17:闇の射手
宰相の話の通りに山を目指すと、街のはずれから『古代都市遺構』へ案内する看板が現れ始めた。
看板に沿って山の麓の木立を歩きながらイブは今朝のことを話した。
「――エドガーがおまえを……!?」
透明になる魔法を使って路上で襲撃してきた話がクルスを驚かせる。
「よく無事だったな……でもなんでアイツはおまえを狙ったんだ?」
「最初はクルスさんをどこかへおびき出すために僕を利用したがってたけど、断ったらそんな感じになったんだ」
「はぁ。まあ、目的はオレなんだろうが、理解できねえよな……なんでそこまでするんだか」
クルスは呆れるが、イブは少し考えた。
「クルスさんは子供の頃の事だって言ったけど、あの人にとっては何か重要なことがあったのかもしれないね」
「いちいち分かってやろうとするなんて優しすぎるぜ」
「彼を知り己を知れば、だよ。また不意打ちを食らいたくないもの。あの人が何をするか予測がついてたら、クルスさんだって捕まらずに済んだかもしれないでしょ?」
「ああ……」
クルスは苦い顔をする。
「既に盗まれていた物……それもエドガー自身が盗んだ物を指定してくるとはな。この国に着いたばかりで情報を集めてなかったのが駄目だった。それにしても、行方不明になった国宝の代わりに偽物を飾っておくなんて、図太い王様だぜ」
「偽物があったの?」
「一目で分かるほど違ったよ。昔聞いた話だと、本物は武人王が使ってた紋章が螺鈿細工されてるらしいんだ。王の部屋にあったのは真っ黒だった」
そう聞いたイブは疑問を抱いた。
「今朝の新聞によると、盾が盗まれたことは箝口令のお陰で隠し通せていたらしいんだ。でも、どうして秘密にしたんだろう?」
「国のプライドを守るためじゃねえの?」
「そうしたいなら、わざわざ偽物を用意する必要はないと思う。なのにそうしたということは……」
「……何も知らない馬鹿な盗人に『武人王の盾』を掴ませて捕まえるため、か?」
「だとしたら……」
足を止めた二人の頭の中で、偽物の盾とエドガー、そしてタイヴァス王国が怪しい三角形になりかけた。
「僕たち宰相様に言われるがままにここまで来ちゃったけど、これでいいのかな?」
「だが地下遺跡は複雑で宝の隠し場所には持ってこいの場所だ。探してみて損はしないはずだ。罠がなければ、の話だが……」
そうこう言っているうちに、岩山に彫り込まれた古代の門に辿り着いた。下り階段が奥へ続いているようだが、暗くて様子は分からない。
「……ま、まあ、少なくともあの様子なら王様は信じてもよさそうだよね? 何かあっても僕たちの名誉だけは守ってくれるよ。きっと」
「おい、知ってた罠にかかって人生終了なんてゴメンだぜ? オレは名誉なんかいらねえから、おまえも覚悟しろよな」
「うっ、そうだね。分かった。情けない死より泥まみれの生を選ぼう」
「いいから行くぞ」
クルスが先頭になり二人は地下遺跡へ下りていった。
長く暗い階段を下りるごとに空気が冷えていく。
最後の段を下りきった頃には冬のようだった。
だが、イブは目の前の光景で寒さを一瞬忘れた。
「うわぁ……こんなものが地下にあるなんて……」
古代都市の遺構はその名の通り街一つ分の巨大な遺跡だ。広大な大空洞に全てが石でできている家や塔が並び、それらを馬車も通れそうな幅広の道が繋げている。そんな街全体が今でも光っている大きな発光石を使った街灯の数々によって照らされていた。
「確か、ここはまだタイヴァス人が海へ進出する前に住んでた街、って話だったはずだ。武人王の時代よりずっと前に作られた場所だな。冬の雪と寒さを凌ぐためにこんなところに住んでたんだと」
「この冷たい場所の方が安全だっていうなら、タイヴァスの冬の凄さは想像がつかないよ。でも、こんなに広いんじゃ夜明けまでに探し物が終わるかどうか――あ、あそこ!」
イブは遥か遠くを指さした。
聖堂のような大きな建物があり、小高い階段の上にある門に篝火が焚いてある。
