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少女騎士と救国の盗賊  作者: 川霧莉帆
四話 記憶を入れる壺
10/22

10:亡国ラウニカ

 飛躍の針が北ではない方向を指して宝玉を輝かせた。

 放たれた光が全身を包み、僅かな浮遊感。

 そして光が収まると、イブは別の地面に立っていた。


「ここは……」


 見回した場所は円筒形の構造が残っている白色のレンガの廃墟だ。高い位置にある大きな窓枠から青空が覗いている。神竜像も何も無いが、聖堂に似ていた。


「こっちだ」


 クルスに案内され、二枚の扉が外れた戸口を潜る。

 外には古い瓦礫が山をいくつも作っていた。草を生やした石畳の道がかろうじで街の面影を残している。

 街の反対側を仰ぐと、崩れた尖塔をくっつけている大きな建造物の名残――王城がまだ建っていた。


「ここが、ラウニカ……」


 十七年前、突如として襲撃した魔物の大群によって滅ぼされたと聞いている。

 母の出身地だとも。

 イブは物言えぬ母から何も聞けない代わりに、周囲の大人や書物からラウニカの情報を集めたことがあった。かれらそれらが語った誇り高く美麗な騎士の国の様子に何度心を踊らせたことか。

 残念なことに、もはやここにあるのは雨の跡が染み付いた静かな瓦礫だけだった。


「……本当に何も無いんだ」


 革紐に通している小さな指輪を服の下から引き出す。ずっと牢の中にいた母の代わりに、せめて指輪へ故郷の風を感じさせてやるつもりで。

 クルスはそんなイブをしばし見守った。


「この国のことを知りたいなら、そのためにもオレの依頼人に会いに行こう。あのじいさんは色んなことを知ってるんだ。おまえのことを紹介してやるよ」

「うん」


 イブは街を下っていくクルスの後について行った。

 特徴が失われた見分けのつかない路地を迷うことなく進んでいく。


「ここに来たのは初めてじゃなさそうだね。依頼人と会うのも二度目どころじゃないのかな?」

「まあな。というか、長い付き合いなんだ。……ほら、あそこだ」


 クルスが指さしたところに不思議な淡い煙が立っていた。半分壊れた家屋の煙突からだ。

 小さな階段を上がり、クルスは木製のドアをノックした。

 返事なしに内側からドアが開かれると、夏の雲のように豊かな白いヒゲを蓄えた背の高い老人が姿を現す。

 すると、老人はクルスを見るなり太い眉を吊り上げた。


「ちんたら戻ってきおって、いま何月だと思っとるんじゃ! この……っ」


 ドアの縁にかけた手に力が入り、わなわなと震える。

 老人はクルスへ腕を振り上げると、頭を鷲掴みにして撫でた。


「この……ワシの頼れるオコジョ坊主よ! あんまり遅いからどこぞで行き倒れでもしたかと心配しておったぞ、クルス!」


 涙がしみるかのように目を強くつむりながら銀色の髪をぐしゃぐしゃ混ぜる。

 クルスは本気ではない抵抗をして手を振り払った。


「ったく、泣くことないだろ。心配させたのは悪かったけどよ」

「うむ、大いに許そう。野生動物か廃屋を漁る不埒な盗人しか見かけないこの地で、人と会う楽しみをくれる相手はお前さんくらいなものだからな。しかし歳を取ると涙腺が弱くなっていかん」


