15:林檎園
それよりも看過できない事実があった。
「ラウニカから宝玉を盗んだのはあなただと?」
エドガーは小首を傾げる。
「そんなに驚く? まあ驚くか。盗掘ブームも過ぎて忘れられた空っぽの廃墟かと思ったら、魔法の鍵で守られた宝の山があったんだからねぇ。しかもそれを守ってるのが亡霊だなんて、まるで冒険物語だ。久しぶりにワクワクしたよ」
「あの方はゼファさんです。敬意を払うべき人です」
「あ、そう? にしても、クルスの足取りを掴むのは苦労したな。魔法道具を使ってるのは分かったが、移動先がね。まあ突き止めた後は簡単な仕事だったけどねぇ。じいさんの後をつけて、あとは好みの方法でって感じ――」
「もういい」
クルスが唸るように静止した。
「なんでそこまでしてオレを探してた?」
エドガーはクルスに少し低い位置から睨み上げられると、僅かに頬を引きつらせた。
「なんで、って、ねえ。昔の勝負こと、覚えてるよな?」
「……まさかあの『鍵』のことか?」
「俺は認めてない。お前が卑怯な手を使ったからだ」
「卑怯って……」
「お前にとっては優しさなのかなぁ? 夢を代わりに叶えてやるってのはさ」
イブはクルスが絶句した気配を感じた。
話が見えなくともクルスにとって不快な会話だということは分かる。
「エドガーさん? 人が大勢いる場所ですから余計な話はやめましょう。目的をおっしゃってください」
「いいよ、美人ちゃん。おいクルス」
エドガーは矢をつがえていないクロスボウを指定した人物へ向けた。
「新しい勝負をしよう。こそ泥同士のお宝パクリ競争だ。お前が勝ったらラウニカの玉っころを返して、俺はもうお前を忘れてやる。どうだ?」
「はぁ……お前が勝ったら?」
「お前の首が刎ね飛ばされて、賞金は俺のもの」
「なんてことを……!」
イブは目を瞠った。エドガーが構わず続ける。
「返事はまだいい。詳しいことは現地で知らせるから、その時に聞こう。じゃ、一足先に行ってるよ」
そう言うと人混みの方へ向かいながら、光に包まれて姿を消した。
突然、魔法が行使されたので周囲の人々が驚くが、すぐに和やかな休暇の雰囲気に戻っていった。
クルスは軽く息をつく。
「飛躍の針を使ったみたいだな。なあイブ、急に変な話になって悪かったな。あいつのことは気にするなよ」
「それはこっちの台詞だよ!」
掴みかかりそうな勢いにクルスは少々仰け反る。
「あんな勝負、受けるべきじゃないよ。宝玉は別の方法で取り返せばいいから、挑発になんか乗っちゃ駄目。何が起こるか分からないんだから!」
「あ、ああ。分かってるよ、大丈夫だ。あいつは復讐しようとでも思ってるんだろうが……」
イブは復讐、という言葉でいっそう不安をあらわにした。クルスは手をイブの肩へ置いて、やんわりと僅かな距離を押しのける。
「あいつが勝手にオレを目の敵にしてるってだけだ。馬鹿馬鹿しい理由さ。ガキの頃のことを、ずっと引きずってやがるんだ」
「子どもの時からの付き合いなの?」
「……まあな」
クルスは口ごもり、体ごと顔を背けた。
「その話は気が向いた時にな」
「分かった……」
延々と続く真昼の海が眩しく目に痛い。
タイヴァスの街並みは色鉛筆を揃えた箱のようだ。降雪の季節を外れると、色とりどりの縦長の家が建ち並ぶ港町はそれ自体が観光地になる。
イブとクルスは選ばずに部屋を借りた宿屋に荷物を置いた。
「一回りしてくるね」
声をかけると、ベッドから窓へ顔を向けていたクルスは振り返った。
「暗くなる前に戻れよ」
「食堂の名物料理を食いっぱぐれるわけにはいかないからね」
「ん」
クルスは一瞬頬を緩めたが、また物思いに戻っていった。
船を降りた時からこんな調子だ。だからイブは、今は彼を放っておくことにしたのだった。
宿を出て少し歩くと市場があった。魚屋や肉屋の軒先を観光客が眺めて回っている。人の流れにイブも乗って、途中で通りかかった焼き菓子屋で香辛料を入れた甘いパンを買い食いしながら、王城前の広場に出た。