「人が住んでるって話は本当なのかも。聞き込みしてみる?」
「そうだな。でも気をつけろよ。相手にとっちゃオレたちの方が侵入者なんだから」
二人は古の冬の冷気が残る遺跡を進んだ。
街の作りは複雑だが道が幾何学的なので迷うことなく、篝火のある建物の下へ着いた。
その建物は近くで見ると小さいが宮殿と言うべきものだった。
二人は勾配が急な階段を登る。
中腹へ到達した頃だった。階段の上から木製の何かが物音を立てたのは。
「避けろっ!」
二人は騒音とともに転がり落ちてきたいくつかの樽を横へ飛んでかわした。
段差で砕けてバラバラになった樽から石や岩が溢れていく。
罠の始点を見上げてみるが人はいない。ただ斜めに傾いた荷車のようなものが残っているだけだった。
「オレたちは早速嫌われたらしい」
「透明な人に後ろから刺されるよりマシかもよ?」
「はっ、違いねえ。だがこの先が心配になってきたな」
「そうだ、すっかり忘れてた! 仮にも人様の家に行くのに手土産がないよ」
呆気にとられるクルスをよそにイブは服のポケットなどを探ってみた。
「あ、お菓子屋さんでおまけしてもらった飴があった。あとは小銭しかないや」
「おまえってやつは……ん?」
階段の上からモップのように毛むくじゃらの人物がこちらを窺っている。
浮浪者らしきその男性は動物のように距離を取りつつも手のひらを差し伸べてきた。
何かが欲しいらしいと気づいたイブは飴と小銭を持つ左右の手を見せる。男性は飴の方を指さした。
「どうぞ」
「…………」
飴を受け取った男性は、まず包み紙の上から香りを楽しんだ。タイヴァスの伝統の飴は、イブが例えるなら薬草のような独特の香りがするはずだが、その人にとっては大好物のようだ。
クルスがすかさず尋ねる。
「なあ、この辺りで黒い盾を見なかったか? デカくて、キラキラした紋章がついてるやつだ」
男性は飴の香りに夢中だったが、懐から一枚の紙切れを差し出してきた。
どうやら宮殿内の見取り図のようだ。部屋や廊下に色々な印がつけられている中、紆余曲折している一本の線が玄関ホールから三階の小部屋までを繋げている。
「……これは罠の配置図じゃねえか? 助かるぜじいさん」
とクルスが顔を上げた時には既に男性はいなかった。
イブは満足げだ。
「手土産が功を奏したね。食べにくそうだった飴もどうにかできたし一石二鳥」
罠の配置図から顔を上げたクルスは少々眉をひそめていた。
「あのじいさんは多分、雇われてたんだ。ここに書いてある罠を仕掛けた奴に」
「その人って……」
「武人王の盾を盗んだ奴だよ。ここはアイツの場所なんだ。イブ、覚悟はいいか?」
心配半分に問われるがイブはしっかりと頷いた。
「盾も宝玉も目の前だよ。進むしかない」
「ああ」
二人は古の宮殿へ足を踏み入れた。
宮殿の中は浮浪者の集合住宅といった様子だった。焚き火が燃えている玄関ホールは皆の広場なのか、人々が暖を取りながら新聞を読んだり犬を可愛がったりしている。何かの肉の串焼きがいい香りを漂わせてもおり、みんな居心地が良さそうだ。
そこへ入ったイブとクルスは人目を引いたが、注目されたのは一瞬のことで、後は我関せずという態度をとられる。
ありがたく、二人は罠の配置図に従って無事に宮殿を進んでいった。
「ここだ……」
線の終点にある豪華なドアへ辿り着く。
クルスが先頭となって慎重にドアを開けた。
そこは配置図では小部屋に見えたが、実際はバルコニーだった。
大空洞の天井に開いている穴から回廊に囲まれた中庭へ、一筋の日光が差し込んでいるさまが望める。今、それを眺めているのは一人の体格の良い男性だけだった。
「今回はこっちから来てやったぜ、エドガー。さあ、盗んだ物を返しな」
「……それ、『亡国の大盗賊』さんが言う台詞かぁ?」
エドガーは一筋の光を背景にして振り返った。その両眼がイブへ向く。
「さっきは唐辛子をどうも。目が燃えるかと思うくらい効いたよ……」
「いい感想だね。もう一握り持ってくればよかったかな?」
