被った侵入者に驚いて仰け反った。
「誰!? いや、ど、どどどうやって!? おい誰か来てくれ!」
クルスは二階から跳躍した。
風圧がフードを頭から取り去り、夜闇に銀髪が冴える。
その姿は塀の外で枝を広げる街路樹へ消えていった。
「――泥棒だ! 泥棒!」
屋敷は上を下への大騒ぎだ。
クルスは木から飛び下りて、近所中が起き出してくる前に遠くへ走った。
風のように、だが事前に決めていた道順で、今夜の計画の最終段階へと進む。
立ち止まった場所はカドレを巡っている小川の終点、町から河川への排水口だ。
そこには半円型の穴に鉄格子が嵌まっている。クルスはその鉄格子に水晶柱を入れた網袋をくくり付けた。
水の流れは激しいが、頑丈な縄は水晶柱を抱えて十分耐えている。
「ふー。なんとかなったな」
盗人は満足のため息をつき、額の汗を袖で拭った。
翌日の早朝から、屋敷では口ひげの主がデスクの前をイライラと行き来していた。
「ワタシの水晶はまだ見つからないのか!?」
「申し訳ありません。町中を捜索しておりますが……」
「それは昨夜も聞いたっつーの!」
唾を飛ばされても私兵団長は身をすくめるばかりだ。
そんな上司の横で、部下たちが弱音を吐き始める。
「もうこの町から持ち出されたんじゃないか……?」
「いつかこうなると思ってたぜ。これ見よがしに窓辺に置いてあったんだもんよ」
「そんな時のために貴様らを雇っているのだろうが!」
口ひげの主・ランバートは歯噛みした。
「あの水晶はただの大きな水晶じゃない。悪いことを遠ざけて幸運をもたらす力があるといわれているのだ! だから毎日毎日、商売繁盛を願いながら磨いて大事にしてきたのに……!」
そこへ部屋のドアがノックされた。
「入れっ」
スキンヘッド、モヒカン、鼻柱に傷。三人の強面巨漢たちが部屋を狭くした。
「お呼びですか、ランバート様」
「呼んだから来たんじゃないのかっ?」
「もちろんです。あの水晶が盗まれたんですよね? しかし、たかが石なんて新しいのを買えばいいでしょうに」
「はー……」
ランバートは額に手をやって首を振る。
「あの水晶は何百年も昔に採掘された、聖なるチカラの籠もった水晶なのだ。この世にまたとない石なのだぞ」
「はぁ。神聖でも盗まれるモンなんですね」
「魔法道具じゃあるまいし盗難防止機能なんてないわ。大体、神聖力なんてのは気の持ちようだろう。そうでなきゃ神竜の霊験あらたかだったとかいうラウニカだって滅ぶはずが……待てよ」
何かに気づいて少し考えた後、警備兵へ尋ねる。
「犯人は薄い色の髪をしてたらしいな?」
「はい。二階から逃げたところを見た者がそう言っています」
「それ、銀色だったんじゃないか?」
ランバートは一人で何かを納得した。
「もしやそいつは……」
「それで、俺達は何をすれば?」
三人組に指示を仰がれた主は人差し指を振った。
「盗人を捕まえろ。銀髪の男だ」
「水晶はいいんスか?」
「それはそれ、これはこれ。お前たちは『亡国の大盗賊』の噂を聞いたことがないか? 世界に散らばる由緒正しい秘宝は片っ端からそいつに盗まれたという……。気をつけろよ、ワタシの読みが正しければ、相手は裏社会で金貨百枚の値がつけられた賞金首だ」
「金貨百枚」
強面三人の目が眩む。ランバートはさらに煽った。
「もしかすると幸運の水晶をもう一つ買っても余りある富が転がり込むかもしれんなあ、お前たちの頑張り次第だが。もちろん賞金が手に入ったら臨時ボーナスをたっぷり出すぞぉ」
「へっへ、腕がなりますぜ」
不確定な話に乗せられた巨漢たちは獰猛に笑った。
*
カドレの三日目、滞在最終日の朝。普段より早く起きたイブがロビーへ下りると、やはりクルスは既にいた。
「おはよう」
「待ってたぜ。ゆっくりしてな、ちょいと出てくるから」
「うん?」
クルスはイブと入れ違うようにテーブルから立った。
思い当たらない様子のイブへ手振りをする。
「あれだよ、あれ。すぐ戻る」
