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少女騎士と救国の盗賊  作者: 川霧莉帆
一話 小さな指輪
2/22

02:迷える騎士

 城の崩壊は止まらなかった。魔王の城が浮上した影響で湖に激流が生じ、エリスティア王国の土台である一枚岩が削られ始めたのだ。

 湖に近い玉座の間の方は既に床がひび割れ、崩れ出している。城の者たちが怪我人に肩を貸しながら廊下を走ってきた。その中には勇者一行の姿も混じっている。


「みんな、城から逃げて! 早く!」


 武闘家の女性が叫んでいるが、イブの意識は真逆へ向いた。


「――お母さん……!」


 弾かれたように立ち上がって階段を駆け下りる。だが地下牢へ足を向けた時、後ろから肩を強く掴まれた。

 振り返ると、手の主は魔王との戦いを運命づけられた者――勇者と呼ばれる少年だった。


「駄目です。あなたも逃げて」


 澄み渡った瞳と心にしみるような声。伝説に語られた存在は迫力を放っていたが、イブは無理をして抗う。


「嫌だ! 母が下にいるの!」

「ロベルト将軍が庇ってくれたからみんな生きているんだ。もう誰にも、命を捨てるようなことはさせない!」

「離して!」


 腕を突っ張って相手を引き離そうとした矢先、壁が崩れて地下牢へ続くドアが倒れた。開いた戸口から階段に瓦礫が降り注ぐ光景が見えてしまう。


「あぁぁ……っ!」


 力ない悲鳴を上げたイブを、駆けつけた兵士が預かって引きずるように抱えていった。



   *



 湖に生じた激流の力は地下牢にも及んでいた。

 ひび割れて崩落したレンガの壁から湖水が流れ込む。地下牢が崩れ落ちるか、水槽のように浸水するか。どちらにしても時間の問題だ。


「おい、誰かいないか! 鍵を開けてくれ!」


 盗賊の青年が鉄格子の間から看守室の方へ叫ぶが、反応はない。

 水は当然、牢の中も浸しており、水位は既に膝へ迫っている。


「ちっ! どうなってやがる」


 毒づきながらも、向かいの牢を窺う。

 イブの母は先程から祈りを捧げている。だが、だからといって己の運命に納得しているわけではないことを、組み合わせた手の震えが証明していた。

 青年はため息をつく。


「仕方ねえ。腕試しといくか」


 そう声を出し、自分を奮い立たせた。

 指ぬき手袋の隠しポケットから、かぎ針のような形のピッキングツールを取り出す。それを檻のドアの鍵穴へ慎重に差し込み、身をかがめて耳をドアの裏側につける。

 地下牢に注ぎ込む水音が激しいが、青年の聴力は錠前の中身が発する微かな金属音を確実に聞き分けた。器用な指先がツールの先を繊細に動かす。

 やがて解錠音が小気味よく鳴った。

 ドアから飛び出した青年はすぐに向かいの牢へ駆け寄った。


「待ってろ。今、開けてやる!」


 イブの母は驚きながらも頷いて、鍵穴をいじり始めた青年を見守った。

 もう水位は膝を超えている。このペースではすぐに歩くのが難しくなるだろう。

 二つ目の解錠は先程より早かった。


「こっちだ!」


 青年はイブの母を連れて地下牢の出口へ急いだ。

 脚で重たい水をかき分けるのは力が要る。イブの母には体力がなく、すぐに転びそうになったので、青年は腕を引いてやった。

 看守室の脇を通り過ぎ、城へ続く階段へ向かう。

 だが、あと少しというところで階段は崩落して瓦礫で埋まってしまった。

 望みが絶たれ、青年は一瞬絶句する。だが、すぐに次の案が閃いた。


「あんた泳げる?」


 問われたイブの母は不安げに首を横に振る。青年は口の片方の端を上げた。


「聞いてみただけさ。ここが水いっぱいになったら、あの穴から外へ出よう」


 指さしたのは湖水が流入する壁の穴だ。

 穴が水没してしまえば水流はなくなる。その時に泳いで穴を潜ろうという考えだった。

 イブの母は、理解はしたという様子だ。

 青年はふと看守室の覗き窓を見て何かに気づいた。


「ちょっとここで待ってろ」


 言い残して一人で看守室へ入る。

 そこには背もたれのない木製の丸椅子が水に浮いていた。そばには兜が取れた看守の体が伸びている。

 看守は揺れの拍子に頭を打ったのかもしれない。どうにせよ、顔が水に浸かっていたのなら助かりようもない。