「運命を変えるには足りないかもな」
そう言うと背負っていたクロスボウを手に下げる。
怒り、憎しみ、恨み――暗く重いあらゆる感情が空気をひりつかせるほどの迫力を放つ。
イブとクルスも身構えざるをえなかった。
「エドガーてめぇ、オレの賞金が欲しかったんじゃないのか? イブまで襲いやがって、何を考えてる!?」
「お前こそあの時、何を考えて一人で逃げたんだ? 逃亡者が出た後の林檎園がどうなったか、少しでも想像してみたことがあったのか?」
エドガーは静かに怒りを煮えたぎらせているようで拳が震えていた。
「お前が逃げたあの日から俺たちの日々はより地獄になった。院長は俺たちがこれ以上『反乱』しないように押さえ込み始めたんだ。メシを減らし、毎日疲れきるまで仕事をさせてね。ニーロみたいに弱いやつから順番に寝込んでいったよ。六人目が倒れた時に街の誰かが異変に気づいて、やっと俺たちは死の運命から逃れることができたんだ」
ボルトが装填済みのクロスボウがクルスへ突きつけられる。
「お前は過去にこだわる俺を馬鹿にしてるんだろうが、そんな権利はお前にない! 独り占めした自由を謳歌していたお前にはな!」
「…………」
クルスは何か言おうとした口をそっと閉ざした。今のエドガーを刺激するのを避けたようだ。
それが気に入らなかったエドガーは問いかける。
「言いたいことがあるなら言ってみろよクルス! 俺が哀れ? ウザい? なあ、聞かせてくれよ! あの場所から逃げ出したいって皆の夢をたった一人で代わりに叶えてくれたのは、優しさだったのか?」
クルスは苦しげに、しかし誠実に答えた。
「ニーロがオレに夢を託したんだ」
「『俺は』お前に頼んでない! だからお前は、俺から全てを奪ったんだッ!」
感情的に射出されたボルトがクルスの頬をかすめた。
同じ場所に一拍遅れて赤い筋が現れる。
それを目の当たりにしたイブはレイピアを抜いて一歩進み出た。
「境遇には同情しますが、ゼファさんや僕達への行いの理由にはならない。すべきことをして罪を濯ぎなさい」
「うるさい女だな! おい、いいこと教えてやるよ。俺は魔王からお前を始末するよう言われてるんだよぉッ!」
エドガーは懐から掴み出した物をイブとクルスの頭上へ投げた。
そこには縄で釣られた明るい二重底の瓶が浮いていた。投げナイフが縄を切ると、床に落ちて割れた瓶から油が飛び散り火種が一気に燃え広がる。
「わぁっ!」
二人は炎から大きく距離を取る。その時、イブは炎の向こうで、エドガーが短剣の柄に手をかけながら姿をかき消す場面を見た。
「クルスさん気を付けて! 彼が消えた!」
「ちっ……色々と手が込んでるな」
二人は炎によってバルコニーの縁へ追いやられた。油が燃え尽きるまで身動きが取れないことがもどかしく恐ろしいが、エドガーの刃は襲ってこなかった。
炎が石畳の目でくすぶる程度になり、二人は静けさに耳を澄ませるが、怪しい音も気配もない。
イブは思いついた。
「もしかしたらクロスボウの装填をするために身を隠したのかもしれない。数十秒は掛かるはずだけど、その間は無防備になるから」
「なら、ついでにオレたちの武器が届かない遠くから狙いを定めることも――」
イブが数歩歩いたその時、一瞬前まで上半身があった場所をボルトが風切り音を立てながら飛翔した。
奇跡的な回避に驚く間もなく、二人は互いに腕や肩を掴み合って身をかがめる。
「この装填時間中に僕たちは彼を見つけないと」
「撃ってきた方向は見えたぜ。あの窓のあたりだ!」
バルコニーから回廊の屋根に下りることができる。いくつもの円柱で支えられている回廊の四隅には塔があり、その側面に窓が開いているのだ。クルスは塔の中の一つを指さした。
二人はなるべく急いでその方向へと屋根の上を走って移動し、エドガーの姿を探す。
「そこだ!」
エドガーは屋根から下へ飛び降りるところだった。だがすぐにまた姿が透明になる。
二人は屋根の上から、野草や野花が生えている中庭と回廊を見回してみたが、影すら見つけられない。
