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22/22

22:イブとクルス《終》

 ――勇者は魔王を討った。

 エリスティアの空を脅かしていた魔王の城は、主を失うと塵一つ落とさず清浄な光の中へ消えた。

 そして数か月経った今、エリスティアには城の再建で忙しい日々が訪れている。


「書類もう一箱できました」


 戸棚の前にいたイブは兵士の声で振り向いた。肩上で紅茶色の毛先が揺れる。


「じゃあ、それ積み込んだら一旦持っていこう」

「了解です」


 兵士は蓋を締めた木箱を抱えると、瓦礫が散乱している床を横切って部屋の入口に置いてある台車へ向かった。

 台車には既に同じような木箱が複数積んであり、兵士が最後に積んだ一箱で偶数個となり均衡が取れる。

 イブは戸棚の台帳を箱に詰める作業の手を止めて台車を押して外へ出た。


「自分がやりますよ!」

「いいよ。この後階段を降りる時のために力を溜めておいて」

「了解!」


 イブより年上の若い兵士は素直な返事をした。

 遠くから槌や金槌を振るう音が響いてくる中、城のホールへ出る。


「ここもすっかり元通りですね」

「そうだね」


 魔王が復活した日に無惨にも傷んだ正面扉前のホールは修復されて美しく蘇っていた。

 以前と唯一違うのは大階段の下に台座があることだ。

 そのガラスの蓋の中には砕けた聖剣が安置されている。

 勇者アルトが魔王を討った直後に持ってきたのだ。


『この剣は魔王を倒した後に砕けて、役目を終えました。だからぼくももう勇者じゃありませんから、これはあなたに預けます』


 そのようにイブが受け取ったものだが、イブはそれをエリスティアで保管してもらうことにしたのだった。以来、聖遺物として扱われている。


「イブ様。あれはラウニカに戻さないんですか?」

「あそこはもう本当に無人で、誰も管理できないから。それに、寂しい場所に戻すよりはここで皆に珍しがられている方が聖剣も退屈しなくていいんじゃないかな」

「はぁー。そういうものなんですね」


 兵士は本気か冗談か分からないイブの返答をも真面目に捉えた。

 台車を通すために敷かれた筵の上を歩いていると、遠くからバタバタと複数人の足音が接近してくる。そのまま彼女たちはイブの周囲を取り囲んだ。


「イブお疲れー! 一緒にレモンティー飲まない?」

「う゛っ……」


 兵士はメイドの少女たちに弾き飛ばされた。イブは苦笑する。


「なにナンパみたいなこと言ってるの。僕まだ仕事中だよ」

「そんなつまんない力仕事なんて騎士のやることじゃないわ。ちょっと息抜きして華やかなお喋りでもしましょうよ!」

「それが目的かぁ」


 呆れた目を向けられてむしろ盛り上がるメイドたち。


「だってもっと聞きたいんだもの! 恋人のこと!」

「恋人……じゃないかもよ?」

「判定は旅の一部始終を聞き終えてからよ!」

「何日かかるのかなぁ……」


 すっかり遠ざけられた兵士は様子を見ていた同僚らに肩を叩かれた。


「あれはな、虫を遠ざけるための蚊帳のようなものだ。人の壁なんだ」

「女の子たち、すごい連帯感っすね……」

「うん。ていうか、イブ様が相手じゃそもそも分が悪い。諦めろ」


 若い兵士はがっくり肩を落とした。

 そこへ、一人のドレスを着込んだ婦人が外から門番に案内されて入ってきた。門番はイブを見つけてやってくる。


「イブ様、こちらのご婦人が御用がおありとのことで」

「分かりました。ご案内ありがとう」


 門番が去り、話を聞いていたメイドたちは大人しくなった。

 その婦人は物悲しい顔をしているがイブへ向ける目は優しかった。


「お初にお目にかかります、イブ様。わたくしはロベルトの妻でございます」

「ロベルト様の……リンダ様ですね」


 リンダは帽子の広いつばの陰で頷いた。色の暗い装いが失った夫への未だ続く哀悼の気持ちを表しているかのようだ。


「先日、ようやく夫の部屋の片付けに取り掛かりまして。すると彼の日記を見つけたのです。良心が咎めはしましたが、読んでみましたの。長い間、夫に何が起こっていたのか知りたくて……」


