14:過去が追ってくる
イブとクルスは飛躍の針を使ってラウニカへ瞬時に戻った。
聖堂の跡地から廃墟の街へ下る。
「じいさん、戻ったぞー」
クルスがゼファの家のドアをノックするが反応がない。
試しにドアを押してみると鍵がかかっていなかった。
「あ? 鍵かけ忘れたのか?」
「ゼファさん、いますか?」
狭い家の中を覗くが、誰もいない。
二人は顔を見合わせた。
「戸締まりを忘れるなんてじいさんらしくないぜ。他にいそうな場所というと……」
「宝物庫は?」
「そうだな、行ってみるか」
二人は荷物を家に下ろすと宝物庫のある地下礼拝堂へ向かった。
そこでゼファは仰向けに倒れていた。
「ゼファさん!?」
駆け寄った二人は最初は目を疑った。ゼファの姿が少し透けているからだ。
ゼファは二人に気づくと辛そうにまぶたを開いた。
「おお、オコジョ坊主と花の騎士ではないか。よう帰ってきたのう……」
「一体何があったんだ!?」
半透明の指が宝物庫の方を指した。
金属製のドアが開きっぱなしになっており、中が散らかっているようだ。
「まさか盗みに入られたのか?」
「宝玉……三つの宝玉の一つが……」
「宝玉? そんなものあったのか」
イブは宝物庫へ駆け込んで中を見回した。
侵入者は徹底的に荒らしたらしく、歴史深い宝の数々が棚の中で倒れたり台座から叩き落されたりしている。
ゼファの言う宝玉は棚の開かれている隠し戸の中にあった。しかし今、ベルベット張りの三つの丸い型に収められている宝石のような球体は青色と金色の二つのみだ。
「確かに一つ無いみたい」
周囲を見ると、複雑な形をしている宝物庫の鍵が無造作に落ちていた。イブは鍵を拾ってゼファたちのところへ戻る。
「鍵を盗まれたんですね?」
「ここまで尾行されてしもた……二人とも、よく聞け」
ゼファの手がイブとクルスの腕を弱く掴んだ。その感触は手応えのある霧といった感じだ。
「『三界の宝玉』は重要な祭具なのだ。あれだけは失われてはならぬ! 盗まれた『太陽の宝玉』を取り戻してくれ……!」
「それは何だ? あんたのその姿とどう関係するんだ!?」
「あの宝がないとワシはこの姿を保っておられぬ。三界の宝玉を守ることこそワシの使命だったんじゃ。あれがなければラウニカは……世界は……」
「ゼファさん、しっかり!」
呼びかけも虚しく、いっそう姿が透けていく。
「どうか頼んだ……ぞ……」
完全に透明になってしまうと思われたその時、ゼファの姿は光って変形し、宙に浮かぶ青白い火の玉に変わってしまった。
二人は驚いて軽くのけぞる。
「ゼ……ゼファさん?」
「おいおい……まさかずっと幽霊だったのか?」
「……もう声は届かないみたい」
火の玉はただ燃えているだけで意思表示をしなかった。あるいは何かを示したのかもしれないが、二人は理解できなかった。
「気づかなかったぜ、じいさんの正体がラウニカの宝に取り憑く幽霊だったなんてよ。そもそも普通に飲み食いしてたし……」
「『三界の宝玉』がなくなると、どうなるんだろう」
今となっては宝物庫の鍵と依頼の言葉だけが残される。
イブは弾みをつけて立ち上がった。
「とりあえず宝物庫を片付けなきゃ」
「ああ」
二人は宝物庫に入り、散らかされた数々の宝を元の場所に落ち着かせていった。
作業をしながらクルスは床面に何かを探す。
「……知らない足跡が残ってる。こいつが犯人だ」
発光石で床を照らして指差す。イブも目を凝らして見たが、石畳の模様と見分けがつかない。
「この足のデカさなら男だろうな。大股に歩いてる。……この靴はここら辺の物じゃねえな……。ん?」
クルスが壁と台座の隙間に手を伸ばし、何かをつまみ出してきた。
小さなガラス製の置物だ。三角形の耳を持つ四つ足の動物だが、脚が一本欠けて鋭利な断面を晒している。
「狼かな?」
「……まさか」