タイヴァスの城は雪を冠した岩山のように屋根が白くて壁が黒い。左右対称に二つの尖塔を持っており、それぞれが趣の違う人物の彫刻で飾り立てられている。
「あれはこの国の伝承を表しているんだよ」
そばのベンチから老婆が声をかけてきた。
「伝承ですか?」
「かつてこの国は二つの国に分かれていたそうだ。一つは海辺の国。もう一つが雪山の国。二つの国は領地を巡って敵対しておった。だが、武人王と狼の王の時代に、二つの国は争いをやめて一つになったそうな」
老婆は杖の上で重ねている手でそれぞれの尖塔を指した。
「あの盾を持っている戦士が武人王。あっちの尖った冠を被っているイケメンが狼の王じゃよ」
「イケメン?」
「ほほほ。雪山の民は皆、金や銀の髪をした美男美女だったそうじゃ。そして海辺の民は筋骨隆々の肉体美を誇っていたとか。この国の民は今でもそれらの特徴を受け継いでおる。剣士さんも目の保養をしていきなされ」
老婆はお茶目に片目をつむった。
あまりピンとこなかったイブは曖昧な笑みを返した。
「さて、そろそろ日が落ちるねぇ」
老婆は日向ぼっこを切り上げてベンチから立ち上がっていった。
その言葉通り、タイヴァスの空にエリスティアの冬のように早い夕暮れが差し迫っていた。
来た道を戻って宿へ帰ろうとイブは踵を返す。その時だった。
「えっ? えぇぇーっ!?」
悲鳴とも驚きともつかない声が広場に響き渡った。
見ると、街の掲示板の前で腰を抜かしている人がいる。
周囲の人々が仰天して駆け寄っていった。
「どうしたの!?」
「こ、これ! これっ!」
「ん? ……えぇっ!?」
集まった人々も掲示板の真ん中の張り紙を見て仰天している。
物見高い観光客も騒ぎに加わり、広場は騒然としていく。
イブも無視できずに人だかりの最後列の人に尋ねた。
「何があったんです?」
「それがね、『武人王の盾』を盗むって予告状らしいんですよ!」
「盗みの予告状……!?」
「しかも犯人は『林檎園の盗賊』を名乗ってるんです……!」
その人は怖い話をするように声を落としたが、イブの分かっていない様子に気づくと口元を押さえる。
「ああっ、他所の人は知りませんよね。忘れてください」
「え、それはどういう……」
その人はそそくさと立ち去ってしまった。
人だかりの中から噂話が漏れ聞こえてくる。
「林檎園の子が戻ってきたというの?」
「『武人王の盾』を狙うだなんて、口に出すのも恐れ多い。なんて罰当たりな……」
そこへ城から兵士がやってきたので、騒ぎは一旦収まった。
イブは斜陽と影の中を宿屋へ急ぎ、自分たちの部屋へ飛び込んだ。
「クルスさん! 今さっき広場に――」
続く言葉を思わず飲み込んだ。窓でエドガーが片膝を立てて座っていたからだ。
「やぁ、あれ見てくれたの? だったら話が早いね」
「あなたが書いたんですね、あの予告状!」
「おとぎ話みたいな古典的手法、やってみたかったんだよねぇ。どうだった? 皆驚いてた?」
「街の人を動揺させるのが目的だったなら大成功でしょうね」
エドガーは手を叩いて高笑いをした。
「こっちもクルスに勝負の説明をしてたところなんだ。なあ?」
顔を向けられたクルスは、イブが出ていった時と同じようにベッドの縁に座っている。違うのは、手元で短剣の抜き身を手入れしていることくらいだ。
「それで、やるか?」
クルスはそっと口を開いた。
「あんな国宝に手を出したら賞金首じゃなくても処刑されるぞ」
「勝負はそれくらいスリルがないと! 命も人生もかけなきゃ、やる気出ないだろ?」
「クルスさんはやりませんよ」
「いいやきっとやるよ、やるよな?」
エドガーは異様な目つきで相手を見つめている。
「それともまた、死にかけの大事な誰かがいないと駄目か?」
「――黙れよ」
刃がその日最後の赤い光で染まった。
切っ先がエドガーへ向けられている生々しい光景に、イブは思わず息を呑む。