まだ空の青色が淡い時間なのに足取り軽やかに宿屋から出ていった。
「……物の名前をアレで済ませてたら、早く歳を取るらしいよ」
相手に届かない返事をしつつ、イブはロビーのソファに腰掛けた。
宿の食堂の方では朝食の支度が進んでいるようで、パンの焼ける香りが漂ってくる。
「今日でこの町とお別れかあ。楽しかったなぁ。次はどこへ行くって言ってたっけ……?」
眠たく呟いていると、宿の玄関ドアが開いた。
振り向いて見るが、しかし入ってきたのは巨漢の三人組だ。
「邪魔するぜぇ、オヤジさん」
「はいいらっしゃいませ……げっ」
カウンターの奥の小部屋から出てきた宿屋の主人は、三人組を見るなり顔を引き攣らせた。
三人組の一人、スキンヘッドの男は意地悪そうに顔を歪める。
「げっ、とはご挨拶だねえ」
「な、なんですか? 何かご用です?」
「別に取って食おうってんじゃねえよ。聞きたいことがあって来たのさ。ここに銀髪の男が泊まってないか?」
耳にした言葉でイブの眠気が霧のように晴れた。
「お客さんのことは喋れませんよ」
「口が堅くて偉いねえ。聞き方を変えてやるよ。銀髪の男、見たか?」
詰め寄られる宿屋の主人だが口を閉ざして抵抗する。
イブはソファから立ち上がった。
「その男の人がどうかしましたか?」
「あん? お嬢さんには関係ねえよ。おいオヤジ、こっちはランバート様のお使いで来てるんだ。早く答えないと、分かるよな?」
「うわわぁ……!」
宿屋の主人の胸ぐらが掴まれるのを見て、イブは更に近寄る。
「乱暴なことをするのはやめなさい」
凛とした声が荒くれ者には耳障りだったようだ。
「女は引っ込んでな! それとも何かされたいのかぁ!?」
「あなたこそ、僕が何かする前におじさんを離したらどうです? そうすれば知りたいことを教えて差し上げますよ」
「あぁっ?」
巨漢は初めてイブの腰に下がっている剣に気づくと笑った。
「おいおいこのお嬢ちゃん騎士のつもりか! どうりで勇ましいわけだ!」
三人は巨体を揺らして一笑に付す。
イブは背丈が女性の平均より高く、細くとも均整の取れた体つきだが、彼らから見れば非力な男と大差ないのだ。
しかしイブの度胸は、一般男性とは比べ物にならない。
剣の鞘に手をかけて相手をひたと見据える。
「騒ぐ以外に用がないなら出ていきなさい」
騎士としての凄みをさすがの三人組も感じたようだ。
少なくとも荒げていた声が低まった。
「あのな、お嬢ちゃん。俺達ぁ話し合いがしたいんじゃねえ。お前が銀髪の男の知り合いなら、俺達は……こうすればいいのさ!」
三人は突然両腕を広げてイブを取り囲んだ。
普通の娘ではないイブは困惑こそすれどもびくともしない。
「今だ!」
三人はその隙を突き、イブを取り押さえて頭に麻袋を被せた。
「わー! 離せッ!」
「ゴラ、大人しくしねえと何かするぞ!」
言葉に屈することなくしばらくもがいたが、男の中でも特に力自慢であろう荒くれ者の腕からは逃れられず、イブはどこかへ担ぎ出されていった。
クルスが宿屋に戻ったのは少し後だった。
誰もいないロビーを見回して、食堂だろうかと目を向けたが、呻き声が聞こえたので振り返る。
「うーん……はうえぇー……」
「え、『たすけて』?」
声はカウンターの中からだ。身を乗り出して覗き込むと、そこには宿屋の主人が縛り上げられて転がされていた。
「おいどうした!?」
カウンターを飛び越えてすぐに縄と轡を解いてやる。
主人は震える手でクルスの肩に掴みかかった。
「お連れさんが! お連れさんがぁ!」
「イブ? 何があった!?」
答えを聞くより先に、床に落ちている紙切れに気づく。
拾って見てみると、それは木炭の欠片で描かれた簡単な地図だ。地形はカドレの周辺を表しており、町の外を流れている川のそばにバツ印がついていた。
隅に一言。
『盗んだものを返せ』
クルスは舌打ちをした。
「オレのせいだ……!」
拳で地図を握りしめ、持ち帰った布袋を抱えて宿屋から飛び出していった。