 老人はくたびれたローブの袖で目元を拭う。その澄んだ優しそうな眼差しがクルスたちへ改めて向けられた。


「して、そちらのお嬢さんは?」

「イブ。旅の相棒だ」


 イブは老人へ目礼した。


「エリスティアから来ました、イブと申します。……あの?」


 老人は硬直から我に返った。


「おっと失礼。華やかなお顔に年甲斐もなく見とれてしまったわい。ワシはゼファという、見ての通りの隠居者じゃよ」

「はあ。こんなところでお一人とは、不便ではありませんか?」

「美人に心配されるのはいつぶりだろうかのう。しかし今日ほど楽ができる日もなかろうて。クルスに加えて、かの強国の騎士殿もいらっしゃるのだから」


 ゼファはイブの剣をちらりと見て、片目をつむって見せた。


「……! はい」


 居住まいから素性を悟られて、イブは内心嬉しかった。それだけ風格が出てきたのだと解釈できたので。


「なあ、いつまで立ち話なんだ?」

「そうじゃな。色々の話はハーブティーでも飲みながらにしよう。さ、どうぞお入り」

「お邪魔します」


 イブはクルスと共に大きく開かれたドアをくぐって、老人――ゼファの小さな住まいへ入った。



 廃墟の真っ只中ながらゼファの家は居心地良く設えられていた。窓は風をよく通すし、中二階の天窓が日光を取り入れているため気分が良い。

 ゼファはイブとクルスを丸いテーブルへ着かせると、狭い台所でお茶の用意をし始めた。魔法の青白い火が燃える暖炉から使い込まれたやかんを取り、柔らかい湯をポットに注ぐ。


「ところで、なんでオコジョ坊主って呼ばれてるの?」

「さぁな」


 二人のやり取りにゼファが朗らかな笑い声を上げる。


「ほっほ……。冬の白いオコジョに似てないかの? まあ、あれほど凶暴ではないが」

「肉食で狩りをするんだっけ。確かに、どんな困難な物でも手に入れるクルスさんっぽいかな?」

「二人して何言ってんだか」


 話を流しつつ、クルスは例の布袋をテーブルへ持ち上げた。


「そら、こいつが頼まれてたブツだ」


 ゼファはカップとポットを載せた盆を置きながら席についた。


「手に入れたか、『退魔の水晶』を」

「退魔?」

「まだイブに見せてなかったよな。遅くなったが……これだ」


 袋の口をほどいた瞬間、ほんの微かな光がこぼれた。

 現れたのは半透明の淡い白色の結晶だ。見た目は特別なものではないが、そこにあるだけで部屋の空気がさらに清浄になるような神秘的な雰囲気があった。


「綺麗だね……」

「神竜像が魔物を退ける力を持っているのは、人の信仰心に神竜が応えてくれているからじゃが、この水晶は秘めたる光で魔をはね退ける。その光は根源的に魔と対を成すものじゃ」