ひとまず下から見えないように屋根の陰に身を隠して話し合った。
「どうして自由自在に消えたり現れたりできるんだ? あれは魔法か?」
「僕の目の前で消えた時は詠唱もしてなかった。高度な魔法はそれを使う魔法使いの魔力が強くても、何の予兆もなしに発動されることはない、って習ったことがある。魔法使い相手ならそこが隙になるんだ」
「だがその隙がない。そもそもエドガーに魔法を使う才能があるなんて話も聞いたことがないな」
クルスはややあって尋ねた。
「なあ。エドガーが消える瞬間を見たか? 何か道具を使ったりしてなかったか?」
「一度目もさっきも見てたけど特には……。でも、斬り掛かってくると思った途端に消えたんだ」
「何でそう思った?」
「それは短剣を触ってたから……!?」
別の塔のこちらを向いている暗い窓辺に人影が見えた気がして、イブはクルスの腕を掴んで屋根を滑り降りた。
咄嗟の行動は正解し、胴体を狙ったと見えるボルトが若葉色のコートの裾に突き刺さる。
回廊へ落ちた二人はエドガーがいた塔の入口へ走った。
「短剣が魔法道具だったんだ! だから何の予兆もなかったんだ」
「魔法道具の力で隠れて移動してオレたちを撒き、物陰で装填して撃つ。装填中に位置がバレそうになったらまた隠れればいいわけだ。ズルだろ!」
螺旋階段を飛ぶように登ってエドガーが見えた窓へやってくるが誰もいない。代わりに、下の回廊の屋根から姿なき者が着地する重たい音が聞こえた。
クルスが叫ぶ。
「エドガー! 手品の種は分かったぜ。ちょこまか逃げ回るのも今のうちだからな!」
「だったら俺を止めてみろよ、負け犬!」
エドガーは返事をする間だけ姿を現して挑発してきた。
だがこれに乗るクルスではない。窓から顔を引っ込めるとイブと顔を突き合わせた。
「聞いてくれ。これから二手に分かれよう。アイツはオレが相手をするから、イブは遠くから射撃の注意を引き付けて、オレがアイツに近づけるようにしてくれ。どうだ?」
「撃たれるか、知らない間に切り裂かれるか。どっちが危険な役回りかは比べようがないね。それでいこう」
「頼んだぜ、相棒」
クルスはイブの肩を叩くと階段を降りていった。
「さて……」
射撃を引き付ける役のイブは窓から顔を出して辺りを見回した。
今までのエドガーの射撃の様子を見た限り、クロスボウを撃つ時は姿が見えていた。ということは、両手で構えなくてはならないクロスボウを扱っている時は透明になれない。
イブは、短剣の透明化の恩恵を得るには、短剣に手で触れていなければならないのでは、と推測した。だから平気で顔を出したのだ。姿が見えないということは、まだ撃てる体勢ではないということだからだ。
「撃たないなら、こっちから行きますよ」
イブはエドガーのように窓から屋根に飛び降りた。レイピアを抜くと、先ほどまでエドガーがいた場所の周辺にあたりをつけ、切っ先を前へ構えて突進していった。
「やあぁぁぁッ!」
しかし切っ先は何も捉えず空を刺すばかり。慌てて逃げるような物音もない。
「違ったか」
呑気に棒立ちをしてみせたその瞬間、斜向かいの屋根にこちらへクロスボウを構えるエドガーの上体が現れた。
イブは横へ軽く飛んで射撃をかわすと、助走をつけて向こうの屋根へ飛び、まだ姿が見えているエドガーめがけて剣を振り上げた。
「覚悟ッ!」
「うわ」
エドガーは短い声を上げると短剣に触れて消えた。
動きが見えなくなると途端に不利なため、イブは大振りな横薙ぎで牽制しつつ大きく距離を取った。
エドガーも移動しているらしく、よく聞くと屋根を歩く小さな物音が遠ざかっている。大股な忍び足だ。
「なるほど、音も消せないんだ。段々と弱点が見えてきた」
呟きを聞きつけたのか足音が消える。だが視界の全てに注意してみると、下の中庭の野草や野花がひとりでに折れている。
イブは挑発した。
「おや、靴の裏に土がついてしまいましたね? そういえばあなたはラウニカでも足跡を残していましたっけ」