「どうりで返事がないわけだ」


 青年は丸椅子を掴んでイブの母の元へ戻った。


「これに掴まってな」


 イブの母はありがたそうに丸椅子を抱えて、口だけで『ありがとう』と言ったようだった。

 水位は腰を超えようとしている。二人は水の中をもがくように歩いて壁の穴のそばまで戻り、鉄格子に掴まった。

 壁の穴が水流で削られて更に広がってからは早かった。穴が水没すると、天井と水面の間の薄い空間で青年はイブの母を振り返った。


「行くぞ」


 二人は空気を胸に詰めて潜水した。

 青年はイブの母の腕を引いて穴に入り、レンガと岩をくぐり抜けて湖へ出た。イブの母も無事に穴を通り抜ける。

 ここまでは順調だ。あとは岩壁を辿って水面を目指せばいい。

 だが湖に激しい渦が生まれていたのは青年の予想の埒外だった。魔王の城という巨大な物体が浮上すると、えぐれた湖底が水を吸い込み始めたのだ。

 イブの母の手から丸椅子がすり抜け、目にも止まらぬ速さで消え去ってしまう。

 それを目撃した青年は岩壁にしがみついて耐えようとした。だがイブの母は同じようにはできないと気付き、急いで水面へ上がることにした。

 イブの母を自分の体に掴まらせ、岩壁の僅かな出っ張りを頼りに上っていく。

 自分より先に限界が近づいたイブの母の腕に体を締め付けられながら、青年は力を振り絞って昇り、最後は岩壁を蹴った。

 水上に顔を突き出すと同時に二人は激しく呼吸した。

 頭に大きな水滴が降り注ぐが口を閉ざしていられない。

 その水滴は雨ではなく、空高く浮かぶ巨大な物体が滴らせていた。


「なんだよ、あれ……」


 逆光の中にある影へ目を凝らすが、ほとんど真下からでは何が何だか分からなかった。

 突然、水中から地鳴りが響く。

 湖底にまた変化が起こったのか。渦の力がいっそう強まり、イブの母の腕がほどけた。


「……っ!」


 流されかけたその手を青年が握りしめる。

 だが渦に抗って人ひとりを繋ぎ止める腕にも、自分を支えるために岩壁に引っ掛けている指にも限界が迫っていた。

 それでも歯を食いしばって耐える。


「くッ……うおぉぉぉぉッ!!」


 青年の肩で嫌な音が鳴る。

 その時、イブの母は手首を優しく掴み、青年の手を外させた。

 悟ったような穏やかな表情に嫌な予感がする。


「え? おい」


 手のひらに何かを押し付けた後、拳を作らせる。

 その甲に、指先を這わせて何かを書く。

 最後に微笑みかけて、両手を離した。

 青年は手を伸ばせなかった。手を開けば、託された何かを落とすことになるからだ。


「…………」


 しばし、遥かな湖面を眺めた。



   *



 やがて湖は凪いでいった。

 街は高い城壁のお陰で湖から守られたが、城が壊れた上に空へ知らない建物が浮遊したことは人々を混乱させた。

 イブは呆然とすることしかできなかった。救えなかった母とロベルト将軍が消えた城を見上げながら。



 城の前の広場に天幕が張られ、本物の王のための寝所が用意された。

 今、そこでエリスティア王は勇者たちから事態の説明を受けたところだった。


「――伝説にある魔王か。闇の世界から這出し邪なる覇者。数百年前にこの世界の守護神たる神竜から加護を受けた勇者によって、一度は滅ぼされたというが……永い年月が奴に力を取り戻させてしまったようだな」


 本物のエリスティア王は威厳ある見た目こそ同じだが、心ある人相や感情豊かな声色がやはり魔王とは別人であることを証明していた。

 王は勇者と五人の仲間たちの前で目を伏せる。


「此度、魔王が復活した責任は私にもある。私が不甲斐ないばかりに、奴に隙を与えてしまった。許してくれとは言わない。ただ、これからは我が名にかけて、勇者殿に惜しみなく協力することを約束しよう」


 仲間たちが笑顔を見せる中、勇者の少年は凛々しく頷く。


「ありがとうございます、王様。早速ですが、空を飛ぶ手段を知りませんか。あの魔王の城に行く手段がないんです」

「早速難題だな。だが、手がかりがないわけではないはずだ。先代勇者の足跡を調べてみるのはどうだろうか? 古の手段でも、神竜の御子であるそなたなら利用できるやもしれない」