「へぇ……そんな鉱物があるのですね」

「古の代物じゃ。もう力を残している水晶は少ない。ほとんどは魔王が存在した伝説の時代に力を使い果たしたと言われておる。特にこれほど大きな欠片はもうないのじゃ」


 ゼファは水晶に目を細めた。


「ゆえに、これはラウニカ王家の宝だった。力が残っているうちに取り戻されたのは幸運じゃ」

「…………」


 イブの静かな驚きからゼファは何かを察したようだ。


「なんじゃクルス、イブ殿におぬしの誇り高い任務のことを話しておらなかったのか?」

「いや、ワケがあっても盗みは盗みだろ」


 肩をすくめるクルスにため息をつく。


「まったく、最近の若者は大義名分の価値を低く見積もりすぎておる。卑屈になるでないぞクルス。お前さんは立派な男じゃ、ワシが認める」

「そこまで言うなら認めてもらっておいてやるよ、じいさん」

「素直じゃないのぉ」


 ゼファは続けつつ、ポットから三つの不揃いなカップへお茶を分ける。


「イブ殿、クルスは今までもラウニカの宝を取り戻すために働いてくれていたのじゃよ。亡き王国から盗み出された貴重品を盗み戻す、義賊のようなものなのじゃ」

「へぇぇ。本当に、どうして話してくれなかったんだろう」


 イブはクルスへ笑いかけた。


「奇人変人の仲間だと思われたくなかったからかな。こう見えてじいさんはまだ秘密がありそうで油断できねえ」

「こりゃ手強い反撃だわい。ほっほっほ」

「ほらな」


 と呆れているが、二人の間には確かな信頼が見て取れた。

 湯気の立つカップが各人へ配られる。お茶は香草の爽やかな香りがした。


「それで、戻るのが予定より一か月も遅れたのはどうしたわけで?」

「実はエリスティアで緊急の依頼があって、そっちを優先させてたんだ」

「ほう、お前さんを知っていて仕事を持ちかけた者がおったと?」

「只者じゃなかったぜ、もちろん。だがそれよりも……。じいさんはここから出ないから知らないだろ? 魔王が復活したって話は」

「魔王……!?」


 ゼファは目を剥いた。その様子にクルスは少し上体を引く。


「エリスティアに変な城が浮かんで……それまでの王様は魔王が化けた偽物だったらしい」

「何っ、テオドルが!? どういうことじゃ!」


 二人から驚きの目で見つめられたゼファは、コホンと咳払いをした。


「すまぬ、大物の話題が出てきたので取り乱してしもうた。伝説の魔王の話はよく知っておるぞ。空に太陽を隠すほど大きな城が浮かんだのかの?」

「そうです。湖から浮上しました」


 イブが頷く。


「古の時代と同じじゃ。その城は、かつての勇者が魔王を討ち倒した時に地上に落ちたものじゃろう。落下の衝撃で大穴が開いた場所は、後にエリス湖になったと言われておる。エリスティアという国は湖を見張る者たちが作った国だったそうじゃ。しかし、魔王は誰も知らぬうちに湖の中の城を作り直していたのじゃな……」

「王は二十年前から入れ替わっていたそうです。そのことに誰も気づいていませんでした」


 ただ一人、ロベルト将軍を除いて――イブは内心だけで続けた。


「二十年も前から……。ラウニカに魔物の大群が押し寄せてきた頃には既に魔王は地上で暗躍しておったのか」

「……ですが、本物の王が封じられていた魔王の魔法道具をクルスさんが見つけてくれて、エリスティアは救われたのです」


 それを聞いてゼファは表情を緩めた。


「それは大仕事だったな、クルスよ。世のため人のための生き方が板についてきたのではないか?」

「別にそんなつもりはなかったんだ。目的のブツの持ち主が魔王だと知ってたらビビって逃げてたかもしれねえ。ただ、魔法の鍵で守られた扉と聞いて挑戦したくならない盗賊はいないってことさ」

「依頼主はおぬしの扱いが上手かったようじゃのう」


 クルスとイブはそれぞれ淡い笑みを浮かべた。


「その出来事が、お前さんとイブ殿が一緒にいる理由かね?」

「ま……きっかけだな」

「宝物庫が破られた時、僕がクルスさんを捕まえたんです」

「ほぉ! この凄腕がとうとう檻に入ったのか」


 ゼファは感心の声を上げる。どこか面白そうだ。


「でもそのお陰で、僕の母は最期に一人ぼっちではありませんでした」


 イブは胸元の小さな指輪にそっと触れる。


「魔王の城が浮き上がった影響で城が崩れ、僕の母は犠牲になりました。クルスさんは母の形見を届けてくれて……そしてこの、母の故郷へ来ることすらできたのです」


 しばし、ゼファは無言だった。


「……十七年前の魔物の襲撃を生き延びた者は数少なく、難民は世界の方方へ散ったという。そんな苦難にあってもラウニカの娘が次の世代をもうけていたか……。ぜひ、おぬしの母の名を教えてくれぬか」

「それは……僕も知らないのです」

「なんと」


 この答えにはゼファもクルスさえも不意を突かれたようだった。


「母は難民としてエリスティアに来たそうですが、話せませんでしたし、誰も母を知らなかったようです。事情があって自由にやり取りできる立場にはありませんでしたから、余計に……」


