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少女騎士と救国の盗賊  作者: 川霧莉帆
一話 小さな指輪
1/22

01:魔王の城

 暗い夜のこと。堅牢なエリスティア城に警鐘が鳴り渡った。

 城中の者が叩き起こされて目を白黒させる中、兵舎に号令が響く。


「全員出動! 王の宝物庫に侵入者だ!」


 声の主であるロベルト将軍は既に鎧に身を包んでいる。その緊迫感に気圧されて兵士たちは城の中を走った。


「王様の宝物庫といえば、魔法の鍵で守られてたはずだよな?」

「十数年間、開かずの扉って噂だ。それを破ったとなると――」

「いたぞ、あっちだ!」


 兵士の一人が指差した長い廊下の先に、怪しい人影があった。


「待て!」


 兵士たちは装備をガチャガチャと鳴らしながら侵入者を追いかけた。一方、侵入者は細身に見合う素早さで、足音も少なく動き回る。訓練してきた兵士たちでも追いつけない俊足だ。

 それでも兵士たちは圧倒的な人数差を使って、侵入者の位置を把握していく。

 今、二人の騎士たちが狭い階段の下にたどり着いた。耳を澄ますと、遥か上階から一、二段飛ばしに駆け上がっていく僅かな足音が聞こえる。


「この先はメイドたちの部屋だ」

「か弱いご婦人たちを守らねば。急ぐぞ!」


 騎士たちは上り階段を走り出した。



 その頃、侵入者は城の最上階である四階に上がりきっていた。

 明かりの乏しい長い廊下があり、両側にドアが整然と並んでいるが、階下の騒ぎが嘘のように静かだ。侵入者は足音をころして進む。

 すると、半開きになっているドアから差し込む淡い光が廊下を切り裂いていた。今夜の薄い月の光だ。

 侵入者はそのドアに忍び込んで部屋を閉ざした。


「やれやれ、やっと一息つけるな」

「それはどうかな?」


 侵入者は跳ねるように振り返った。

 尖塔と星空が望める窓辺に細い女性のシルエットがあった。提げている剣がこけおどしでないことを隙のない長身の佇まいが物語る。


「もう逃げられないよ、泥棒さん」

「待て! ここは一つ見逃して――」


 目深に被ったフードの下、侵入者の見開かれた両眼が、低い姿勢で距離を詰めてきた女性を捉えていた。だが逃げ場がない彼の体は、脚を掛けられて一瞬浮いた。


「やあぁぁッ!」

「うわ……!」


 気合いを入れて投げ飛ばされた侵入者の青年の体は、しかし、ぽふんと、彼が思っていたよりもずっと柔らかい場所に投げ落とされた。ベッドの上だ。


「覚悟!」


 まごついている間に女性は青年を転がして毛布を巻き付け、簀巻きにし始めた。

 その毛布が突然、内側から膨れて裂ける。


「わっ」


 二つの銀色の光がひらめいたかと思うと、青年は素早い身のこなしで柔らかい拘束具から脱出した。

 ベッドを挟んで両者は対峙する。

 青年が持っていた銀色の光の一つは、脱げたフードから現れた頭髪だった。少し長い前髪には後ろへ流れる無造作なクセがついている。

 そしてもう一つは逆手に握る真っ直ぐな刃の短剣。それが毛布を内側から切り裂いたのだ。

 女性はまだ幼さの残る面立ちを美しく緊張させる。


「刃物を抜いたということは、このエリスティアの騎士イブと勝負する気があるのかな?」

「騎士様かよ。へっ……女だからって容赦はしてやれねえぞ」

「そんなに軟弱では、僕には勝てないよ」