「じゃあ、狐?」
クルスは返事をしなかった。
それどころかイブの言葉が耳に入っていなかったようだ。横顔は複雑に険しい。
「クルスさん?」
「……じいさんの家に戻ろう。今後の事を話すぞ」
「うん、いいよ」
宝物庫に鍵をかけて、二人は地上へ戻った。火の玉はついてこなかった。
家主のいない小さな家にて、二人は地図を広げたテーブルに着席する。
「盗まれたのは『太陽の宝玉』だって言ってたね。残ってた宝玉は青と金色だったけど、盗まれたものは何色なんだろう。それに何で犯人は他の宝物には目もくれずにそれだけを盗んだのかな?」
「カネが目当てなら蒐集家の間で有名な宝を狙った方が換金しやすいはずだ。『三界の宝玉』なんてオレも初めて聞いたのに、それをたった一つだけ持ち去ったってことは……」
「三つの宝玉を揃えさせないことが目的?」
「だとしたら、ただの盗みじゃない。それにコレだ」
クルスは脚が一本欠けている動物のガラス細工をテーブルに転がした。
「コイツには見覚えがある。オレが知ってるやつの持ち物だった……」
小さな過去を眺める目は遠い。
何かを決心した様子で、クルスは地図の北にある半島を指さした。
「これ以上の手がかりはタイヴァスにあると思う」
唐突な提案だったがイブは驚きを見せなかった。
「タイヴァス王国は雪国の一つだね。雪用の装備がいるかな。あ、でも今の季節ならまだそんなに積もってないかな?」
「……一緒に来るんだな?」
「もちろん」
探るような問いへ、イブは一も二もなく頷いた。
「さっきカルメンさんの予言を思い出したんだ。だからってこともないけど、クルスさんを一人にはしないよ。巨大なトマトが襲ってきたとしても、僕は必ず味方だからね」
イブは自分の返答で、クルスがいつものように呆れたような楽しそうな笑みを浮かべてくれるのを期待していた。
だが最初に返されたのは苦しげな無言だった。
「……長旅になるから十分に準備しよう。防寒具もな。あそこはいつだって寒い」
話を切り上げて、クルスはセヴァの代わりにキッチンに立った。
戸惑いを内包したイブの視線がその背中へ注がれるが、振り返らなかった。
*
雨上がりの路地裏に男が凭れている。胸の高さにある厚い手が何かを引きちぎると、押し殺した悲鳴のような音が鳴った。
語るような歌声。
『オッペル、オッペル
手を伸ばす
友達、自由に見放され
穢れの指で助け呼ぶ
オッペル、オッペル
病の子』
路地の先からぐずる子どもとあやす母の声が聞こえてくる。
「本当にこの辺なの? 見つからないわ」
「分かんないけど落としたの!」
「そんなんじゃ母さん困るわ」
そこへ男は路地裏の影から姿を現した。
「これ、さっき拾ったんだけど、その子のかなぁ?」
「――あっ……」
差し出された、手足をズタズタに引き裂かれたぬいぐるみを目の当たりにした母親の声が喉で詰まる。
その背中に掴まっている子どもも、髪を模した毛糸の下でボタンの目が糸を引いている惨たらしい様に目を丸くしている。
男は金色の短髪の下で眉尻を下げた。
「犬に食われたみたいだね。きっと噛みついて首を激しく振ったんだよ。犬はそういう遊び方をするからねぇ」
「そ、そうですか。どうも……」
母親は端切れと綿の塊をひったくるように受け取ると、子どもを抱えて逃げていった。
残された男は親子とは違う方向へ足を向ける。
『オッペル、オッペル
目を上げる
眩しい空を夢と呼び
頭の中では鳥と飛ぶ
オッペル、オッペル
忌まれし子』
湿気った道を片足ずつ飛び跳ねて、靴底で小さな金属音を鳴らしてゆく。
*
貴族の休暇の時期なため、タイヴァスへ向かう旅客船は華美な格好の乗客でいっぱいだ。かれらが晴天と海の眺めを楽しんでいる甲板は、給仕が忙しく行き来していることもあり、まるで城のパーティ会場のように華やいでいる。