 イブは俯いて語尾を濁した。言い訳をしている気分だった。

 そこへゼファは少々芝居がかって腕を組むと唸った。


「うむ、思い起こせばワシも父や母のことを名前で呼んだことはないのう。そういうものじゃよな、親子というのは。だから気にするでない。辛いことを聞いてすまなかった」

「いいえ」

「さて、話題が盛りだくさんで疲れたわい。気分転換に、ちょっと膝を伸ばさぬかね?」


 そう言って親指で外を指す。クルスは頷いた。


「ああ。しまい込むのを忘れちまってるのかと心配してたところだぜ」

「そんなわけがなかろうよ。まだ杖も要らぬのだぞ」

「何の話ですか?」


 イブが尋ねると、二人は揃ってテーブルの水晶柱を指した。


「ついてきなされ。ラウニカの秘密の宝物庫へ特別に案内して差し上げようぞ」


 ゼファは片目をお茶目につむった。



 瓦礫の奥にその場所への入口はあった。一見、倒壊を免れたといったふうの床の扉を持ち上げて、三人は地下への階段へ下りる。

 中ではゼファが持つ発光石を入れた丸いカンテラが日光のように明るく周囲を照らした。

 階段の次は長い通路を進む。道幅が狭いので直列して歩いた。


「隠し通路ですね。有事の際の避難路のはず」

「この道はその一つじゃ。城ではなく、遺跡へ繋がっておる」

「遺跡?」


 少しして、通路が途切れて空間が大きく広がった。

 そこは冷えた空気を蓄えた明るい地下礼拝堂だった。古いレンガのでこぼこしている壁と自然の湾曲を残す石柱がアーチを連ねる天井を支えている。

 イブは辺りを見渡して感嘆した。


「すごい。ここは傷みなく残っているんですね」

「当時のラウニカで最も安全な場所はここじゃった。どんな魔物も近づけぬ力がここには満ちておる。それゆえに、聖域と呼ばれておった」


 ゼファはこの部屋の真ん中にある大きな石棺を目で示す。


「先代勇者の棺じゃ。勇者様はラウニカの出身だったそうな」

「そうだったんだ……」

「宝物庫は向こうじゃ」


 イブは金属製の扉へ案内された。

 扉には牡鹿の角を模した紋章がついている。ゼファはローブの下から複雑な形の鍵を取り出して扉を開けた。


「さあご覧あれ。ラウニカの宝物たちじゃ」


 中はちょっとした博物館のようだった。紋章の旗が飾られている壁に沿って台座や棚が並んでいる。

 そこに載っている品々は、冠、陶器の皿、杖の一部、書物……と様々で、どれも威厳に満ちている感じがした。


「わぁ……。これを全部、クルスさんが取り戻したんですか?」

「なかなかやる男じゃろ」

「本当にそうですね。賞金首になっても仕方ないくらい」

「ほっほ! ずいぶん箔がついてきたようじゃの」

「……なんか気が合ってるんだよなぁ」


 クルスは呆れた様子で髪をかきあげた。


「さてと。コレは置く場所をもう決めておる」


 ゼファは『退魔の水晶』を布袋から出し、空いている台座にそっと立たせた。

 壁に据え付けられている発光石の明かりを平らな面が反射する。イブはその光に目を凝らした。


「さっき見た時より光が強い気がしませんか? ここの雰囲気に飲まれてるだけでしょうか」

「ふむ……そう見えたのか? ここには神聖力が満ちておるからの、水晶が力を増すこともあろうて。では、クルス。今回の報酬じゃ」


 ゼファは棚の小箱から大金貨を一枚出してクルスへ渡した。

 小箱にはまだ何枚もの金貨が詰まっているようだ。


「たしかに。次はどうする?」

「ちょいと待っておれ。おぬしらの話を聞いて考えることが増えたでな。というわけで、二人とも今日はゆっくり過ごすがよい。ワシは先に戻るから、後は任せたぞい」


 と言って宝物庫の鍵をもクルスへ渡す。


「好きなだけ見せておやり」


 ゼファは若者たちへ含みのある笑みを残して一足先に戻っていった。

 二人きりになり、イブはようやく本音を口にする。


「あの人、何者なんだろう。絶対にただのご隠居じゃないよ」

「そこが一番の謎なんだよ」


 クルスは苦笑した。


「んじゃ、ああ言われたことだしおまえに付き合うぜ。気になる物はあったか?」

「どれも気になるよ。この冠なんかすごく古いし……」


 イブはクッションに鎮座している黄金色の輪っかに目を向ける。宝石が散りばめられてあるから冠だと分かるが、現代の普通の冠よりずっとシンプルな形だ。


「それは初代国王の冠だな。先代勇者が存在したのと同じ時代の物らしい」

「伝説の時代の物かぁ。それで、クルスさんはこれをどこからどんなふうに取り返したの?」

「盗みの話に興味があるのか、騎士サマ?」


 意外だと言わんばかりだ。イブは微笑んで頷いた。


「ゼファさんが言ってたとおり、クルスさんのやっていることは誇るべきことだよ。だから聞きたいな、クルスさんの武勇伝」

