04:新しい夜明け
激動の一日でも変わらず日は傾く。
浮上した魔王とその城に動きが見られないので、エリスティアの国民はひとまず日常に戻った。
広場の野営地も、街の人々の助けもあって生活できるほどに整った。
夕方、住み込みのメイドたちと同じテントをあてがわれたイブは、友人たちと一緒に寝床の準備をしていた。
「一応聞くけど、本当に大丈夫なの?」
「何が?」
簡素なベッドを作るため、二人がかりで藁にシーツを被せている時に尋ねられる。
「いくら国を救った陰の功労者でも、どこの馬の骨とも分からない盗賊よ? まあ、見た目はすごくいいけど」
メイドたちはイブと同年代の少女なので普段から気心の知れた態度を取る。他の者が言いにくいことを言うのが彼女たちだ。そして一人が言い出すと、同調して次々に同意見を出す特徴があった。
「そうそう。綺麗な人だけど、ロベルト様が雇ったのは能力であって人柄じゃないんだよ」
「一緒に旅をするんでしょ? 何が起きるか分からないわ」
「大体、騎士道を理解してくれるの?」
一方、イブは彼女たちと仲はいいが、話が合わないことが多い。
「そんなに心配することかな?」
のんきに首を傾げるイブへ友人たちは噛みつく勢いになった。
「女と、男、なのよ!」
「イブは城の紳士な騎士たちと一緒に育ったから、世間の男がどんなものか知らないでしょ!」
「男はけだものよ! ……ってメイド長が言ってたわ」
「あぁ、大丈夫だよ。多分」
やっと皆の心配事が分かってきたイブだが、返答には不安が残る。
「多分って」
「僕だって考えてないわけじゃないよ。彼が人の道を外れた時は斬る覚悟をするつもり」
「そ……そう」
杞憂だったか? と少女たちは背筋にひやりとしたものを感じた。
「で、でも。そもそも、あの人、本当にイブを連れて行く気あるのかな? 夜のうちに逃げたりして……」
「騎士との約束を破ったらそれこそバッサリやられても文句言えないわよ?」
「それくらい分かってる男だといいけどねー」
イブはクルスの散々な言われように思わず苦笑を浮かべるが、素直な気持ちを述べた。
「きっと大丈夫だよ。あの人はお母さんの形見を届けてくれたんだから。ただの泥棒じゃないはず」
メイドたちは、友人の決意の固さと信じる気持ちを改めて感じ、この話題を切り上げた。
やがて、テントの外から夕飯ができたことを知らせる声が聞こえてきた。
焚き火の方へ向かうと、火にかけられている大鍋から大きな湯気とともにいい匂いが立ち上っていた。城の料理人たちが道具を揃えて作ってくれたようだ。
器はエリスティア国軍のもので無骨だが、皆は具だくさんのシチューにありついて人心地ついている。
イブはその場にクルスの姿がないことに気づいた。
「誰かクルスさんを見なかった?」
「あの人なら城の方に行ったのを見たよ」
兵士からそう聞いたイブは、シチューの器を彼の分も合わせて二人分受け取って城へ向かった。
壊れた城は西日に差し込まれて寂しい陰影を作っていた。美しかったホールは砂埃にまみれて見る影もない。
「クルスさーん。ご飯だよー」
そんな調子で何度か呼んでいると、彼と再会した崖の方から声が聞こえた。
「オレは猫か」
枠だけ残っている大窓をくぐって向かってみると、クルスは崖際の瓦礫に腰掛けていた。手元で短剣の抜き身を手入れしている。
「それは、あなたのだね」
「没収されたままだったから探してきた。このご時世、丸腰で旅はできないからな」
見ると、崖下へ向けてロープが垂れている。一端は彼が座っている大きな瓦礫に結びつけられており、もう一端は崖下の岩壁の中へと続いているようだ。
「城壁の見張り兵によると、外の魔物は活動的になってるらしいよ。魔王は動きがないけど、魔物は今までとは様子が違うみたい」
「あのカニには参ったね。デカすぎるし、何より生臭かった」
イブはクスッと笑いながらシチューの器を差し出した。
「ありがとよ」
「隣いい?」
「構わねえけど」
二人は自然な距離を空けて夕食を頬張った。
「あの将軍の人望はすさまじいな。オレまでいい人に見られちまう」
クルスは不意に話しだし、視線をイブへ寄越す。
「その上、あんただ。あんたのことになると皆、必死になる」
「ん?」
首を傾げるイブへ問いかけた。
「本当にこの国を出ていくのか?」
これは最終確認だ。
イブはスプーンを下ろし、慎重に、この場から漏れない程度の声量で答えた。
「守りたかった母も、手本となる人も失い、王は偽物だった。もうこの国に仕えていられる自信が、実はないんだ」
「……ふーん」
たっぷり間をおいた返事がそれだ。
「こういう話がもう十分なら、もう言わないでおくよ」
「いや、飽きてるわけじゃねえ。オレには分からねえ生き方だってだけで」
「そっか。とにかく、そんなところなんだ」
クルスは早くも器を空にすると、表情を緩めてニッと笑った。
「ま、気が済むまでついてくればいい。オレも考えたんだが、仕事の邪魔にならなけりゃ二人旅でも構いやしないんだ。むしろ、魔王とかいうおっかない奴が空から地上を睨んでる今、腕っぷしの強い連れができるのは運がいいと思うことにした」
「……!」
イブは初めてクルスから前向きな言葉をもらった。
「……ありがとう」
「ん?」
「ううん、言いたくなっただけ。では、また明日。お休みなさい」
クルスの空の器を回収して、挨拶もそこそこにそそくさと退散した。
その安心した顔や軽やかな足取りを見てしまったクルスは呟く。
「また明日、か」
まるで昔の友人を思い出したかのように。
朝日が昇る。山並み、湖、王国。そして天空の魔王の城をあまねく照らす新しい太陽が。
エリスティアの城壁を遠くに望む湖のほとりにイブはいた。
手には木の薄皮で折った小舟がある。それへ野花の小さな花束を乗せると、静かな湖面へ下ろして押し出した。
僅かな波を描きながら小舟はゆっくりと進んでいった。
「お母さん……行ってきます」
胸元に細い革紐に通した小さな指輪が光った。
城門へ戻るとクルスが待っていた。フード付きのベストの下に、ベルトで吊った短剣の鞘が見える。両腕にそれぞれ荷物を入れた袋と背負い鞄を抱えていた。
「おはよう」
「おう、おはよう」
差し出された鞄の方をイブは受け取って微笑んだ。
「ふふ。ありがとう」
するとクルスは眉を寄せた。
「昨日から何なんだ? その、ありがとうってのは」
「今のは、夜のうちに逃げないでくれた分。僕の見る目は正しかったね」
「おいおい、王様の前でハイと言わせておいて疑ってたのか?」
呆れて肩をすくめるが、イブが冗談めかしたことに合わせてくれただけだ。
「そうじゃないけど、約束を守ってくれて嬉しいよ」
向けられた笑顔に、クルスは次は苦悩して呻く。
「……調子狂うぜ」
「はい?」
「なんでもねぇ。行こう」
二人は朝日で輝く美しい平原に伸びる道へ歩み出した。