そんな中、イブは人けのない側面の通路で手すりに寄りかかっていた。椅子も何もないが喧騒からは遠い。
そこへクルスが戻ってきて、紙の包みを差し出した。
「ほら」
「あ。ありがとう」
二人は包みを開いて、出来立ての温かさが残るホットサンドイッチにかぶりついた。
何口か飲み込んだところでクルスが遠慮がちに言う。
「なあ。ゼファのじいさんがああなって、おまえの母親の話ができなかったのは……残念だったな。それにおまえのことも……」
上手く言えないと思っているのか語尾の声が小さい。
「そう言ってくれてありがとう。今は宝玉を取り戻して、ゼファさんのお願いを叶えることに集中してるよ」
「そうか。それならいいんだが。もし何か話したいなら、オレでよければいつでも聞く。まあ、話し相手ってガラじゃねえが……」
使い慣れない言葉なのだろう。きまりが悪そうな様子だ。
だがその真心が嬉しくて、イブは微笑みを返した。
「ありがとう。あの時、クルスさんが一緒に記憶を見てくれてよかった。……気になることはたくさんあるよ。でも過去は過去だから、あんまり考えても仕方ないとも思ってるんだ。なるようになった結果が今の僕だと思うから」
「…………」
クルスのイブを見る目が一瞬遠かった。
「ところで、ラウニカでのことで聞きたいんだけど」
「なんだ?」
「宝物庫にあった足跡を見て『この辺の靴じゃない』って言ってたのはどういう意味?」
あの時は機会がなかったことをイブは尋ねた。
「ああ、そのことか。雪国用の靴みたいだったからだ。雪道で滑らないように鋲が打ってあるんだよ」
「そうだったんだ。僕、靴跡なんてなんにも見えなかったから不思議だったんだ。それにしてもクルスさんは料理に盗みに追跡、何でもできるね」
「まーな。料理や追跡技術はじいさんに教えられたんだ。腹が減ったら盗まずに狩りをしろ、ってさ」
「ラウニカで食べてきたウサギの肉団子スープ、美味しかったね」
「よく食いながら別の食い物の事を思い出せるなぁ、おまえ」
クルスは普段の調子で苦笑した。
気兼ねしない関係が戻ってきたようだ。
イブはクルスの緊張が緩和した横顔を眺めて、ふと思いつく。
「ねえクルスさん。誰かにじっと見られてることに気づいたことはない?」
「え? ねえけど。誰かって誰だよ?」
まさに今もクルスの背後へ遠くから令嬢たちが好奇心の視線を注いでいるのだが。
「妙なところで鈍感だよねえ」
「なんっ――鈍感?」
クルスは信じられないといった表情で目を瞠る。
イブ笑って、しかしためらいがちに続けて尋ねる。
「ねえ、そろそろ聞いてもいいかな? あのガラスの――」
その時、船の汽笛が断続的に唸り始めた。二人して思わず上の方を見上げる。
「まだ港じゃないよね?」
「……向こうで何かあったみたいだな」
振り返ったクルスが言う通り、甲板の方がざわついていた。
船員たちが乗客らを手すりから遠ざけようと、両腕を広げて体を張っている。
混乱と困惑、そして物見高い好奇心が渦巻く甲板へ、イブとクルスは駆けつけた。
事態の原因はすぐに分かった。
「わあ! あれ何の船?」
この旅客船の真横を帆船が並走している。もし二人が反対側の通路にいたなら接近に気づかない方が困難だっただろう。
クルスは帆船が掲げるドクロの旗に目ざとく気づく。
「海賊だ。バカンスに行く貴族を乗せた船なんて、連中から見れば宝の山だろうなあ」
「海賊って本当に人骨の旗を使うんだぁ。お墓みたいだな……いや、のんきなこと言ってる場合じゃないよ。まずい状況じゃない?」
「……かもな」
ここは岸から程遠い海の真ん中だ。船が救難信号を打ち上げたとしても助けはすぐには到着しないだろう。
海賊船がさらに接近して船員たちの顔が見えてきた。長いコートを着た髭の男が海賊長のようだ。
「金目の物を出しな~! 抵抗したら殺~す!」