 イブがエリスティア城に帰ってきてからロベルトについて耳にしたところによると、遺族へは、魔物に変じてしまったことは魔王に操られていた結果だった、と説明されたとのことだった。遺族が真実を知って余計な衝撃を受けたり罪悪感を抱かないようにするための王の計らいだったという。

 しかしリンダは独自に夫の真実を探ろうとしたようだ。


「何か分かりましたか?」

「それが、全く。夫は日記に城での出来事を少しも書いていなかったのです。重職ですから当然ではありますけれどね。でも、古い日記はそこまで厳格ではないのです。この、十七年前の日記は特に……」


 リンダは広い袖の下で抱えていた一冊の手帳をイブへ差し出した。


「イブ様。これはあなたにお貸ししますわ」

「えっ? どうして……?」

「お読みいただければ分かります。あなたも知るべきことが書いてあるのです」


 リンダの柔和だが強い目力に半ば気圧されて、イブは手帳をおずおずと受け取った。


「分かりました……預からせていただきます」

「不躾な申し出でごめんあそばせ。それでは、国王陛下へご挨拶してまいりますので、このあたりで……」


 リンダは会釈をして階段を上がっていった。

 お客人が見えなくなると、それまで行儀よくしていたメイドたちはイブの手元に顔を突っ込む勢いで身を寄せた。


「ロベルト将軍って日記をつける人だったのね」

「うん……マメそうな人だとは思ってたから意外ではないかな。さて、今は仕事仕事。また後でね」


 イブは古い手帳をコートの内ポケットにしまい込み、友人たちを手を振って追い散らした。



 半壊した城は瓦礫になった部分以上に危険が多く、修繕が必要な区域が広くある。宿舎があった区域もその一つだったので、騎士は借り上げられた街の宿屋で今は寝起きしている。

 その日の夜、イブは一人部屋のベッドに腰掛けて、蝋燭のランプの明かりの下でロベルトの日記を開いた。

 リンダの言っていた通り、日付の年は十七年前を示している。

 最初は他人のプライバシーを覗き見る罪悪感から斜め読みをしていたが、ある日付が目に入った時にページをめくる手を止めた。

 それはラウニカが魔物の軍勢に襲われた、次の日だった。


『……ラウニカで保護した難民の女性は未だに口を利かない。話せないのかと思い筆談を試みるが頑なに反応を示さなかった。だが過酷な体験による状態ではないと直感している。何か理由があってそうしないのだと感じる。そうでないなら、あの赤ん坊が哀れだ。