クルスの表情は短剣と同じくらい剣呑だった。
「お前、妙なことするんじゃねえぞ」
「……じゃ、お好きにどうぞ。期限は今日の明け方までだ。忘れるなよ」
エドガーはひらりと手を振ると、二階の高さにある窓から頭を下にして落ちていった。
イブは慌てて窓から下を覗く。金色の頭は平然と石畳の上を歩いていた。
「なんて身軽なんだろう」
「……筋肉だらけのくせにな」
ぼやくような声に振り返る。
クルスは短剣を鞘に納め、もう落ち着いた様子だった。
「昔から体がデカいんだ、あいつは。それが自慢らしい。だからよく言われたよ。『チビのくせに歯向かうな』ってな。……それで、広場でどうかしたのか?」
「掲示板に『武人王の盾』を盗むって予告状が張り出されたんだ。送り主の名前は『林檎園の盗賊』だって」
「林檎園……」
眉間を狭めたクルスへ、イブは遠慮がちに言った。
「街の人たちは驚いてた。僕もそろそろ知りたいよ、『林檎園』の……クルスさんのこと」
「……そうだな。夕メシまで、まだ時間がある」
イブが窓辺の肘掛け椅子に腰掛けると、クルスは身の上を話し始めた。
――『林檎園』は孤児院のことで、クルスはそこで育った。
己の年齢を明確には知らないが、林檎園にいたのは八歳から十二歳までだ。
林檎園は孤児院だがその名の通りリンゴ畑があり、子どもは畑の手伝いをさせられていた。
「子どもたちはリンゴ畑の世話を手伝いながら新しい親が現れるのを待っている、っていう触れ込みで、世間的にはいい感じの孤児院だと思われていた。けど実際は、まるで監獄だった」
子どもたちが孤児院にやってきた事情は様々だったが、哀れまれたり、親戚の家をたらい回しにされた経験から、誰もが心を荒ませていた。
多くのものが必要な子供時代に何一つ持っていない子どもたちは、自然と足りない分を他人からかすめ取るようになる。
孤児院は泥棒の集まりだったのだ。
「毎日、大人の目を盗んで誰かがメシや物を盗んでいた。まあ、大人に見つかっても関係なかったが。院長も世話人もオレたちを諦めていたからな」
「…………」
未知の世界を垣間見た思いでイブは衝撃を受けていた。
クルスは僅かに苦笑する。
「ま、地獄かもな。だから皆、あそこを出たがってた。新しい親を待つ奴もいたが、言い伝えを信じてる奴もいた」
「言い伝え?」
「林檎園の先人が脱走に成功したって話があったんだ」
広い敷地を高い塀で囲んで抱えている林檎園には、一区画だけ手入れされていない木立があった。
植物が好き放題に茂って鬱蒼としているが、実はそこに塀の外に通じる隠し扉があるという。
言い伝えというのは、林檎園の先人、つまり当時の子どもの一人が、その隠し扉の鍵を盗み出して脱走したという噂である。
「その時に使った隠し扉の鍵はまだ林檎園のどこかにあると信じられていた。証拠はないのに、脱走したガキが外の世界から後輩たちのために投げて戻したんだ、って説が見てきたように語られていた。吹聴してたのは、エドガーだった」
エドガーは希望のある話で子供たちを魅了すると、鍵を探させ始めた。
最初こそ仲間のようだった子供たちだが、次第にエドガーから手下としてこき使われるようになる。
エドガーはかれらに食事の一部を献上させたり、リンゴ畑の仕事を肩代わりさせたりして、楽ができる環境を整えていった。
「伝説の鍵が見つかるまで皆と一緒に耐え忍ぶような見上げた根性は持ってなかったらしい。で……ある時、一番チビなやつが倒れた」
元々体が弱かったその少年は、エドガーの夢物語に入れ込んだ結果、無理がたたって体を壊したのだった。
寝たきりになった少年の世話を院長に命じられたのはクルスだった。
クルスは手下にならないことからエドガーに嫌われており、林檎園のはぐれ者として一人でいることが多かった。大人からすれば病人の世話を押し付けるのにこれほどぴったりな人材はいなかったようだ。