 レイピアの刀身が月光に濡れた。

 先に仕掛けたのはイブだ。ロングブーツでベッドを踏みつけてレイピアの鋭い切っ先を突き出す。青年が握る短剣を狙うが、最小限の動きでかわされる。

 レイピアの攻撃方法は刺突だけではない。手首をしならせれば研がれた刃で斬りつけることもできる。この一振りは、大股に距離を取ろうとした青年の服の肩をかすめた。


「あぶねっ」


 たたらを踏んでドアの前へ逃れた青年と、再び窓明かりを背負ったイブが間合いを測る。

 イブは青年が横目でドアの方を気にしたのを見咎める。


「そっちには逃がさないよ。ここから出たければ僕を倒さなきゃ」

「……。そうみたいだな」


 青年は視線をイブの背後へ走らせ、覚悟を決めたように呟いた。

 短剣を手の中で器用に回して逆手持ちに握り直す。そして痩身を屈めて力を溜めた。


「悪いが、死んでもらうぜ!」


 イブは咄嗟に防御態勢を取ったが、バネのように飛んだ彼の体は、それより前にイブの脇を通り抜けていた。

 まるで一陣の風。イブの若葉色のコートがふわりと翻る。

 その直後、鈍い衝突音と苦悶のうめき声が窓辺で上がった。


「ぐえっ」

「――ふっ」


 イブの口元が上がって震える。

 窓からずり落ちた青年は、額を抑えてもんどり打った。涙目が疑問を呈して衝突した場所を見上げる。

 イブは振り返って、剣先で硬い夜景をつついて見せた。


「この窓はね、壁に景色の絵を貼り付けてるだけなんだよ。月明かりを再現してるのは、発光石を混ぜた塗料の光。よく出来てるでしょ?」


 種明かしを終え、イブは剣を収めた。

 ベッドからシーツを引っ張り出すと、青年の体を転がして今度こそ縛り上げる。


「僕が怯んだ隙に窓から飛び出すって作戦自体は良かったね。僕はまんまと命の危険を感じたし、あなたは素早かった。……それにしても、口が悪い割に紳士なんだね。感心したよ」

「あ゛ー……くそっ!」


 もはや悪態を吐き捨てることしかできないようだ。

 そこへ、ドアが開いて複数の少女たちの顔が覗いた。


「すごい音がしたけど、大丈夫だった?」


 イブは答える代わりに床に転がっている侵入者を見せる。

 少女たちは歓声を上げて部屋になだれ込んできた。


「やった! 盗人を捕まえたのね!」

「さすがイブ、私たちの騎士!」


 きゃあきゃあと高い声ではしゃぐ寝衣姿の少女たちに見上げられるイブも十代の少女の笑顔を浮かべる。


「ありがと。皆が協力してくれたお陰だよ」

「ドアを押さえとく手伝いならいつでもやるわよ。任せて」


 廊下の方から更に人が駆け込んできた。


「はー、やっと追い詰めたぞ侵入者め……って、もう捕まってる?」


 息を弾ませる騎士二人は、すっかり無抵抗の侵入者と、その隣にいるイブを見て、親指を上げた。


「でかしたぞ、イブ!」


 イブは誇りを握り込んだ拳を胸に当てて敬礼した。




 広大な湖に埋まる巨大な一枚岩。エリスティア王国はその岩に乗っている。

 朝日が石造りの街を照らすと、イブは朝一番に玉座の間へ呼びつけられ、跪いて王からお褒めの言葉を受けた。


「昨晩の捕物は大儀であった。幸いにも宝物庫から持ち出された物はなかったが、奴は魔法の鍵を掛けた扉をもこじ開けられる腕前を持つ盗賊だ。そなたのお陰で、世のあらゆる秘密が変わらぬ安寧を享受できるというもの。よくやった」