「おい、よせよ。話さないと勿体ぶってるみたいになるだろ」

「今まさに焦らされてるよ。あぁどんな華麗な手口だったのかなー」

「手口って言うな。話してやるから――」


 地下礼拝堂へ楽しげな声が漏れ響く。



 その日の夕食は三人でテーブルを囲み楽しく過ごした。木の実や山菜とともにゼファが燻製肉を出してくれたので、廃墟で過ごす一夜とは思えない豪華さだった。

 皿が空になってしばらく経ち、ゼファが天窓を見上げる。


「お、月が傾いておる。すっかり話し込んでしまったのう」

「そろそろ片付けましょうか」


 イブとゼファが食器をまとめ始めると、クルスが席を立つ。


「風呂、沸かしてくる。使うだろ?」

「気が利くのう」


 ひらりと肩越しに手を振って家の外へ出ていった。

 イブは今日出会ったばかりの老人と二人きりになる。食事中のおしゃべりが盛り上がったこともあって気まずくはなかった。


「ゼファさんはクルスさんと仲がいいですけど、血縁ではないんですよね?」

「ほっほ。それを聞いたらあやつはどんな顔をするじゃろうなあ。おぬしの言う通り、違うぞい」


 ゼファは小さな流し台で皿を水洗いしながら続ける。


「クルスと出会ったのは五年ほど前じゃ。ワシがこの廃墟から盗み出された物を惜しむばかりの日々を送っていた頃、瓦礫の中で行き倒れていたところを見つけたのじゃ。あやつはまだ十六歳の少年じゃった――」


 ――その痩せぎすの少年は、体のあちこちにアザや傷があり、飢えと怯えで目をギラつかせていた。

 どこから来たのか、なぜやってきたのか、何を聞いてもはぐらかすばかりでまともに答えようとしない。

 だが怪我の手当てをしてやり、飯を食わせてやるうちに、ゼファは気づいた。

 答えたくないのではなく、答えを持っていないのだと。


「あの時のクルスは野良犬じゃった」


 ゼファは初め、クルスがラウニカ出身者ではないかと考えていた。

 そうではないことがはっきりしたのは、クルスがとうとう自分のことを話したからだった。

 きっかけは、クルスの追っ手が現れたことだ。


「どこぞでつまらぬ盗みを働いて、質の悪い連中に目をつけられてしもうたらしい。命からがら逃げて、気づいたらラウニカに転がっていたというわけじゃった」

「その追っ手をどうしたのですか?」

「クルスはまた逃げようとしたが、引き止めて立ち向かわせた。もちろんワシも一緒にな。こう見えて魔法の心得があるでな、火の玉や氷の粒を掠らせてやると、連中は大慌てで逃げ帰りよったわい」

「痛快ですね」


 ゼファはその言葉へだけに、ニッコリ笑った。


「じゃが、クルスは喜ばなかった。反撃した分だけ相手の力が強くなると信じておった。腑抜けじゃよ。人様から食い扶持を失敬しておきながら怯えて逃げ回るのは薄汚いネズミのすることだ……と言ってやったよ」


 その時のクルスの様子は、怒りを通り越して衝撃を受けたようだったという。

 自分が底辺の人間であることに気づいていなかったらしい。

 それでゼファはクルスの常識が世間一般のものと大幅にズレていることに気づいた。


「ワシはクルスを育て直そうと思うて、ラウニカの宝を取り戻すよう依頼した。ケチな泥棒が仕事を通じて成長し、古今東西の物語にある誇り高い盗賊のようになれることを願ってな。……ま、ワシは賭け事には強い方じゃし、心配してなかったぞい」


 ほっほっほ、とゼファは高笑いで締めくくった。

 イブは感心しきりだった。


「今のクルスさんからは想像できません」

「あやつも随分と努力したはずじゃよ。本当に変わったものだ」


 二人は布巾で水気を拭った食器を籠に入れると、湯を沸かして食後のお茶の準備をした。

 ゼファは昼間と同じく三つのカップを出す。重厚な焼き物と、優雅なティーカップ、そして釉薬がつややかな群青色のマグカップ。

 客人用の薄いティーカップと比べると、二人のカップはまるで家族だった。


「……勝手なことを言うが、クルスがイブ殿と出会ったことに運命を感じるのじゃ。クルスがこの国の生き残りの子を、ワシに引き合わせてくれたような……。なんてのう」


 イブは首を横に振った。


「クルスさんがラウニカに縁があることは、ここへ来る直前まで知らなかったのです。聞いた時は驚きました。クルスさんに形見を託した母がずっと導いているのではないか、と」

「そうか、そうか……」


 ゼファは緩慢に頷く。閉じたまぶたの裏には在りし日の思い出があるのか。


「あやつがワシにとって何なのかは難しいが、あえて言うなら友だ。イブ殿よ、これからもクルスのことをよろしくな」

「はい。僕も相棒として日々精進してまいります」


 真っ直ぐな翠玉色の目へ、ゼファは温かな表情を見せた。

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