「でも、そいつと色んなことを話したり、美味いものを食わせてやったりしたのは、いい思い出なんだ」
「その子の名前は?」
「ニーロ。オレが十二の時、まだ九歳……だったかな」
そう語る時のクルスの顔つきには兄のような情け深さがあった。
「だが何をしてもニーロは良くならずに、どんどん弱っていった」
そんなある日、子供たちをこき使っていたエドガーがとうとう院長に咎められた。近所の教会の司祭が説教をしに来ることが決まった後のことだ。
エドガーは普段なら誰かにやらせるような掃除を数日間やらされて、非常に不機嫌になった。だが八つ当たりできる手下はもういない。
そんな時にクルスは折り悪くエドガーと鉢合わせて、ニーロのことで応酬となった。
『最近静かじゃないか。あいつ元気? それとも死んだ?』
『ニーロは今でもお前の話を信じてるぞ』
『なぁんか重たいんだよな。俺のことをカミサマみたいに信じ込んじゃって、体張られても鬱陶しいだけだっての』
『そんな言い方ないだろ!』
殴り合いの喧嘩にもつれ込んだが、体格差のせいでクルスはこてんぱんにやられた。
腫れと生傷を作って寝室に戻ったその夜、ニーロはベッドから姿を消した。
「寝たきりの子が起き上がったの?」
「そうだ。あいつは命を賭けた。オレのために……」
それまでにニーロがクルスに話していたことがあった。
エドガーが言うには、隠し扉の鍵は先人が扉の外から林檎園へ投げて戻した。だから手下たちは木立を探索したり、院長が持っていないか探りを入れたり、全然別の隠し場所を見つけようとしたりしたのだが、鍵も、新たな手がかりすらも見つからない。
一方、ニーロは自説を持っていた。投げ込まれた鍵は隠し扉周辺の木に引っかかり、成長した木の幹に取り込まれたのではないか、というものだ。
その夜、ニーロは自分の説を確かめに行ってしまったのだった。
「……夜中、木立の方が燃えてるって騒ぎになった」
火は小さかったのですぐに消火されたが、そばでニーロが見つかった。
切り傷と火傷だらけで、口も利けないほど疲れ切っており、蝋燭と調理場からくすねたナイフを握りしめていた。
「でもニーロは正しかった」
ベッドに押し込まれたニーロは、クルスへ血だらけの折りたたまれたハンカチを差し出した。
開くと、錆びた鍵があった。
『ぼくも一緒に行きたかったなあ。そうだクルス、そのハンカチあげるよ。ぼくのお母さんのものなんだ。ぼくの代わりに持っていってよ……』
ニーロの意識は朝まで保たなかった。
生あるうちの最後の一眠りについたと分かると、クルスは脱走を決意した。
だが、ニーロの行動から何かを感づいたエドガーが木立へ追ってきて、クルスを呼び止める。
鍵が見つかったと分かると、エドガーは鍵を賭けた勝負を挑んできた。殴り合いの続きだ。
クルスは騙し討ちをするつもりで挑戦を受けた。
作戦は成功した。ニーロのハンカチをエドガーの顔に投げつけて視界を奪い、その間に足払いをかけて逃げたのだ。
「木立の中には本当に扉があって、ニーロの鍵はその扉の鍵だった」
クルスは脱走を遂げたのだった。
――窓の外はすっかり暗い。
部屋の中は、話の途中でイブが覆いを外した天井の発光石ランプによって照らされている。その橙色の光のせいか、話し終えたクルスの顔は穏やかな表情に見えた。
「『林檎園』の話はそんなところだ」
「……ニーロのことは、辛かったね」
イブはなんとかそれだけ言った。
クルスはベッドの上で後ろに手をつく。
「この国に戻ってきたのはこれが初めてなんだ。エドガーの言う通り、オレは卑怯なのかもな。ニーロがいなけりゃ出ていけなかったのに、あの頃なんて知らねえみたいに生きてきた」
「クルスさん……」
少し考える素振りがあった後、クルスは弾みをつけて立ち上がり、イブの目の前で窓辺に立った。
「イブ。おまえは反対するだろうが、オレは――」
その横顔は遠くしか見ていない。
「オレは、あの『勝負』を受ける。そして全部に決着をつけるよ」