「もったいなきほどの御言葉、謹んで頂戴いたします」

「これからもよく励むがよい」

「はっ。恩義あるこの国のために精一杯尽くします」


 髪を編み込んで丸くまとめた、重厚な紅茶に似た色の頭がいっそう垂れる。

 エリスティア王は若い騎士へ厳格な眼差しを注いだ。



 玉座の間を出ると、待っていた人物に声をかけられた。


「王よりお言葉をもらうようになるとは。立派になったな、イブ」

「ロベルト様」


 イブは凛々しい緊張をほどいた。

 恵まれた体格に黒い鎧を着けた将軍・ロベルトは、見た感じの威圧感とは裏腹の温かな目をしている。


「ありがとうございます。日々のご指導ご鞭撻のお陰です」

「口も達者になったものだ」

「本当のことですよ。七歳から十年間、他の者と別け隔てなく鍛えてくださったからこの日があるのです」

「急にどうしたのだ?」


 ロベルトは困ったような微妙な笑みを浮かべる。問われたイブも似たような反応をした。


「なんでしょう。昨日は興奮してよく眠れなかったので少しおかしいかもしれません」

「それだけ働いてくれたのだ。今日は休め。ちょうど街も祭りのようなものだし、出かけたらどうだ」

「いえ、今日は母と一緒にいます。それでは」


 イブは軽く頭を下げると足取り軽く立ち去った。

 玉座の間の警備に立っている騎士の一人がロベルトへ呟く。


「相変わらず健気ですね」

「誰か外へ連れ出してやれ。今日は生きているうちに二度も見れるか分からぬような見ものだ……」


 ロベルトはその場の皆へ、独り言のような返事をした。



 城下町は昼前からかなりの人出だ。広場にお菓子や装飾品の露店も開かれて祭りのような様相を呈する。

 だが今日は王国の祝日でも、季節の祭日でもない。

 月が太陽の姿を覆い隠す天空の珍しい現象――日食が見られると天文学会が予報した日だ。それも、月の視直径が太陽より小さくなることで光輪ができる金環日食だという。

 他の国では見られない特別なショーということで、エリスティアの国民達は煤をつけたガラスなどを用意して、楽しみながらその瞬間の訪れを待っていた。



 一方、城の地下深く。イブはいくつもの蜜柑を抱えて、石造りの暗い階段を降りる。

 向かった先は地下牢だ。明かりが最低限しかなく薄暗いが、勝手知ったる様子で看守室へ顔を出す。


「おはようございます。蜜柑ありますよ」


 戸口から腕を伸ばすと、当直の看守は不思議そうな顔で土産を受け取る。


「なんだ、いいのか? もうすぐほら、アレの時間だろう?」

「丸一日休みになったんです。それに太陽ならここにもありますし」


 と、片腕に抱える蜜柑をひとつ掴む。


「そうかい。好きにしな」


 看守は苦笑して、手振りでイブを牢の方へ通した。

 牢は通路の両側に並んでいる。向かい合う空の檻を三組通り過ぎて、行き止まりに到達する。

 その右側の檻へ、イブは笑いかけた。


「おはよう、お母さん」


 イブと同じ翠玉色をした瞳の美しい女性――イブの母は既に膝を揃えて笑顔で待っていた。おはよう、と口の形が挨拶を返す。清潔な服を身に着けていることもあって、その姿には気品が漂う。


「朝食のデザートに出た蜜柑を持ってきたよ。実は昨日の夜、大きな手柄を立ててね。それで料理長がお祝いにって沢山くれたんだ」


 母は両手を合わせて喜びを表現すると、向かいの牢を指さした。

 振り向いて初めて、イブはそこに人がいることに気がついた。


「あれ、お向かいさんになったんだ」


 話しかけられた青年――昨夜の盗賊は、粗末な寝床に胡座をかいて、目深に被っているフードの下から退屈そうな視線を向けた。


「おでこはどう?」

「……将軍サマが回復魔法を使ってくれた」

「じゃあ痕も残らないね。お大事に」


 イブは蜜柑を軽い力で檻の中へ投げ入れた。青年は最小限の動きでそれを受け止める。


「どーも」

「遠慮しないで。あなたにもらったようなものだから。ねえお母さん聞いてよ、あの人はね――」

「本人の前で話すのかよ……」


 イブは青年のぼやきをよそに、檻の前に座り込んで昨夜の出来事を語り始めた。

 青年は蜜柑を割りながら、こっそりと二人の様子を窺う。

 楽しげに喋る娘と、一言一句を噛みしめるように傾聴している母。二人の間には檻が立ちはだかっているのだが、和やかな本人たちの目には邪魔な鉄格子など見えていないかのようだった。


「――ところで、せっかく宝物庫に入ったのにどうして何も盗まなかったの?」


 イブが振り向いて尋ねる。青年は口の中にある蜜柑の最後の房を飲み込んでから答えた。


「そりゃあ、目ぼしいものがなかったからさ」

「王様の宝物庫なのに?」

「じゃ、あそこに何が入ってるか騎士様は知ってるのか?」


 問われて、イブは小首を傾げる。


「誰も知らないよ。開かずの宝物庫だもの」

「倉庫は見せびらかすためのものじゃないってことさ」

「ふぅん。それもそうか」


 首を戻したイブへ、母が天井を指差して見せる。


「あぁ、いいの。太陽は見るものじゃないもの」


 すると母は、檻の隙間に並べられた蜜柑の一つを取り上げると、皮を放射状になるよう丁寧に剥き出した。細く、太くと交互に剥き、最後に太い皮を内側へ折り込む。完成した形は花に似ていた。