 それからも勇者たちは王と話し合い、行き先が決まると早速エリスティアを出発した。

 寝床から客人を見送った王は話し疲れた様子ながらも間髪入れずに兵士へ言う。


「城の者たちに会いたい。大臣を呼んでくれるか?」


 側近を任された兵士たちの中から年嵩の者が答える。


「王……顔色がお悪うございます。少しお休みくださいませ」

「魔王に奪われた二十年間の様子を知りたいのだ。頼む」


 その兵士はためらいがちに口を開いた。


「大臣は十年以上前にお辞めになりました」

「なんと! 彼がいなければ仕事が捗らぬというのになぜやめた? ……まさか、魔王の差し金か?」

「おそらくは。二十年の間に多くの者が城を去り、魔王の権能が国の全てを操っておりました」

「言葉も出ない。政治を正常化するには多くの時間が必要になるだろう……。ならば私から尋ねたい。会っておくべき人物はいるだろうか?」


 兵士たちは思い当たる者がいるという顔で互いを見合った。


「では、イブ殿をお呼びください。ロベルト将軍が遺した唯一の弟子と呼ぶべき者です」


 早速イブは王の天幕へ呼び寄せられた。

 気もそぞろだが跪いて頭を垂れる。


「騎士イブ、参上しました」

「面を上げたまえ」


 王の労るような声色は騎士ではなく少女に対してのものだった。


「聞いたところ、そなたは幼い頃から城にいたそうだな。来歴を教えてくれまいか?」

「はい……生まれてすぐに母と共にこの国へ来ました。母は喋れませんでしたが、ロベルト様が仰るには、母はラウニカの生き残りだそうです」

「生き残り? ラウニカに何があったのだ?」


 その疑問へ兵士が答えた。


「十七年前、魔物の大群に襲撃されたのです。その時にラウ二カ国王は……」

「ボニファスは……亡くなったのか?」

「騎士団長のアレックス殿もその折に……」


 王は絶句してしまった。知らない間に一つの国が世界から消え、知り合いも亡くなっていると聞かされたのだから無理もない。


「それで……そなたの母はこの国に我が子を預けてくれたのだな。外国から来てさぞや苦労したことだろう。せめて何かで報いねばならん。今、どこでどうしているのだ?」

「…………」


 仕方ないとはいえ無知がままに尋ねられるのは辛かった。

 そんなイブに代わるように兵士が口を挟む。


「イブ殿の母君はこの国に来てすぐに地下牢に入りました。罪にもならない行いが理由です。誰もが手厳しいと感じていましたが、王の命令だったのでどうしようもなく……」

「今、思えば……」


 イブはなんとか言葉を紡いだ。


「今思えば、地下牢はロベルト様の管轄でしたから、あの魔王の城の中で、母はロベルト様に守られていたのでしょう。私が毎日母に会うことを許されていたのも、そのお陰だったはず。きっとあれが母の最善の境遇だったのです」


 滲む涙をこらえながら微笑む姿に、兵士たちは気の毒そうに目を伏せる。

 王はむしろそんな態度を見せなかった。


「ロベルトは魔王の手先だったが、最後は魔王の攻撃を抑え込み、皆の盾となった。そうしてくれなければ、我々は城ごと吹き飛んでいただろう……。あの男を二十年前から知っているから分かる。魔に堕ちても、心根は変わっていなかった」


 王は何かを思い出す素振りをした。


「私が魔王の鏡に閉じ込められている時のことだ。身動きはできなかったが、外で何が起こったかを垣間見ることはできた。宝物庫に若者が侵入してくると、鏡を持ち出し、物陰に置いた。それから兵士を引き付けて逃げた。しばらくして、鏡を回収しにロベルトがやって来たのだ」


 イブは可能性に気づいて目を瞬く。


「二人は口裏を合わせて行動していた……?」

「私もそう感じたよ。ロベルトは一人で魔王に抗おうとしていた。だが彼には家族がいたはず。魔王に下ったのも致し方ない事情があったに違いない」


 イブの目に悔し涙が浮かぶ。母のこと、ロベルトのこと……。人に話せば話すほど、自分が知っていたことは二人の表面に過ぎないという気がした。


「ロベルト様は私に生き方を教えてくれました。私が城の中に居場所を持てて、皆に優しくしてもらえたのは、あの方のお陰です。……私に父がいるなら、あんな人だといいと思っていました……」

「ラウニカは騎士の国と言われていた。きっとそなたの父も立派な人だったことだろう」

「ありがとうございます」


 王は小さく頷いた。


「そなたのお陰で今の私が何を知らぬかを知れたよ。二十年の不在を取り戻すために多くの者に話を聞かねばならぬ。だが、そなたは色々あったろう。今は少し休みなさい」

「は、失礼します」


 イブは天幕から下がった。



 広場を所在なく歩いていると、仲の良いメイドの一人がやってきた。


「どうだった?」

「うん……今までの王とは全然違う人だった。魔王は僕を慮ってくれたことなんてなかった。でも、僕はそれが王様の公平性なんだと信じてた」


 腰に提げる剣の鞘を思わず握りしめる。


「僕は主君に忠誠を誓う生き方しか知らない。でも、少なく見積もっても騎士を目指し始めた十年前から僕の忠誠は裏切られていた。考えれば考えるほど悔しくてたまらないよ。王が本物の王だったら、お母さんの運命も違ったはずなんだから」

「イブ……」


 友人の心配げな呼びかけにイブはハッと我に返って顔を上げた。


「ごめん。こんなこと言うべきじゃなかった。僕……一人になりたい」

「あ、イブ!」


 イブは逃げるように走り去った。

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