 赤ん坊の方は城の者たちに人気なので食いっぱぐれる心配はなさそうだ。だが名前が分からないのは良くない。母親も答えないので困っている。……』


 自分のことだと分かり、イブはなぜか緊張しながら次の日の記述へ読み進めた。


『……ラウニカの難民の行く先を探した。自力で避難した者の多くは近隣の農村に向かったようである。我が国で保護した数人もラウニカ周辺に受け入れ先を探す予定。

 しかし例の女性は下手に移動させるよりも我が国に留めて心的外傷の治療をした方がよいだろうとの回復術師の言。赤ん坊もいることなのでそれがよいと思う。

 今日、夕食の際に妻に昔のことを確かめた。生まれる子が女子だったらなんと名付けるつもりだと話していたか。

 結局我が家は男子を二人得たのでその名を付ける機会はなかったが、良い名なので惜しい。だから妻の預かり知らぬところで使ってしまおう。……』


 この後、数日は平穏だったようだ。


『……本日正午、将軍の任を賜った。

 それ以降は仕事が手に付かなかった。

 家に帰り着き家族の顔を見ると安心したが、一人になるとどうしても思い出してしまい冷や汗が出るなど体調に異常をきたす。

 真実をこれから自分一人で抱えなければならないことを考えると気が遠くなりそうだ。

 恐るべきことにイブを騎士として育てよと命じられた。従わなければ誰にどんな危害が及ぶか分からない。……』


 この日に王の正体が魔王だと知ったのだろう。

 人知れずエリスティアに根を下ろしていた魔王の狡猾な人心掌握の手口がここに垣間見える。本物の王が推測したように、ロベルトは家族を人質に取られたのだろう。

 次の事件は数週間後に起きる。


『……王が城の者たちに残酷な触れを出した。そのため今日、イブは誰にも構われず、食料も得られなかったため疲労困憊の母だけが頼りだった。

 哀れに思った誰かが忍んでイブの母に食料を渡したようだが、心なき王はそれをどうやってか見つけ、卑しい盗みだと断じて罪に問うた。

 私は母子のために決断をした。彼女らを守れる方法だとは言い難い。取れる手段は少なかった。

 だが地下牢は私の領域だ。これ以上あの王に手出しはさせない。……』


 以降の記述は慎重に情報が削られており、他愛のないことしか書かれていない。

 イブは日記帳を閉じてサイドテーブルに置き、ベッドに身を投げだした。

 目尻に溜まった涙がこぼれそうになり、咄嗟に腕を目元に載せる。

 数々の思い出を巡りながら、その夜を過ごした。



 翌日、宿の食堂へ下りると同僚たちが話に花を咲かせていた。


「おはようございます。今朝の話題はなんですか?」

「おはようイブ。考古学に興味はあるか?」


 差し出された新聞を受け取りながらテーブルに着き、一面を見てみる。

 見出しは『タイヴァスの伝説の秘宝が目撃される』だ。


「なんでもタイヴァスの伝説の人物である『狼の王の冠』が数百年ぶりに見つかったらしいんだが、すぐに行方不明になったんだと」

「狼の王の冠?」

「武人王の盾と並んで国宝に指定されてるが、昔盗まれて以来、行方知れずだったらしいぞ。その時に盗んだ奴は狼の王の子孫を名乗っていたとか」

「ロマンあるよなー。きっと今回も大盗賊が盗んだに違いないぜ」

「…………」


 イブは彼のことを思い出さずにはいられなかった。

 タイヴァス、伝説の秘宝、盗賊……彼にぴったりの符号が揃いすぎている。


「盗賊と言えば、ロベルト様と共に我らが王を救った御仁は今どこでどうしてるんだい、イブ?」


 先輩が眉を上げて面白半分で尋ねてくる。イブは肩を揺らして慌てた。


「さ、さあ知りませんけど、欲深い人ではありませんからどこかで元気に慎ましく生きてるのではないでしょうか?」

「おお、そうか。警戒するなよ、からかうつもりはないって」

「え? ああ……そういう意味で」


 勘違いに気づいたイブは取り繕う余裕もなく椅子に縮こまった。

 その日から数日間は気持ちがどこか浮ついていて、城の片付け作業にも、日々の鍛錬にも、よく集中ができなかった。

 そんな自分に困っていた、ある夜のことだ。

 彼は突然現れた。


「――よっ。短い髪も似合ってるぜ」


 クルスが宿屋の窓辺に片足を掛けた時、目を丸くしたイブの手元はブラウスのボタンを縫い付け直しているところだった。裏から返そうと刺していた針をつまむ手に力が入る。


「いたっ!」

「おっと、大丈夫か?」


 身軽に窓を乗り越えて部屋へ降り立ったクルスは、イブが座っている椅子の脇に屈むとイブの手を取り上げた。

 そのまま指の患部を唇で食む。


「!?」

「ん、怪我はしてないか。久しぶりだな、イブ!」


 何事もなかったかのように立ち上がったにこやかな顔を無言で見上げる。

 相変わらず無造作に後ろへ流している銀色の髪だが、少し伸びたように思える。痩せたか、あるいは精悍になったと言うべきか、顔つきはより大人びたようだ。