「わぁ、すごい! 太陽みたい!」


 いびつな皮の縁が揺らめく火を表現しているかのようだ。

 イブは母が差し出した太陽の蜜柑を、ひとしきり矯めつ眇めつ眺めた。


「金環日食って、この国では数十年前にも見られたらしいよ。次は百年以上先らしいけど。前の時は、光の輪を指輪に見立ててプロポーズする人がたくさんいたんだって。未婚の先輩たちが今日休みを取ったのは、きっとそういうことだよねぇ」


 母がクスッと笑う一方、イブはふと顔を陰らせた。


「ねえお母さん、わたしの……お父さんって……」


 その時、足元から奇妙な地響きがした。

 母と揃って思わず暗い天井を見上げる。


「地震……?」


 顔を見合わせた母は不安を湛えて目を瞠っている。その様子を見て、イブは勇ましく立ち上がった。


「何かお達しが出るかもしれない。行ってくる」


 その左腕を鉄格子から伸びた母の手が素早く掴んで引き止めた。母はイブに手のひらを広げさせて、指で文字を書く。


『おまもり』


 イブは文字を左拳に包んで頷いた。


「大丈夫、わたしもエリスティアの騎士だもの。何があってもお母さんを守るよ」

「…………」


 母は複雑な感情を混ぜた微笑みを作り、惜しみながら娘の手を離した。

 イブは走り出す。


「また後でね!」


 足音があっという間に遠ざかる。その残響を、母は鉄格子の隙間からいつまでも見送り、やがて祈りの形に手を組み合わせた。



   *



 玉座の間にはエリスティア王とロベルト将軍、そして六人の老若男女の客人が揃っていた。


「――証拠ならあります」


 六人は、それまで黙していたロベルトの一言に驚愕した。

 さらにロベルトは飾り気のない古びた楕円形の鏡を取り出す。六人の中の一人、ローブ姿の老人が目を瞠った。


「それはもしや、ジャガルの鏡!」


 ロベルトは王のそばを離れて六人の側に立つと、鏡を掲げた。

 鏡面に玉座の王が映り込む。憤怒に歪んだその顔が。

 すると鏡面がまばゆく光りだした。


「一体何が起こるの!?」


 六人の一人、武道着姿の女性が叫ぶ。


「ジャガルの鏡は映した者の姿を奪う禁断の魔法道具! エリスティア王は確かに魔王だ。だが鏡の中には――」


 一瞬、部屋中に光が満ちた。目を開けていられないほどの眩しさが収まると、六人は目の前の光景に目を瞠った。

 ロベルトの目の前にもう一人、エリスティア王が立っていたのだ。


「王が二人……!?」


 六人の一人、甲冑の武人が唸る。


「思い出しました。映した者を封じ込め、その者に成り代わることができる魔法道具があると」


 六人の一人、僧侶の少女が呟く。


「なら鏡から出てきた方が本物の王様? とんでもないね……!」


 六人の一人、射手の青年が声を震わせる。


「――くっくっく……」


 玉座の王が喉の奥で笑った。

 途端にその体から膨れ上がった邪悪な気配に六人は緊張を漲らせる。


「よもや貴様に裏切られるとは思っていなかったぞ、ロベルト。我が忠実なるしもべよ……」


 ロベルトは敵意の視線をものともせず鏡から現れた方の王を自分の背に隠す。


「卑劣な魔物に忠誠心を奪われはしたが、魂までも失ったわけではないということだ」

「これまでの従順な働きぶりに免じて、過ぎた言葉は大目に見てやろう」


 傲慢な許しを受けたロベルトの表情は険しい。

 偽物の王は玉座から緩慢に立ち上がり、肩のガウンを落とした。

 その人間としてのシルエットが変形していく。

 頭部の左右の側面からは捻れた角が生え、肌は青ざめる。体格は若々しく、大きく。

 足元から湧き上がったどす黒い魔力が奔流となってその身を洗い流すと、王のローブは装甲と衣を組み合わせた禍々しい戦装束へと変化していた。

 六人の一人、先頭に立つ少年が拳を握る。


「追い詰めたぞ……魔王!」


 少年と相対した魔王は牙を見せて笑った。


「よくぞここまで来たな、神竜の御子とその仲間たちよ。だが一歩遅かった。今日は闇の力が太陽によっていや増す特別な日。我が力の象徴が人の身では叶わぬ高みへ昇るさまを見物し、絶望するがいい!」