やー! と海賊たちが音頭を取る。一見陽気だが湾曲した刃の剣を振り上げた様子は剣呑だ。
そこへ旅客船の操舵室から船長が出てきて乗客へ叫んだ。
「皆様お聞きください。これはエリスティアの船ですが、皆様の中には外国の方もいらっしゃいます。ですので国際問題を避けるため、私は皆様の行動に責任を取りません! 海賊に抵抗するか、従うかは、皆様ご自身でお決めください!」
乗客たちは驚愕した。
「船長のくせに誇りはないのか!?」
「そういうことは乗船前に知らせるべきざます!」
「死傷者が出てもいいのかーっ!」
怒号が飛び交う中、船長は逃げるように操舵室へ戻ってしまった。
乗客たちはさっそく行動を起こし、船室へ逃げ込んだり、甲板に戻って剣を抜いたりする。
「そっちがその気なら財布は死体からいただくぜ~!」
海賊たちが威勢よく旅客船に飛び込んできた。
その時、海賊船の帆を小さな赤い光が貫いた。
マストに突き刺さると、その赤さを周囲に伝播させていく。正体は炎をまとった矢だったのだ。
「おかしら! 火事です!」
「登って消せぇ! おい、誰がやった! 出てこい!」
海賊長は乗客たちを睨みつける。
が、誰も名乗り出ない。甲板には弓を持っている者など一人もいないのだ。
すると、客室の上階から再び火の矢が飛んだ。マストによじ登る海賊たちの頭上に再び着火する。
矢の軌道を読んだ海賊船の見張り役が指をさした。
「あそこです!」
「ちくしょう、セコい奴がいたもんだ! おいテメェら、あの火の矢野郎を連れてこい! さもなきゃ女子供にも容赦しないぜ~!」
しかし誰も脅しに従わなかった。
一人の紳士が答える。
「戦局が不利なご様子ですな。船に戻らなくてよろしいので?」
「なんだとぉテメェ!」
「ここが引き際とお思いなさい。風はこちらの味方なのですぞ」
「うるせぇ! まずはテメェのキラキラしてるボタンを引きちぎってやる!」
「やれやれ。紳士の皆さん、行きますぞ!」
勝利を確信した貴族たちが海賊たちへ立ち向かっていく。
気圧された海賊たちは自陣である船へ撤退していった。海賊長の怒声が虚しい。
「おい野郎ども、勝手に逃げるなっ!」
「おかしら~、さようなら~!」
「置いてくな~!」
海賊長は離れていく自分の船に飛びつき、縁に引っかかったまま去っていった。
マストの火は段々と大きくなっていくが、目に見える分には遠近法で次第に小さくなっていく。
皆が客室から戻ってくる。海賊が退いた勝利に甲板は沸いた。
「ざまぁないですわっ!」
「土産話ができたぜ!」
「何も取られなくてよかったぁ」
イブとクルスもそれぞれ剣や短剣を収め、そんな互いに気づいて顔を見合わせた。戦うつもりだったのは二人とも同じだったのだ。
「あーあ。おまえと一緒にいたら、すっかり『いい人』になっちまった」
「そぉいつは困るな、クルス。お前を気持ちよく撃てないじゃないか」
傲慢そうな声へ二人は振り返る。
そこにいたのは体格の良い見知らぬ金髪の男だ。厚めの唇に軽薄そうな笑みを乗せている。
イブは真っ先に、その手に下げているクロスボウに目を留めた。
「もしかして、あの火の矢はあなたの仕業ですか?」
「正解。見ものだったねぇ、海賊どもの慌てふためき様は。調子乗ってる奴を分からせるのって楽しいよね」
「……エドガー、か?」
記憶からその名を引っ張り出してきたらしいクルスが問いかける。
すると男は目を三日月型にして笑った。
「お前もあの頃の思い出を大切にしてるらしいなぁ、クルス。俺と同じで嬉しいよ」
「ラウニカに盗みに入ったのはお前だな?」
「正解! ずっとお前のこと探してたんだよ。何年も何年も、探してたんだよ……!」
エドガーの満面の笑みにイブはぞっと寒気がした。
好青年の顔の下に獰猛な感情が煮えたぎっているのを感じたからだった。