湿り気を帯びた足跡が回廊のタイルに現れた。エドガーはイブがいる屋根の下に潜り込むと、もう隠すことなく物音を立て始めた。クロスボウにボルトをつがえているようだ。
ということは、両手を使っているので姿が現れているということ。
イブはエドガーと対峙するため屋根から下りた。
が、誰もいない。
虚ろな空間の低みからボルトが発射されて太ももに刺さった。
「えっ……!?」
「イブ!」
想定外の事態にクルスがそばの円柱の陰から飛び出してきた。
そこへクロスボウ自体が投げつけられてクルスはいったん怯む。
「クルスさんッ!」
透明な相手に対して両腕と短剣で防御態勢を取るクルス。
その数歩前方で透明な足がタイルの汚れを勢いよく踏みにじる。
イブはそれに気づくと飛び込むようにエドガーへ体当たりをした。
「ぐふっ」
「うっ」
エドガーは受け身の一つも取れずに。イブも、構えも何もなく勢い任せに突っ込んだので、共に中庭へ吹っ飛んだ。
この衝撃でエドガーの手は短剣を取り落とした。タイルに落ちた短剣をクルスの足がさらに遠くへ追いやる。
「勝負あったろ、エドガー」
「あぁっ……クソ……!」
クルスに刃先を突きつけられても、武器をどちらも失ったエドガーにできることはもうない。
そのままクルスがエドガーを拘束する、と思われた。エドガーの短剣がひとりでに暗い靄を纏うまでは。
「――刻限が迫っているぞ、我がしもべよ」
地獄の底から響くような声が聞こえた。
発生源は短剣だ。
「――巫女は目の前だ。忠誠を示し抜け」
「……これ、魔王の声?」
イブは『追憶の壺』で見た母の記憶を思い出していた。
するとエドガーが拳を地面に叩きつけて吠えた。
「魔王なんてくそくらえッ! 俺は自由だ、俺は王だ、俺は俺だ! 奪うも殺すも全部自分のためだッ!」
「――ならば足掻け! 我が闇の戦列に名を連ねたならば貪欲に勝利を求めよ! さもなくば貴様の死に安寧はない!」
「……うおおぉぉぉぉッ!!」
エドガーは次は掌を叩きつけた。
その地面に簡単な紋様の赤い魔法陣が現れる。
一目見ただけだが、基礎的な魔法の知識を学んできたイブはそれが何を意味するか分かった。
「何かを発動させた……?」
「どういうことだ?」
「分からない。けど今のは単体では意味のない魔法陣だった。他の魔法陣を遠隔で発動させるためのもの――」
言い終わらないうちに三人の体が地面に突き上げられた。
「何だ!?」
最初の激しい衝撃に続いて、揺れのように思えるほどの地響きが回廊や塔を震わせる。
エドガーが言った。
「……ここの地底深くには魔王が仕込んだ爆発魔法があった。今それを起動させた」
「お前、なんてことを……!」
地響きが地中深くから段々と中庭へ迫っていると気付いたクルスはそれ以上の驚きと言葉を飲み込んだ。
「まずそうだ。イブ、つかまれ!」
負傷して一人では上手く立てないイブにクルスが手を貸して中庭から逃げようとする。
そのショートブーツの片足首にエドガーの両手がしがみついた。
「クルスぅ! お前だけでも俺と一緒に来い! 同じ地獄に落ちろぉッ!」
「このっ――」
クルスがエドガーを振り払うより早く、その執念深い腕に細い刃が刺さった。
イブの形相は強く、冷たい。
「いくら卑怯者のあなたでも、こんな惨めな姿だけは見たくありませんでした。残念です」
「ッううぅぅぅぅ……!」
エドガーは歯を食いしばって痛みに耐えようとするが、努力むなしく手に籠もっていた力はもう抜けている。クルスはそっと足の自由を取り戻すと肩越しに彼を振り返った。
「じゃあな……エドガー」
最後にエドガーの瞳に映ったのは親しげな憐憫。
遠ざかっていく二人の男女の背中を見送り、やがてまぶたが閉じた。
『オッペル、オッペル……』
歌を呟く。
『――目を瞑る
他人の罪で身を清め
石を投げられ、唾吐かれ
神に謁する時が来た
オッペル、オッペル
天使の子……』
弱々しい指先が掻く地面が抜けた。