 広げられた両腕に魔力が集まっていく。

 ちょうどその頃、空では日食が始まっていた。

 太陽が月の影で欠けていく様子に城下町の人々が歓声を上げる一方で、小鳥たちは異変を叫ぶ。

 やがて月が太陽の炎の中にすっぽり収まり、少し暗くなった空に光輪が輝く。

 人々は煤をつけたガラス越しに。あるいは、太陽光を通す穴と覗き窓を開けた筒を使って光の輪を見た。

 穴から差し込んだ太陽光は、筒の底に小さいがくっきりと明瞭な形の光の輪を作る。

 それと同じことが湖に突き出ている古い遺跡でも起きていた。天窓から差し込んだ細い太陽光が形作った光の輪が、古の魔法陣を完成させた。

 湖の底が震え始める。



   *



 地下牢から城のホールへ戻ると、警備に立っている兵士たちがいつもの平静さを欠いてよそ見をしていた。


「何があったの?」

「あっ、イブ様。さきほど勇者様たちが来られたんですが、玉座の間で何か起こっているようなんです」

「勇者様が? 何の用だろう……」


 イブはホールの正面に翼のように広がる大階段を上がって、玉座の間へ続く真っ直ぐな廊下へ差し掛かろうとする。

 が、角を曲がる直前で、大きな衝撃が城を突き上げた。


「わあっ!」


 今度はすぐには収まらず、轟音を伴う地響きが続く。平衡感覚が効かず、本能で危機を感じるが、その場に縮こまる以外にできることがない。

 ホールや周囲から聞こえる悲鳴や呼び声。

 やがて玉座の間が破裂した。

 爆風が廊下を、イブの目の前を吹き抜ける。それから強い衝突音がすぐそばに着地する。

 もうもうと上がる煙のような砂埃が晴れてから見てみると、階段の踊り場に異形の巨体が転がっている。


「っ魔物!?」


 イブは跳ね起きて剣の柄に手を掛けた。

 だが、魔物には所々に見覚えのある部分があった。中でもその黒い鎧は――。


「ロ、ロベルト様……!?」


 被膜の翼が生え、緑色の肌になってしまったが、顔立ちはまだロベルト将軍であった。

 仰向けに倒れていたロベルトはそばに膝を突いた人物に気づいて目を開ける。


「イブか……だから出かけろと、言ったのに……」

「え……?」


 地響きが止むと、廊下の向こうから影がにじり寄ってきた。振り返ったイブは、絶句した。

 玉座を残して吹き飛んだ天井から青空が覗いている。その空に、日光を遮る巨影が浮かび上がっていた。

 いくつもの尖塔を備えたそれは城と呼ぶ他ないが、禍々しい色と質感の屋根や壁は一体どんな素材でできているのか。

 建物を支えるくり抜いたような地面ごと、全身から膨大な水を滴らせながら、見る間に高度を増していく。

 目を凝らすと、その城と一緒に人型の魔物も浮上している。広げた両手に暗い色の魔力を携えて。


「あれは……!?」

「伝説の闇の覇者、魔王だ。かつて失った力を取り戻してしまった……」

「魔王がこの国に!? 王はご無事なのですか? それにその姿は!?」


 さらに驚愕して振り向いたイブへ、ロベルトは諦念とともに答えた。


「王こそ、魔王だった。本物の王と入れ替わって皆を騙していたのだ。そして私は……この姿が答えだ」

「そ……そんなの分かりませんッ!」


 イブは声を叩きつけた。

 魔王の城は既に見上げるほどに天高い。振り切られた水分がその高さから湖面に落ち、豪雨のような騒音を鳴らす。

 そんな中、ロベルトの強い喉が発した言葉がはっきりと耳に届いた。


「イブ。こうなってしまった以上、もはや私に名誉などない。だが一つだけ聞いてくれ」


 ロベルトの温かだった目がそっと閉じられる。


「騎士道を、忘れるな」


 イブは急いで鎧の胸に取り付いたが、為す術はなく。

 魔物は魔力の灰となり、宙に溶けて霧散した。


「……そんな……」


 後に残された将軍の鎧の前で、イブは愕然とうなだれた。

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