「……オレのこと忘れちまったか?」

「そんなわけない」

「ならオレの名前を言ってみろよ」

「クルス……」


 感慨深く呟くと嬉しそうな笑みが返された。

 クルスは手に提げていた荷物入れの袋を床へ置きながらベッドへ腰掛ける。イブは裁縫道具をテーブルへ手放した。


「もうニ……三か月は経つのか。城も大分直ってきたんじゃないか?」

「ホールと玉座は直ったよ。色んな国から支援も届くし、どんどん良くなってきてる」

「そいつはよかったな。おまえも元気そうだし、まずは安心した」


 イブはクルスの視線に気づいて髪を触った。


「これは……戻ってきてから縁談が来るようになって鬱陶しかったから、男みたいにしようと思って切ったんだ」

「減ったのか?」

「大分ね。でも、もっと待つと思ってたな。まだ短いでしょ?」

「もっと短い時も見たかった」


 妙に素直なことばかり言うクルスを訝しむ。

 それを察してか、クルスは空気を切り替えるように袋に手を伸ばした。


「急に来たのは、おまえに見せたいものがあるからなんだ」


 と言って取り出したのは、枯木と動物の牙を組み合わせて作られた古い冠だ。

 イブはうろたえた。


「それ、もしかして……」

「最近話題になってるみたいだな? 『狼の王の冠』」

「……やっぱり、クルスが……」


 思わず声を落とす。

 クルスは口の端を上げて、冠をベッドの上に置いた。


「武人王の盾に並ぶタイヴァスの国宝だが、数百年前に盗み出されて以来、紛失したと思われてた。それがよ、こいつ、どこにあったと思う?」

「どこかの忘れられた宝物庫とか?」

「タイヴァス城の屋根の上さ。狼の王の彫刻がある屋根に引っ掛けられてたんだよ」

「ええ……?」


 呆れるイブ。クルスはおかしそうに声を押し殺して笑う。


「いつからあったかは分からねえ。でも誰も気づかなかったのは、皆が誤解してたのが原因だと思う。伝説の王の王冠なら、それなりにスゴイはずだ、って。だが実物はコレだ。まるで山の落とし物をくっつけた工作だぜ」

「でも、それが本物の狼の王の冠だと分かった人もいたんでしょ? そうじゃなきゃ新聞には載らない」

「本物が分かる人といえば王様だ。だからこれを城の屋根で拾った後、ちょっと王様の机の上に置いておいたんだよ。そうやって話題作りをしてから、また失敬してきたんだ。大発見も大泥棒も話題にならなきゃ、やりがいがないからな」


 そこまでは調子の良かったクルスだが、ため息をつく。


「……そんなわけで、ちょっとロマンに欠ける冒険をしてきたわけだ。歴史を洗いざらい調べて、狼の王に関係する遺跡を調べたりもして、それなりに頑張ったんだけどな。結局これを見つけたのは昼飯を食った後のどうでもいい帰り道だった」

「期待しすぎてたんじゃないかな?」

「だろうな。多分、本気で思ってたんだ。これを見つけたら、オレの何かが変わるんじゃないかって……」


 クルスはイブを見つめた。


「だから次は相棒を盗みに来た」


 イブは目を見開く。


「なんてな。誘いに来たんだ。また一緒に旅をしないか?」

「……でも、僕……」

「すっかり王国の騎士様に戻ってるよな。それを承知で来た」


 クルスは床に両膝を突いた。


「花で埋め尽くされた草原、飛び跳ねるイルカの群れ、オーロラ……他にも見せたいものや一緒に見たいものがたくさんあるんだ。なあ、イブ。おまえのことが好きなんだよ」


 イブの両手を取って見上げる。

 澄み渡った群青色の瞳がそれこそ海のようで、イブの心を甘く焦がす。


「僕も好きだよ。クルスのことが大好き。一緒にいたい」

「……なら、そうしようぜ」


 クルスの単純な答えがイブに決断をさせた。



 夜明け。イブは美しい墓地の隅にいた。

 そこには真新しい記念碑の他に二つの墓石が建っている。

 記念碑には魔王復活の日付と出来事が書かれてあり、二つの立派な墓はそれぞれロベルト将軍と元ラウニカ王妃ユリアのために造られたものだ。

 イブは二つの墓の前に立ち、刻まれたそれぞれの名前を見つめた。


「こんなふうに出ていくのは良くないと分かってますし、さすがに皆も怒るだろうけど、自分に嘘はつけないんです。だから……行ってきます」


 一礼を残し、墓地を後にした。

 出口にクルスが二人分の荷物を持って待っている。

 イブが差し出された鞄を受け取ると、クルスは空いた手で肩を抱いてきた。

 不意に真剣な眼差しがほど近くなる。


「あれ、背伸びた?」


 指摘されたクルスの顔面に複雑な表情が浮かんだ。


「……かもな」


 肩から外れた手が紅茶色の頭をかき混ぜる。

 二人はじゃれ合いながら寄り添い、薔薇の垣根の向こうへ繰り出していった。

 砕けた聖剣の元に古の冠を残して。




《終わり》

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